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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

スリップウェア

2012年09月19日(水)

 バーナード・リーチが作陶を始めて今年で100年目だそうです。バーナード・リーチはイギリスの外交官の息子として香港で生まれました。幼少期にしばらく日本で過ごしたこともあったそうです。イギリスで美術を勉強してから日本へ戻り、柳宗悦らに出会い、民芸運動の中心的人物の一人となります。「西洋と東洋の感覚の結婚」をめざしました。

 スリップウェアは工業化する以前のイギリスの作陶方法で、釉薬を流しかけする(スリップさせる)素朴な陶器です。私が最初にスリップウェアに出会ったのは、城戸朱里さんたちと横浜の骨董市へ遊びに行った時でした。「これは本物のスリップウェアだね」と骨董市に出ていた四角い武骨な御皿を見せてもらいました。

 7月、神田の「千鳥」でスリップウェアの技法を使った御皿を3枚買いました。横浜の骨董市で見たものよりもずっと薄手にできているもので、柄は武骨なスリップウェアの特徴がよく出ていました。この技本は最近また作陶をする人に注目されているという話をその時、聞きました。

 島根の玉造温泉で1泊して、翌日、電車を待っている時に駅前に出ていた「湯町窯」の看板に骨董市で見たスリップウェアとそっくりな焼物の写真がありました。それで、電車を待つ間にちょっと寄りこんだところが、たいへん魅力的な品物がそろっていることに驚きました。お話を聞くとスリップウェアの技法は、昭和の初めにバーナード・リーチから直接に教わったものだそうです。昭和の初め、まだ、町でコーヒーなんか飲んだことがある人はいなかったのに、コーヒーカップの作り方を教えてもらったとのこと。横浜の骨董市で見たスリップウェアは武骨過ぎる感じがしましたが、湯町窯のスリップウェアは、良い具合に日本の土と風に馴染んでいました。豆を食べたり、栗を食べたり、芋を食べたりしたくなる器です。

 写真は櫛目の小皿と、櫛目で小さな魚を描いた小皿です。

 数えてみるとそれからもうすぐ90年になろうとしているのですが、その間、長閑に作り続けられた器は、大きさも厚みも色合いも、しっくりと手に馴染んでくるものでした。家に持ち帰って使うと、ますます、馴染みがよくなってきました。

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