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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

台風一過

2019年10月13日(日)

 台風19号が甚大な被害をもたらした翌日に考えたことです。

「文学は役にたつか?」という質問に「役にたたないから文学なんだ」と答えるのが、40年前の定番。
 で、最近は「文学は役にたつことを立証したい」という人が現れる。役にたつ時もあれば役にたたない時もあって、どっちでもいいんですけど。時々「役にたつ」という発想そのものが陰気な感じがするなあと嘆息。
 まあ、音楽は役に立つかとか美術は役にたつかとか数学は役に立つかとか哲学は役に立つかとか、いろいろ。経済学は役に立つかなんてのまである。結局、なにかそれをすると都合のいいことがあるの?って聞かれているに過ぎないのでしょう。  
 「迷惑をかけるな」というのも、やっぱり陰気な感じがする。「やくに立つか」「迷惑をかけるな」の二つだけが行動や判断の指針になっている社会っていやだなあ。
 ツイッターを始めた年、鎌倉の八幡様の大銀杏が倒れた。あの実朝暗殺の公暁が隠れていたって大樹。そんなことを知っていた役にたつかと言われてもねえ……。台風一過の青空のしたでぶつぶつ考えていたら、耳の後ろに実朝がやってきて「箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄るみゆ」と呟くから、今日になってそんなことを呟くなら昨日のうちに「時により過ぐれば民の嘆きなり八大竜王雨やめたまへ」と唱えてよって言ってやりました。実朝君はうふふと笑うばかり。お天気が良くなったので許してやることにしました。

館山に行ってきました。1

2019年10月01日(火)

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新宿バスタから高速バスで館山に行ってきました。房総は彼岸花の季節。お彼岸過ぎに咲き誇っているのは、例年よりすこし遅い気もします。稲刈りもすっかり済んでいました。まだ停電している場所もありますが、1週間ほど続いた停電が復帰し、駐車場付きの商店は買い物のお客さんでに賑わっていました。屋根や側面をブールシートで覆った家屋がいたるところにあり、納屋や作業場は後回しで損壊したままのおうちもけっこうありました。
 川名岡の長勝寺へ行くタクシーの運転手さんの話では6時間ほど強風のために家が揺れ続けたと。地震みたいだったと言っていました。台風は9日0時頃から強風が吹き始め1時過ぎには停電。強風は2時頃をピークとして明け方まで荒れ続けたとのことでした。
 長勝寺でも墓地の入口にあった大きな木が倒れていました。うちのお墓の前の栴檀の木も倒れていました。倒木は片づけられていましたが、墓石にあおい栴檀の実がたくさんついていました。うちのお墓は無事でしたが、石の御塔婆縦が真っ二つに割れているお墓もありました。それでもお彼岸にはちゃんとお参りをした様子のおうちもけっこう見られました。御住職と少しお話。8日夜は京都出張で、お酒をお召しになって良い気分で寝ていたんですって。朝、目を覚ましておおいに驚いたと。「台風で亡くなった人がいないのは幸いでしたけど」と御住職。船形のお地蔵様の大木が倒れたこと、那古の観音様では、山の頂上へ登る道が、倒木のために埋まってしまい復旧は不可能な状況だと聞きました。
 川名岡から長勝寺の「お堂」(たぶんここはもとは村の共同墓地だったのでしょうけど、今は長勝寺が管理している墓地になってます)の前を通り、川名海岸へ。消防団の人たちが瓦礫を運び出し軽トラックに積んでいました。
 電話をくださった庄司さんのおうちに顏を出すと、83歳になったのとおしゃる庄司さんがお庭の水道を使っているところでした。おうちの2階の戸袋を吹き飛ばされ、古い家と建て増しした家の間を繋いでいた廊下の壁が崩れ、縁先から張り出していた屋根が壊れていました。損壊箇所はブルーシートで覆われています。
「今日はね、海岸に運び出したゴミの分別をしたの」
分別して置き場所を決めたゴミ置き場ですが、まだまだゴミは出てきそうでした。まだ台風のあとかたづけだけで手いっぱいの様子。本格的な修理ができるまでには1年以上待たなければならないと。10月、11月は比較的穏やかな陽気が続きますが、12月に入ると猛烈な風が海から吹き上げてくる房州です。バル―シートを張る応急処置だけでは心細いものがあります。「でもブルーシートも張れないおうちもあるんですよ」と館山駅へ戻るタクシーの運転手さんが教えてくれた海岸沿いのおうちは屋根がまるごと吹き飛ばれていました。
 帰りは館山から新宿バスタへ高速バスで。バスを待っていたら西崎方面への路線バスがきました。「戸伊漁港から先は災害のため通行止めなので、戸伊漁港から折り返し運転をしています」のアナウンスがありました。平砂浦より先の布良や相浜はもっとひどい被害が出ているとのことです。

