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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

BRC記者会見

2004年06月05日(土)

 昨日はBRCの記者会見がありました。今朝の新聞では公人(政治家)の名誉侵害に対して「勧告」が出されたことが強調されています。

 しかし、委員会で問題になったのはビデオテープの編集が故意になされたのか、それとも過失であったのかという点です。またビデオテープの編集の経緯はどのようなものであったかという点も問題になりました。ビデオテープの編集によって、取材対象が言ってもいないことが作られてしまうという被害は、誰でも受ける可能性があるものです。まして、故意ではなく偶然によって(過失)そうしたことが起きるとしたら、これはかなり深刻な問題を含んでいます。

 今回の「国会不規則発言編集問題」の場合、被害を受けた人物が国会議員であったので、詳細な議事録があり、編集によって発言内容が変えられてしまったことを、比較的容易に証明できました。もし議事録がなければ、こうした現象が起きることを証明するのも難しい場合もあるかもしれません。そうした事を考えあわせると、編集による被害を防ぐための材料を与えられたケースと言えるでしょう。

 国会議員のような権力を持っている人は自分でテレビ局側と交渉するば良いと考える人もいます。もちろん、そうしたやり方をする場合もあり、昨年のケースですとフジテレビとダイエーの王監督の間に起きた紛争などは当事者間で話し合いが行われました。

 当事者間の話し合いの場合は、その決着が明らかにされない場合も多く、同じような被害を受ける可能性のある時にも、その予防手段や対応策が共通の認識になってゆかないということも考えられます。今回のケースの場合は、編集によって起きる事故をどう防ぐか、そのためには何をしなければならないかをテレビ局に考えてもらう手がかりにして欲しいと思います。こうした事例を重ねることで、番組作りの知恵を磨く共通の財産を築き上げて欲しいと望みます。

 申し立てた人が公人か私人かは二次的問題であって編集によって発言の真意を曲げられたり。発言していないことまで作り上げられてしまうということが問題なのです。そうした被害を受けているのは政治家だけではありません。

ネットの掲示板

2004年06月04日(金)

 4月のイラク人質事件はネットの掲示板の投稿が現実の政策に影響を及ぼした事件でした。また長崎で起きた小学生による同級生の殺害事件でもネットが絡んでいるようです。

 パソコンを使用し、ホームページを作ったりネットの掲示板を利用したりする人の絶対数が増えてきました。それが現実に対して影響を及ぼすほどの数になってきたことをこられの事件は物語っているのでしょう。

 ネットの掲示板を見ていると「言葉が言葉を生む」という現象を知らな過ぎるなという投書をよく見かけます。よく「夜書いた手紙は朝になってから読み直して投函しろ」と言います。書き言葉というものは書きなれないうちは、喋るようには書けないのですが、ある程度、書きなれてくると、今度は喋るよりもずっと楽にいろいろなことが書けてしまいます。この「書けてしまう」というところが恐ろしいところです。

 言葉が言葉を生み、ついつい「言いすぎ」ならぬ「書きすぎ」ということ起こります。「書きすき」がさらにすすむと今度は自分では思ってもみないようなことが「書けてしまう」ということもあります。だから「夜書いた手紙は朝になってから読み直して投函しろ」と言われたのですが、ネットの投書ではそういう知恵がまだ働いていないようです。それに手紙と違って不特定多数の人を相手にした文章の配慮というのは特定の人を対象とした文章よりも、より複雑になってくるということも、ネットの投書を見るとあまり理解されていないようです。

薔薇の香水

2004年06月02日(水)

 薔薇の季節です。今年は少し薔薇の咲く時期も早かったようで、もう花が終わってしまったところも多く見られます。

 昨年、シンポジウムのためにインドから来ていた作家のギータ・ハリハランさんから薔薇の香水入り石鹸を貰いました。お帰りになる時、お見送りに行ったら「滞在中のお礼に」と頂いたものです。透明感のあるピンク色の石鹸でなにげなしに「サンキュー」と貰ってしまいました。どうもこれが結構な高級品だったみたい。昨晩、お風呂で使ったら、今日は家の中に薔薇の匂いが漂っています。

