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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

2月23日(土)

2019年02月14日(木)

銀座で安倍やめろデモがあります。詳細は明日2月15日に告知されるそうです。主催者が予告のツイートを打ったとたんにツイートアカウントを凍結されました。
邪魔が入ると燃える体質なの。

黄金町から中華街へ

2019年02月12日(火)

この週末はまた雪になるとか。南岸低気圧が太平洋側を通過するのは春が近づいているしるしですね。今日は良いお天気。昨日、黄金町の病院へ弟の見舞いに行ってきました。なんでもあの寒かった土曜日に救急車で担ぎ込まれたとか。寒いのが身体にこたえる年になったのですね。
 病室で血栓防止の靴下を履いた弟とおしゃべり。なぜか血栓防止の靴下は親指だけが外に出るかたちでした。弟は小さい時、足の親指を怖がっていたのを思い出しました。足に座布団を被せ、親指だけを出して動かすと「怖いよ〜」と震え上がったと母が言ってました。
 「こんな親指だけがむき出しになる靴下なんて履いていたら、怖くって、怖くって、しょうがないだろうね」と大笑いになりました。
 黄金町から中華街へ。昔からある中華素材のお店を前にあおいザーサイの漬物が出ていました。ザーサイのコブだけではなく、葉っぱまでついている漬物。あら、珍しいと一袋買い求めました。お店の人の話では、この漬物を作っているのは日本人で、ここ2年ほどは御体調が優れず漬物も入荷しなかったと。でも、元気になられて、この冬はまた葉つきのザーサイの漬物を入れてくれるようになったと、ちょっと嬉しそうでした。葉っぱの部分はおにぎりを包んでも美味しいと教えてもらいました。あおい、いや、緑色のきれいなザーサイです。

千代本の話2

2019年01月06日(日)

これもFBから転載です。(2018年12月24日)

 昨日は金沢八景へ。千代本の伯父から市場の話を聞いた。野島で魚を売っていたと。野島は一本釣の漁師。小柴は網を打つ漁師。久里浜にも漁師さんが市場を出していた。終戦後は食糧難の時代だけど、東京湾にたくさんお魚がいた時代でもありました。
 伯父は旧制中学の生徒の頃から横浜の中央市場へ仕入れに。父親に連れられていったというのは私の聞き違いでした。お婿さんだった御先代は市場の仕入れには向かなかったみたい。
 築地に注文を出したのは、大きな結婚式があったりしたとき。大きさを揃えた伊勢海老や鯛の折詰を注文したと。昭和中期(S20〜S40)には結婚式と言えば杉板の折詰で伊勢海老や鯛が配られた。思い出しました。鯛の塩焼きをもらってきたのことを。
 築地には伊勢海老専門の海老屋さんがいた。でその伊勢海老専門の海老屋さんは鎌倉に澄んでいて、帽子を被って築地に出勤していたんですって。
 伯父が築地に直接、仕入れに行くようになったのは東京の大学に通い始めた18歳の時。昭和5年生まれだから、昭和23年頃かな。小僧さんを連れ買い出しに行き、荷物は小僧さんに持たせて帰したと。小田原や熱海から仕入れに来ている人もいたという話。海産物の大きさと数がそろうのが築地の市場だった。
 この前、話を聞きに行った時に出た活けもの屋さんの話もおもしろかった。活けものの競りは遅い時間にたつから、その活けものの競りで売れ残ったお魚のごっそり買い込み、締めて氷の上に並べて売っているお店もあったと。後からなんで活けものの話になったのだろうと考えてみたら、豊洲市場が「ドライフロア」になるという話をしていた時に不意に思い出したみたい。「活けもの」は生きたお魚だから当然、海水の中にいる。その連想だったかもね。
 1964年(S39)の東京オリンピックまでは金沢八景の前の平潟湾でもアサリもとれたし、ハゼもつれた。海苔の養殖も盛んだった。海の埋め立てが始ったのもその頃。山の切り崩し始めたのもその頃。だんだん、話は金沢八景のもとの地形の話になり、横浜市大の体育館のたっているあたりに山が張り出していたと。私も幼稚園の通っていた頃の景色を思い出しながら聞いていた。なんの拍子か「西郷隆盛さんがうちに泊まっていた時の札が残っているけど」言い出された。それから幕末から明治にかけての話に。少し私の頭の中を整理しないと、150年くらいの時間がごちゃごちゃになっちゃったなあ。

文壇バーが話題になっていたので。

2019年01月06日(日)

