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オークス
2004年05月24日(月)
スタッフルームでながしろばんりさんが「お寒うございます」なんて初冬の頃みたいなとぼけた挨拶をしていますが、ここのところ暑かったので、昨日はことさら寒く感じられました。
中央競馬会のご好意でオークスに招待してもらいました。牝馬のレースです。東京競馬場のスタンド最上階に上げてもらえるのはこの日ばかりなので、喜び勇んで行ってきました。堀江敏幸さんといっしょ。内緒で(締め切りが迫っているから)っておしゃっていましたが、新潮社の中瀬さんがいたので、ばれちゃいました。ベランダに出て競馬場を見渡していたのですが、やはり寒かった。まあ、予想が的中していれば、どうと言うことのない寒さですが、残念なことにはずればかり。
この季節ターフの芝が伸びているので電光掲示板の表示は「やや重」の馬場状態でも、実際にはかなり重く、馬の足に露を含んだ芝が絡みつくのだと、中央競馬会の人が教えてくれました。一番人気のダンスインザムードは姿の綺麗な馬なので、こういう馬場の悪い日はあまり気持ちよく走れなかったのかもしれません。ほっそりと伸びた首がすてきな馬でした。
国語教科書
2004年05月23日(日)
昨日、書いた国語教科書は筑摩書房の「展望 現代文」です。エッセイ集「風のことば、海の記憶」のなかに収められている「帽子とパンツ」という随筆が収録になっています。「風のことば、海の記憶」は以下のアドレスでダウンロードすることができます。
http://www.papy.co.jp/act/list/auth/b/dl/70/1/type-s/
パソコン
2004年05月22日(土)
パソコンを使っていて時々思うことですが、この機械は一緒に使ってくれる人がいると覚えやすいです。 なにしろ、これまでの道具ではできないことが出来てしまうわけですから。
人がやっているのを見て、ナニナニそんなこともできるのかとびっくりすることもあります。まあ機械に強い人にはなんということもないのでしょうが。
ホームページのアドレスを貼り付けコピーできるなんてワザも私には驚きでした。発送のなかにそういう事がないので、人がやっているのをみて初めて覚えるという具合です。
以下のアドレスは来年度から高等学校で使われる筑摩書房の国語教科書が掲載されているホームページの アドレスです。私が以前書いた随筆が採用になっています。
http://www.chikumashobo.co.jp/kyoukasho2004/k_ten_gendai.html
大ショック
2004年05月19日(水)
今年の一月から書いてきた「忙日閑日」のタイトルを「豆の葉」に変えました。
その作業中のことですが、どうも過去ログを全部消してしまったらしいのです。わあぁぁ、ながしろばんりさん、大ショックだよ。ながしろさん、あとでスタッフルームにいらっしゃい。
スタッフルームは「豆の花」になりました。スタッフルームに遊びに来てください。入室には鍵(キーワード)が必要です。鍵の欲しい方はメールで御連絡ください。
プロ野球観戦の楽しみ
2004年09月21日(火)
昔、日本ハムに落合がいた頃、誰もいない後楽園で日本ハムの試合を見ていました。観客が少なくてもホームランを打つ落合選手が好きでした。一度だけ試合後にインタビューをしたことがあります。
プロ野球ではありませんが、明治が東大に負けてしまいました。昨日は祝日ですが、明治大学は月曜日の振り替え授業。月曜日は祝日が多いので、振り替えで授業をしないと時間が足りなくなってしまいます。出講して、野球部の学生さんの立ち話をしたのですが、一場が抜けたのはかなり痛いようでした。ここはひとつ気を取り直してがんばって欲しいと思います。いや、外野席の観客としてはそんなことしかいえないのですが、久しぶりに神宮へ行こうかなという気になりました。春は優勝したのですから。
落合はいまや中日監督、ついでに優勝もかかっているし、日本ハムのほうは新庄選手がとんでもない大活躍。新庄はアメリカに行っていい意味でのショーマンシップを持ってきてくれました。
プロ野球はおじいさんやおばあさんと孫がそれぞれの楽しみ方で楽しむのことができるエンターティメントだなあと、スト明けの試合を見て、そういう感想を持ちました。60歳から野球を始めたいという人は少ないでしょうけれども、60歳になったら毎日でも野球を見たいという人も、孫と野球をみたいという人も 大勢いることでしょう。
プロ野球のストライキの議論を聞いていると野球を衰退産業と見ているとようですが、そもそもそれがおかしいのではないでしょうか。産業の中には役割を終えて縮小に向かう産業も実際あります。かつての石炭産業がそうでした。銀行は大型公共投資への融資からほかの産業への融資にビジネスモデルをかえることをここ10年要求されてきました。そうした衰退産業の整理の発想の延長でパ・リーグの経営が取りざたされているように見えます。それで、良質な観客という大事な財産まで失うようなばかげたことをしているのではないでしょうか?
