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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

関内で映画「ひろしま」を見る 2

2019年08月16日(金)

関内で見た映画「ひろしま」は「日本教職員組合」のクレジットが登場する。主演者の冒頭は「広島市民」「児童・生徒」など通常の映画ならエキストラとして出演者の最後にならぶ群像の人々の名(個人名ではない)が連ねられる。俳優の名前が出るのはそのあとだ。
 冒頭、広島へ原爆を投下するために米軍基地を飛び立った戦闘機の搭乗員の手記を朗読するラジオ放送が高校の教室に流れる。ここで「原爆に甘えるなと言われるけど」という生徒のセリフが出てくる。原爆投下から7年目の劇映画の映像だ。教室で鼻血を流す女生徒が医務室へ運びこまれる。
 映画はやがて原爆投下当日の群像劇となる。原爆投下当日の群像劇の中に登場する全身やけどをおいながら全裸で「寒いよ、寒いよ」と叫び続ける男の子がいる。おそらく、当事者の証言から作られた場面なのだろう。韓国の戦争博物館で見た映像を思い出した。朝鮮戦争で母親と女の子の遺骸のかたわらで、地団駄を踏みながら泣き叫ぶ全裸の男の子。韓国の戦争博物館で見た男の子の映像は、映画ではなく朝鮮戦争当時撮影されたドキュメントだった。
 映画「ひろしま」が制作された当時、朝鮮半島では朝鮮戦争が勃発していた。私が子どもの頃、大人は「朝鮮戦争」と呼ぶこともあったが「朝鮮動乱」とも呼んでいた。朝鮮戦争は映画「ひろしま」の隠された主題だ。復興が進む広島の町には「警察予備隊募集」の広告が張り出されている。
 被爆の群像劇から劇映画の登場人物として浮き上がってくる遠藤君という少年がいる。彼は8月6日に妹と自宅を離れていたために被爆を免れる。自宅は「遠藤」の表札がある門柱を残して全壊。母親は自宅の下敷きになって死亡。妻を助けることができなかった父親はまず中学生の長男を探し回る。長男の死にめにあうことはできなかったが、なんとか遺体に対面することはできた。その父親も全身にやけどを負って病院に横たわっている。通りがかりの女性に教えられ病院へ来た遠藤君と妹。妹は父親の無残な姿を受け入れられず病院を飛び出してしまう。以後、妹は行方がしれない。父親も亡くなり遠藤君は孤児となる。
 浮浪児の一団に加わった彼は幼い子に「パパ、ママ、ピカドン。ハングリー」と片言の英語を教える。「ハングリー」が言えずに「アングリー(怒ってるかな?」と発音する幼い浮浪児。劇映画の細部に微妙な批評がさしはさまれている。
 施設に収容された遠藤君が中学校を卒業する頃、親戚に引き取られる。働くことができる年齢になると引き取りての親せきが現れるという話は、昔はよく聞いた話だ。
 映画「ひろしま」の隠された主題が朝鮮戦争だというのは、親戚に引き取られたあとの遠藤君の有為転変がそれを示している。
 米軍相手のキャバレーでボーイをしていた遠藤君は町工場に仕事を変える。彼はその工場をすぐに辞めてしまう。広島の平和記念公園に観光客に瓦礫を売りつける少年たちがいる。観光客に瓦礫を記念品として売りつける少年たちがいたというのも、たぶん、実際にあったことなのだろう。町工場を辞めた遠藤君はこの少年たちに被爆者の髑髏を掘り出して土産物として売りつける手引きをする。防空壕に放り込まれている無数の遺体が残っていたのだ。
 この商売はすぐに警察に摘発されるのだが、髑髏の額には流麗な筆記体の英文のラベルが貼られていた。映画の中では遠藤君がラベルの英文を読み、警句めいたその文言を日本で話すシーンがある。映画「ひろしま」にはパンフレットがないので、ここまでは映画を見た記憶で書いた。で、肝心の髑髏のラベルの英文は警句めいたという印象だけで、文言は思い出せない。ごめんなさい。17日はNHKの衛星放送でこの映画が放送されるそうですから、気になる人は見てください。
 映画には広島で被爆した朝鮮人徴用工は登場しない。あれだけの群像だからあの映画の中には朝鮮人徴用工もいたはずだという推論は知識があれば成り立つが、たぶん、多くの日本人観客は朝鮮人徴用工の被爆者のことは想像しないだろう。
 しかし劇映画と同時進行で進んでいた朝鮮戦争のことはイヤでも意識されるはずだ。遠藤君が町工場を辞めて髑髏を観光土産として売りさばく気になったのは、町工場が砲弾の制作を始めたからだと告白する。「反米映画」として上映が忌避された理由もそのあたりにありそうだ。この映画が戦後の日本の出発を描いていることはあまり話題になりそうもないので、ネタバレ承知で書いてみました。ネタバレでつまらなくなら軟弱な映画ではないから許してください。

