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伊藤製作所「豆畑支所」
   
 

友人M

2009年01月31日(土)

友人Mの死で、しばらく神経中枢が麻痺したようになっておった。悲しいというのではなく。頭がきんきんするほどHamelinのRzewskiにはまってもいた。そればっかりきいていた。今日はMの妻Dが、クリスマスにくれたエマーソン弦楽カルテットのDvorakの「アメリカ」を、きくともなくきいている。Mは、線を越えて向こう側にいったような感じである。もちろんDにしたら、そんな悠長な感想ではないのはわかっておる。
大家さん、生還してほんとによかったです。

おみやげ

2009年01月28日(水)

このごろここでまじめに本のことかいてるのは熊本文学隊のHPで、番頭さんやO野さんやT口さんが書評の力のこもったのをつぎつぎにかいてるからだ。だからあたしもまけじと。
きのうS子が日本から帰ってきておみやげがいっぱい。Nさんが京都なので、「阿闍梨餅」と「満月」、古田佐介に食べさせてあげたい。満月の皮はいまいちだったが、なかみの白あんはそれはそれはおいしかった。阿闍梨餅はほんとーにふしぎな食感であった。それからM子の持たせてくれた「夜の梅」。あまいものはおいしいが、不思議なのは「スピリッツ」と「モーニング」だ(あたしがたのんだ)。東京の電車の中でよむと、ほんとーにすみずみまで夢中に読めるのに、自分のベッドの中でよんだら、なんだかおもしろくないではないか。イギリスでのむとエールはひじょうにうまかった。しかしこっちに帰ってきて同じようなもの(すこしちがう、タブのは買えない)を買ってきてのむとそうでもない。それと同じようなものか。こないだフランクフルトで、ここの名物だというりんご酢のような飲み物を飲んだが、あれもそんなようなものかも。でもあまいものは、いつなんどきどこででも、おいしいから不思議である。

「へうげもの」

2009年01月26日(月)

きのう友人の子ども(5歳、男の子、ふたご)を公園に連れ出して遊んだのできょうは全身がみしみしいっておる。
鴎外はともかく、このごろ再々熟読しているのは「へうげもの」。
もともとうんちく漫画がすきだった。ナニワ金融道なんてなめるように読んだものだ。おかげでマチキンにすごくくわしくなった。のだめも、西洋洋菓子も、うんちくだ。バジル氏(ふるいが)も、キートンも、エロイカも、加治隆介も、柔道部も、スラダンも、うんちくといえばいえる。しかしこの「へうげもの」のうんちく度はどうだ。うんちくのためのうんちく、ザ・うんちく。その上賢治もかくやと思うほどのオノマトペが全開大。引用の技巧も。青木雄二ばりのそぼくな手描き風の絵なのに、信長や武将たちは劇画以上にかっこいいし。あとはこの戦国武将たちの奇矯なかっこ(それとこのモノに憑かれた人々の美意識も)がほんとなのかどうか、知りたい。とこないだいってたら、県美のT浜さんや市現美のT沢さんが口をそろえて、けっこうほんとらしいですよーーといった。すごい。「へうげもの」もすごいけど、ああいう文化も。

鴎外

2009年01月25日(日)

鴎外熱はつづいていて、しめきりでセックスのことかいてるってのに(かきたくないんだがしょうがねー)、つい青空文庫に手をのばし、鴎外濫読しちゃったりしている。で、きのうは「能久親王年譜」。むかしなら鼻も引っかけなかったものが、鴎外記念館でBタさんと話し合ったあとは、しみじみと、しみじみと、舟唄みたいに読めちゃうのである。
ドイツで、ベルリンに行くまでは鴎外熱にかかってなかったので、お経と旧約聖書とスタバートマーテル熱にかかっていて、A國さんとしきりに文通していたのである。A國さんとは「往生礼讃」を引用させていただいた縁で知り合い、文通しているのである。ちゃんとした浄土真宗のかたなので、すごくおもしろい。で、鴎外熱とお経熱はかけ離れたものかというとそうでもなくて、鴎外はお経だったりするのだな、あたしの中では。
あたしのはまってたスタバートマーテルは、Pergolesiのなんだけど、だれがどこでどんなふうに演っているのか皆目わからない。YouTubeでみつけて、惚れぬいて探しまくってやっとみつけた。CDの表紙も中の能書きもみんな外国語でかいてあってわからない(なんだフランス語じゃないか、おれが読んでやるとつれあいが‥‥しかしわからないままでいいような気がする)。ふつうのPergolesiとはちょっとちがうのである。しかしそれも一時、演歌熱にかかって中断された。演歌熱がさめたら、こないだの墓参でバッハ熱。

