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復旧しました。
2005年12月04日(日)
完全に復旧したわけではありませんが、ともかくも復旧しました。豆蔵さん、ありがとう。ちょうど、バック・アップをとっておかなくちゃという話をしているやさきのサーバーのパンクでした。こういうことがあるのですね。
豆蔵さん奮闘中
2005年12月03日(土)
昨日の不通はサーバーに問題があったようです。で、復旧はさせたのですが、11月23日以降については消えたままになってしまいました。現在、豆蔵さんが復旧のために奮闘中です。「はてさてどうなりますやら」なんて言ってましたが、頑張ってください。期待してます。
って、これをアップしている間にちょうど復旧してもらったみたいです。どうもありがとう!!!
なにが起きたのか解らないのですが
2005年12月03日(土)
昨日からHPを開くことができなくなっていました。なにが起きたのか、今のところ解りません。で、昨晩、開くことはできるようになりましたが、今度は11月23日以降に掲載した記事が全部消えてました。
豆蔵さん、いったい何が起きたのでしょうか?
サーバーが何らかの理由でぶっ飛んだ、というのが端的な答えであります。一度消えた(2日午前中)後、きれいさっぱりなくなっていたので復旧(2日19時)したものの、サーバーの管理会社がバックアップを発動させたためにまた戻ってしまったものと考えられます。 できる限りの復旧は試みますが、11月26日以降、画像がない分の日記は修復できないかもしれません。(豆蔵)
台湾の土産
2005年12月02日(金)

12月になってしまいました。台湾のお土産はからすみ。台湾はからすみの産地なのです。乾物を売っている問屋街にはからすみもたくさん出回っているそうですが、今回は行けませんでした。 これは空港で500元で買ったもの。もっちりしてました。お正月にとっておこうなんて殊勝なことは考えずに、もうみんな食べちゃいました。お茶漬けに最高! なんてね。
台湾の豆2
2005年12月01日(木)

なかなか台湾キャラバンのトピックスをまとめられません。もうちょっと待ってください。台湾の豆2です。台東で水が低い土地から高い土地に流れるという奇観に連れていってもらいました。で、水野さんはたまたまあるポイントに立ち、ほんとうはその流れはくだりの阪を流れているのが一目で分ってしまったそうです。でも、その流れには「もしこの流れの不思議さが理解できなければ、それは心がにごっているからだ」と立て札に書かれていて、みんなで「ううん」。どもう目の錯覚を利用しているようなのですが、私にはからくりは分かりませんでした。
で、写真はその流れのふちにさいていた豆の花。夏場ももっとびっしりと黄色い豆の花が咲いていたそうです。台湾も寒くなったというメールを東呉大学の呉先生からいただきました。
これが桃太郎です
2005年11月28日(月)

横浜の骨董市でいちばん買おうかどうか悩んでしまったのがこの桃太郎です。お膝からももへかけてのむちむち感、肩のふっくらしたところ。おじさんなのか赤ちゃんなのかよくわかんない顔。でも気に入っています。家に持ち帰ったらあんのじょう、家では「どうして、こんなものをかったの!?」と言われてしまいました。でなぜか、この桃太郎を見た息子と娘は「おかしい」と言って笑ってました。だからいいです。
うちのマンションは大丈夫か?
2005年11月25日(金)
構造設計偽造で「うちのマンションは大丈夫か」と言う相談が建築士団体へ殺到しているそうです。で、鈴木隆之さんはこの件でなにか言っているかなとホームページを覗いてところ、現在はロサンジェルスの大学で講義中ですが、日本のラジオ局から出演交渉があったと書いてました。ロスでは出演は無理。でも起きるべくして起きた事件だとも書いてました。やっぱり。誰だって姉歯建築士だけがへんなことをしているとは思わないでしょう。で、うちのマンションは大丈夫なのかしら?
ところで、会社を定年退職した世代の男性の言葉使いの荒っぽさとかぞんざいさとか、とのかく乱暴で、自分よりも立場の弱い人にはかさにかかって喋るという癖にはいろんな場面でずいぶん悩まされてきました。会社の看板を背負っていればこその物言いがそのまま出ているんだなあと呆れることもありました。でも、その会社ってずいぶん荒んでいるところなんだなあと、なんだか被害者感情を通り過ぎて痛ましいような気持ちになってしまうことすらあるのです。 そういうことからも、へんな仕事のしかたをしているんだなあと感じたことがしばしなあります。で、ほんとうにうちのマンションは大丈夫でしょうか?
娘に言わせると「私が生まれる前から建っているんだから大丈夫でしょう」ということでした。築25年だからね。確かに彼女が生まれる前から建っています。
台湾の豆1
2005年11月24日(木)

台東の旧駅に続く道になっていた豆です。葉の形状は合歓の木ににているのですが、なた豆みたいな豆がたくさんなっていました。大きさを実感できる写真をとりたくて、集英社「すばる」編集部の水野さんに持ってもらいました。こんなのが頭の上に落ちてきたら、痛いだろうなあって思うのですが、台東の駅舎が郊外の新しい駅舎に移動するまでは、この大きな豆がなる木がメインストリートの並木になっていたのです。以前、書いたジャスミンの香りがしたのもこの通りでした。
(連絡事項)東呉大学院生のみなさんへ 本日ようやくのまネコを発送しました。遅くなってごめんなさい。来週初めには着くでしょう。
あれとこれが頭の中でこんがらがって
2005年11月23日(水)
これまで原稿を書くときは超保守的なパソコンの利用をしてきました。というのも慣れた作業じゃないと自分のコンデションを把握できないからです。
ウィンドウズに送ってもらったインタビューの文字データを超漢字に送り、20×20の縦書き原稿に流し込んで、それから規定枚数の原稿にするという作業をしてみました。締め切りまでの時間がないので苦肉の策だったのですが、結果としては逆に時間がかかってしまいました。が、この方法は慣れればかなり有効であることも解りました。なにしろテープを起こした原稿をそのまま原稿用紙に流し込んで利用できる利点があるのです。
120枚の原稿を16枚までに縮めました。で、作業の途中ではメモ機能をしおり代わり付箋代わりに使ってみました。来週も同じ方法で座談会の原稿を作ってみるつもりです。
で、秋葉原。もうちょっと探検してみたいなあと思い出しています。それから昨日、「すばる」(集英社)の水野さんから電話があって台湾キャラバンの原稿は旅行の部分も含めて書くことになりました。けっこうまとまった原稿です。で、そうなると「豆畑の友」のトピックスは文学フリマを先にしたほうがよさそうだという気になってきました。ええとあれとこれと、あっちとこっちで頭の中がこんがらがっています。パソコンの使い方新機軸に挑戦というのもこんがらがる原因なんだけど。
そういうわけでトピックスは「文学フリマノート」から掲載します。
一般来場者1000人
2005年11月22日(火)
文学フリマのホームページの事務局通信によるとフリマの来場者は1000人。出店者200人。いずれも概算でそのくらいだそうです。
ふつう主催者発表というのはいささか多めの見積もりの発表が多いのですが、こと文学フリマに限ってはかなり慎重な見積もり、少なめの見積もりなのではないと思います。といいますのもブースは160あったのですが、ひとつのブースに2人以上の出店者が来ているところが多かったかでです。もっとも、来場者と出店者はそんなに簡単に分けられるものではなさそうです。
お店を出しているどうしが、ほかのお店を覗きにいったり、一年ぶりにあう人と挨拶をしている人がいたりと来場者、出店者入り乱れる文学フリマでした。でも実質5時間で1200人はすごいなあ。
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