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愛しき「時代遅れ」


楊逸著『ワンちゃん』(文藝春秋刊)書評

 

   中国人の主人公、ワンちゃんは「結婚仲介業」を手がけている。といっても、それはお見合いパーティーで中国人女性と日本人男性の仲立ちをし、ツアーの企画からその後のケアまでをこなすというものだ。わざわざ見合いまでして国際結婚をしたいというのだから、女性の側にも男性の側にも少なからず事情がある。その過程で起こらざるを得ない椿事がワンちゃんを待っている。

 表題作を読んでいると、故意の言い落としが随所に仕掛けてあって、時々はしごを外された気分になる。ある種の通俗性をぎりぎりのところで抑え、読者の想像力を誘っているかのようだ。

 たとえば、「結婚仲介業」をめぐってもそうである。ワンちゃんは文革後の改革開放政策の中で、一時は時代の潮目を読んでアパレル関係の商売を軌道に乗せ、財を築いた。しかし、恵まれない結婚生活と中国経済の異常な加速は次第に彼女から多くのものを奪っていく。居場所のなくなった彼女は全てを捨て、すがるような思いで日本に嫁いでくるのだが、そこには孤立無援の虚しい生活があるだけだった。つまり、ワンちゃんの国際結婚はお世辞にも「成功」とはいえないのだ。そして、彼女の結婚のきっかけはお見合いパーティーだったのである。

自分を追い詰めたはずの「結婚仲介業」を自分も始める。ワンちゃんの脳裏には何が去来したのだろうか、一切の説明がない。その代わりに彼女の視線には「妙な感じ」がある。パーティーに参加する男女を商品のように見ているかと思えば、事情のある彼らに思いやりを見せて腐心する。恋愛かどうかはともかく、顧客の一人に過ぎない男に思い入れることもある。この視線のぶれは過度に整備された小説には見られないもので、そのリアルさが却って「妙」なのだ。

 ワンちゃんは自分の人生を「波にまかせて生きている」と述懐する。だが、彼女の息子が突きつける「母さんって時代遅れだね」の方がどちらかというと正確だ。ワンちゃんは時代の狭間で座礁して、虚無と倦怠の穴の中に落ちた人である。それでもなお、したたかに生きようとする、時にエゴイスティックで、時に情に満ちたワンちゃんの眼が、徐々に私たちの眼と同調してくる。中・日両国の現代をまたにかけた「人間喜劇」の序幕。そう読んでいくと、併録された書き下ろし「老処女」も含め、この本の中にいるのは、気がつけば「時代遅れ」になっている私たち自身ではないのか、と思えてくる。

すばる 2008年4月号掲載


ワンちゃん
楊逸

『ワンちゃん』

文藝春秋、1,200円

ISBN-10: 4163268804

ISBN-13: 978-4163268804


   
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