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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

謹賀新年

2011年01月02日(日)

あけましておめでとうございます。

 ウン・ヒギョンさんのしましま靴下の話を書こうと思っているうちに、年が明けてしまいました。山陰では大雪で、雪の中に車が閉じ込められたり、孤立した村があったりで、たいへんな様子です。

 北九州市での東アジア文学フォーラムの関連行事として、ウン・ヒギョンさんとは、市内の中学校へ、キム・インスクさんとは下関市の高校へお話をしに出かけました。どちらもおもしろい経験でした。

 ウン・ヒギョンさんとは2000年に青森で開かれた日韓文学者会議でご一緒したのが最初の出会いでした。それまでの韓国の女性作家とは違った雰囲気を最初に感じたのは、エレベーターの中で出会った時、お互いにカタコトの英語で「ベリー タイアッド」と、ほぼ同時に言って大笑いした時でした。で、お会いする度にだんだんスカートが短くなるウン・ヒギョンさんです。若返るっていう言葉がぴったり。でも息子さんとはだいの仲良し。腕を組んでいる後姿の写真を見せてもらいましたが、なんだか恋人どうしみたい。さて、今度はどんなファッションで現れるのだろう? と思っていたら、レセプションでは赤いストッキング、翌日はしましま靴下でした。「なるほど、そう来たか」でした。
 だってスカートはこれ以上短くはできないというところまで行っていたのですから。

 会議や宴席では、あまり個人の来歴を聞くことがないので、中学校でウン・ヒギョンさんにお話をしていただいて「30歳過ぎるまではごく平凡に生きてきて、子どもが出来てから小説を書き始めた」ということを知りました。そうか、ファッションが若返るのは、韓国社会の変化とウン・ヒギョンさんの変化が一致していたからなのかと納得。
 さすがに北九州市は韓国の釜山へのフェリーも発着している町だけあって、中学生の韓国や韓国語への関心は東京よりも高いくらいのものを感じました。「一目ぼれです」と言う文例を韓国語を覚えてきた男子生徒もいてウン・ヒギョンさんも大笑い。
 スカートの話をしたら「次にお目にかかるときにはビキニにしますね」というお返事。こういうウィットに富んだウン・ヒギョンさんだから息子さんとも仲良くやっていけるのでしょう。
最後に中学生の代表の生徒がお礼の言葉を述べてくれました。事前に用意した原稿を読むのではなく、私とウン・ヒギョンさんの話の内容を要約し、それに感想を加えてくれました。この挨拶にウン・ヒギョンさんはたいへん感心していました。

 同じ日の午後。関門海峡を渡って下関へ。関門海峡は狭いところで5キロくらいとのことで、橋を渡るときにちらりと瀬戸内海の眺めを見ることができました。高校へご一緒したのはキム・インスクさん。
 大学1年生の時から小説を書いているキム・インスクさんです。
「傲慢と言われるかもしれませんが、私は小説家になろうと思ったことはないのです。ジャーナリストになりたいと思っていました。大学の学部もそのつもりで選択しました」
 そういうキム・ヨンスクさんに私がびっくり。韓国の作家の率直さに驚かされるのは、これが初めてではありませんが、感じていることがまったく同じという人に出会ったのは初めてだったので、度肝を抜かれました。私も小説家になろうと思ったことはないのです。高校を卒業した時に自分の本を1冊作れればいいなと願望していただけです。何時だったか?たぶんまだ大学生の頃ですが、それを率直に話したら、こっぴどく叱られて、それ以来、そう言う気持ちは人前で話したことがありませんでした。思わず、率直で勇気のあるキム・ヨンスクさんの手を握り締めたくなるくらいでした。
 この学校では質問に立った生徒が美しい韓国語を喋ったので、拍手をすると
「留学生なんです」
とのお答え。韓国が近いので、高校から日本へ留学する人もいるとのことでした。やっぱり北九州それから下関は朝鮮半島を含むユーラシア大陸に近いのです。

 それにしても、以前の、つまり私が高校生や中学生だった頃には考えられないくらい、今の中学生や高校生は「話を聞いて、自分の意見を述べる」ということがうまくなりました。驚いてしまいます。感心してしまいます。

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