2009年01月24日(土)

Dアンとフィリピンマーケットにいって、魚が安いわ新鮮だわで、狂喜乱舞、かえってすぐ南蛮漬けと煮付けその他、魚すきじゃないけどつくるのはおもしろい。前にトメに「ままは死骸をさわれないのに、魚はさわれるんだね、でもそれも死骸だよ」と看破されたなあと思いながら、腹をさいたり、わたを出したり、うろこをとったりしているけど、やっぱさわれるのである。で、死骸は、ほんとにさわるどころか近づくのもいやななのである。不思議‥‥。鶏なんかも、丸はだかの首のないやつなら、いくらでもさわって、おっ毛が抜け切れていないなどととげ抜きで抜いちゃったりする。夜は日本人学校で子どもたちと「やまなし」を読んだ。思春期トメが、つれあいにむかついてむかついて(気持ちはわかる‥‥)、なだめるのに一苦労だったが、しょせん対岸の火事なので気楽であった。

ぢいさんばあさん(歌舞伎座)

2009年01月23日(金)

明け方起きて、鴎外記念館のBタさんに借りたDVDの「ぢいさんばあさん」を見た。歌舞伎座の伊織=勘九郎、るん=玉三郎のやつだ。それはもちろん鴎外の原作はいい。そっちのほうがいい。しかし不覚にも号泣してしまったので、この歌舞伎izedのもすごくいいんだと思う。「安井夫人」にしても「ヰタセクスアリス」にしても、そしてこの「ぢいさんばあさん」にしても、鴎外の持っていた夢(そして現実)がワカルワカル。朝っぱらから号泣して仕事にならんじゃないか。さー犬の散歩犬の散歩。

オバマ

2009年01月21日(水)

9時から(カリフォルニア時間では20日の午前9時)テレビで見た。どのチャンネルも同じ画像だった。テレビみるのは大統領の討論会以来であった。

さらに時差ボケ

2009年01月19日(月)

きのうは一日ずーっと寝ていた。だから夕食はメキシコ料理だった。ごはんだけあたしが日本のを炊いた。熊本にいるS子がいうには、病院の母が、「しろみどこにいるの?」ときくんだそうだ。「今はカリフォルニアだよ」というと、「あらそう」といって「こないだ来てたときはぜんぜん会いに来なかった」というんだそうだ。(毎日いってたぞ、二回いったこともなんべんもあったぞ)それを何度も何度もくりかえすんだそうだ。
K子はグリーンカード(永住ビザ)が切れてるのを空港で発見されて、おおさわぎであった。

時差ボケとメキシコ料理

2009年01月18日(日)

帰ってみたらつれあいがメキシコ料理にはまっていて、お母さんのいないあいだずっとメキシコ料理だったとトメがささやいた。きょうはかんたんに、買ってきたトルティーヤ(つくろうとしたそうだ)に鶏に数種類のサルサに数種類のソース。ぜんぶ手作り。すごくオーセンティック。時差ボケで寝られない。ドイツにいた間ずっと時差ボケでよく寝られなかった。

フランクフルト経由でカリフォルニア

2009年01月17日(土)

M田さんが送ってきてくれた。空港でポンチキをたべた。今回もこないだも、ドイツ料理をまんぞくに食べられなかった。

ベルリン

2009年01月16日(金)

