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伊藤製作所「豆畑支所」
   
 

タケの排便と父の排便

2011年11月29日(火)

タケがまた、散歩にいこうと車に乗り込んで、すぐうんこをもらしたのである。下痢でもなんでもない、ふつうのいいうんこであった。もうこれで数回目になるからこっちも慣れてきた。タケが、散歩中に、ふつう犬がするようにおしりをすぼめてうんこするんじゃなくて、ただ歩きながらぽろぽろ落としていくようになってからだいぶ経つ。この頃はさらにすすんで、したというのも自覚ないようになったということだ。そしてそれは父の状態そのものである。父の大好きな話題のひとつは(ちょっと皮肉っぽい言い方。しかしそう言いたくなるほど、その話題について熱心に話す)、知らずにもらしてしまううんちのことで(うちの家族は、うんちと呼んでいた)ときどきトイレにいくとおむつパンツのなかにべったりと出ていて、みつけたときはすごいショックなんだそうだ。出るという感覚も、したいという感覚もないんだそうだ。「いやだなあ、年取るというのは」とそういうことのあったあとは、かならずしょげきってあたしに報告する。タケには「いやだなあ」という意識はないのである。だからへーきで、うんこを踏んづけながら、散歩散歩とさわいでいる。今日、タケの年齢を調べてみた。人間でいったら100歳くらいだ。機能の一つや二つ衰えてもしかたがないなあと思える年だ。

夜と父とタケその他

2011年11月28日(月)

ここのところ夜は、夜用咳止めと夜用風邪薬を複合ドウズして爆睡していたのだが、今は別にヤク中じゃないんだし、もっと落ち着いて咳対策をしようと思い、今日から薬物なしで寝ることにする。いや、年をとると、薬ひとつのむのも、このように必要量だけのむことができて、実に気楽だ。父に電話したら「だんしがしんだ」とテレビで聞いた回文をひとつおぼえのようにいっていた(昨日もいってた)「うたまろ」や「しんちょう」じゃこうはいかないもんなあ、と感慨深げであった。タケは今日、いつもの駐車場でサッカーやろうとしたら、こないだまでできてた「あ、右さん、あ、左さん」と顔を動かすのさえしなくなっていて、ただそこにぼーっとつったっているだけなのであった。でもこの頃はとっても気が短くなっていて、車の中でも、家の中でも、ちょっと待たせただけで、いらいらして、ニコに「うう」とこわい顔をするのである(くちびるをめくってみせる)。ニコはタケのいらいらにまったく責任がないので、面食らっておどおどしてしまうのである(まあ、これもいつもの反応なのだが)。タケの短気はいかにも年寄りじみていて、犬も人間もないものなんだなと思うと、つれあいの不条理さ(日々、そうなのであるが)も納得したくなるが、納得してたまるものか。

朗読のご案内12月22日東京

2011年11月28日(月)

「詩人の聲」第700回12月22日(木)
場所: ギャルリー東京ユマニテ
開場: 18:30 開演: 19:00
予約: 大人2,700円 
当日: 大人3,000円 

予約はギャラリーへ電話かE-mailでお申し込み下さい。


ギャルリー東京ユマニテ(京橋)  
104-0031中央区京橋2-8-18昭和ビルB1

Tel: 03-3562-1305 

E-mail: humanite@js8.so-net.ne.jp


くしくもそれは「詩人の聲」の詩人たちをずっと撮ってきた吉原洋一さんの個展「詩人・声・肖像」
の初日であり、それを祝して、渾身の朗読いたします。前からつねづねいっておることですが、吉原さんのシャッターを切るチャンスはどうしてああも快いのだろうと思えるほどで、微妙なかつ的確な瞬間に、シターッ、シターッと入り、それはまるで「たぁやっ」みたいに大向こうからいわれる感じで、朗読してるあたしがリードギターとすれば、ベースギターのように、リズムを作っていくのである。

humanité lab vol. 44
 吉原洋一展「詩人・声・肖像」

2011年12月22日(木)〜28日(水)

新刊のご案内「おなかほっぺおしり(完全版)」

2011年11月28日(月)

中公文庫より「おなかほっぺおしり(完全版)」
「良いおっぱい悪いおっぱい(完全版)」と対になった赤いおしりの表紙を見てください。ちなみに「おっぱい」のほうは緑のおっぱい。どこかのカップうどんのようだが、この季節の消費文化に共通する季節色ともいえるし、あたし的には「とげ抜き」色ともいいたい感じ。完全版恒例の25年後からの言及もあり、25年前(数字はおおざっぱ、じっさいの初版は20年くらい前かも)よりも25年分年取った伊藤がきちんと監修しておりますので、今現在子育てちゅうの人にも安心しておとどけできる内容でありますっ。(と胸を張って)

河原荒草と英訳

2011年11月27日(日)

咳はまだひどい。あたしの持病の一つは、喘息様のアレルギー発作で、それは風邪で咳がはじまるのだ。で、今は、そうなる前に咳をとめちまおうとしているので、薬をがぶ飲みし、つねにオーバードウズして漂っている感じ。これはこれで嫌いな感覚ではない。しめきりは無事おわった。「群像」のエッセイと「文学界」の小さな新連載「犬心」。ともに新年号です。どーぞよろしく。しめきりが済んだから、懸案の「河原荒草」の英訳のチェック、Jフリーにたのまれていたのをやってて、声に出して読みながら日本語訳に照らし合わせているのだが、はずかしいことに、胸にせまって涙が出てくる。泣けるのだ、つまり。自分の詩を読んで泣いてちゃいかんだろうと思うが、実は、自分の詩じゃない、Jフリーの訳した英語の詩なのである。で、そこにいるのはナツクサという女の子で、彼女の経験はすごくあたしのよく知っている経験であり、彼女の感覚はあたしも感じたことのある感覚であるが、やっぱあたしの経験や感覚とは違う、ナツクサの経験であり、ナツクサの移民の話なのである。ほんとは英語で書きたかったんだけど、書けなかったから、日本語で書いてきたのかもしれない。そして今、Jフリーの英語を声に出して読んでいくと、自分の英語がかなり追いついてきたから、まるで自分の声ではじめからそう語ってきたような錯覚にとらわれる。そうそう、これあたしも経験したっけと思う。日本語でああ書いたけど、実は英語でこう表現したかったのかもと思う。Jフリーには「Killing Kanoko」も英訳してもらったけど、あの頃は英語なんて考えてもいなかったから、その英訳について、ふつうの英訳以上の思い入れはなかった。しかし「河原荒草」は、いままで存在したのはたんなる日本語訳だった、オリジナルはこっちの英訳だったんじゃないかという気がしきりにする。