ツイッター、FBから転載です。

文壇バーねえ。今は昔。銀座の文壇バーはもうなくなった店が多いから名前を並べても迷惑はかけないだろう。「葡萄屋」「数寄屋橋」「エスポアール」「眉」「まり花」「姫」は山口洋子の店、「おそめ」はママの評伝を石井妙子が書いていた。ざっとそんな感じ。
 これも今は昔。「眉」のボーイさんと新宿のバーでおしゃべりをするようになって、「眉」へ行った時、「こんばんは」って言ったら飛び上がって唇に人差し指をあてた。あとで「まずいよ。知らないふりしておいてもらわなくっちゃ」と叱られたっけ。悪いことしました。ごめんなさい。
 「まり花」にタモリとテレビ局の人がくるようになって、だいぶ様子が変わったとか。80年代の半ばかな。聞いた話だけど。その前から小林亜星さんの姿は見たから、小説家だけがいるってわけじゃなかった。「まり花」のアルバイトのお嬢さんがスクールメイツで紅白に出るって喜んでいたことがあった。「おめでとう」ってお祝いしていたら小林亜星さんが「帰る」と一言。風のように(と言っても店は狭くあの巨体だから店の外に出るのはたいへんだったけど)去っていった。居合わせた人は「?」だったけど、お弟子さんが紅白に落選したのを思い出して「あ〜〜」って。バイトのお嬢さんがしょげていた。

あけましておめでとうございます。

2019年01月05日(土)

 大晦日にPCをネットにつなげなくなりました。おくればせの新年のご挨拶です。プログラムの問題かと思いきや、物理的にラインが古くなっていたということで、息子にラインを取り換えてもらうことにしました。
 元旦。まだ未明に原宿の竹下通りで車の暴走事件。1人が重症、7人が怪我をしたそうです。犯人は「オウム事件の死刑執行に抗議する」と供述しているとか。明治神宮で灯油をまき火を放つ計画をしていたことが報じられています。
 4日の東京株式市場の大発会。YNの株価が落ちたことを反映して大納会より452円下がる19561円の終値。
 いろいろと物騒な亥年の年明けです。

今様羅生門

2018年12月28日(金)

 都大路の南の朱雀門には死体が打ち捨てられた様子を描く「羅生門」と誰の言っていることがほんとなのか分からない「藪の中」を合わせ黒澤明が映画「羅生門」を戦後混乱期(1950年)に撮った心境が分かる気がしてきた。1950年は朝鮮戦争勃発の年。
 今昔物語の時代の都とは違うから、そりゃ、見える場所に捨てられている遺骸はないけど。孤独死した人は大勢いて、なかなか見つからなかったりするから「今様羅生門」だ。「この男はな、生きているうちはテキトウな金融商品を老人に売りつけておったのじゃ」「なんでわしが腕時計のひとつふたつ、頂戴して悪いことがあるものか」と家主の老女が笑う。男を訪ねてきた元同僚は「では俺がもらってもいいわけだ」と家主の老女を蹴りつけた。なあ〜〜てね。
 それで、死んだ男が住んでいた家の近くに「高輪ゲートウェイ」という新駅ができましたとさ。

今日はクリスマス

2018年12月25日(火)

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 今日はクリスマス。どういうわけがサンタさんじゃなくって「トナカイさんが来る〜」と楽しみにしていたし〜ちゃんのところへトナカイさんは来たかな?マッチ売りの少女がおばあさんのお迎えで天国へ召された日。子どもの頃、持っていた「マッチ売りの少女」の絵本には七面鳥の丸焼きがお腹にナイフとフォークをさしてよたよたと歩いてくる絵があって、「おいしそう」って思っていたんだけど。叔母から譲ってもらった絵本で、叔母はその七面鳥の絵がすごく怖かったんですって。
 めいタンはミッフィーちゃんとクリスマス。蝋燭は触っちゃ駄目ですよ。

漫才・落語・話芸の時事ネタ

2018年12月14日(金)

 お笑い芸人の時事ネタがどうのこうのと言うけど。1995年4月オウム事件で騒然としていた日本へ米国から帰ってきた知人が「東京都知事は青島幸男、大阪府知事は横山ノック」と聞いて思わず「今日は4月1日か!」と叫んだと。時事ネタ扱わなかったら、こういう結果もなかったはず。良し悪しは別だけど。
 やすきよで漫才ブームをリードした横山やすしが亡くなったのが1996年1月。お葬式で弔辞を読んだ相方の西川きよしは参議院議員。師匠の横山ノックは大阪府知事。まさか「お笑いで時事ネタをあつかっていいのか、政権風刺をしていいのか」なんて騒ぎになる時代が来るなんて、あの時は想像もしなかった。 
 お笑い芸から権力の風刺を抜いたら、残るものは幾らもないんじゃないかと。そういう時代もあったのにねえ。芸人が権力の風刺もできないなって、言論封殺だなんて、言う以前です。
 漫才や落語で時事ネタを扱うことが議論になることそのものが異様。政権に批判的な時事ネタをやったらテレビから干されることはもう非常事態であることを示している。外国ではよくやっていると紹介されるが、冗談じゃない。参議院の2院クラブで寄席が開けそうな時代もあったのだから。 
 まだ20歳やそこらの人が20年前のことを知らないのは当然。生まれる前、物心つく前なんだから。
 50歳、60歳ともなれば、青島幸男の意地悪婆さんも見ている、てんぷくトリオの「パンパカパ〜〜」も知っている。やすきよの漫才に笑い転げている。談志の毒舌に呆れるなんてことがあったはず。
 それを覚えていたら。現在の社会がいかに異様な状態になっているかが分かるはずなのにけろりと忘れているのが怖い。いや忘れさせられているのが怖い。国会でどんな法律が作られてもすぐ忘れる。政府予算をデタラメに使われても忘れる。忘れさせらる。そして財布の中の禍は忘れた頃にやってくる。

