中沢けい公式サイト 豆畑の友
ホーム プロフィール・著作リスト 中沢けいへの100の質問 中沢けいコラム「豆の葉」 お問い合わせ
中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

有吉佐和子のお芝居

2012年06月09日(土)

 有吉佐和子さんの御嬢さんの有吉玉青さんとお話していたら、有吉佐和子さんは53歳で亡くなられたとのこと。意外でした。あの夥しい作品をそのお年までに書かれたのだと考えるとなおさら驚きでした。

 「和宮様御留」は有吉佐和子が「群像」に連載された作品です。私の最初の本が出た頃、「和宮様御留」はベストセラーになっていました。護国寺の講談社の前のウィンドーに私の最初の本と「和宮様御留」が並んでおいてありました。「和宮様御留」は舞台でも上演されていました。母と一緒に見に行った最初のお芝居は「和宮様御留」でした。園佳也子が演じた侍女が記憶に鮮明に残っています。日生劇場だったように覚えていますが、このごろ、自分の記憶に自信がありません。和宮様役は竹下景子。今でも再演されることが多い芝居です。時々、テレビドラマにもなっています。

 「ふるあめりかに袖はぬらさじ」は「亀遊の死」という短編小説を有吉佐和子自身が戯曲化して、文学座の杉村春子主演で昭和47年に初演された芝居です。私はこの芝居を以前にも見たことがあって、なんとなく亀遊という遊女の自死が、世間の噂話や人の思惑で、現実の亀遊の思いや気持ちとはかけ離れて行ってしまう様子を描いたものだと思っていました。最初の一幕目で亀遊は死んでしまい、亀遊と親しかった芸者のお園さんが亀遊のことを語って行くという筋です。主役はもちろんお園さん。

 今度、京都の南座で坂東玉三郎のお園を見たのですが、「あれ」という感じがしました。自分の「あれ」と首を傾げた気持ちをうまく言葉にできなかったのですが、お園さんの「語りの芸」ができるプロセスを見せてもらったような気がしたのでした。それに気がついたのは芝居を見てから、すこしあとですが。

 芸者のお園さんが亀遊の自死をタネにした「語りの芸」ができるプロセスが描かれる一方で、お園さんの心の中には、生きていた亀遊の姿がいきいきと残っているというふたつの心情を、手にとるように見せてもらった気がしました。事実と虚構それに現実と美化。そういうものの絡み合いがおもしろく、それを一番、感じさせたのは、お園さんが三味線を弾いて小唄で亀遊の死を語り終える場面でした。亀遊の死は小唄となり、みごとに虚構として出来上がっているはずなのに、小唄の御終いで三味線の音を、玉三郎はわざと外すのです。最後まで見事に三味線を弾けば、劇場の玉三郎ファンのお客さんは、それが芝居であることを忘れて、玉三郎の三味線に盛大な拍手を送るかもしれない場面で、三味線の音が外れ、芝居の中で亀遊は虚構の中の人物ではなく、お園さんが親しかった思い出の中の生身の人へ戻るという「捻じれ」を興味深く見ました。

 芸は虚構で支えられているのだということを、はっきりと、しかもおもしろく浮かびあがらせながら、同時に芸の外側に漏れる心の秘密や心の宝物をも見せるというお芝居なんだなと、そう思う一方で、杉村春子だったらまたちがう印象になっただろうとも思うのでした。プログラムの上演記録を見ていたら、藤山直美主演という記録もありました。藤山直美だったら、また、別のお園さんが見られそうです。亀遊さんに憧れる友達としてのお園さんとか、そんな感じになるのでしょうか? プログラムを見ながらいろいろ想像するのも面白いです。

↓前の日記 / 次の日記↑

   
談話室 リンク集「豆の茎」 メルマガ「豆蔵通信」 サイトマップ