夢と咳

2011年11月24日(木)

ゆうべ寝る前にベッドで、シルヴィ・ギエムのボレロやJ・ノイマイヤーのノクターンやらをYouTubeで見ておった(なに、テレプシコーラ理解のためだ)そして寝たからなんだかんだと夢を見て飛び起きて書きつけとかなきゃと思って書きつけたときにはもうあらかた忘れており、今、ここに書きつけようにも「ゆきちゃんがふりつけ、バレエ団の子どもたち」と書いてあるぎり、何のことやら。たしか見たこともないようなふりつけを目の前で見たので興奮したのだ。夢というのは忘れるものであった。咳で寝られなくなって5時頃起き出した。ここ数年、咳のひどい発作にはやられていなかったのである。眠くてたまらないが横になると咳が出る。

タケの夢

2011年11月24日(木)

タケが死んだという夢を見た。タケが死んでるとS子やトメがわらわら言うので、見に行くと、ほんとに死んでいた。といってもあんまりいつもの寝姿と変わらなかった。全体がコヨーテみたいな色になっていた。さて、死んだタケをどうすればいいのか考えた。起きて、下に行ったらちゃんと生きてて、ほっとしたが、いったん寝てしまうと、死体のタケとあんまり変わらないのである。つれあいはベッドからあたしに押し出されて、しかたがないから階下に行く夢を見たそうだ。やたらに現実的な夢ばかり。

風邪としめきりとサツマミカン

2011年11月24日(木)

きのうは一日8度5分とか3分とかの熱が出っぱなしであった。とうぜん仕事しようにも机にむかってるのもしんどいのであった。バレエなんかとても踊れるわけはないのであった。さすがのコンブチャも効かなかった。サツマミカン(いわゆる日本のミカン、熊本ミカンほど甘くてまろやかじゃないけど、ここでゲットできるもののなかでは、いちばん風邪引きにありがたいもの)を爆食した。で、起きたらまあまあ熱はひいて、きょうのあたしは、なんでコンテを棄権したんだろうと悔しがっている六花ちゃんの気分。

しめきりと風邪

2011年11月23日(水)

ごごごごご、えげっっっほほほほ、きのうは舞姫テレプシコーラの第二部の六花ちゃんがコンテの前で棄権したときのような気持ちだと思っていた。今朝になってみたら、六花ちゃんがそれでも踊りますといって、踊ってしりもちついたときのような気分だというのがわかった。

ごえっっっっほほほほ

2011年11月22日(火)

咳をする力もない。(おおっ、放哉よりいんじゃね?)

じゃーこれは?

どうしようもないわたしが咳をしている。

ごえっほほげほほほげげほひいーごえほ。

父とソフトバンク

2011年11月21日(月)

ごほほほほほっごほんごほん、それでも父に電話したら「きのうの試合はよかったよー、どきどきした、二点差なんてさ、二人塁に出てちょっとホームランうたれたらすぐ逆転されちゃうから」といいながらくわしく説明してくれた。秋山が泣いて……王が……孫社長が……とまるで長年のファンのような口ぶりで「きょうは起きられなくてこまった、あんまり一所懸命野球みてたせいだ」ということであった。まーよかった。巨人じゃなくても父がしあわせに見ていてくれたらどこでもいい。「ダイエー、セールやってるかもよ」というから、今はソフトバンクだから孫て人が出てくるんじゃないの、といったら、「いやでも昔のよしみで」と。でもダイエー、別にセールしてなかったようだ。

ごぼぼぼぼ

2011年11月21日(月)

げぇっほほほほほごぼごぼごぼ、げほん、ごぼぼぼ。

父のたいくつ

2011年11月19日(土)

2時半ごろ(日本時間)父に電話したら「3時になるの待ってるんだ」ということで、なんとなくえんえんと話していた(むこうが)。3時の理由はお相撲がはじまるのである。十両の隆ノ山といったか、チェコ人かなにかのお相撲さんが好きなんだそうだ。これもやっぱり遠くにいて、外国人といっしょにいる娘にたいするよじれた興味なんだろうなと思わぬでもない。で、父の今日のテーマは「ああたいくつだ」ということ。もうさんざん(下痢してないときは)くりかえしているのだが、また。「しょうがねえよなあ」とうめくようにいうのである。「強盗でも入って殺してくれたらいいんだけど、きてくんないからさ、待ってるしかないんだ。他力本願だ」とごはんつぶをこぼすようにぽろぽろというのである。「ま、あんたももう90のおやじを持ってると覚悟しといてよ。60や70じゃないんだからさ、おれは」で、つれあいが病気だからベッドのなかで朝ご飯たべながらニコにもやってたという話をしたら、「ベッドから起きられないのかい、おれぁかならず、どんなにわるくても起きるよ。ま、おれんとこはヘルパーさんで夫婦とかじゃないからな、あんたとこは夫婦だからそれだけあまえられるんだな」で、また「あーたいくつだあ」と。「でもきょうは見るもんがあるから」と。何みるのと聞くと「ショカツの女」だそうだ。「ああいうわかりやすいものを見るんだ。あとでこれを見ようっていう、そういうのがあると、それまで生きてることができるんだ」と。

