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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

井上ひさしさんと安宇植さん

2010年12月28日(火)

 井上ひさしさんが亡くなられたのは今年4月でした。私は「ひょうたん島」を夢中になって見ていた世代です。井上さんが読売新聞に連載されていたモッキンポット師の話を読んだのは小学校だったか中学校だったか? 新聞連載というものを読み始めた最初の頃のことでした。そもその、その新聞連載を読み始めたのは、私の母が声を出して笑いながら井上さんの文章を読んでいたことに興味を持ったからでした。「ドン松五郎の生活」を連載される前のことでした。
 井上ひさしさんの芝居によく誘ってくださったのは、明治大学のときにゼミを担当していただいた生方卓先生。生方先生は井上ひさしさんの大ファンと言っていいでしょう。新作のお芝居がかかると、よく誘っていただきました。
 東アジア文学フォーラムでは、顧問をお引き受けいただき、08年にソウルへ御一緒させていただきました。

 昨日、韓国文学の翻訳家であった安宇植さんの訃報をネットで発見しました。10月にウン・ヒギョンさんの作品の翻訳のことで、教えていただきたいことがあって御連絡を差し上げたのですが、入院中とのことで、てっきりもう御元気になられているかと思い込んでいました。東アジア文学フォーラムは、1991年からの日韓文学者会議の経験があって、そのうえで運営されているフォーラムです。安宇植さんは日韓文学者会議にはたいへん力を貸して下さいました。それから韓国の優れた作家を日本へ紹介してくださったのも安宇植さんです。
 安宇植さんと、青森で、青函連絡船の埠頭を歩いたのはたぶん1999年の秋のことだったのではないかと、頭の中で指折り数えてみました。翌年の2000年に青森で、日韓文学者会議を開催するために、青森に打ち合わせに行ったときのことです。晩秋の良く晴れた午後でした。海が群青色、空は瑠璃色。いずれも北国特有の冴え冴えとした色をしていました。

 井上ひさしさんと安宇植さんのご冥福をお祈りいたします。

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