散り残る紅葉
2004年12月10日(金)
光が丘公園の樹木がほとんど葉を落としたあとに、紅葉だけが散り残っていました。こんなに紅葉の木があったのかと感心するほど、あちらこちらに紅葉の木があります。
光が丘公園は元はグラントハイツと言われていました。アメリカ軍の将校住宅です。グラントはそういう名前の将軍がいたと聞いています。ここから立川基地へ軽飛行機で通勤していた人もいるのだそうです。将校住宅になる以前は飛行場になる予定でした。飛行場が完成しないうちに終戦になってしまったのです。
グラントハイツと呼ばれていたころを幾らか覚えています。もう米軍からは返還になっていましたが、公園として整備される前で、周囲は鉄条網で囲われていました。今の光が丘公園の樹木はグラントハイツの頃の樹木をそのまま利用しているところと、新しく植えた樹木でできています。
まるでサバンナのようなと形容されるほど、光が丘公園の樹木は風変わりな剪定をされていました。アメリカ人は樹木の種類に関係なく一定の高さに剪定することを好むようです。沖縄のアメリカ軍基地もそんなふうな剪定をされています。が、今ではほとんどの木が日本風な姿に戻っています。密かに「前田さん」と名前をつけている椎の木だけは今でも横に枝を広げ、がっしりとした姿を保っています。
紅葉はおそらく、公園として整備されてから植えた木です。どの木も若くて、木々に葉のあるうちはほかの樹齢の高い木に隠れていいます。あと10年もすればこれらの若い紅葉の木も立派な姿になって、秋の森で存在をつよく主張するようになることでしょう。
寒いとほっとする
2004年12月08日(水)
寒いのも暑いのも嫌いなので、早く秋にならないかなと切実に願っていたのですが、秋にならないうちに冬になってもまだ生暖かいヘンな天気。12月に気温が25度を上回るなんて、今まで経験したことがありません。しかも一日の温度差は20度もあるなんて砂漠並みの気候。もう驚くことばかり。
なぜか過ごしやすいという感じはしません。それよりも寒いとほっとします。とは言え、今朝もそれほどの寒さではありませんでした。
11月も末になると房総でも霜が降りる日があって、咲いた菊の葉が赤く色づくのですが、今年はそれもなし。房総でも熱海でも野水仙は蕾を大きく膨らませていまのも花盛りになりそうな様子でした。今年の冬はこのへんな気候のまま、お正月になってしまうのでしょうか?天気図を眺めていると、ある日、突然、ものすごく寒くなりそうな様子です。こんな気候だと病気をしている人は辛いだろうなあと思います。
冬の花火とすごい夕焼け
2004年12月07日(火)
熱海に行ってきました。毎年恒例の秋山駿さんを囲む会です。秋山さんの還暦のお祝いが最初だったというこの会ももう14回目になりました。
日曜日(5日)早朝の低気圧のために下田行きの列車が運休になり、新幹線で熱海へ。 熱海では思いがけず冬の花火を楽しみました。と、言っても昼間の気温は25度にも達するという奇妙な日でしたが。宿の屋上から見る花火は目の前で炸裂するという強烈なものでした。
翌日は房総半島、真鶴岬から初島、そして伊豆の大島まで見えるという快晴。秋山さん、川村湊さん、富岡幸一郎さん、森詠さんらと、寛一、お宮の像を見物。川村さんが「金色夜叉」全編を読んだと言い、「でも、お宮は自分の美貌には寛一の貧しさは釣り合わないと考えたのだから悲恋じゃないよ」と説明。一同、一度は頷いたものの、よく考えたら「金色夜叉」はお宮ではなくて、寛一の悲恋の物語でした。明治の人は男の悲恋にこんなにも同情したんだなあと、納得。
夕刻、東京に戻って明治大学の13階の喫煙所から夕日が沈んでゆくところを眺めました。前日のストームがうそみたいに、太平洋沿岸はかなり広い範囲で快晴だったようで、丹沢山塊の向こうに富士山がくっきりと見え、その裾には秩父から赤城の山々、さらには筑波山までがシルエットになっていました。一時間くらいかけて沈んで行く夕日と、陽が沈んだあとの茜色の空が、群青色に変わって行くのを眺めていました。こんなすばらしい夕焼けは、一年のうちにそう何度も眺められるものではないでしょう。
江戸時代の人は大きな関東平野を囲む山々が茜色の空をバックに黒いシルエットになる景色を時々眺めていたにちがいありません。そのスケールの大きさを想像するだけで、ため息が出ます。世界はその頃と同じように豊かなのに、ほとんどの人はその豊かな世界を見ようともしないのではないでしょうか?