鴎外記念館のBテさんと話していて「ぢいさんばあさん」がわかった。るんはエリスだ。伊織は林太郎だ。エリスの正体はるんなのである。夜は文学館でT和田さんと。T和田さん人気で人が入りきれないほど。旧知のAヒトに再会した。同年配の男であるAヒトはぜんぜん変わらないのにどうしてあたしはおばさんになってるのだろう。まあいいんだけどさ。おばさんになって楽しいから。M好さん、M田さん、U田さん、そしてS藤H美さんにはさんざんお世話になった。ありがとうございました。そしてIメラさん。ありがとうございました。

バッハ

2009年01月15日(木)

昨夜はフランクフルトの文学館で。司会してくれたGプハルトさんにフランクフルトソーセージをもらった。そこから空路でベルリンに、それから日独センターのS藤さんや大使館のM好さんM田さんといっしょにライプチヒ。バッハ協会のT野さんが、聖トマス教会の中のバッハのお墓に案内してくれて、パイプオルガンの演奏をきかせてくれた。かんどーでした。夜は文学館で朗読。

トリーアからフランクフルトへ

2009年01月14日(水)

「黒い門」のまんまえのホテルで、夕暮れの黒い門、夜中の黒い門、ライトアップした黒い門、灯の消えた黒い門、夜明け前の黒い門、明け方の黒い門、とさんざんみられた。ゆうべはローマ料理であった。といってもイタリア料理ではなく、ローマ時代の料理。やっぱアーティチョークが出た。ローマ人食べてるはずと前々から思っていたのだ(カリフォルニアは産地なのである)。まず大麦と鶏のスープ。それから松の実入りソーセージ、ディルの葉添え、それからアーティチョーク、マヨネーズみたいなソースに粒赤胡椒、ワインロール(月桂樹入り‥‥どこがワインなのか)、あたしのえらんだ主菜はズッキーニとにんじんのソテー、コリアンダー粒入り。デザートに梨入りのプディングの重たいの、ハチミツと黒胡椒入り。食前酒にハチミツ酒、アニス風味。むかしS子の宿題で、一週間ロマ時代の農奴の食生活をしろというのがあって、やってみたが、あのときより、王侯貴族風のいい食事、しかし基本的には、同じようなものであった。トリーア大学での朗読会は、学生いっぱいきて、こっちの学生はノリがよく、Aレアスさんという文楽や歌舞伎専門の若い先生が逐語通訳してくれたので、とっても楽しく全開大。もちろんIメラさんがそこにいて、ドイツ語訳よんでくれたし、説明もしてくれたのである。大学側のHリアさん、みなさん、どうもありがとう。きょうはフランクフルト。同姓別人のO西さんと宗教について話し込みながらフランクフルトへ。

ケルンからトリーア

2009年01月13日(火)

とまったホテルはもと修道院ということで(でもとても近代的)建物のつくりが荘厳で、フロントに作り物の神父さんがいて、額に青筋たてた機嫌わるそうな老人が微動だにせず(作り物なので)虚空をにらみつけていて不気味であった。ケルン大聖堂は、夏にいったグロースターやソールズベリの大聖堂よりすごかった‥‥のは、ひとりで見上げていて、クリームティーを食べたいの、足腰が痛いの、いってる家族がいなかったせいかも。Iメラさんがベルリンからきてくれて、ゆうべは日本文化会館で、その翻訳と解説のもとに朗読したけど、申し訳ないことにぜんぜんノレなかった。20パーセントの出力。10かも。きょうはいっしょに一路トリーアに。きょうはちゃんとやるツモリ。

ケルン

2009年01月12日(月)

M子が成田まで送ってくれた。ケルンは雪景色。国際交流基金のO西さんが出迎えてくれた。疲れはてていて顔を洗いたくないからぐずぐず起きているが気が遠くなるくらい眠たい。

東京

2009年01月10日(土)