関内で映画「ひろしま」を見る

2019年08月15日(木)

関内の横浜シネマリンで映画「ひろしま」を見てきた。

 地下鉄の駅を出たところで女性に道を尋ねられたので「私もよそから来たので」と返事をしたのだけど、ふと「どちらに行かれるのですか?」と聞く気になった。同じ映画館を探していると分かって一緒に歩きだす。「『東京裁判』は見ましたか?あれは見逃したんですけど」と聞かれた。「見ましたけど38年前ですから」となんだかとんちんかんな返事をしてから渋谷のユーロスペースで上映中だと答えた。
 映画館で「シニア割引ですよね」とチケットの種類を尋ねられた。数え年なら「シニア割引」いけるんです。でも、満年齢だと1ヶ月半ほど年齢不足。まあ、いいかと満年齢で申告。午前10時からの上映なのに、補助椅子まで出ても満席。
 「ひろしま」が公開されたのは1953年8月。反米的だという理由でごく少数の映画館でしか公開されなかったそうだ。見たかったのは戦後7年目の広島のロケシーン。平和記念公園も出てくる。教室で話されている話が、原発事故をめぐる会話とあまりにもそっくりなので唖然とした。
 原爆投下後のシーンがリアルなのは言うまでもない。「ゴジラ」が公開されたのは「ひろしま」の翌年の54年。あれは荒唐無稽の娯楽映画だとみなされたから、多くの観客を得ることができたのだけど、あの映画を見た人は東京大空襲の記憶がまだ鮮明だったのだなあとある時、気付いた。「ひろしま」は悲劇の再現になっている。映画を見終わって伊勢佐木町の町へ出たら、広島市内にいるような錯覚を一瞬覚えた。去年の夏、スロバキア人のアダムさんと広島市内を歩いたからかな。

新宿、集会から紀伊国屋で現代詩手帳を買う

2019年08月05日(月)

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昨日は新宿、東口でNO−安倍集会。ソウルのNOー安倍集会と連帯。16時スタートの日盛りでしたが、大勢の参加者。あいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」の中止は、会場の愛知芸術センターの美術部門が10階建ての吹き抜け構造であり、周辺ではコスプレを楽しむ野外広場があることなどから、やむおえざる判断だと見たことをお話しました。悪いのはガソリンをまいて火をつけるぞと脅迫した人です。それ以上に敵意を煽った政治家の責任は重いものです。
日韓関係はまれにみる良好な状態であり、障害は安倍晋三ひとり。障害を取り除くのは、日本の有権者です。皆さんの1票で日韓関係の障害の安倍晋三を取り除くことができますと、おおよそ、そのような趣旨のお話をいたしました。
 ここまでが昨日のスピーチの趣旨です。
「表現の不自由展・その後」中止では「禍根を残す」という御意見も目にしますが、まだその判断は早すぎるというものです。主催者に過剰な責任を求めてはいけません。禍根を残さないためにできることがたくさんあります。声をあげるのもその一つ。警察の警備のあり方を問い合わせるなどは記者の仕事、議会では名古屋市長がどう考えているのか、その責任追及は議員の仕事です。もし名古屋方面、あるいは愛知県にお知り合いの議員さんがいたら、要望をお伝えするという手もあります。そのほかにもみなさん、いろいろお知恵があるでしょう。

もうちょっとで夏休み。でも税金の話。

2019年07月29日(月)