今では、日の出も日の入りも見たことがないという小学生が、東京にはかなりいるのです。たとえ見事な夕焼けが広がっていても、ビルの谷間にはそれと気付かずに忙しく働いていた人も大勢いたことでしょう。寛一が曇らせてみせると言ったお月様さえ、もう何年も眺めたことがないという人がいるかもしれません。
淡路島 野島断層
2004年12月03日(金)
幸田文の晩年の随筆集に「崩れ」があります。日本の山崩れ、がけ崩れなどを見て歩いた随筆です。どうしてこんなにも「崩れ」を見たいのか解らないけれども、こころ引かれる景色だと書いていました。
その気持ちがちょっとだけわかるようになったのは、どこか身体の中に「崩れ」が起きているのでしょうか?「頭の中身だろうよ」というひそかな声も聞こえるような気もします。熊本から帰って淡路島に行きました。仕事の旅でしたが、どうして北淡町の野島断層が見たかったので、一日早く出かけました。野島断層はあの阪神大震災を引き起こした断層です。
東西へ1・2メートルずれた断層が地表に現れた部分が樹脂加工されて保存されています。今では観光コースの一部になっていますが、やはり写真でみるのとはまったく違い迫力でした。大地は揺るがぬものの象徴とされることが多いのですが、その大地もまた生き物のように日夜動き続けている証拠を見た思いがします。それ以上にショックだったのは、地中に液状化した層があることを示すトレンチでした。
つまり、足の下の地面がドロの体積した沼のような状態に突然なるということをそのトレンチの地層は現していました。激震は時間にすると10秒ほどだということでした。
ワイルドな食事
2004年12月01日(水)
スタッフルームに遊びにくるとのくんの友人さんからとてもワイルドな食事のお話を聞きました。以下コピーです。
「仕事仲間の大工さんで、狩猟が好きな方がいました。 数年まえ、山で撃って来たばかりの鹿肉を使った焼肉バーティに招かれたのですが、まだ皮と毛が付いたままで 血が滴っている肉を 包丁で切り取りながら 焼いて食べさせてくださったのには参りました。 人間は、本来、肉を食べる生き物ではないのかもしれません。 あれをビールを飲みながら旨そうに食べる感覚はちょっと、どうも。。。」
冬は狩猟好きにはたまらない季節なんですね。私もミュンヘンで鹿肉を焼くレストランに入ったことがありますが、「どこが食べたいのか?」と質問されても答えられないので、しかもドイツ語だったので、「皆が食べている場所」と答えたことがありました。するとドイツ人の給仕は奇妙な顔をして、「皆が食べているのはここだ」と店の床を指差しました。「場所」という単語しか浮かばなかったのですが、本当は「部位」と言わなければいけなかったみたいです。鹿肉の塊がぐるぐる回りながらあぶられていました。まあ、こういうへんな客は名物料理の店には珍しくないみたいで、あとはよきは計らってくれました。
毛と皮がついているやつねえ。それは勇気がいるでしょう。「奥山に紅葉踏み分けなく鹿のこえ聞く時ぞ秋はかなしき」ではなくて「こえ聞く時ぞ、うまそうだな」なんて人もいるのでしょう。こういう私も波打ち際にころがった鯨を見ると旨そうだなと思うほうです。怒る人がいるかもしれないけど。
なまなましい発音
2004年11月29日(月)
伊藤比呂美さんと話していると、彼女が妙に言葉をなまなましく発音することがあって、すっかり覚えてしまいます。 「あの、なんだっけ、山形で食べたおフランス!あれはおいしかった」 「伊藤さん、おフランスじゃなくてラ・フランス」 こんな会話をして以来、店先でラ・フランスを見るたびに、洋梨が「おフランス、おフランス」と唱えているように見えて仕方がありません。
今度も「あたし、生肉は大丈夫だけど焼いたり煮たりした獣肉がダメなの」というので、なぜか「ジュウニク」という発音がどっしりと耳の中に残りました。 ポトフのすね肉も「ジュウニク、ジュウニク、ケモノノニクダヨ」と言いながら煮えているようで、まちがっても、家の子どもたちには気味悪がられるので言えません。これは台所の秘密。でも、どうしてあんなに、実感のこもったなまなましい発音ができるのだろう?