Neil Young再(々々)購入

2011年11月19日(土)

このところGiocinto なんとかという名前の読みかたのわからないイタリアの作曲家とDrew Minterというカウンターテナーにはまっていた。それからここ数日は、こないだ買った山浦玄嗣さんのマルコ(マタイにはマジで溺れてしばらく宗旨替えしておった)を聞いていたのである。で、きょうは、あまりの仕事のできなさに、苦し紛れにYouTubeでいろんなものを聞いていたら、Neil Youngの若い頃のにぶちあたり、なんとまー、目がさめるほど美しく、声も高くて伸びやかで、したたるようで、クリスちゃんよりいいかもと思われ、思わずitunesにいってAfter the Gold RushとHarvestから数曲ずつ購入したのであった。考えてみれば、夢中だった頃は、こんなふうに動画をみる手段なんてなく、たまにロックの雑誌に載る写真や情報をなめるようにみるしか手がなかったのである。ろくな写真が出回ってなくて、なんでこんなのが好きなんだとか人には言われていたけど、実はこんなにキレイな男だったということは、わが目は正しかったのである。いまのNeil Youngは、こっちの友人のMとDをたして2で割ったような感じで、みょうな親近感がある。でも若い頃のは、絶句するしかないし、あたしの欲しいのは親近感じゃないし。

コンブチャとホットチートスとエナジードリンク

2011年11月19日(土)

そういうわけで(twitterから引きずってきた)風邪を引いてしまったので、こういうときはコンブチャとエナジードリンクとホットチートスにかぎると思って、ついでにふわふわのちょー安物のセーターが欲しかったので(去年買ったのは1年で着つぶした)Tに買いに行ったところ、エナジードリンクとセーターは買えたがコンブチャはなかった。ホットチートスは買い忘れた。そこでホットチートスとコンブチャと(明日のディナーのための)鶏肉をぜんぶ売ってるところといったらRと思って、買いに行ったら、ホットチートスと鶏肉は買えたがコンブチャがなかった。そこでやはり、毎日行ってるSに行かねばならなかったのである。この時期、お店から鶏肉が消える。そしてターキーに置き換わる。まだ感謝祭まで何日もあるし、毎日の料理はどうせいっちゅーんだ。そういうわけで、コンブチャは入手した。エナジードリンクとホットチートスも。風邪はなおる。うちで培養中の自家製コンブチャは、1本あけてみたところ、甘すぎて酸味が少なすぎる。失敗かも。ホットチートスというのは真っ赤なスナック菓子でやたらと辛くてぽりぽりしている。あたしはこれに目がない。長距離運転のとき給油に停まるとかならずホットチートスとコーラを買う。いつもはそんなもの飲まないのに。それにしても親鸞をN川さんに引き渡した直後はすごく高揚してたのにもうそんなものはカケラもない。書けなくてもんもんとしておる。そういえばきょうTで、大きいエクササイズ用ボールを買った。トレーナーのTムが、これをももにはさんで締める訓練をすれば、ももの内側の筋肉がつくと教えてくれた。日本に帰ったときの乗馬のためである。

老人三すくみ

2011年11月19日(土)

つれあいが病気で、ただの風邪引きがあれあれあれという間に悪化して、すわ肺炎かと思ったが、今朝、病院いこうといったら、もうだいぶよくなったというので放ってある。老人は症状が激しく出るようだ。で、父に電話すると下痢はなおったが、こんどは便秘だということで、あーあと思って足元をみるとタケがよれよれと崩れおれていた。三すくみのような老人たちだ。タケは、ほんとに耳が聞こえなくなって、散歩にいって、つな離しているとき、呼んでもまったく来なくなった。今朝、つれあいがベッドで朝食をたべていたら、ニコがベッドの上に乗って、みつめていたので、少しもらっていた。そしたらさらにみつめて、腰をふるので、さらに少し。この習性が、人がオオカミをなつかせて、飼い始めた理由じゃなかろうか。こっちを守ってくれるの、羊をあつめてくれるの、まあいろいろと用途はあるけど、食べ物を分け与えるというのは、ものすごく楽しい行為のようだ(父をみても、つれあいをみても)そういえばあたしも散歩のたびにトリートを少しずつやって歩かせている(でないと、タケは歩かない)。

父の怒りと母のいらだち

2011年11月18日(金)

しつこいようだが、父の怒りのこと。父の怒りは、えっこんなとこあったっけというような、感情的な、せこい、いじましい怒りなのだ。子どものころあれやこれやで怒られたが、それはどれも「しつけ」としての怒りだったはずだ。だから怒られているあたしはぐうの音も出ないのであったが、今の父がたまに見せる怒りは、そんなものではないのである。思えば、母が、よく父について「優しいだけがとりえのつまんない男」だの「甲斐性がない、でもおもしろいからいっしょにいる」だの発言していて、その発言には、父はスケールの小さい人間だ的な含みが、こんな男と結婚してしまって失敗だった的含みも、感じ取れたものだ。それから、「親のしつけが悪い」「あまったれでどうしょうもない」「ひとりじゃなんにもできない」「決断がくだせない」云々。もしかして母は、あたしの知ってる父とちがう父をまざまざと日常的に見ていたのではあるまいか。母が生涯をつうじてずーっと何かにいらだち続けていたのは、娘として感じ取っておる。あたしのせいかと何度も思ったが、もしかしたら父のせいでもあったのかも。

父とこないだの怒りの表出

2011年11月17日(木)

