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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

旧弊打破と冷笑主義

2018年08月22日(水)

 1969年夏。青森の三沢高校と愛媛の松山商業が戦った甲子園決勝の試合を父とテレビで見た。野球のことを教えてもらった小学校4年生の夏。父は翌年の9月8日に亡くなった。突然死だった。昨日は三沢の太田幸司さん、松山商業の井上明さんがお元気で始球式に登場したのはうれしかった。
 1969年頃は甲子園の強豪校に公立高校がけっこうそろっていた。70年代の千葉県だと銚子商業や習志野高校が常連だった。今年の9月8日は土曜日にあたるから、父の50回忌の法事をやることになっている。甲子園の大阪桐蔭高校と金足農業の試合の間に「法事はどうしたらいいの」という問い合わせの電話とかメールとかが来た。50回忌だから、だいたい50年たっているのですが、50年たっても深紅の大優勝旗は白河の関を越えられない結果に。
 50年前よりも私立の強豪校と公立の学校の格差は広がっている。たくさん大会の経験者がいるのだから、より多くの学校が公平に参加できて、選手が過剰に負担を背負わなくってもいいルールを工夫すればいいのに。まじめにそう思う。
 それを言うのに何も甲子園の野球をバカにした調子で言わなくともいいんじゃないかな。どうも旧弊打破と話をするときに、頑固な旧弊家を小ばかにするスタイルが出来上がっていて、法事なんかもひどくばかばかしいことみたいに言われることもある。甲子園もほかのスポーツの大会もあるのに、甲子園だけ大騒ぎになるから小ばかにするとか冷笑的に見るスタイルが定着している。
 それが今日(こんにち)では旧弊打破の邪魔になっている感じがする。旧弊打破のまえに冷笑主義打破の障害が横たわっているんじゃないかしら。

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