千代本の話1

2018年12月03日(月)

 久しぶりの金沢八景。駅前の再開発で、瀬戸神社の一画だけが時間の流れから取り残されたように見えた。帰りは能見台から京浜急行品川行き最終の電車に乗った。隣の席で男性が百田尚樹「日本国紀」を読んでいた。ただいま。
 千代本の伯父に築地の話をして欲しいと頼んだ。伯父は昭和5年(1930年)生まれ。もうすぐ90歳。よもやま話になるから、きっとこんども話はあっちへこっちへといろいろ昔のことが出てくるにちがいない。築地の場内へ入ったことがないと言ったら連れていってあげればよかったと。
 店は閉めてしまったけど、伯母は今でも長靴を履いて築地場外に買い物に行っていると。「だって、スーパーで売っているお魚はつまらないんですもの」と。築地場外の仲卸さんが並ぶ「築地魚河岸」は9時以降にならないと素人さんは入れないのじゃないのか?と質問したら「入れるよ」と。築地場外「築地魚河岸」は長靴を履いていけば9時前でも誰でも入れると伯母の話。ま、伯母の場合は元玄人衆ですからね。「玄人と素人の区別をどうやってするのよ」と伯母が笑ったいた。なるほどね。店を閉める前は伯父に連れられて築地に仕入れに行くようになっていた。
 市場に仕入れに行った最初はいつですか?って伯父に聞いたら、先代(伯父の父)と横浜の中央市場へ行った話をしてくれた。千代本の先代は三島出身の人(お婿さんで千代本へ来た)で調整検査の時、何かの手続きをとり少尉任官したそうだ。で、市場へ少尉の長靴を履いて出かけたと。
 「朝日新聞社のところにさ、まだ貨物の線路が少し残っていたいるよ」と。そんな具合に話は転々。聞いていて「あ、そうか」と気づいたのは新橋界隈の新喜楽や金田中などのお料理屋さんは築地市場ができる前からあのあたりのあったってこと。 そういえば森鴎外の「豆まき」という短編に新喜楽が出てきたと記憶しているが、あれは市場が日本橋にあった時代の話だった。築地に市場が出来たのは昭和10年(1930年)。お料理屋さんのほうが先に出来ていたわけか。
 話はそれからそれへで、新橋の芸者衆の話になった。伯父は古いことはよく覚えている。豊洲市場にサイドがあくトラックが荷下ろし場に入れないなんて新しいこともよく知っている。なぜか真ん中が抜け落ちている。今年のうちにまた話をしたもらう約束をして帰ってきた。

戦後政治の総決算

2018年12月03日(月)

 戦争が終わって生まれた団塊の世代(S22、23、24年生まれ)が70歳を超えた。もうすぐ後期高齢者。人口のボリュームゾーンであることに変わりはない。団塊の世代というと全共闘世代と重なり、大学進学した全共闘世代のほうが目立つが、中卒の集団就職を経験した世代でもある。人数から言えば、受験戦争をくぐった大学進学組よりも、中卒で集団就職をした人のほうが圧倒的に多い。64年(S39)の東京オリンピック前の都市に働きに出た少年たちと、オリンピック後に都市部の大学に進学した青年の見た光景は、まったく違うものだったことだろう。経済の高度成長期だ。
 戦後政治の総決算と安倍総理は言う。本気で戦後政治の総決算をするなら、この終戦直後に生まれ、少年として高度成長期を担った人々の晩年が安らかに過ごせるような社会制度を作るのが、実際的な意味での戦後政治の総決算だ。15歳から税金を払い続けた人々にどう報いるのかが大事だろう。未成年でさまざまな制約を受け、選挙権もないくても収入があれば税金の支払い義務は生じる。集団就職で職につき15歳から税金を払い続けた人々を無視するような政策を打つ安倍政権は忘恩の徒の集団だ。

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