怒りの表出といえば、このあいだ日本にいたとき、ヘルパーさんをキャンセルしてあたしが晩ご飯つくることになっていた。で、何たべたいというと「すきやき」というから、5時前に仕事やめて、買い物いって5時半ごろ父のところへいったら、ぷんぷん怒っておる。たしかにふだんの父は、4時半くらいにはごはんを食べる生活なのだが、お昼に来て、また4時半ではいくらなんでも何にもできないので、少し遅いからねといってあったのだ。しかし、そのとき、頼まれていたおせんべを買い忘れたことに気がついた。ごめん、ごめんというと、声を荒げて怒り出し、「甘いものばっかりで、あきちゃうんだ」「年寄りは食べることしか楽しみがないんだ」などと。だっておとうさんあたし仕事があるし、と抗弁すると、「そんなら来てくれなくてもいいよっ」というのであった。まーしかしそれはうりことばとかすてぜりふというやつで、買わずに無視して、すきやきをふつうに食べて、食べ終わってからスーパーにいっておせんべを山ほど買い込み、それから少しテレビみて帰ったわけだ。つらつら考えれば、まあ父も待っていたのだろうし、いつもと生活パターンがちがってまごついたのだろうし、たしかに食べることしか楽しみがないのだろうし。しかしあたしはあたしで、仕事はあるし、仕事しないと生きて行かれないし。どっちもしかたがないので、こうしてヘルパーさんに助けてもらうのは必至のことだし、またときどきこうしてソゴがあるのもしかたのないことだなあと結論づけたのである。そしたら次の日の朝、ごはんをつくりにいったら、新聞読んでいたがふと顔をあげて「きのうのすきやき、おいしかったよ、ありがとう」といった。このたちまち元に戻るすなおな性格と、すぐ下手に出る能力で、ずっと母と暮らしてきたんだなと感心したのである。母はひきずるのであった。

父と電話 つづき

2011年11月16日(水)

とはいいながらやっぱり、ひとりでいるんだなと思うから、30分くらいして落ち着いたところを見計らって電話をしてみたら、落ち着いていた。落ち着いて、下痢がどう出るか、どのくらいの量か、どうおむつ(おむつパンツを愛用しているのである)を処理するか、くわしく話してくれた。親鸞でたいへんなんだといったら、親鸞→熊日連載中の五木寛之の親鸞→時代小説という連想で(推測)、「居眠りいわね」の作者が編集者に、あんたは時代小説か官能小説かきなさいといわれて転向して人気作家になった話をしてくれた。で、その話をるるとしたあとで、人にはそれぞれの仕事のしかたがあるんだからあんたはあんたのやりかたでいいんだよ、と取ってつけたようなことも言ってくれた。「親鸞に息子いるだろ、ああいうことも書いてるのかい」というから、親鸞の書簡の話をしかけたが、聞いてないようなので適当に切り上げた。しかし父としては、かなり気を使って話題を選んでくれているのであった。怒りの表出(といってもぞくにいうヒステリーに近い)のあとでは、気を持ち直してすぐきげんを直してくれるので、ほんとに楽である。しばらく話して、じゃーあしたまた電話するね、といったら、「こんなに遅く?」というから、いや、もっと早く、というと、「そのほうがいいね」といわれた。これで、やっぱり、電話こねえなあと一日待っていたということが知れたのである。

父と電話と下痢

2011年11月16日(水)

このごろどーも父に電話するのが遅くなってしまい、なにしろ冬時間で調子がくるってるのと、夜は親鸞で口もききたくなくなっているのと、だぶるぱんち。その上、日本時間の朝10時〜12時には父は寝てるし、12時〜12時半くらいはおひる食べてるし、15時半〜16時半、もしかしたら17時半くらいまでヘルパーさんがきていて、ごはんたべてたりルイが吠えてたり(ぜんぜんしゃべれないほどうるさい)、かけるべき時間にも工夫がいるのである。で、向こうの18時ごろに電話するのがここ数日つづいている。しかしこっちは深夜の1時すぎで、根を詰めて仕事のまっさいちゅうで、疲れてはててるし、家じゅうねしずまってるからあんまり大きな声で話したくないし。ま、とにかく、ここんとこ、あんまり会話がなかった。電話は毎日するにはしてるが、ほんの5分くらいで、下痢してるとか便秘してるとかで会話はおわる。きょうも18時すぎになってしまったのだが、電話に出たときからたいへんきげんが悪く、「電話が聞こえないんだよ」と怒りだした。大声をはりあげてみても、聞こえないというので、かけ直してみたのだが、あまりかわらない。裏にはテレビの轟音(それはほんとうに轟音で、最大限にして一日じゅう)がひびいていて、あたしのほうも父の声が聞こえないので、テレビの音消してみて、とたのんだら、会話がつながらなくなった。電話の不具合ではなく、父のほうの問題で、あーとかうーとかへんな受け答えをしているので、聞こえてないし、聞く気もないというのがあきらかであった。その上きげんも悪いのであった。「下痢してトイレから出てきてパンツかえてるところだ、じゃーまた明日」というので、電話を切った。まー、こういうときに、むかつく気にも怒る気にもなれないし、後ろめたく思う気にもなれないでいる。彼はあたしをたよる。それもしかたがないと思う。しかしたよられても、できないことはできないのである。できることをしてあげたいと思うが、やはり限度があるなと思うのである。

親鸞とズンバとイェーーーー

2011年11月15日(火)

親鸞終わったかと思ったら終わってなかった。N川さんから山のような質問メールがきて、いちいち見直していると山のように直したい箇所が。しかし同時にS枝さんからおそろしいメールがきて、すっかりわすれていたしめきりを思い出して、あ・おーくなっておる。きょうは8時15分からエアロビクスであったが寝過ごしていかれず(つかいまいちおもしろくない先生なので、いきたくなかったのかも)10時半からのズンバにいやいやいったところ(大きすぎるクラスで、いまいち技量に欠ける先生なのだ)いちばん大好きなズンバの先生がサブできていて、やっぱりとってもうまく、とても楽しく、すぐ前でやってたおばさん(はい、あたしもおばさんですが)がやたらうまかったので、さらに楽しく、びっしょり汗かいて一日を始めた。それで、まだ楽しい気分である。親鸞おわってなくても、しめきり忘れていても、ズンバのおかげで、楽しい気分はつづいている。このズンバの先生は、はじめ見たときは28くらいかと思ったが、よくよく見ているうちに、35くらいかなと思い、もしかしたら40すぎかなと思うようになっておる。明るくて、よく人をあやつり、人を楽しくさせる能力があり、しかもおどろくべきは、鏡を向いてやってるのに、つぎの瞬間、われわれのほうを向いて、手足も瞬時に変えて、踊りつづける能力だ。手足をつきだしておなかだけぷるぷるやる能力もものすごい。こういう人心掌握術をあたしもゲットしたいものだ、朗読会で、おなかぷるぷるさせながら、みんなにイェーーーーー? ときいて、みんなにイェーーーーー!といってもらったりするのはどうだ。

