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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

青い森鉄道からJR八戸線

2011年06月03日(金)

 台風と梅雨前線の隙間に広がった青空の一日。青い森鉄道とJR八戸線に乗ってきました。新幹線の新青森延伸で、今年の新緑の季節は観光客がたくさん来るはずだたのにと、新幹線が来ても、震災のために観光客が減ってしまった青森です。

 青い森鉄道は旧東北本線。東北本線だった頃に何度か野辺地や八戸まで特急に乗ったことがあります.青森の駅には、青い森鉄道の案内所が出来ていました。案内所前に立っていた女性と、八戸からのJR八戸線の連絡について尋ねるとついでに地震の話をしました。青森もゆら〜りゆら〜りと、大きくゆっくりとした揺れがしばらく続いたそうです。

 青森駅ホームに入ってきた青い森鉄道は2両編成のロングシートの列車。ボックスシートの特急とは様子が違って、なんとなくのんびりムード。ただし、青森市内を出たあたりから。飛ばすこと飛ばすこと。こんなにすっ飛んでいいたのしらと、驚くほどの速さで、浅虫温泉あたりの海岸へ出て、青い海を左手に、輝く緑の山を右手に進んでいきました。黒い帽子、黒いコートに青いスカーフそれに黒いスラックスのお婆さんが、シートにゆったり腰をかけて列車の窓の外を眺めていました。太平洋側は寒いのです。「やませ」と呼ばれる寒冷な気候で、まだストーブを使っているお家もだいぶあります。だからお婆さんは冷えないように完全防備。

 さすがに青森には、大阪や名古屋で見かけるようなロリータファッションのお嬢さんはいないなあと思ったやさきに、黒っぽいリボンに白いレース黒い編み上げのコルセットに白いレースのストッキングというスタイルのお嬢さんが列車に乗ってきました。やっぱりロリータというのか、バロックと言うのかデコラティブなファッションは日本全国で流行中の様子。野辺地でした。

 このデコラティブお嬢さんと一緒に観光客らしい女性も数人乗ってきました。50代60代くらい。お洒落してます。2、3人と連れ立っていました。それから一人旅の人も。座席に座ってキャリーケースの上に足を乗せていた女性は、年はたぶん60代前半。旅なれた様子から見ると、きっと若い頃から一人旅になれているのでしょう。というわけで八戸に到着。



 JR八戸線は八戸から岩手県の久慈まで、風光明媚な海岸線を走る列車です。しかし、現在は青森県と岩手県の境の階上(はしかみ)駅までしか列車は走っていません。階上から久慈までの線路や鉄橋が津波で流されてしまったのだそうです。現在は列車の代わりにバスが運転されています。





 ボックスシートの車両で2両編成。八戸駅から鮫(さめ)駅までは市街地を走ります。八戸セメントの大きな工場が見えました。鮫駅で列車に乗り込んできたお婆さんが、乗客の中に知り合いの顔をみつけてうれしそうに声をかけ、二人で手を取り合って喜んでいました。
 市街地を出るとすぐに、ウミネコが巣を作っている蕪島が見えます。列車は少し高いところを走っているのですが、太平洋の荒い波が打ち寄せる海岸線は津波の被害を受けています。



 蕪島でも、大きなコンクリートの防波堤の一部が津波に打ち砕かれていました。島のかげになっている駐車場の東屋は無事。しかし、並んでいたお土産屋さんは跡形もないということでした。蕪島から種差海岸のあたりの松林の中には、切りそろえられた松の材が積み重なっていましたが、これもどうやら、津波で倒された松を片付けたものの様子。すっかり片付いてはいますが、ところどころにコンクリートの土台だけになった建物もありました。



 気がつくと列車の中はお婆さんたちの話し声でいっぱい。なんだかウミネコが鳴き交わしていた蕪島を思い出させます。お婆さんたちは穏やかな声でなにやら楽しそうにお喋りをしていました。お爺さんよりお婆さんが目立ったのは昼過ぎという列車の時刻のためでしょう。鮫駅までは何本も列車が出ていますが階上まで行く列車は朝、昼、夕方の3本です。

 階上のひとつ手前に大蛇(おおじゃ)駅から山のほうへ登ったところに大きなトチノキとウツギがあるのは知っていたのですが、その木を見に行くと、八戸の戻れるのは夜になってしまい東京行きの新幹線には間に合わなくなるので、今度はよしました。ウツギは白い花を咲かせている季節なので、ちょっと惜しかったのですけど。階上駅で列車の車掌さんに聞くと、乗ってきた列車がまた八戸に引き返すとのこと。
 駅前のお店でパンを買って停車中の列車の中で食べることにしました。

 パンを買った駅前のお店のおばさんは「ほら、あれだから。あれで八戸はずいぶんひどかったみたい」でと話してくれました。地震とか津波という言葉を口に出したくないみたいです。だから「あれで」「あれだから」と。忌み言葉という習慣がありますが、恐ろしかったのでしょう。しぜんと「あれ」を指す言葉が忌み言葉になっていました。階上のパン屋さんだけでなく、ちょっと「津波」や「地震」という言葉を避ける感覚は、八戸の八食センターの八百屋さんや、青森の新鮮市場の魚屋さんにもありました。

 停車中の列車に戻ってパンを食べていると、若い車掌さんが暖房を入れてくれました。空は青く、光は初夏の光ですが、空気はひどく冷たいのです。寒いというよりも冷たい空気があたり一面を包んでいました。

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