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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

大阪に行ってきました。

2010年09月05日(日)

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 東京も暑いけれども大阪も暑い。

 日本の大都市は、たいてい空襲を受けています。それで古い建物も焼けています。それに、建物自体が木造建築なので、時代とともに立て替えられ、街の様子も変わっています。が、もともとの地形は、けっこう残っていることに、あるとき、気づきました。東京も、江戸時代の初期の頃からの地図から順番に地図を眺めて行くと、おおよその市街地の展開の様子が飲み込めます。高い場所から実際の都市の眺めを見ると、土地の高低差がはっきり見えて来て、古い街の様子を想像することができます。大阪は、そこまでつぶさに見てはいないので、まだ飲み込めていないところもあります。古い地図を集めているところです。レプリカですけど。

 2日ばかり、大阪を歩き回って、少しですが、感覚的に大阪の市街地の全体を掴むことができました。まず大阪城。ここは石山本願寺があったところだと、2年ほど前に訪れたときに知ったのですけれども、本を読んでいるときには、具体的な場所ってほとんど考えずに読んでいるものなんだなあと、自分で驚きました。大阪城から水上バスに乗り、淀屋橋まで行って、今回は大阪城まで戻りました。暑くてくたびれていたから、その日は鶴橋の市場で焼く肉を食べて終わり。昨年もお世話になった今里の旅館に今年もお世話になりました。鶴橋は、中の島図書館で見た版画だと、鶴が集まるので鶴橋と言ったようです。もろこ汁が名物だったと、版画の解説に書かれていました。鶴橋から近鉄に乗って今里に出ようとして、方向を間違え上本町に行ってしまいました。
 なるほど、上本町というのは鶴橋の隣の駅なわけねと、大阪城から天王寺にかけての台地が大阪でもっとも古い土地だと、教えてもらったことが、身体の感覚としてもやや理解できました。

 翌日は四天王寺夕陽丘から出発。夕陽丘って、新しく出来た団地の名前のような感じがしてましたが、そのあたりから見る夕日の景色が絶景だということで、古くからそう呼ばれていたようです。湿地と海が交じり合っているような場所に突き出した台地の先端に、朱塗りの伽藍が立ち並んでいる様子はさぞ見事なものだったのでしょう。昨年の春、四天王寺で演じられる雅楽と舞楽を見たとき、石の舞台のかなたへ陽が沈んで行くのを見ました。赤い夕陽が沈み切るか、切らないかの頃合に、かがり火に火が入り、火の粉が舞い飛びました。天地と繋がる芸能のスケールに驚きました。

 さて、ここからは歌謡曲ツァー。まず「王将」の新世界へ。動物園前で地下鉄を降り、立ち飲み屋さんや碁や将棋を指す人を見ながらジャンジャン横丁を通り抜け、通天閣へ。初代通天閣は明治45年に立ったのを「へえ、そうなんだ」と説明を読んで、意外に思いました。今の通天閣は2代目。登るのは今度が初めてでした。ここの見晴らしの良さは、絶品。ふっと気付いたのですけれども、通天閣から見る景色って、もしかしたら、四天王寺が、大伽藍を誇って海上からやってくる船に乗った人々に「ああ、難波津に着いた」と安心させていた時代の面影を残しているのかもしれません。西に六甲山、東に生駒山をはっきり見ることもできました。街並みの向くには大阪城の天守閣も。

 「動物園前」から「淀屋橋」に出て「中の島ブルース」の中の島へ。府立中の島図書館へ。明治37年に開館した建物です。今の天王寺公園のところで第5回内国勧業博覧会が開かれたのが明治36年。初代通天閣は明治45年に立っているのですから、明治の末年の大阪は好景気に沸いていたはずですが「はて、それはどうしてなのだろう? どのような政策が功を奏したのだろう?」とふつふつ疑問が湧いてきました。蔵屋敷の集まった近世の大阪から糸偏(繊維産業)の取引で賑わう大阪の間について、私は何も知らないのです。
 午後の陽盛りの時間を図書館で潰して、夕刻に「道頓堀ラブソディー」の道頓堀へ。絵葉書には必ず出てくるグリコの看板はまだ点灯していない時間でした。道頓堀から「月の法善寺横町」の水掛け不動へ。上司小剣の「鱧の河」とか織田作之助「夫婦善哉」などは大正から昭和初期にかけての、なんばが舞台です。今の大阪城が出来たのは昭和4年だとのことでした。

 明治末年に賑わいだした大阪が、それが大正から昭和初期に小説に描かれるようになり、第二次世界大戦で空襲を受けた大阪が復興して歌謡曲に歌われたのが1960年代。昭和の中期と考えてみると、なんとなく時代の流れがイメージできてきました。

 3日目は今里から大阪港に出ました。天保山は新しい大阪だと聞いていましたが、私は昨年の春、別府から船に乗って朝焼けの大阪に到着して以来です。その時は、早々に地下鉄に乗って市街へ出てしまったので、天保山は車窓から見ただけ。ジンベイ鮫が2匹もいる海遊館に行きました。大きな(5階建てか? 4階建てか?)がまるごと巨大水槽になっている水族館にびっくり。
 この道程は法政大学のゼミ生諸君が一緒だったのですが、その中のひとりが
「先生、これはなんですか?」
 と質問した先を見れば、岡本太郎作「太陽の塔」の模型がありました。1970年の大阪万国博覧会のシンボルだった太陽の塔は、今でも千里に行けば立っているはずです。

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