 天然の薔薇の香料の香りです。人工のものは良い匂いしかしないのだけれども、天然の薔薇の匂いは少し枯葉の苦いような腐るような匂いが混じります。決して良い香りではないのですが、薔薇の香気に枯葉のような匂いが混じると、これがアクセントになって、良い香りが際立ちます。

ウィルスサッサー

2004年06月01日(火)

YOMIURI pcの後藤さんとお話をしていたら、ウィルスサッサーの話になりました。5月の連休の時に私のパソコンも感染したウィルスです。ネットにつないでいるだけで、感染してしまうというこのウィルスはドイツの17歳の少年が作ったというのは新聞で知っていました。
 
 後藤さんから聞いたのは少年のウィルス作成の動機でした。なんでもお母さんがコンピュターのメンテナンス会社を経営していたので、ウィルスが蔓延すれば仕事が増えると思ってということでした。

 新聞ではアメリカのFBIがドイツ警察に通報して少年が逮捕されたとありました。マイクロソフト社がウィルスの製作者を見つけた人に懸賞金を出すという制度を作って最初に製作者を発見したケースでもあるそうです。へえ、そうなんだと後藤さんのお話を聞きながら、でも、そういう犯罪ってどうのくらいの罪ななるのだろうと気になってしまいました。

青森産フォアグラ

2004年05月31日(月)

 熱海のパーティの目玉は青森産のフォアグラでした。特別シェフは匿名。ソムリエはもちろん大岡玲さん。フォアグラは前菜としてパテで、それにメインデッシュの肉料理にソティーしたました。フレッシュなフォアグラは甘みがそのまま香りとして感じられるので、口の中いっぱいが幸せになりました。こんなのを青森で作っていたんだ。貴腐ワインの藁の匂いも濃厚なフォアグラにぴったりで、麦秋のごちそうでした。

 意外というのか、辻原登さんはお料理好きでした。餃子とジャージャー麺を作ってくださったのです。海老粉入り餃子というのは生の海老を使うよりも海老の特徴で出ていておいしかった。意外ではないけれども、見ていると不思議な感じがしたのは川上弘美さんでした。エッセイを読んでいると「きっと、お料理が上手な人だな」と感じるので、ぜんぜん意外ではありませんでした。でも、なんだか不思議な感じがしました。

 というわけで相模湾を見下ろしながらたくさん食べたパーティでした。もともと台所を貸してくれる場所はないかと探し出した貸別荘です。本職の料理人やシェフたちも、こうした別荘を借りてお料理パーティを開いていることがあると、管理人さんが言っていました。

熱海貸別荘

2004年05月30日(日)

 熱海の貸別荘で一晩遊んできました。辻原登さん、川上弘美さん、鈴木隆之さん、芽野裕城子さん、大岡玲さんなどなど、別荘借りきりでおしゃべりやらワインやらいろいろと楽しんできました。

 貸別荘はどうやらバブル期に会社の保養所として建てられたもののようです。ネットで検索してみつけたのですが、今はそうした貸別荘や貸リゾートマンションなどがたくさんあるようです。

 相模灘を望む高台でお天気もよく、夜になると曽我浦の夜景がきれいでした。谷渡りをするうぐいすの声がずっと聞こえていました。でもちょっと高台過ぎて入り口からとてつもない急傾斜の階段を登らなければならないのが難点。こんな別荘でしばらく過ごしたらすごいダイエットになるでしょう。

三枝和子

2004年05月29日(土)

 お知らせページに掲げた「テーマで読み解く日本文学 現代女性作家の試み」は編集委員に加われと言われたときには、そんなことできるなかなと、半信半疑でした。当初の編集委員は大庭みな子さんを筆頭に
三枝和子さん、岩橋邦枝さん、津島佑子さん、道浦母都子さん、田邊園子さん、与那覇恵子さんでした。
 この仕事ではやはり三枝和子さんの存在が大きかったと思います。大庭みな子さんが「はじめに」で書いていますが、もともとは三枝和子さんと大庭さんがお話していた企画です。

