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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

飯田橋 深夜の投げ銭男

2011年08月15日(月)

 思い返せば5ヶ月前。震災直後の2週間ばかりは家からほとんど外へ出ませんでした。買物も近所で済ませていました。初めて池袋まで出た日は、運悪く、東京が大停電になるかもしれないという発表があり、帰りの電車は大混雑。知り合いといやにひっそりした街を歩いたのはいつのことだったか? もう4月になってました。外濠の土手に桜がいっぱい咲いていました。

 4月半ばに大阪へ行った時は、大阪の空気がゆるいので、ほっとしたものでした。飲み屋で人の悪い冗談を大きな声で言っているおじさんがいるというだけでも、街の空気の違いを感じることができました。神保町でシャツを1枚買ったのは5月の初め。「震災直後よりもだんだん人が戻っていますねえ」とシャツ屋さん。震災から1ヶ月ほどは、神保町の人通りもまばらだったとのことでした。

 そういう直後の緊張がほどけないまま夏に。なんだか夏になった気がしない東京です。浮かれて歩く人を見かけません。人の身なりもどこか遠慮ぎみ。リゾートじゃないぞ! というようなカッコウの人をほとんど見かけません。緊張気味だった人の顔は、だんだんちょっと険悪だなあと感じるような極端な人も見かけるようになりました。

 さてとタイトルにした飯田橋の投げ銭男。見かけたのは7月末頃。その日は大学院の前期の講義が終わったので、飯田橋の東口のイタリア風居酒屋のテラスで院生諸君とワインを飲んでいました。電車の時間があるので、一人抜け、二人抜け。それでも話し込んでいて、残ったメンバーでカラオケにでも行こうかということになりました。だから12時半は回っていたでしょう。

 飯田橋西口の五差路の交差点を新宿方向へ入ったところ、向こうから中年のカップルがやってきました。なにやら言い争っている様子。すたこらと歩く中肉中背の男。小走りに追いつきながら、首を傾げつつなにか言い募る女性は。かりっと痩せた身体で、女の人としては長身の部類。ほっそりとした首が印象的な女の人でした。ああ、けんかしているなあとぼんやり眺めていたところ、ポケットに手を突っ込んでいた男の人が、やにわにばらばらとお金を路上に撒きました。

 一緒にいた院生が「あ、お金が落ちましたよ」と言いながら拾い集めようとするのを、ちょっと手で制してしまいました。落としたのではなく、あきらかにお金を撒いたのでしたから。10円玉、100円玉、それから500円玉。コインとはいえ拾い集めれば、けっこうな額になりそうです。案の定、男の人は「金拾って来いよ」と女の人に命令口調。言われた女の人は、やや躊躇。だって、お金を拾っている間に逃げられそうなのは見物していた私にも解るのですから。築地の市場に仕入れに行く料理屋さんが持っているような四角い籠を下げていた女の人は、躊躇はしたものの、路上にばら撒かれたお金が惜しくって、大急ぎで拾い集めだしました。

 なんたる卑怯者なのだ。と、憤慨。でも、まあ、人様の喧嘩に首を突っ込むのも、いかがなものかで、通り過ぎるそぶりで見ていると、すたこらさっさと逃げ出すかと思った男の人は、ゆっくりとした足取りで遠ざかっていきます。で。道の角を曲がろうとしたところで、女の人が全速力で追いつきました。きっと道を曲がったところで走り出すつもりだったのでしょう。女の人のほうもそんなことお見通し。東洋人のカップルであることは間違いないのですが、どちらも日本人だったようなそうでないような、夜目には判断がつきかねる二人でした。

 カラオケで遊んで明るくなってから同じ道に出てみると10円玉がひとつ落ちてました。あの男の人がポケットから撒いた10円玉だったかどうかはわかりません。なんだか言い争いの原因はお金のことだったような気がします。それにしても玉銭ばかりよくあんなにポケットに溜め込んでいたものです。

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