日本の政府は海外からの観光客の誘致ということを言い始めています。観光は名所旧跡景勝を訪ねるだけでなくて、スポーツ観戦も含まれます。パ・リーグもほんもののパシフィック(環太平洋)リーグといえるような築き上げることができれば、いっそう、おじいさん、おばあさんと孫が一緒に楽しめるでしょう。
確かに野球は国民的スポーツではなくなってしまいました。しかし、だからといってもう観客動員はできないかと言えば、そうではありません。観客は国境の向こうにいるということに目を向けてもいいのではないでしょうか?物を輸出することも大事ですが、人に来てもらうという仕事もあります。ネットでホテルの予約もできれば試合のチケットも購入できるのですから、それは不可能ではありません。
プロ野球の経営責任(番外)
2004年09月20日(月)
ゆうべからずうっと考えていたんだけど以下のような罵倒しか浮かびませんでした。
プロ野球球団の経営責任を無視して、教団側がストライキをした選手会に損害賠償を求めるならば、それはたとえて言えば以下のようになります。
打率0でかつ、たびたびエラーをかさねた選手が試合中に負傷したことを理由に年俸の上積みを要求するようなものです。ばか。
法律のほうがもしそんなに経営者側に有利にできているならば、法律のほうを変えればよろしい。頭の悪いやつにもすっきりと解る法律を作ったらよえろしい。いや番外でした。
プロ野球球団の経営責任
2004年09月20日(月)
こだわってしまいますが、プロ野球のストライキでなんだかヘンだなと思っていたのは、球団の経営責任について誰も何も言わないことです。そもそもパリーグが赤字で規模を縮小しようとしたことからこのストライキが始まっています。
で、もし球団経営が赤字であるとすれば、その責任は選手にあるのではなくて経営者にあるのです。選手は毎年の契約更新の時に試合の成績を問われています。それは選手の仕事が野球をすることだからです。経営者は球団の財政を黒字にするか、もしくはとんとんに採算がとれるようにするか、最低でも赤字の幅を小さくするのが仕事です。もし、それがうまく行かなければ、シーズン中の成績が悪かった選手と同じように責任を問われるべきです。
経営者はその仕事がうまくいかなかったからこそ縮小を考えたのです。確かに縮小もひとつの方法ではあります。が、その時、経営者は経営責任を問われるべきです。その経営者側が、まだストライキが決行される前から経営者側は損害賠償を求めると言っていました。損害賠償を求めると言うのでは経営者側はまったくの被害者になってしまい、そもそもの経営責任を放棄したにも等しいことになります。
リーグの縮小は経営事項であって、労働基準法で正当なストライキの権利を認められた雇用問題ではないからというのが、損害賠償を求める根拠になっています。それは、選手に対しての経営責任を負っている球団の経営の失敗はまったく無視した考えかたと言わなければなりません。こんな理屈が通るなら、プロ野球だけの問題ではなくなってしまいます。うまく言えませんが、資本主義の社会の根幹を揺るがすようなルール無視をそこに感じます。もし、縮小よりも他に方法がないとしても、それを納得させるだけの説明と情報の開示が必要になります。そうした経営者側の責任を果たさずに、交渉の最中に損害賠償という言葉が出てくるのは誠実な対応とは言えません。
損害賠償という言葉が出てくるのは、球団経営者は金を出す側、選手は金を出してもらう側という発想に縛られているという感じがするのです。しかしほんとうにプロ野球にお金を出しているのは、観客です。もしそれがスポンサーによる提供であったとしても、観客はスポンサーの商品を買うとか、電車に乗るという形でお金を出しているのです。そこで、経営者は球団の黒字経営をする努力をするのがお金を出してくれた人に対する仕事であり、選手はおもしろい試合を見せるのが仕事なのです。