9日出がけにNさんのおとうさんがなくなった知らせが。それでK子、S子をカリフォルニアから京都と熊本に送り込む算段をしていて東京行きが大幅におくれた。訃報にうちの父ががっくりきてるので、懸案の「延命治療はしないでください。救急車はよばないでください。サインとハンコ」を早急にしあげた。ナメクジに塩をふるような行為だなと思いつつ、しないではいられなかった。行く予定だった赤坂のJ聴先生の法話にはまにあわなかったけど、そのあとで合流できたので、うれしかった。10日は、目黒美術館の「ひろしまヨコスカ」にいった。すごくよかった。「1.9.4.7」も大きな画面でみられたし。I内さんにもひさしぶりに会えた。アウシュビッツとの関連をきいたら、ちがうわよ、これは現在よ、今のあたし、といっていた。納得した。絹の素材がよかったからのこってたのよともいっていた。納得した。会えてよかった。それからNちゃんにつれられて、Nちゃんが熱心にすすめる「コート・ドール」。うまかった。サービスもすんばらしかった。かきたまごのトリュフ。想像つかない味が食べたかったのだ。食べられた。Nちゃんの熱弁を、しみじみと納得した。

ルイ

2009年01月07日(水)

父の犬ルイと心の交流。ルイはあたしをボスと認識しているので、まるでニコや3年前のタケのように、あたしのあとをついてまわる。いつも舌を出しているので、犬としてはかなりかしこいのにこれでだいなし。きのう父の電気ストーブが壊れたので買いに走ったが、「犬が焦げない」のを探したのであった。父に食べさせようと七草を買ってきたら、そんなもの食べたくないといわれた。あたしがいつもいるので、父が元気にしあわせそうなのである。母も。父はあんまり母のところに行きたがらない。ぼけていってる妻を見るのはつらいらしい。

演歌と母とダンチョネ

2009年01月05日(月)

ゆうべはA上さん宅で、深酒してダンチョネだった。ったってあたしにしては、だけど。母にきかせようと思って、iPod Shuffleをかって、それに演歌を入れた。それでついでに聞き始めて、ずーーっと「天城越え」と「舟唄」と「津軽海峡冬景色」をくりかえし聞いている。あたまの中がそれでいっぱいになっている。母は、こないだ来たときは親戚の悪口をいって、じつに聞き苦しかったが、今回はいちだんとすすんで、子どものようにあどけなくなっている。演歌の話をするとよみがえる。孫の話もよくする。それから遠くにいる姉や妹のことを、しきりに話す。

グリーングリーン

2009年01月04日(日)

セキセイのグリーングリーン(緑なのである)が死んじゃったとS子からメールが。ほんの30分前まで元気に妻のユキちゃん(白いのである)にキスしていたそうだ。無常である。子どもらは「ユキちゃんが寂しいからもう1羽かってきていいでしょ」と声をそろえていっていたが、そこはもう、きびしく「だめ」と。「ぴーちゃんをセキセイたちから引き離す」これがあたしのカリフォルニアでの懸案であった。この機会に、ぴーちゃんをなんとか「慣れた手のり」の世界にひき戻したい。ぴーちゃんたら、この頃セキセイのカゴの中に入りっぱなしで、どんどん凶暴になっていたのである。群れで飼ってしまうと、一対一で人に向かわなくなるので、ペットとして機能しない。いったんカゴに入りこんだぴーちゃんは、自分じゃ出られないし、つっつくから手が出せないし、飼い主S子が帰ってくるまで(S子だけはつっつかれずにぴーちゃんをつかみ取れる)、四畳半に住む夫婦もののところに不倫関係の女がなぐりこんできてそのまま膠着してるみたいで、どきどきしていたのである。

あけましておめでとうございます

2009年01月03日(土)

あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。暮れの間は頭がきんきんするほど仏典に凝っていたのに、大晦日から二日まで、父の家に泊まりこんでいた(帰省というのか)二日間に、撃ち合いや斬り合いの多発する映画漬けになってたので、すっかりねはんもはんにゃはらみたも遠ざかってしまった。その上自分のうちに帰れば、住んでる地下にはネットへのつなぎ口があり、つまり見た映画をことこまかに調べ上げたり路傍で見た植物を根っこの繊毛から雄蕊の先端まで調べつくしたりすることができ、まことに不自由である。寒いけれども、母の古い衣類をたんすから引っ張り出してきて、しのいでいる。
いま、大家さんちをのぞいたら初春というのにご病気です。回復されましたか? 「大人になるヒント」よかったですよー。ところどころの「おまじない」が実にいい味だしてるし。ありがとうございました。「おたあ」記念に、熊本でおあいできることを祈ってます。

   
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