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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

鐘馗様が欲しい!

2010年03月07日(日)

 酒田でお雛様を見て、それから目黒の雅叙園でお雛様をみました。家は昨年リフォームしてからまだ物がもとへ戻らない状態なので、とてもではないけれどもお雛様を出す余裕がありません。で、酒田で「狆引き官女」なるお雛様を見ました。犬の狆を引いているはかま姿の官女です。調べてみると昭和の初期ごろまでは、ひな壇に添える人形としてずいぶん作られていたようでした。
 はかまの紐を肩で結んでいるスタイルが多いようです。どうも、このはかまの紐を肩で結ぶスタイルは幕末の宮中の習慣のようで、それが「狆引き官女」に残っているようです。いったい、この「狆引き官女」はどういう事情でたくさん作られたのでしょうか?

 雛人形というわけではありませんが、赤ん坊を抱いている武内宿禰の土人形を見たのも酒田です。こちらは五月人形のようで、神功皇后と一緒に作られたものでした。白ひげの武内宿禰が抱いているのは、神功皇后が生んだ皇子、のちの応神天皇だとのことでした。それに金太郎にお乳をやる山姥の土人形。「金太郎のお父さんは誰なんだろう?」という疑問が、五月人形を飾るころになると、時々、我が家で出ていました。山姥の子なのは熊にまたがってお馬の稽古をする金太郎の御話に出てくるのですが、金太郎の父の話はついぞ聞いたことがありません。さらには、ご存知、桃から生まれた桃太郎。これはお爺さんとお婆さんが大事に育てた男の子です。桃太郎にいたっては父母不在(桃が母か?)。お父さんとお母さんと子どもという組み合わせが五月人形に少ないのをおもしろく感じているうちに、思い出したのが、鐘馗様と神武天皇でした。

 鐘馗様と神武天皇は私の弟が持ってました。神をみずらに結い、金色のカラスがとまっている槍を持った神武天皇と髭だらけの鐘馗様を子どものときはおもしろく眺めたものでしたが、この頃はちっとも見かけません。調べてみると、兜と一緒に鐘馗様と神武天皇を飾る習慣は昭和30年代の関東地方でよく見られたものだそうです。鐘馗様は怖い顔をしていますが、その怖い顔が災いして、玄宗皇帝から、せっかく合格した科挙の位は剥奪されてしまった若者だそうです。それを悲観して自殺したのですが、鐘馗様が鐘馗様として長く記憶されるようになるのはその後の出来事のためです。鐘馗様は、病気に罹った玄宗皇帝の夢の中に現れて病魔と闘い、この世では果たせなかった自分の役割を果たす決心をしたことを皇帝に告白。これに驚いた皇帝は鐘馗様は長く祭ることにしたと。現代人の合理主義からすると、理不尽な話ですが、こんな話を調べているうちに、すごく鐘馗様が欲しくなりました。

「鐘馗様が欲しい!」

 それにしても五月人形というものは、御家庭の幸福とはずいぶんかけ離れた伝説上の人物たちが、そろいもそろっているものだと、おもしろく感じました。

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