ぽつぽつと税の運用改正の説明を聞いているうちに個人営業の商店や会社が街から消えた理由が分かってきた。
 2004年に消費税の免税が売り上げ3000万円から1000万円に引き下げられたのは、個人経営の事業主にとっては大きな痛手だったのではないか。
 直間比率の見直しで始まった消費税。大企業は所得税率の引き下げなどで、直間比率の見直しの恩恵も受けられたが、小規模事業者はその恩恵もない。売上免税を1000万円に引き下げ、こんどはインボイス制度で、免税業者との取引を困難にする。結局、消費税の売り上げ免税はなくなるのと同じになる。 
 フリーランスのライター、個人事業者のお笑い芸人さんも消費税の課税業者になってインボイスをとらないと仕事がしにくくなるかも。
 街は個人商店が店を閉め、コンビニが軒を並べる。で、コンビニ経営者は事業者であっても、自分の仕事のやり方の自己決定権は持ってない。労働者ではないから労働法の保護は受けられない。と、だいたいそういうお話なんですね。
 喫茶店はどんどんチェーン店になったけど、さすがにバーはまだ個人営業とも言ってられない。よく考えてみるとけっこうチェーン店の飲み屋さんが増えている。煩雑な税務上の経理処理を、店を切り盛りしながらやるのは負担が大きい。結果として利益はチェーン店を出している親会社に持っていかれる。
 利益は金銭的利益だけではない。働きたい時に働き、休みたい時に休む。気に入らないお客は追い出す。そういう一国一城の主の気概も利益のうちに数ええてもいいんじゃないかな。

築地場外を歩いた

2019年05月19日(日)

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 13日(月)18日(土)と築地場外を歩いた。
 築地市場の建物がかなり撤去されたので、場外も空間的にガランとした感じ。なんだか寂しいような貧弱になったような。外国人観光客の姿は多い。干物屋さんにいたロシア人のおじさん二人組。ロシア語で何か尋ねているけど、干物屋さんは知らんぷり。すると大柄なおじさんはめざしの串をつまんで匂いを嗅ぎ始めた。あららと見ていると二人組は大きなため息をつき、どこかにいっちゃった。で、その外人さんが匂いを嗅いでいためざしをちょうだいと干物屋のおじさんに注文。ロシア人さんは「焼いてある?」って聞いていたみたいと言うと「分かんないからほっとくの」とおじさん。「匂い嗅いでたやつでいいの?じゃ、500円にしてあげるよ」とおまけしてくれました。これがねえ、すばらしくすてきな鰯でした。
これが火曜日の話。この日は豊洲から仕入れてきたばかりというホワイトアスパラも買った。
 土曜日は築地市場の営業権を主張する「築地お買い物ツァー」の日。築地市場正門前にお店を張っている仲卸さんのところへ。海苔の佃煮の瓶詰が欲しかったから、大急ぎで行ったのだけど、もうお店を閉めるところだった。海苔の佃煮はないかしら?と聞くと箱の中からさがしてくれた。1瓶200円。1瓶買おうとしたら「あら、1瓶でいいの」とおねえさん。「じゃ2瓶下さい」と2瓶買いました。

202年前に譲位した光格天皇の時代

2019年04月30日(火)

 202年前に譲位した光格天皇は明治天皇の曾祖父なのか。後の尊皇思想に多大な影響を与えたと。1840年(天保11年)崩御。私の4代前(母方)の権四郎お祖父さんは天保4年生まれだから、光格天皇と同じ時代に生きていたのね。天保と言えば「天保水滸伝」。笹川繁蔵、飯岡助五郎、平手造酒の名前は知っているし、利根の川風〜♪の歌も知っているけど読んだことはない。読んでみようかな。
天保と言えば「天保水滸伝」。笹川繁蔵、飯岡助五郎、平手造酒の名前は知っているし、利根の川風〜♪の歌も知っているけど読んだことはない。読んでみようかな。光格天皇(1771年 明和8年〜 1840年 天保11年)と同時代の人に国定忠治(1810年 文化7年〜 1851年 嘉永3年)がいる。清水次郎長とあわせて幕末の侠客のひとり。元祖育メン。違うかぁ〜(笑 
 ほう。こんどお札になる渋澤栄一は光格天皇崩御の年の生まれだ。1840年天保11年生まれ。武蔵国榛沢郡血洗島村生まれ。今の深谷市。藍玉の製造販売と養蚕の家に生まれたけど、尊皇攘夷の志士になったんだって。ちょっと生まれるのが早かったら侠客になっていたかしら?