ストライキをした選手はファンサービスをし、ファンにストライキへの理解を求めました。しかし、球団経営者側はテレビや新聞が伝える限り、ストライキという結果を招いてしまったことを詫びる態度は示していません。あの読売新聞でさえ、球団経営者側がそうした態度を示したことを報道していないのですから、たぶん、そんな態度は示していないのでしょう。ストライキは本来、経営者の責任を問うものなのです。そのような視点が欠落した報道が多いので、なんだかもやもやしていたのです。
昨日のサンデープロジェクトで野村克也氏が「今まで何もしてこなかった漬けが回った」と言っていましたが、それは経営責任のことを具体的には指し示しているのだと思います。
法律上の解釈以前に経営の失敗を無視して選手会側に損害賠償を求めるようなことを球団がするとすればこんなモラルハザードな話はほかにないと思います。
プロ野球ストライキ
2004年09月19日(日)
特別な野球ファンでもないくせに、プロ野球のストライキには自分でもおかしいと思うくらい興味を持っています。そして古田がんばれという心境になっています。
昨日、パック・イン・ジャーナルでストライキについて話ましたが、それで、この問題に興味を持った理由が少しわかるような気がしました。
プロ野球は新聞やテレビという20世紀のマスコミとともに歩んできたプロスポーツです。ネット時代に入って新聞やテレビは、これからの行き方に悩んでいます。それとプロ野球のリーグ再編問題がダブって見えているのです。
話の方向が少し変わりますが、ネット時代に入って、よく良質のコンテンツが求められているという話を聞きます。スポーツは音楽と並んで言葉の壁が低い分野です。ですからオリンピックなども成り立つわけです。スポーツというコンテンツはグローバルな性質を持つネットには向いている分野です。
野球に限って考えれば日本のプロ野球はすでに70年の歴史を持ったいるわけで、これをネット時代の良質なコンテンツにする工夫をすれば、日本の重要な産業のひとつに育てることもできるでしょう。現在の経営者側の言い分はパ・リーグの赤字をどう解消するかという発想ですが、そこにネット時代のコンテンツを育てるという発想はみじんもありません。現在の観客をよろこばせようとするサービス精神さえ感じられないのですから当然ですが。
スポーツ選手はお金をかければ数年で優秀な選手を育てることはできます。かつての共産圏がオリンピックで金メダルをたくさん獲ったことでもそれは証明されています。しかし、しんにスポーツを愛する良い観客はそう簡単には育てられないのです。良質な観客は質の高い試合を生み出し、名場面を作る証言者になって行きます。ですから、良質な観客がいるということが、ネットの良質なコンテンツを生み出す条件になってくるのです。単純に勝ったからうれしい、負けたから悔しいでは、それほどの詳細情報を必要とはしません。試合の多様な楽しみ方を知っている観客こそが詳細情報を欲しいと思うのです。
試合の見方を知っていてマナーを守り、愉快な観戦をする観客を育てるのはむずかしいなあと思ったのは先日の中国でのサッカーのアジアカップの時もそうでした。観客は意図的に育てるわけには行かないのです。自然に育ってくるのをしんぼう強く待つしかないのです。
そういう優れた観客を持っているのは、日本が70年かかって築き上げてきた財産でしょう。日本のように経済成長をしてしまった国が、次に育成すべき産業はソフト産業だと言われています。プロスポーツはまさにソフト産業であって、そこを大事にして欲しいのです。何事にも一日の長(ちょう)というものがありますが、近代工業社会の高度成長をすでに経験してしまった日本の一日の長の一端は、プロスポーツの優れた観客がいるというてんにあると思います。