父とお風呂

2011年11月14日(月)

夜の六時頃、ごはんもとっくに食べおわり、ヘルパーさんも帰り、大相撲も見終わってニュースみてるであろう父に電話をしたら、「これからお風呂に入ろうかと思って」といっている。ちょっと不安げなようすなので(そしてそれを強調しているので)、やめて明日だれかいるときに入ったほうがいいんじゃない? というと、「そうだな、おれ別にあしたもなんにもすることがないもんな、木曜日にリハビリの人が来るけど、別にきれいにしておかなくってもいいもんな」ということで、お風呂には入らないことになった。「じつはちょっと不安だった」ということであった。実にわかりやすい父であった。きしめん食べた? ときくと(送ったので、2、3日前についた)「うん食べた、でももう飽きた、きょうはオジヤ」いうことであった。

J Edgar と予告編

2011年11月14日(月)

ゆうべ映画をみようとつれあいが言いだし、あたしはつれあいといっしょに映画を見るのは実はとってもいやなので、うーとかあーとかうなっていたところ、つれあいはあきらめて(トメはとっくに離脱しておる)Netflix で見るからヘッドフォン貸してというので、なんとなくホトケ心をおこし、じゃーこないだから見たいといってた「J.Edgar」やってるかもしれないから見に行こうと言いだして墓穴を掘りつつも、調べたらちょうどやってるので、ごはんのあとに行ったのである。この頃うちのほうでは映画館がどんどん消えておる。数年前に最寄りのがなくなり、こないだたてつづけに、10分くらいのところが二つなくなり、15分くらいのところがなくなり、今は、20分くらいのところに行かないと見られない。きのうは豪雨だったので、篠突く雨の中視界の悪い山道のくらいとこを通り抜けていくのが気が重かったが、その頃には止んでいたのだ。デカプリオすごかった。やーっと顔が、能力にまっちしてきたようだ。年取るっていいこともあるなあとデカプリオはしみじみ思っていることであろう。予告編で「ドラゴンタトゥーの女」のアメリカ版、デイビッド・フィンチャーだ。ぜったい見る。スピルバーグの「War Horse」っていう映画、ぜったい見ない。馬が戦場を(第一次世界大戦らしい)、馬具装着して、でもだれも乗ってない状態で、傷つきながら、必死の形相で走っていた。ずっとずっと走っていた。それだけでもう可哀相で可哀相で可哀相で可哀相で可哀相で可哀相で。

タケと雨の後の荒れ地と海

2011年11月14日(月)

車にのりこんだとたんにタケがうんこをし(鳥のえさまじりのいいうんこであった)いきなりそれを食べた、というより、ぱくりと呑み込んだので仰天した。待ちきれずに車のなかでうんこというのはこれで2回目、でも食べたのははじめて。タケをおろそうとしたが降りないので、しかたがないから座席にしいてあったシーツをひきはがし、残りのうんこを捨てて、シーツは洗濯機につっこんで、予定通りに隣の公園にボール遊びにいった。きのうの豪雨を思い出し、あたしだけ荒れ地へ、と思って(タケは歩き通せないと思ったから)トメに犬たちと残っててと頼んで歩いていったら、うしろから犬たちがついてきた。トメもついてきた。まだ芽生えには早すぎるのでなんにも出てなかった。キク科のほよほよした白い花がドライフラワーみたいに残ってるばかりだ。向こうの海は深く落ち着いて見えた。雨のあとの海の色だ。

雨とタケ

2011年11月13日(日)

すごい雨だ。さすがはラニーニャ。おっとラニーニャで雨だったかエルニーニョで雨だったか。とにかくすごい。惜しいことにゆうべたっぷり庭に水をやったところだ。犬たちは外にいかれないのだが、タケはやはりそのへんちょっとボケてて、理解しようとしないので、とりあえず外に出して、中に入れて、散歩にいったらかならずもらえる牛乳をやる。そうすると行った気になるという寸法だ。

Birdsとちんちん千鳥

2011年11月12日(土)

なんだか全身がふつふつ発酵していて寝るに寝られず、ネットいって遊ぶ気にもなれず、ほかにすることもないからまたこれを書いている。じゃー別の仕事すりゃいいじゃないのと心の中のあたしがささやくがそういうものでもないのである。頭は親鸞のそばにまだいるのである。ずっと前から借りっぱなしになっていた映画をきょうやっと見た。「Dr Martin」という、友人(イギリス人)が熱心にすすめていたイギリスのテレビドラマシリーズの映画化されたもので、友人がすすめたのはテレビドラマのほうだったけど、まあ「木更津キャッツアイ」と「ワールドシリーズ」とか、毎週のクレしんと「アッパレ戦国大作戦」みたいなものかなと思って、映画のほうを借りてみた。とってもつまらなかったけど、さすがにそのテレビっぽいゆるさが、今のあたしにはけっこう快かった。こういうときには「猿の惑星」とか見る気にならない(これをこないだ飛行機のなかで見たのだが、オハイオの事件がかぶさってほんとにいたましかった)。イギリスのテレビドラマシリーズにはまっているイギリス人(もう何十年もアメリカ在住)って、あたしやMみさんが日本のレンタルDVD屋にいって日本のテレビドラマを借りてくるようなものだ。彼女にはイギリス人がみんなこれでカスタードクリームをつくるというインスタントのカスタードパウダー「Birds」もすすめられて、手に入れて(イギリスにいったつれあいに買ってきてもらった)食べてみたが、そんなにちょーうまいというものではなく、むしろちっともおいしいとは思えず、やっぱりそこにはいろんな記憶や感情がしみついているのだろうと思われた。あたしがそこここのクリームパンに執着してるようなものであろう。ここのところ寝る前に読んでいる本は「ちんちん千鳥のなく声は」という本で、前に読みかけて、おもしろいなーと思って、読み終わってないのに娘に貸したのがもどってきたのである。鳥の声を日本語のわれわれはどう「聞きなし」をして日本語に「うつす」かという研究で、すごくすごくおもしろい。