今日は十五夜

2019年09月13日(金)

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今日は十五夜。でもお月様みられそうにないなあ。お団子だけ買ってこようかしら。昨日、金沢八景「千代本」の座敷から、平潟湾の野島山を眺めていた。十五夜の晩は野島山から大きなお月様が昇るの。「オレンジ色の大きなお月様」と大伯母が話していた。金沢八景のひとつ。
 瀬戸の秋月。京浜急行「金沢八景」駅は改修が済み、すっかり様変わり。昔の小さな駅前に人とバスがひしめく様子は残っていないと、思っていたら、横浜市大のキャンパスの方向に抜けるトンネルは昔のままに健在。そこだけ時間が止まっている奇妙な眺めになっていた。
 十五夜は沖縄では豊年祭がある。昔、写真家の東松照明さんと沖縄本島の金武の豊年祭を見に行ったことがある。村の人がそれぞれに衣装をつけ、髪を結って、舞台で踊ったり歌ったり、それは華やか。舞台の前にトゲトゲのアダンの葉が並べてあり、家族の姿を見つけた幼い子が舞台へ上がっていけないようにしてあったのが微笑ましかった。
 韓国では秋夕(チュソク)で、日本のお盆のように多くの人が帰省する。釜山で秋夕の大渋滞に巻き込まれ、飛行機に乗り遅れたことがある。しかたがないので空席があった福岡便に乗り、新幹線で東京へ戻ってきた。
 安房の館山は八幡神社のお祭り。台風15号の被害甚大で、今年の「やわたのまち」は神事だけをやるとのこと。小学校1年生の時、初めて「やわたのまち」に連れていったもらった。金沢八景から館山に移って最初の秋。神社の境内に鎌や鋤、鍬などの農機具を売る店、風呂桶、桶などを並べた店、大工道具に鍋釜、いろいろなお店が出ているのにびっくりした。ふだんはただの草原の八幡神社の境内に市がたち、ほんものの「まち」になっていた。

 十五夜のごちそうはきぬかつぎ。

寺山修司記念館へ

2019年09月02日(月)

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 ひさしぶりに八戸へ。八戸から三沢の寺山修司記念館へ。八戸は秋の気配。女郎花やコスモスの花が盛りを迎えようとしていました。ホテルのテレビの韓国報道。画面にじっと見入っているご年配の方の姿もあり、まともな報道がされない奇怪な事態になっているなんてと困惑。どうしたらいいんでしょうねえ?
 お土産はおしる煎餅。煎餅汁を作りました。
 「シャッター商店街」という言葉を耳にしてからかれこれ20年以上たつ。今はもうシャッター商店街ですらない。櫛の歯が抜けたような空地。崩れ落ちる寸前の廃屋。そんな建物が並ぶ商店街も珍しくない。そこに消費税率アップ。インボイスの導入。個人事業者はもういらないという政策。大店法改正で大型店舗が進出したあと、大型店が撤退し買い物難民を生み出した流れを、こんどは税制で加速させようとしているかのような政策が続く。少子高齢化で仕方がないという話じゃない。
「政治を軽蔑するものは、軽蔑すべき政治しか持つことができない」トーマス・マン
 寺山修司記念館で、寺山の初めての米国訪問記を読んでいたら、トーマス・マンのこの言葉を引用していた。
 寺山修司記念館は三沢の米軍基地を通り過ぎた森の中にある。裏の小道から小川原湖をのぞむことができる場所。小川原湖はしじみの産地。
 小道を辿ってゆくと寺山修司の文学碑。文学碑の前には小田内沼。小川原湖とは別の沼。水草がたくさん茂っていたけど、なにが茂っているのかは、遠くて分からなかった。