牛島の藤

2019年04月29日(月)

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 牛島の藤を見てきた。藤花園の藤。牛島の藤と言えば、藤花園の藤だけど、周囲の民家の庭先にも藤が植えられているおうちが多い。
 東武野田線の駅名は「藤の牛島」。甘い香りが時おりふあっと鼻先をかすめる。午後なので香りは少なくなっているけれども、それでもかなり香っていた。
 牛島は春日部市内。東武野田線、春日部駅の隣が「藤の牛島」駅。あたりはいかにも関東平野という景色。
 牛島の藤は樹齢1200年だとか。天然記念物に指定。1200年前と言えば、中国には「唐」があり、朝鮮半島は「新羅、渤海」の南北朝時代。どうして牛島に藤が植えられたのかはわかりませんけれども、朝鮮半島、中国大陸との縁があるものが点在しています。牛島の藤もなにか、そうした朝鮮半島、中国大陸との関連があるのかもしれません。
 東武野田線は、大宮から岩槻、春日部を通って柏に至る私鉄。大宮は「関東の首都」を自認する都市で、埼玉県庁がある浦和よりも大きな駅です。浦和は県庁、裁判所などがありますが、特急が停車しない珍しい県庁所在地の駅。なんでも大宮、川口、熊谷などで、どこに県庁を置くのかを争った挙句に仮に浦和に県庁を置いたのがそのままになったとか。それから幾星霜、こんどは大宮、与野、浦和が合併し、「大宮市」になるかと思いきや、それは約束が違うとばかりに「大宮市」を名乗れなかったとか。結局「さいたま市」の名称を使うことになりました。
 

市場はなくなるのかな。

2019年04月11日(木)

築地市場から豊洲市場への移転のみならず、全国で市場の改修が進んでいいる。
一方で民営化という言葉で語られるのは「企業化」を意味していることが多い。これまで会社経営に馴染まないとされた農業、漁業も「企業化」され、企業は金融市場で株式などを取引される。儲からなければ撤退するのが企業。儲からなくってもそこに生きる人たちがいる業種で企業化していいのか。
 個人経営の農家、漁師と繋がっているのが卸売市場。卸売市場と繋がっているのが個人経営の料理屋、小売店。街から八百屋が消える。魚屋が消える。顔なじみになれる料理屋、レストランが消える。残るのはマニュアル化した接客の大型店舗とコンビニ、それからチェーン店。街の眺めはすでにそうなっている。
 個人経営者を潰して、企業化を図り、株式市場で取引されるような大企業を作るという流れ。それで、ちゃんと人の暮らしが立ち行くのか。まともに賃金の支払いがされるのか。極端に言えば金融市場が物品の市場を呑み込む過程を見せられているわけだ。
 日本は世界でいちばん成功した社会主義と揶揄された時代があるけど、東西冷戦終結のあとで、世界でもっとも破綻した資本主義って言われないといいんだけどなあ。

「ソウル1964冬」の作者 金承トさん

2019年03月31日(日)

 神田のチェッコリで金承トさんのお話を聞く。御病気をなさって、今は筆談でお話をしている。お土産にコーヒーをいただいた。金承トさんからいただいたドリップコーヒーは、1杯づつ、お湯を注ぐタイプ。
 以前のソウルではハワイアン・コナなどのフレーバーコーヒーが多く、フレーバーのないコーヒーを出してくれる喫茶店を探し回ったのを微笑とともに思い出した。10年くらい前かな。
 1983年に中上健次がソウルを訪れた時の写真も見せていただいた。その後、金承トさんは東京を中上健次に案内してもらったと。韓国は全斗煥大統領の軍事政権下、日本はまだ昭和で、中曽根康弘首相が韓国を訪問し、全斗煥大統領と会見したのは1983年1月のこと。中川一郎氏が自殺したのは1月9日。
 「ソウル1964冬」(日本語の翻訳は三一書房刊)の作者、金承トさんは若い作家に何か言いたいことはあるかという質問に「明るい作品を書いてもらいたい」と答えた。自分たちの時代には書けなかった明るく豊かな作品を書いて欲しいと。韓国の年配の作家は同じ趣旨の発言をよくする。80年代初頭、中上健次がソウルを訪れた頃の日本では「冷めた雑炊が喰えるか」の開高健の発言に代表されるような高度成長後の繁栄を否定し、繁栄から「文学は生まれない」式の発言があっちこっちから出ていたのを思い出す。どうして、そんなに戦後社会が繁栄の時代を迎えたことを否定的にとらえなければならないのか不可解なくらいだった。

卒業式

2019年03月25日(月)

桜が三部咲き。昨日は卒業式でした。御卒業の皆さまの人生が豊かなものになりますように祈念いたします。御卒業おめでとうございます。

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