親鸞と脱稿

2011年11月12日(土)

あと少しあと少しとずっと思っていたのになかなかそのあと少しができあがらずにいたのである。こないだ日本にいたとき「実働7日で終わります」とぷねうま舎のN川さんに宣言した。それはハッタリではなく、本気でそう思っていたのだが、熊本に帰るや、その7日がぜんぜん取れなかった。取れたのがたったの1日、それも寄せてかき集めて、とだれかのオッパイのようであった。でもこっちに帰ってきたら、どうだ、予告しめきりとでもいうべきか、きっちり6日で仕上がった。やっぱりあたしの読みは正しかったと、自画自賛しながら、入稿。いや、われわれは脱稿というべきか。でもそれじゃあんまり脱肛の音が強すぎるじゃないの。うちのそば(熊本)の豊肥線みたいに、おや、と思うじゃないの。豊肥線に、毎日電車はまじめに走っている。おっと脱線。ともかくそういうわけで近々出ます、「たどたどしく声に出して読む歎異抄」ぷねうま舎から。

まつたけとコンブチャとchia

2011年11月12日(土)

こないだ日本食屋へ行ったらば、またまつたけが安く出ていた。それで大量に買い込んで、まつたけご飯、まつたけのおつゆ、まつたけのいためたの、とまつたけ尽くしをしたのである。親鸞いよいよ正念場で、しゃきっとしようと思って、きのうWhole Foodsへコンブチャの買い出しにいき、樽出しを一杯に、びんいりを2本買ってきた。その前に近所で買ったやつには、chiaというものが入っていて、それはタネで、水に浸けてタネのまわりにつるんぷるんしたものをふきださせたもので、ちょうどバジルのタネに同じことをすると、かえるの卵みたいなものができあがる。バジルのほうはアジア系の店にいくと飲み物として売っている。愛玉とか金玉とかいう名前だ。それはともかく。chia入りのコンブチャはあまりに食感がへんてこで、しゃきっとしないので通常のを買い求めたのであった。ついでにおおびんに紅茶入れてたねとして少し生のを入れて、培養中。

父と巨人の内紛

2011年11月12日(土)

父が話したがるのは、下痢とか便秘とか下痢とか便秘とか、そういう話題ばっかりである。下痢と便秘の2極体質らしい、彼は。巨人の内紛の話、おもしろがるだろうと思って振ったら、「あれはね、もう八十いくつだろ、やめちゃえばいいんだよ、そういうの『老害』っていうんだ」とそっけなかった。ここのところ仕事で頭がいっぱいで、しかも冬時間になったもので、思ったより夜の更けるのが早くて、父に電話しなきゃと思うときはもうこっちは疲れはてていて、口もききたくなくなっている。父にその感じが伝わったらかわいそうだなと思いつつ、でもほんとに疲れはてていて、見てもいないテレビの話だなんだと愛想をふりまく気になれないのである。

タケの腰と「おかあさんいるかな」

2011年11月10日(木)

タケの腰がくずれる現象はどこかで見たと思ったらうちの父だ。つまりタケはパーキンソン病にかかっているんじゃないかと思う。ふつうはもっと手の自由もきかなくなるんだろうと、つれあいが、パーキンソンの知り合いのことをひきあいにだしていっていたが、タケは前足は細かい作業に使わないので、目立たないのかもしれないし。今朝、早朝のエアロビクスにいって帰ってきたらタケがいない。タケはたいてい、リビングのタケ用ベッドか、廊下のつきあたりのあたしの部屋の前のタケ用ベッドに寝ているのである。家じゅう探してみたら、なんのことはない、二階の、あたしらの寝室の人間用ベッドのわきのニコ用ベッドの上にいた(耳が遠いので、呼ぶ声が聞こえなかったし、聞いてもさいきんはすぐ駆けつける気が失せておる)。れいによって「おかあさんいるかな」とみにきて、いなかったからそのまま寝ていたらしい。でも出かける前に、タケにいってくるねと言い置いて出たのである。きのうの昼間も、「おかあさんいるかな」と見にいって階段を落っこちたとS子がいっていた。あたしは明け方まで起きていて、お昼まで、下の客用寝室のベッドで前後不覚に寝ていた。

タケとコンブチャと親鸞と日大

2011年11月08日(火)