関内で映画「ひろしま」を見る 2

2019年08月16日(金)

関内で見た映画「ひろしま」は「日本教職員組合」のクレジットが登場する。主演者の冒頭は「広島市民」「児童・生徒」など通常の映画ならエキストラとして出演者の最後にならぶ群像の人々の名(個人名ではない)が連ねられる。俳優の名前が出るのはそのあとだ。
 冒頭、広島へ原爆を投下するために米軍基地を飛び立った戦闘機の搭乗員の手記を朗読するラジオ放送が高校の教室に流れる。ここで「原爆に甘えるなと言われるけど」という生徒のセリフが出てくる。原爆投下から7年目の劇映画の映像だ。教室で鼻血を流す女生徒が医務室へ運びこまれる。
 映画はやがて原爆投下当日の群像劇となる。原爆投下当日の群像劇の中に登場する全身やけどをおいながら全裸で「寒いよ、寒いよ」と叫び続ける男の子がいる。おそらく、当事者の証言から作られた場面なのだろう。韓国の戦争博物館で見た映像を思い出した。朝鮮戦争で母親と女の子の遺骸のかたわらで、地団駄を踏みながら泣き叫ぶ全裸の男の子。韓国の戦争博物館で見た男の子の映像は、映画ではなく朝鮮戦争当時撮影されたドキュメントだった。
 映画「ひろしま」が制作された当時、朝鮮半島では朝鮮戦争が勃発していた。私が子どもの頃、大人は「朝鮮戦争」と呼ぶこともあったが「朝鮮動乱」とも呼んでいた。朝鮮戦争は映画「ひろしま」の隠された主題だ。復興が進む広島の町には「警察予備隊募集」の広告が張り出されている。
 被爆の群像劇から劇映画の登場人物として浮き上がってくる遠藤君という少年がいる。彼は8月6日に妹と自宅を離れていたために被爆を免れる。自宅は「遠藤」の表札がある門柱を残して全壊。母親は自宅の下敷きになって死亡。妻を助けることができなかった父親はまず中学生の長男を探し回る。長男の死にめにあうことはできなかったが、なんとか遺体に対面することはできた。その父親も全身にやけどを負って病院に横たわっている。通りがかりの女性に教えられ病院へ来た遠藤君と妹。妹は父親の無残な姿を受け入れられず病院を飛び出してしまう。以後、妹は行方がしれない。父親も亡くなり遠藤君は孤児となる。
 浮浪児の一団に加わった彼は幼い子に「パパ、ママ、ピカドン。ハングリー」と片言の英語を教える。「ハングリー」が言えずに「アングリー(怒ってるかな?」と発音する幼い浮浪児。劇映画の細部に微妙な批評がさしはさまれている。
 施設に収容された遠藤君が中学校を卒業する頃、親戚に引き取られる。働くことができる年齢になると引き取りての親せきが現れるという話は、昔はよく聞いた話だ。
 映画「ひろしま」の隠された主題が朝鮮戦争だというのは、親戚に引き取られたあとの遠藤君の有為転変がそれを示している。
 米軍相手のキャバレーでボーイをしていた遠藤君は町工場に仕事を変える。彼はその工場をすぐに辞めてしまう。広島の平和記念公園に観光客に瓦礫を売りつける少年たちがいる。観光客に瓦礫を記念品として売りつける少年たちがいたというのも、たぶん、実際にあったことなのだろう。町工場を辞めた遠藤君はこの少年たちに被爆者の髑髏を掘り出して土産物として売りつける手引きをする。防空壕に放り込まれている無数の遺体が残っていたのだ。
 この商売はすぐに警察に摘発されるのだが、髑髏の額には流麗な筆記体の英文のラベルが貼られていた。映画の中では遠藤君がラベルの英文を読み、警句めいたその文言を日本で話すシーンがある。映画「ひろしま」にはパンフレットがないので、ここまでは映画を見た記憶で書いた。で、肝心の髑髏のラベルの英文は警句めいたという印象だけで、文言は思い出せない。ごめんなさい。17日はNHKの衛星放送でこの映画が放送されるそうですから、気になる人は見てください。
 映画には広島で被爆した朝鮮人徴用工は登場しない。あれだけの群像だからあの映画の中には朝鮮人徴用工もいたはずだという推論は知識があれば成り立つが、たぶん、多くの日本人観客は朝鮮人徴用工の被爆者のことは想像しないだろう。
 しかし劇映画と同時進行で進んでいた朝鮮戦争のことはイヤでも意識されるはずだ。遠藤君が町工場を辞めて髑髏を観光土産として売りさばく気になったのは、町工場が砲弾の制作を始めたからだと告白する。「反米映画」として上映が忌避された理由もそのあたりにありそうだ。この映画が戦後の日本の出発を描いていることはあまり話題になりそうもないので、ネタバレ承知で書いてみました。ネタバレでつまらなくなら軟弱な映画ではないから許してください。

