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「楽隊のうさぎ」と「うさぎとトランペット」の音楽

2005年02月03日(木)

「コンドルは飛んでゆく」「テネシーワルツ」
 花の木中学の校長先生の鼻歌。前者はサイモンとガーファンクルの曲で70年代に大流行していました。後者はもっと前の曲。江利チエミが歌っていました。

「交響的譚詩 吹奏楽のために」 (作曲 露木正登)
 奥田克久が一年生の時に演奏したコンクールの課題曲。課題曲は年度によって定められているのですが、ノンフィクションではないので、これまでのコンクールで人気のあった曲や印象に残る曲を選んでいます。
 「楽隊のうさぎ」の時は取材に協力してくれた皆さんが、この曲では勝てるとか勝てないとか、どこそこの学校の演奏は神業だったとか、実際にコンクールに出場するのかと思うような侃々諤々の議論になりました。
 ただ演奏するのではなくて「書く」という前提に立つと書きやすい曲とどうもこれは文字にはしにくいなあという曲がありました。

「ハンガリー民謡『くじゃく』による変奏曲」 (作曲 S・コダーイ)
 奥田克久一年生の時のコンクールの自由曲。

「アランフェス」
 ミズ・スーザンとOBの気楽な遊びの演奏に使われた曲。ある年代以上の方にはテレビの「必殺」シリーズのなかで響くやつと言えばすぐにメロディーが浮かぶはず。

「シバの女王 『ベルギス戦いの踊り』 『夜明けのベルギスの踊り』 『狂宴の踊り』」 (作曲 オットリーノ・レスピーギ)
 奥田克久2年生の時のコンクール自由曲。
 原稿を書くためには一度聞いただけではなかなか書けないので、CDを見つけ出してこれを何度も何度も聞いて、音の構成を聞き分けながら書きました。最初は総譜を使うつもりだったのですが、私には総譜は読めないので、CDを使うという方法にしました。
 それにしても指揮者というのはすごいなあと思ったのは、あんなに複雑な楽器の音が総譜に沿っているかどうかを聞き分けてしまうのですから。
 参考のためにCDには「吹奏楽の伝説 千葉市立土気中学校吹奏楽部」を使いました。「くじゃく」も「シバの女王」も同じ土気中学吹奏楽部の演奏が参考になっています。
 「楽隊のうさぎ」にはどこの学校の演奏を参考にしたともか書かなかったのですが、土気中学吹奏楽部のOBのお母さんという方からあれは「土気」の演奏でしょうと言われたのには驚きました。そのときはたまたまコンクールを聞きにいっていたのですが、お母さんのグループに会場で声をかけられたのです。お子さんたちは中学を卒業してしいましたし、もう吹奏楽をやっていない人もいるということでした。でも、吹奏楽がすっかり気に入ってしまったお母さんたちは子どもとは別にコンクールを毎年楽しみにしているというお話でした。
 「シバの女王」を編曲された小長谷宗一さんからも「バンドパワー」の通じてご連絡をいただきました。

「ラ・マルシェ」 (作曲 植村譲司)
 奥田克久2年生の時のコンクール課題曲。
 コンクールの課題曲は毎年、公募で選ばれています。「ラ・マルシェ」を作曲された植村譲司さんからも連絡をいただきました。高校の先生ですが、音楽の先生ではありませんでした。
 「楽隊のうさぎ」では思いもよらぬ方からご連絡を頂戴することが多くてほんとうにびっくりしっぱなしでした。

「交響詩 はげ山の一夜」 (作曲 ムソルグスキー)
 奥田克久がお母さんとけんかをした次の日の朝、頭の中に鳴り響いている曲小倉祇園祭の歌。
 お母さんと福岡のおじさんのところに行ったときに克久が聞いた歌。
 小倉の祇園祭は小説「無法松の一生」で有名になりました。「無法松の一生」には太鼓のみだれ打ちとか暴れ打ちというのが出てくるというイメージがあって、なんとなく勇壮な太鼓を想像していましたが、実際は京都の祇園のおはやしに良く似たチン・トン・シャンというみやびやかなお囃子のお祭りです。正式なお祭りのお囃子とは別に太鼓の競演会があります。競演会ではそれぞれのグループが工夫をこらした演奏をしています。かなり遠くから(例えば横浜とか)の参加者もあるとのことでした。

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