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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

4年分の紙類と格闘しています。

2010年08月15日(日)

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 豆蔵君、そうか伊藤さんの豆畑支所を作った記念メルマガ以来なのね。それが06年。なるほどねえ、じゃあ、今度はツイッター開始記念になるのかしら? あ、そうじゃなくって、メールフォーム故障記念かしら?
 いずれにしても今年のうちには、お家の中は片付かないんじゃないかという気がしてきました。
 だめじゃ、こりゃ。

 木曜日に紙バッグを持って家を出て、郵便局でお金を振り込み、地下鉄に乗って、飯田橋で降り、雨が降っていたから薬局で傘を買いました。それから理科大裏のお菓子屋さんまで歩いて、マシュマロとオレンジ入りのケーキを買い、とことこ、法政大学まで歩き、入り口のコンビニでカップ焼きそば(これがモーレツに食べたかったの)とフライドチキンを買って、研究室に入ったところで「あっ」と気づきました。
 紙バッグがない、どうしよう。
 で、コンビニに忘れたかもしれないと、室内スリッパのまま、急行。
「紙バッグのお忘れ物はありません」
 はあ、そうですかとばかりに、もしかしたら、土手の上で煙草を吸ったときに忘れたかもしれないと、土手に戻ってみました。ただ、煙草を吸ったかどうかの記憶があやしい。で、土手の上の喫煙所にも紙バッグはなし。

 紙バックの中身は日芸で開催された「同人雑誌の変遷」展の図録と、自宅の机の上に散乱していた紙類をクリアファイルにまとめたもので、一般的な意味で価値のあるものは入っていません。だから持ち去られたという心配はなし。

 ここに無いなら次は理科大裏のお菓子屋さんか? と、お堀の向こうの理科大がやけに遠く見えるのがうらめしい。アグネスホテルのパティシエの作るお菓子を売っている店で、ここのマシュマロが大好き。紙の山が散乱しているのは自宅の机の上だけじゃなくって、研究室も同じで、マシュマロを餌にそれを片付けるつもりだったのです。ま、馬の鼻面に人参をぶる下げるみたいなものですね。理科大裏まで歩こうかどうか、思案していたところへ、コバフミちゃんこと近世の小林先生。胸にシャーリングが入ったサマードレスで現れました。
「あら、中沢先生」
 二人で手に手をとって小学生みたいにぴょんぴょん。
「小林先生、夏休みモードですね」
「中沢先生も」
 私はピンクのランニングでした。これですっかり足元は室内スリッパだということを忘れて、ともかくも薬局までは行ってみようという気になりだすと、今度は、助手の深野女史が土手を歩いてきました。
 なんだかブレーメンの音楽隊みたいな展開。深野女史に「これこれ、うんぬん」と話すと
「じゃあ、先生、きっと薬局ですよ」
 とてきとうな返事。で、薬局に行きました。紙袋はありません。なぜか、ここまで来たのに理科大裏のお菓子屋さんには電話で問い合わせることにして、深野女史と法政へ引き返しました。今度は土手の上で日本音楽史のネルソン先生とばったり。もうすぐ、オーストラリアにお帰りだとのこと。
「気をつけてお帰りください」
 とご挨拶して、研究室に戻ってきました。で、お菓子屋さんに電話。1個90円のマシュマロを20個も買ったんだから覚えていてくれました。でも紙袋はありません。あとは郵便局。こっちも電話しました。紙袋はないというお返事。
「じゃあ、先生、ぜったい紙袋は地下鉄ですよ。それじゃなければ、お家に置いたままか」
 深野女史が言うのです。
「うちだといいんだけど。」
「東京メトロに電話かけてみますか?」
「そうねえ」
 なんとなく気が進まないのは、地下鉄に乗っていた時の記憶がきれいさっぱり抜けているからでした。いろいろ聞かれても、どこに乗っていたのか、ぜんぜん思い出せません。時々、そういう空白の時間があるのです。それが嫌なの。
「なんか東京メトロに電話するの嫌だ」
「先生、わがままなんだから」
 と深野女史が電話をしてくれましたが、これがさっぱり通じません。お話中のまま営業時間が終わってしまいました。
 
 夜になって娘から電話がありました。
「家の玄関の前に蝉が伸びていて、ばたばたやっているので怖くて家に入れない」
 という電話でした。難儀な娘じゃと「蝉は怖くないよ。弱っているだけだから」となだめすかして、家に入ってもらいました。そして、蝉をなんとかよけて家に入った娘に私の部屋を見てもらいましたが
「ざっと見たけど、紙袋はないよ」
 という返事でした。

 で、なぜか、土曜日になって急に呼ばれたような気がして東京メトロに電話してみました。すると、すぐに電話がつながって「紙袋の忘れ物ありますよ」というお返事が返ってきました。すぐに上野駅に忘れ物の紙袋をとりに行きました。東京メトロの本社って上野駅にあるのを初めて知りました。

 不忍の池では、蓮の花がたくさんに咲いていました。そうだ、いつだったか寒い冬の日に、まだ赤ん坊の息子を背負って、母とこの池の中の道を弁天様の方向へ歩いたなと、24、5年前のことが頭を過ぎりました。桜の花が咲き出して、あれよあれよという間に上野の山いっぱいが桜色に染まった日に、運よくめぐり合って、やはり忍ばすの池の中の道を歩いたのは06年の春だったような気がします。その日、会社をサボっているらしい新入社員とその先輩格のサラリーマンがボートを漕いでいました。あの二人のサラリーマンは今でも同じ会社に勤めているのでしょうか?

 紙袋の長い長い旅でした。

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