関内で映画「ひろしま」を見る

2019年08月15日(木)

関内の横浜シネマリンで映画「ひろしま」を見てきた。

 地下鉄の駅を出たところで女性に道を尋ねられたので「私もよそから来たので」と返事をしたのだけど、ふと「どちらに行かれるのですか?」と聞く気になった。同じ映画館を探していると分かって一緒に歩きだす。「『東京裁判』は見ましたか?あれは見逃したんですけど」と聞かれた。「見ましたけど38年前ですから」となんだかとんちんかんな返事をしてから渋谷のユーロスペースで上映中だと答えた。
 映画館で「シニア割引ですよね」とチケットの種類を尋ねられた。数え年なら「シニア割引」いけるんです。でも、満年齢だと1ヶ月半ほど年齢不足。まあ、いいかと満年齢で申告。午前10時からの上映なのに、補助椅子まで出ても満席。
 「ひろしま」が公開されたのは1953年8月。反米的だという理由でごく少数の映画館でしか公開されなかったそうだ。見たかったのは戦後7年目の広島のロケシーン。平和記念公園も出てくる。教室で話されている話が、原発事故をめぐる会話とあまりにもそっくりなので唖然とした。
 原爆投下後のシーンがリアルなのは言うまでもない。「ゴジラ」が公開されたのは「ひろしま」の翌年の54年。あれは荒唐無稽の娯楽映画だとみなされたから、多くの観客を得ることができたのだけど、あの映画を見た人は東京大空襲の記憶がまだ鮮明だったのだなあとある時、気付いた。「ひろしま」は悲劇の再現になっている。映画を見終わって伊勢佐木町の町へ出たら、広島市内にいるような錯覚を一瞬覚えた。去年の夏、スロバキア人のアダムさんと広島市内を歩いたからかな。

新宿、集会から紀伊国屋で現代詩手帳を買う

2019年08月05日(月)

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昨日は新宿、東口でNO−安倍集会。ソウルのNOー安倍集会と連帯。16時スタートの日盛りでしたが、大勢の参加者。あいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」の中止は、会場の愛知芸術センターの美術部門が10階建ての吹き抜け構造であり、周辺ではコスプレを楽しむ野外広場があることなどから、やむおえざる判断だと見たことをお話しました。悪いのはガソリンをまいて火をつけるぞと脅迫した人です。それ以上に敵意を煽った政治家の責任は重いものです。
日韓関係はまれにみる良好な状態であり、障害は安倍晋三ひとり。障害を取り除くのは、日本の有権者です。皆さんの1票で日韓関係の障害の安倍晋三を取り除くことができますと、おおよそ、そのような趣旨のお話をいたしました。
 ここまでが昨日のスピーチの趣旨です。
「表現の不自由展・その後」中止では「禍根を残す」という御意見も目にしますが、まだその判断は早すぎるというものです。主催者に過剰な責任を求めてはいけません。禍根を残さないためにできることがたくさんあります。声をあげるのもその一つ。警察の警備のあり方を問い合わせるなどは記者の仕事、議会では名古屋市長がどう考えているのか、その責任追及は議員の仕事です。もし名古屋方面、あるいは愛知県にお知り合いの議員さんがいたら、要望をお伝えするという手もあります。そのほかにもみなさん、いろいろお知恵があるでしょう。

もうちょっとで夏休み。でも税金の話。

2019年07月29日(月)

