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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

「日本画の前衛」を竹橋近代美術館で見る。

2011年02月15日(火)

 竹橋の近代美術館で「日本画の前衛」展を見てきました。若い頃から、西洋文化と東洋文化が交じり合う過程に興味がありました。興味があったというより、50歳になっても20代初めの興味が持続しているってことです。なんといっても移り気で、気が多すぎるって年中叱られえていましたから、自分の興味を自分で信用できなかったのですが、30年たっても、それがまだ持続しているところを見ると、たぶん本物。それから、もうひとつは、私と同じような興味を持って、それを地道に研究に結び付けてきた人たちがいるのだなということを感じます。おかげで、ずいぶん「なるほど」とか「謎がとけた」とか、そういうふうにうなづける成果に出会うことができます。

 「日本画の前衛」展は戦前の「歴程美術会」の出品作品を中心にした展示でした。ところで、この美術界の「暦程」は草野心平、高橋新吉、中原中也など8人の同人で発行された詩の雑誌の名前として、私の頭に入っています。また、暦程の会は戦後も持続して現在も歴程賞や歴程新鋭賞を出しています。この「歴程」と「歴程美術会」はどういう関係のあるのだろう? と不思議に思いながら、図録解説を読んでいますが、まだ、はっきりしたことはわかりません。暦程賞の授賞式には何度か出かけたことがありますし、晩年の草野心平さんをお見かけしたこともあります。

 さて、展覧会ですが、第一次世界大戦が生み出したと言われるシュールリアリズムが、日本では伝統的美術観への反逆という側面が、強く意識されていたことが印象に残りました。さらに、戦争中に画家の視界がよりダイナミックに開かれることに圧倒されました。シュールリアリズムは第2次世界大戦で終焉したという説と、第二次世界大戦後にも引き継がれたという説があるそうですが、日本の場合は大雑把に言って、第二次世界大戦前はシュールリアリズムの光の部分をたくさんに浴び、戦争中にはその光を自ら発する寸前まで進み、敗戦後に欧州が戦場になることで生まれたシュールリアリズムの陰の部分を自らの命と魂と身体で理解したのではないかと言う仮説めいた流れを感じました。詩と絵画の関係も気になるところです。

 船田玉樹の「花の夕」丸木位里の「馬」「駱駝」「鷺」「牛」などの絵は見ていて心楽しくなりました。もう一歩進むと装飾的、様式的になりそうな手前で、絵が躍動していて、見る側の想像力が自由に翼を広げることができる絵でした。この展覧会は、竹橋の近代美術館のあと、広島県立美術館に巡回するそうです。船田玉樹も丸木位里も広島出身だということを初めて知りました。もちろん丸木位里は原爆図で世界的な名声があることは以前から承知していましたが、私はその原爆図を見たことがなかったし、あまり見たいとも思っていませんでした。しかし、まだ原爆の惨禍を知らない丸木位里の動物の息使い、気配、存在の迫力をマチエールの中に閉じ込めている絵を見てから、無償に原爆図を見たくなりました。政治的な意味ではない美的な感覚がそこにありそうな気がしてきました。

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