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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

セミプロの哲学

2004年07月13日(火)

 パック・イン・ジャーナルは生放送の番組終了後に出演者どうしで雑談をしているとなかなかおもしろいことがあります。時には番組の中の激論が控え室まで持ち越しになることもあります。10日は放送中も穏やかでしたが、番組終了後の話題も、野球の一リーグ制移行で穏やかでした。幸い強烈な近鉄ファンもいなければ、頑固なアンチ巨人の出演者もいなかったので、関西の事情に詳しい評論家の八幡和郎さんから、関西経済のお話を伺うという展開になりました。

 八幡さんは野球もサッカーと同じように二部リーグ制にしたほうがいいというお考えです。そういう話の中で、「セミプロの哲学」という話題が出ました。アマチュアでもなかければプロでもない。ちゃんとお金がとれることができるけれども、お金を目的にしないセミプロの哲学というものがあればいいというご意見にはまったく同感でした。

 野球もサッカーのような二部リーグ制が良いのかどうかは別の議論としても、その話を聞くうちに文学も似たようなものだなあと思いました。同人誌というセミプ集団があって、プロの作家にも緊張感が生まれるという状態が崩れたのは、文芸誌が新人賞で作家を出すようになってからです。

 私自身が同人誌を知らない新人賞から出てきた作家なのであまりなことは言えませんが、セミプロという存在とセミプロの哲学を失った結果の損失は、一般に考えられている以上に大きいのかもしれません。もっとも、私が小説を書くようになった1970年代後半頃には同人誌も勢いを失っていて、弊害のほうが大きいというようなこともよく耳にしました。話として聞くだけでなく、「これは困ったことだ」という光景も目にしたこともあります。それでもその頃は、セミプロの哲学と聞いて思い出す作家が幾人もいました。プロが脱帽する人々でした。

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