ぽつぽつと税の運用改正の説明を聞いているうちに個人営業の商店や会社が街から消えた理由が分かってきた。
 2004年に消費税の免税が売り上げ3000万円から1000万円に引き下げられたのは、個人経営の事業主にとっては大きな痛手だったのではないか。
 直間比率の見直しで始まった消費税。大企業は所得税率の引き下げなどで、直間比率の見直しの恩恵も受けられたが、小規模事業者はその恩恵もない。売上免税を1000万円に引き下げ、こんどはインボイス制度で、免税業者との取引を困難にする。結局、消費税の売り上げ免税はなくなるのと同じになる。 
 フリーランスのライター、個人事業者のお笑い芸人さんも消費税の課税業者になってインボイスをとらないと仕事がしにくくなるかも。
 街は個人商店が店を閉め、コンビニが軒を並べる。で、コンビニ経営者は事業者であっても、自分の仕事のやり方の自己決定権は持ってない。労働者ではないから労働法の保護は受けられない。と、だいたいそういうお話なんですね。
 喫茶店はどんどんチェーン店になったけど、さすがにバーはまだ個人営業とも言ってられない。よく考えてみるとけっこうチェーン店の飲み屋さんが増えている。煩雑な税務上の経理処理を、店を切り盛りしながらやるのは負担が大きい。結果として利益はチェーン店を出している親会社に持っていかれる。
 利益は金銭的利益だけではない。働きたい時に働き、休みたい時に休む。気に入らないお客は追い出す。そういう一国一城の主の気概も利益のうちに数ええてもいいんじゃないかな。

築地場外を歩いた

2019年05月19日(日)

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 13日(月)18日(土)と築地場外を歩いた。
 築地市場の建物がかなり撤去されたので、場外も空間的にガランとした感じ。なんだか寂しいような貧弱になったような。外国人観光客の姿は多い。干物屋さんにいたロシア人のおじさん二人組。ロシア語で何か尋ねているけど、干物屋さんは知らんぷり。すると大柄なおじさんはめざしの串をつまんで匂いを嗅ぎ始めた。あららと見ていると二人組は大きなため息をつき、どこかにいっちゃった。で、その外人さんが匂いを嗅いでいためざしをちょうだいと干物屋のおじさんに注文。ロシア人さんは「焼いてある?」って聞いていたみたいと言うと「分かんないからほっとくの」とおじさん。「匂い嗅いでたやつでいいの?じゃ、500円にしてあげるよ」とおまけしてくれました。これがねえ、すばらしくすてきな鰯でした。
これが火曜日の話。この日は豊洲から仕入れてきたばかりというホワイトアスパラも買った。
 土曜日は築地市場の営業権を主張する「築地お買い物ツァー」の日。築地市場正門前にお店を張っている仲卸さんのところへ。海苔の佃煮の瓶詰が欲しかったから、大急ぎで行ったのだけど、もうお店を閉めるところだった。海苔の佃煮はないかしら?と聞くと箱の中からさがしてくれた。1瓶200円。1瓶買おうとしたら「あら、1瓶でいいの」とおねえさん。「じゃ2瓶下さい」と2瓶買いました。

202年前に譲位した光格天皇の時代

2019年04月30日(火)

 202年前に譲位した光格天皇は明治天皇の曾祖父なのか。後の尊皇思想に多大な影響を与えたと。1840年(天保11年)崩御。私の4代前(母方)の権四郎お祖父さんは天保4年生まれだから、光格天皇と同じ時代に生きていたのね。天保と言えば「天保水滸伝」。笹川繁蔵、飯岡助五郎、平手造酒の名前は知っているし、利根の川風〜♪の歌も知っているけど読んだことはない。読んでみようかな。
天保と言えば「天保水滸伝」。笹川繁蔵、飯岡助五郎、平手造酒の名前は知っているし、利根の川風〜♪の歌も知っているけど読んだことはない。読んでみようかな。光格天皇(1771年 明和8年〜 1840年 天保11年)と同時代の人に国定忠治(1810年 文化7年〜 1851年 嘉永3年)がいる。清水次郎長とあわせて幕末の侠客のひとり。元祖育メン。違うかぁ〜(笑 
 ほう。こんどお札になる渋澤栄一は光格天皇崩御の年の生まれだ。1840年天保11年生まれ。武蔵国榛沢郡血洗島村生まれ。今の深谷市。藍玉の製造販売と養蚕の家に生まれたけど、尊皇攘夷の志士になったんだって。ちょっと生まれるのが早かったら侠客になっていたかしら?

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