ゆっくりした日曜日
2004年11月28日(日)
家は幹線道路沿いにあるのですが、日曜日は家の周囲から聞こえてくるもの音ものんびりしているようです。それからキャッチボールをする人の声なども聞こえてきます。
ネット書店で「うさぎとトランペット」の予約がはじまっているのはちょっと、どきどき。なにしろ金曜日(26日)の夜にはまだ新潮社の担当者と二人で再校を直していました。あ、いや、ちゃんと予告どおりの発売日には本になっています。そのはず。大丈夫。
光が丘公園も、我が家の周辺も見事な紅葉が終わりかけています。今年はいつまでも気温が高いので、紅葉は期待できないなかと思っていたのですが、急激に寒い日があったりして例年よりも見事なくらいです。
牛のすね肉の大きな塊が手に入ったので、今夜はこれをことこと煮てポトフにすることにしました。煮込み料理って暖房が入るちょっと前に季節には、家を暖める効果もあって、ちょうどいいんです。
しょんしょん
2004年11月27日(土)
日本中が夜更かしになっているようで、熊本にも午前2時まで開いているスーパーがありました。そこでみつけたのは「しょんしょん」です。はて、これはなんだろうと瓶詰めを見詰めてしまいました。
醤油の実という言い方があります。麹のことをそういうらしいのですが、「しょんしょん」は麹がたくさん入ったなめ味噌です。醤油の実から「しょんしょん」という言葉ができているのでしょうか?
九州の甘いお醤油を初めて口にした時には、醤油が甘いなんて絶対に許せないと感じたのですが、これになれてみると白身のお魚の刺身などは、関東の生醤油よりも旨くかんじられるくらいです。真夜中のスーパーに行ったのはこの甘い醤油が欲しかったためです。
甘いといえば九州で使う麦味噌も独特の甘さを持っています。こうした調味料の甘さは砂糖が貴重だった時代の名残が感じられるようです。また関西ではあまり納豆を食べないと言われますが、なぜか熊本の人は納豆が好きな様子で、多様な納豆が売り場には並んでいました。ところかわれば品変わるという原則は今でも生きているようです。「しょんしょん」を一瓶買ってきました。もちろん甘いお醤油も手にいれてきました。
干筍
2004年11月24日(水)
熊本で見つけた二つ目の不思議なものは干筍です。たぶん、干したけのこと読んでいいのだと思いますが、ビニールの袋には「干筍」の文字がありました。文字どおり、たけのこの干物です。
前から不思議に思っているのは魚を干したものは「ひもの」で魚以外は昆布のような海のものでも、干瓢のような山のものでも「かんぶつ」になるのはどうしてなのでしょう。だから、ほんとうはたけのこの乾物と言わなかればならないのですが、たけのこを広げたカラカラに干した様子は「干物」という言葉がぴったりです。
一晩、水に漬けて戻してから、炒め物などにすると良いらしい。今のところまだ台所に放り出してあって調理はこころみていません。でも、たけのこの干物があるということは、それだけたくさんのたけのこが収穫できるということでしょう。きっとたけのこの季節に熊本に行ったら、八百屋さんの店先にはさぞ見事なたけのこが並んでいることでしょう。
東洋大学吹奏楽研究部の井上さんからご案内をいただきました
2004年11月23日(火)
東洋大学吹奏楽研究部の井上さんから定期演奏会のご案内をいただきました。
東洋大学吹奏楽研究部 第42回定期演奏会のご案内 <日時>12月25日(土)開場16:30 開演17:00 <場所>川口市総合文化センターLILIAメインホール <曲目>T部 ビザンチンのモザイク画(F.チェザリーニ)他 U部 バレエ組曲「くるみ割り人形」より(P.I.チャイコフスキー) 交響曲第5番二短調第4楽章(D.ショスタコーヴィッチ) V部 ステージマーチングショウ「武士道〜The Way of the SAMURAI〜」 入場料500円(小学生以下無料) 年末のお忙しい時季かとは存じますが、部員一同、皆さまにお会いできることを楽しみにしております。
尚チケットにつきましては当部公式ホームページ中のい「演奏会のお知らせ」のページにアクセスしていただけましたらこちらからお送りいたします。 ホームページhttp://toyowindband.hp.infoseek.co.jp
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