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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

八幡太郎義家さん

2010年03月09日(火)


 山形の高校の国語の先生、佐藤先生とは時々メールのやりとりをしています。今度、余目の響ホールで山形交響楽団のコンサートがあるのを知らせてくださったのも佐藤先生でした。酒田でもいろいろとお雛様の展示をしているお家を教えてくれました。「酒田雛街道」という催しでお雛様を展示しているとのことでした。
 
 写真のお雛様はお茶屋さんの地主園さんのお雛様。立派な享保雛です。五人囃子ではなくって楽人が並んでいるところが京都のお雛様だなあと思わせます。今でもお茶道具は京都の問屋さんから仕入れているとのことでした。酒田はお米の集散地で、酒田の港から日本海を下った船が瀬戸内海を通って大阪に入ったので、京、大阪との関係が深いのです。

 地主園さんでおもしろい御話を聞きました。お武家さん3人が写っている写真の後方に控えているのは、八幡太郎義家、つまり源義家のお人形です。八幡太郎義家は武家の頭領ですから、五月人形なのですけど、地主園さんのお店の人が笑いながら「そのお人形は私に憑りついたんです」とおっしゃっいました。なんでも雛人形を飾り始めた頃、毎晩、夢の中に怖い顔をした男の人が現れて、じっと見詰めていたそうです。それで、まだ表に出していない人形はないかと調べたところ、昭和6年の新聞紙に包まれた八幡太郎義家さんが出てきたという御話でした。義家さんを雛人形を一緒に飾るようになってからは、夢の中に怖い男の人は出てこなくなったそうです。

 平安朝末期の源義家は武勇で知られた人物で、それゆえに白河法皇の院に昇殿を許されたのですが中御門右大臣藤原宗忠は日記「中右記」に世の中のひとは義家の院昇殿は甘心できないと言っていると書いています。
 源頼朝や足利尊氏も源義家を祖としているので、まだ武家というものが世の中で力を持つ前に、武家の時代の基を作った人物と言えるでしょう。
 だから毛むくじゃらの鐘馗様や神武天皇と一緒に並ぶよりは御内裏様の下段に加わりたいとお望みになるのも、もっともなところがあるのです。
 なんてちょっとおもしろく地主園さんの御話を聞きました。お武家様の祖と言っても周囲はお公家さんばかりの時代の人ですから、夢の中に現れても乱暴狼藉は働かずに、じっと見詰めるばかりというのが八幡太郎義家さんらしく感じました。なかなか美男子の八幡太郎義家さんです。

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