 洗足池のほとりにある三枝さんのお宅に伺って編集委員会を開いたこともありました。原稿の入稿が最も早かったのも三枝さんでした。さっぱりとして朗らかな三枝さんでしたが、昨年の春、亡くなられました。

 三枝さんが亡くなられたあと増田みず子さんに選考委員に加わっていただきました。数えてみますと足掛けで5年の仕事になりました。41人の筆者それぞれに思うところを書いてもらった本です。

 昨日、見本の本が届いたのですが、三枝和子さんのにこやかなお顔と「あたし」という時のちょっとはにかんだような発音がまざまざと思い出されました。

鷺沢萌

2004年05月28日(金)

 鷺沢萌(字が出なくてごめんなさい)さんが亡くなられたのを聞いたのは、新潮社「旅」の取材で京都に行っていた時のことでした。「旅」6月号では鷺沢さんが沖縄取材をしているので、京都で私と一緒にいた「旅」の秋山さんは驚いていました。

 オークスの時のことです。堀江敏幸さんと東京競馬場最上階のベランダで芝のコースを眺めている時に、「あ、ここで鷺沢さんにあったな」と不意に思い出しました。思い出すというよりも招待者の中に鷺沢さんの顔を見つけて、「あ、鷺沢さんだ」と思うような感じでした。私は鷺沢さんがオークスに来ていたのをすっかり忘れていたので、意外な感じがして、つまりそのベランダで競馬新聞を見ている鷺沢さんがいるような気がしたということですが、ほんとうに遊びに来ていたかもしれないなと思っています。

 京都から戻ってすぐに明治大学のリバティ・アカデミーの開校式で堀江さんと対談した時にも、控え室でちょっとだけ鷺沢さんの話をしました。

高橋洋子

2004年05月27日(木)

 話はオークスに戻ってしまいますが、会場で高橋洋子さんにお会いしました。「雨が好き」という小説を書いたばかりの頃の高橋洋子さんとマンハッタンというカクテルを飲んだことがありました。たぶん高橋洋子さん、中野良子さん、二人の女優さんと鼎談をした帰りだったような気がします。これももう25年くらい昔の話ですが。高橋洋子さんが出演していた「旅の終わり」という映画をもう一度見てみたいなあ。

 しかし、女優さんというのは、ほんとうに変わらないなあ。容姿が大事な商売とは言え、感心をとおりこして感嘆します。

 高橋洋子さんとしたのがワープロの話。高橋さんは今もワープロを使っているのだそうです。ワープロはもう貴重品で壊れると買い換えることができないので大事に大事に使っているとのことでした。
 ワープロのいいところはプリンターが内臓されていたしかも持ち運べるところです。ワープロが主流であったころには、シンポジウムの会場にもポータブルのワープロを持ち込んでその場で文章を作って配布したりしていました。あれは便利だったと二人でうなずいてしまいました。万年筆を使っている私は、万年筆がなくなる心配はないのですが、ワープロはほんとうになくなりそうです。

浅野温子

2004年05月26日(水)

 浅野温子さんとは以前、お酒を飲んだり、長電話をしたりしていた頃がありました。ふたりとも結婚前だけど。だからずいぶん前です。
 浅野温子が古事記を読みながら神社を巡るという記事を見つけたのは昨年だったかな?最初は伊勢神宮でぜひ行ってみたかったのですが、スケジュールが合いませんでした。
 5月24日(月曜日)は静岡の三島大社での朗読会でした。締め切り真っ最中なので、車で三島まで行ってトンボ帰りをしました。
 神社の舞殿をつかって大国主命とスセリ姫の結婚の物語、大国主命があちらこちらに妃を持つためにスセリ姫の悩みの物語をいずれも迫力のある声で読んで聞かせてくれました。
 浅野温子さんって昔とぜんぜん変わらない。でも声には深みが出て、もともとドスの利いたところがあったけれど、この頃、重いほうにも、軽いほうにも磨きがかかってきたみたい。

 朗読は19時からで、夜の三島大社は清浄な感じのする夜気が満ちていてとても気持ちが良かった。賑やかなお祭りの時とは一味違う神社でした。

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