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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

閖上まで

2012年03月21日(水)

 海への緩やかな坂を車で下り、東仙台自動車道の土盛りを潜ると、津波が押し寄せた跡が残っていました。たいていの場合、写真で見るよりも実際の現場へ行ってみるとスケールが大きいことを実感するのですが、奇妙なことに想像していたよりも「小さい」と感じたのです。「狭い」ではなくって「小さい」です。この感じはなんだろう?とずっと考えていました。あ、あれに似ていると気づいたのは家に帰ってからでした。似ているというのは、引っ越しの時、荷物を運び出したあとの部屋を眺めると、せつなくなるほど部屋が「小さく」感じられることがあります。あれに似ていたのです。そこに広がっているはずの田畑もなければ、家々のない。ただ、潮を被った土地だけが広がっているという眺めでした。佐伯一麦さんが、この道路の土盛りの下あたりに多くの人のご遺体があったと教えてくれました。

 東京の地下鉄池袋駅に毎日新聞がヘリコプターから撮影した津波の写真が掲示してあります。新聞協会賞をとった写真で、名取市を津波が一気に襲う瞬間を撮った写真です。津波の第一波は海岸の防風林だった松林を超える高さに達しています。この空撮の写真は連続して津波が押し寄せる様子を撮影しています。改めてその写真を見ると、NHKの中継カメラマンが「ああ」と小さく叫んだ沖合の第二波第三波を撮影した写真もありました。津波は引き波が怖いと聞いていましたが、どうも閖上に案内してくださった方のお話だと、引き波はとくに印象には残っていないようでした。そのお話と沖合の第二波第三波を撮影して写真を重ねて、考えてみると、波が引く間もなく、次々と巨大な波が押し寄せたのでしょう。

 名取川に沿って緩やかな坂道を下ると、閖上のみなとにつきます。このあたりの海岸線はおだやかに褶曲した砂浜なので、川の河口に築港が築かれていました。閖上の集落はみなとの面した集落で、南側は築港、北側には水路があり、東川は名取川という三角形の島になっています。そのあたりの残っているのは、立ち並んでいた家のコンクリートの土台だけ。土台の間にコンクリート舗装の路地がありました。土台の間にむなしく残った路地のコンクリートの細い道のまがりくねり具合を見ると、なんとか辛うじて、そのあたりが、みなとを中心とした集落だったことが想像できました。コンクリートの土台のなかに、お花とお線香をお供えしているおうちが幾件もありました。お花もお線香も雨に打たれ、泥をかぶり土と一緒になりそうな色に染まっていました。あたりは泥に覆われているのです。

 写真は日和山から仙台市若林区の方向を撮影したものです。全体を見ると「小さく」感じられるのに、道の曲り具合だけに目を凝らすと、そこに大勢の人が暮らしていた手がかりが広がってくるような感じがします。

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