カリフォルニア。東京出がけに、仏教ともだちのM子と東博に立ち寄って見てきた「法然親鸞」展の「正信偈」の最後のとこの親鸞の直筆に、なんというか、ものすごく刺激され、揺さぶられ、歩けないほど疲れはて、一階の鶴屋吉信でまんじゅう買って糖分補給せざるをえなかったのであった。で、飛行機のってこっちに帰ってきたら、なんと、出かけにつくっておいたコンブチャがうまいことできあがっていた。のみかけに砂糖入り紅茶を混ぜてあたしの部屋においといたのだ。ふたをあけたら、しゅわーーーーとキムチのびんをあけたときのような、それ以上な泡がふきだして、味はさわやかなボトル入りコンブチャに近いものになっていた。満足である。しかしこのタネを使いまわして作っていったら、きっと別のものになっていくだろうと考え、2代かぎりの醸成にとどめることにして、さっそく、S子が1本かっといてくれた新しいコンブチャを3本のビンにわけて新規紅茶をそそぎ、第2世代コンブチャをかもし出そうとしておる。
タケは何もしなくても激しく腰がへなへなと折れるようにはなっていたが、まーそのほかはなんにもかわっていなかった。死んだような寝方も、すごい食欲も、食べ物への執着も。2週間前の老い方があまりに急激だったので、2週間もつかなと内心不安であったが、まだまだ大丈夫のようだ。つれあいは……ぜんぜんだいじょうぶ。雨の降りだしたなかに家に着いて、夜はずっと雨だった。
帰る前日には日大文理学部にいった。数年前に熊本の某大にて講演したとき、100人の学生がぴくりとも動かず、笑わず、「鉄腕アトムからPLUTOまで」というオモシロイ内容だったのに、感想もなにもなく、あたしは驚いて、番頭さんにたずねたところ、今どきの学生はみんなロボット状になっていて、YES NOテストできいてやると答えるけどそれ以外はだめだ、でもときどきスイッチが入ると人間に戻るてな秘話を教えてくれた。アメリカでは熱心な学生さんに呼ばれて、人間然とした学生と語り合いという経験が何回もあったのだが、日本の学生はよそのところでも、まあロボットなんだなという印象であった(FのMちゃんは人間……って日本人じゃないかも)。ところがこの日大、そもそも声をかけてくれたH尾さんが、まだ学部生だというのに人間以外のなにものでもなく、たいへんうれしく、たのもしく、なんでもやりますーといってあったのだが、実際、講演の会場にいた学生たちが、みな、人間らしくて、さいしょは堅くてしーんとしてたけど、すぐにほぐれて、人間らしくなり、人間くさくなり、とってもとってもおもしろかったのである。あの大学、いったいどういう教育をしているのだと思った次第。ほんとにすてきな体験であった。

父と卵かけご飯

2011年11月04日(金)

明日帰るし、朝が早いので明日の朝食は作れない。それできょうはヘルパーさんキャンセルして、うなぎやに行こうという話をしていたのである(漫画の「う」を読んでからこのかた、あたしはすっかりうなぎ好きになっておる)。ところがいざそのときになると、「いきたくない」と。そして「卵かけご飯が食べたい」と。ちょうどすごく高い、すごくおいしい卵を買ってあったのである。「ばあさんはかきまぜすぎるんだ」といいながら食べてる父のおちゃわんを見れば、ぜんぜんかきまぜてない卵がごはんのなかにぽっかりと浮いておる。しかしかくいうあたしも、卵は二三回かきまぜるだけで食べたいくちだ。つい父もわたしも二個ずつ食べてしまったが、食べながら、「ばあさんがいたらなんていうだろうな」「こういうめくちゃくちゃなのがおいしいんだよ」などと。
今朝は台所の流しでルイを洗っていたのであるが、「おかあさんがいたら、何ていうかわかんないね」というと、「きっと『まったくあんたたちは、みそもくそもいっしょにしてーー』っていうよ」とまさにあたしがそう思っていたことを父が言ったので笑った笑った。
向かい合ってご飯を食べていると、「あんたがそこにいると、向こうの部屋に子どもらがいるような気がする」などと。

馬7

2011年11月04日(金)

15鞍め。敷地いっぱいに軽速歩。練習の囲いにもどって速歩。歩度を伸ばす。歩度をつめる。16鞍め。敷地いっぱいの軽速歩。それから速歩。歩度をのばし、さらにのばし、「かけあしッ」という先生の号令でなんとか駆歩。しかしもう心身硬くなって何がなんだか。定跡からぐんぐんはずれて、定跡が崖なら何回も落ちた(定跡を崖と思え、そこからはずれたら自分も馬も命はないものと思えと14鞍めのとき先生にいわれた)。それから先生は、速歩、常歩、歩度をつめて、と指示を出して止まらせようとしていたのにちっとも従えなかった。さいごは、ききーーっと急ブレーキで停止であった。そのあと先生が乗って見せてくれた。それはやはり凄かった。馬に乗って、あぶみもせずにからだも脚も動かさずにすっと駆歩。クレイジーホースや木曾義仲もかくやと。

父とライター

2011年11月04日(金)

無信心きわまりない父なので、母のお骨はまだそのまんま茶箪笥の上においてある。そこにお線香たてをおいて、朝、お線香をともす。ところがこないだから、ライターがないないという。ヘルパーさんが買ってきてくれた点火器は、強くおさないとつかないから使えないという。それでこないだコンビニでライターを買おうとしたが、ぜんぶ子ども防止の機能付きになっていたのには驚いた。それでパーキンソン老人のあやうい力では火がつかなかったのだ。こないだ行ってみた遠くの超大型ホームセンターのレジに、昔ながらのかんたんに着火するライターが一個30円でうっていたのでなやんだ末に 7個買ってきた。しかし何なのだこの数字。父が生きてるかぎり必要なのは目に見えておる。その 7個で父の命がつきるとも思えない。

あしたイメージフォーラムで

2011年11月04日(金)

それからこれも。
鈴木志郎康作品上映会「極私点360°」 で志郎康さんとゲストトーク。まず「比呂美毛を抜く話」の上映がある。

http://www.imageforum.co.jp/cinematheque/955/index.html

【とき】11月5日上映後
【ところ】イメージフォーラム

あした日大で

2011年11月04日(金)

あした、日大でこういう講演をする。
「なぜ詩を書くのか〜生命・言葉・家族〜」

日時 平成23年11月5日(土) 
開場 13:00 開演 13:30
場所 日本大学文理学部 3410教室(3号館4階)
参加費 無料
主催 日本大学国文学会
共催 近現代戦後文学研究会
http://www.chs.nihon-u.ac.jp/event/index_id50.html