選手会の思いはプロ野球を衰退させたくないというところにあります。それを情緒的感情的だという批判もあるのは承知しています。しかし、芸術やソフト産業それに興行の世界は情緒や感情にうったえて、利益を上げているわけです。ですから、私の目には選手会のほうが経営感覚があるように見えるのです。もちろん、選手には経営の技術はないかもしれません。経営の技術で選手を支えるのが興行の世界の経営者なのではないでしょうか。
唸ってしまいました。
2004年09月16日(木)
今朝の新聞はどこも佐世保の小学生の同級生殺害事件の保護処分決定について報じています。私は東京新聞のコメントを出したこともあってこの事件に興味を持っていました。
加害児童の特徴について家裁は三つの特徴を指摘したと朝日新聞1面は報じています。 1、対人的なことに注意が向きづらい 2、物事を断片的に捉える 3、抽象的なものを言語化することが不器用
うなってしまったのは、大学生に文学作品を読ませた時の特徴が全部出ている点です。ですから被害者の父親の御手洗さんが、一線を越える子とそうでない子の境はどこにあるのかと戸惑うのも当然だと言えます。これに加えて愉快な感情は表現できても、怒りや寂しさ悲しさなどの不愉快感情が表現できないということも付け加えられているのですが、これも、大学生に文学作品を読ませたときの特徴のひとつです。
事柄の重い軽いを別にすれば、現代の大学生に文学作品を読ませた時の特徴が出ている指摘が家裁から出されたということは、それだけ今までの精神障害を発見しようとするだけの鑑定よりも、より実際に近い結果を裁判所も出してきたと言えるでしょう。
文学作品はなにか人生の問題を解決するためのものではなくて、喜怒哀楽すべてを鑑賞に耐えるものとして表現しようという意図を持って製作されています。 作者がその意図をどれだけ明快に持っているかどうかはまた別問題ですが。ともかく鑑賞に堪えるものとして表現しようとする努力だけはどんな作品にも施されています。
鑑賞するだけで、あとはどうなるのだ言うような人には文学作品を鑑賞する資質がないということになります。逆に鑑賞に堪えないというのは作品に対する最大の侮辱になるわけです。学文学作品を鑑賞する資質に欠けているのに、「鑑賞に堪えない」という批評用語だけを覚えて振り回されると、これはもう手に負えないのです。 こちらは、殺人事件ではなくてせいぜい学校の評価をどうつけるかというようなことですから、まあ、「ああ困った」と唸っているより仕方がないし、教師が唸っているうちにどんどん鑑賞の能力を磨いてしまうので大学生です。でも時々、頭がおかしくなりそうという気分になることも事実です。
プロ野球中継
2004年09月15日(水)
プロ野球のリーグ再編問題がいろいろと言われていますが、ある時期から夕暮れの飲み屋や食堂で野球中継の音を聞かなくなりました。いったいいつ頃からでしょう?
今のダイエーの王監督が巨人軍を引退する時にニュースは西荻の「ダンテ」という喫茶店で、誰かが読んでいたタブロイド誌で知りました。「ダンテ」の向かいに「初音」というラーメン屋さんがあって、そこではラジオの野球中継が流れていました。「ダンテ」を出て「初音」に行くとお客さんたちが王選手の話をしていたのをよく覚えています。
よく覚えていると言えば、長島選手が巨人軍を引退する時のことも記憶に鮮明です。まだ中学生でしたが、中間テストが終わって、写生会に出かけていました。館山港で船舶を写生しながら、ずっとラジオで野球の試合を聞いていました。「巨人軍は不滅です」という挨拶を長島がしたのはこのときでした。お天気の良い秋の日でした。
水道橋の会社に勤めて、明治大学の2部に通っていた頃には、後楽園スタジアムはドームではなかったので、球場のライトが点等すると、「あ、これは一限に間に合わないなあ」と思ったものでした。野球ファンではないのですが、そんなふうにあっちこっちに野球をその中継が記憶の背景として残っています。まるで昔の写真の背景に写りこんでいる景色のように。
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