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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

名取まで

2012年03月20日(火)

 仙台駅で佐伯一麦さんと待ち合わせ。仙台空港行きの電車で名取まで。快速だったので、名取までは一駅でした。

 昨年の震災直後、唐突に仙台沿岸部の復興計画が出てきたのを思い出しました。都市の再開発計画に似た感じの復興計画で、高層マンションを建てるというような内容が新聞の一面に載ってました(何新聞だったか忘れていますが)原発事故はまだ進行中で、予断を許さないところがあったのに、たいへん違和感がある復興計画でした。

 名取まで電車で走ってみると、仙台から仙台空港までは、新興住宅地になっていました。もともと、都市計画が進んでいたところのようなだという感想を持ちました。

 名取駅で、津波の被害を受けられたという佐伯さんのお知り合いと待ち合わせ。
「この道をまっすぐに行くと海岸に出ます」と車を走らせてもらいました。
「仙台東部道路の土盛りの下を潜ると景色が変わりますよ。道路の土盛りで津波が止まってのです」
 道はゆっくりとした下り坂。

 「3・11 キオクのキロク 市民が撮った3・11大災害 記憶の記録」(NPO法人20世紀アーカイブ仙台)という本を頂戴したのですが、その本に付属した地図を見ているうちに、名取川を遡った津波の映像に衝撃を受けたもうひとつの理由に気付きました。

 仙台市宮城野区、若林区、それから名取川を渡って名取市の閖上から仙台空港のあるあたりは、太平洋の波が直接の打ち寄せるなだらかな海岸なのです。リアス式の複雑な海岸線ではありません。リアス式の複雑な海岸線ほど津波の被害を受けやすいというのは、私が小学生の頃に習った知識です。ところが今回の津波は、ゆるやかに褶曲を描く海岸を軒並み、津波が襲っているのでした。最初に見た映像の衝撃もさることながら、自分の驚きのひとつは、なだらかな海岸線を持つ土地がいきなり津波に這い上がられたことにあったのかと、気付きました。海岸へのゆるやかな坂道を下りてもらわなければ、その驚きを意識することはなかったかもしれません。

 現在、YouTubeで3月11日のNHKの中継映像が幾つもアップされているのですが、その映像の最後は太平洋へカメラがパーンするところで、ほかの地域の映像に切り替えれていたと記憶しています。太平洋の沖合に第2波第3波が押し寄せているのを撮影したカメラマンが「ああ」と叫ぶ小さな声も入っていました。どういうわけか、現在、YouTubeにアップされている映像は、この海上の映像がありません。想像ですが、海上の映像はあまり衝撃力がないので、カットされているのかもしれません。私が自宅のテレビで見ていても、海は広すぎるので、あまり衝撃力はありませんでした。ただ、カメラマンの小さな叫び声だけが記憶に鮮明に残っています。海へと向かう緩やかな坂、それから津波浸水地域の地図、それにカメラマンの叫び声の三つを重ねて考えてみると、自分の驚きの正体が見えてきたような気がしました。ゆるやかな海岸線を持った平坦な土地に、大津波が直接に這いあがってくる恐ろしさでした。

 閖上を案内してくださった方も、津波が来るという危機感はあまりなかったというお話でした、昨年、チリから来た津波の時も、ちゃんと避難したけれども、たいした被害はなかったからとおしゃってました。繰り返し津波に襲われている三陸のリアス式海岸とは、条件がまったく違う場所だったわけです。

 あの日もこんな畑や田んぼの真ん中で、もし私が車を運転していて、津波に出会っても、それが津波だとは認識できなかっただろうなと感じたものです。海へのなだらかな下り坂を走りながら、改めて同じことを考えました。へたをしたら。好奇心のために「あの土煙のようなものはなんだろう?」と津波へ向ってハンドルを切ったりしかねないかもしれないとも思いました。

 佐伯さんが最初に閖上を訪ねた時には、特別な異臭が漂ていたそうです。もちろん、あたりは瓦礫が散乱した状態だったそうで、むごたらしい記憶のお話も聞きました。今は所有者の撤去を待っている船が、あちらにぽつり、こちらにぽつりと、船底を陸地にさらしているのが目につきました。それから、あちらこちらに集めらた大きな石。たぶん、高価な庭石でしょう。御寺から流れ出したという墓石もひとつの場所に集められていました。

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