日大のHさんという学生さんが、すごく熱心に企画してくれた。今どきこんな学生が日本にいるとは思わなかった。熊本文学隊の企画をぜんぶぶつけたいような学生さんだ。こんな学生に呼ばれたら、詩人冥利につきるというもので、へいっ地の果てまでもうかがいますってなことだったのだが、どうも一般にも公開してるようだ。

父と科捜研の女他

2011年11月04日(金)

持病がとりあえずはない父(でもほんとはあちこちがたが来ていて、薬でごまかしているのだが、89歳としてはいたって健康なほうだと思う、なにしろ生きてるし)であるが、ゆいいつの持病っぽいものが便秘と下痢で、それをくりかえし、下痢になると全身から精気がながれでていくし、便秘のときは青黒くかたまってしまうのである。で、きのうは下痢で精気が流れてていってしおれてしなびていたのである。夜はT川さんの朗読会があるので、出かけるからねといっておいたのに、なんとなく心細そうで、どうしても置いて出る気になれなかった。考えたらT川さんの朗読はまだ何回も聞けるだろうが、下痢の父のそばにいてやるのはあと何回かしかできないのである。そしていっしょに「科捜研の女」を見た。いつも見てるのときくと、「うん、かならず見てる」と力をこめた。そのあとの医者のやつもおもしろいよーと熱をこめて語る父であったが、さすがにそこまでつきあわずに帰って来た。数日前には7時頃、父が「櫻井翔って知ってるかい」というから「嵐の子でしょ」というと、「そうなの」ととぼけて(あれだけ新聞を熟読している父が嵐を知らないはずはない)「9時から櫻井翔が家令になるドラマをやるんだけど、おもしろいんだよね」というから(誘っている)しかたなく「それ見たかったんだよね」などと口裏を合わせて、9時から10時のドラマをみたのである。しかし9時になるまでつまらないさわがしいバラエティ番組を見てるのがじつにつらかったし、櫻井翔のドラマも、テレビアニメのようなドラマであった(櫻井翔はかわいかったけど)。

父とごきぶり

2011年11月03日(木)

父に朝食をつくったあと洗い物をしていたのである。父は一心不乱に新聞を読みながら朝食を食べていた。これは毎朝のことで、こっちを見もしないし口もきかない。洗い桶のなかに黒いものがうかんでいたので(父の目玉焼きにベビーリーフのサラダをつけたので、そのなかのくろっぽい葉かと思ったのだ)ひろいあげてみたら、むにっとしてるし質感があるし硬いし葉っぱじゃないし。で、それは、なんとでっかいごきぶりの死骸。あたしももうこういう年になり、昔はできなかったことにへーぜんと対処できる。昔さわれもしなかったものにもさわれ、殺すことだってできるのであるが、さすがにこれには肝を潰した。なにしろ指先につかみあげたときのくにっとした感じが残っていたのである。それで、きゃーーーきゃーーーと叫んでじたばたしておったら、父が、あの一心不乱の父が、どうしたの、と顔をあげたので、ごきぶりつかんじゃったーーと、言ったのはいいが、耳が遠くて聞こえないので、何回かくりかえしてるうちにやっとつたわり、何回もくりかえしたせいで、ごきぶりの感触はいっこうに消えていかず、手にいつまでも残り、さわいだり手をあらったりしておったところ、父が、よっこらしょと腰をあげ、いつもは5メートルしか歩けない足腰で、台所は箱根の山、トイレは唐天竺な感じで生きている父であるが、杖にすがって台所まで来て、ものにつかまりながら、ゴキブリをつまみあげて、ティッシュにくるんでゴミ箱に捨ててくれた。老いたりといえども父は父であった。情けなかった。自分が。

馬6

2011年11月02日(水)

12鞍め、軽速歩のために、常歩しながらたったりすわったり。むずかしい。馬はロカビリー。そのあと東京いったりして2日間練習がなかった。13鞍め、常歩で立ったりすわったりしながら、ほんとの軽速歩に移行。ものすごく気持ちよくできた。へへへ奥さんカラダがおぼえてますぜっていう感じであった。馬はエンジェル。ところが14鞍め、きのうの今日で、馬は同じエンジェルなのに、ぜんぜんダメ。エンジェルはうごかないし、それていきたがるし、それても修正できないし。左へ行かせようと思ったがなかなかできず、練習用の柵から出てしまって、とうとう右にまがらせてもどった。しかしそれは間違いで、さいしょに左の指示を出したら、あくまでも左にしたがわせないといけないのであった(あとで先生に言われた)指示の出し方が甘いともいわれた。従わなかったときのたづなのひき方も弱いと。自分の育児を反省した。

今回の漫画

2011年11月02日(水)

それで漫画。帰る前におとな買いしておいた「エマ」は一通り読んだ。でもくりかえし読んでるのは「デラシネマ」だ。イイのは歴史的事実のせいか漫画のせいか、微妙なところ。でも読みたくなるのである。なぜ「エマ」をくりかえし読まないのかまだわからない。「乙嫁語り」もよかったのに(だから「エマ」が読みたくなったのに)くりかえし読んでない。これからかも。「兵馬の旗」かってみたが、これなら大河ドラマよんでるようなものだ。漫画である必然性がない。「レンアイ小説家」はおねえさんが出てきたころからそのキャラにひっぱられてイキイキしてきてたので、つい単行本買ってみた。おねえさんのところ、たしかにおもしろかったけど、全体に業界ネタばかりで品がない。これは同じ作者のどの前作もそうだった。絵とキャラに魅力があるのでつい読んできた。前回買いこんだ「信長協奏曲」友人宅から戻ってきてたので読み返した。努力とヒラメキはみとめるが、雑すぎる。複合タイムスリップは「仁」にも出てきた。不思議な考えだ。

   
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