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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

ソウルの駐韓日本大使館前の従軍慰安婦少女像

2012年08月23日(木)

 ソウルの駐韓日本大使館の前に従軍慰安婦の「少女像」が建てられたのは2011年12月でした。この少女像の撤去を野田総理が李明博大統領に求めたのも昨年12月のことです。これに対して李明博大統領は従軍慰安婦問題の解決を求めました。これが今回の李明博大統領の竹島上陸、天皇への謝罪を求める発言、そして15日の従軍慰安婦問題解決を促ながす演説という行動と発言の発端になっていると思います。

 この一連の流れについてはネットではなく、活字によるパブリックな発言をするつもりでいました。が、ここ数日、ツイッターを見ていますと、茂木健一郎氏や吉村作治氏など、人気のある人物が新聞が報じる「李明博大統領の豹変」的な内容をそのまま信じたとみえる発言が繰り返し流れていました。そうした内容がそのまま広がって行くことに危惧を覚えました。

 ネットでは、それがHPであれ、ブログであれ、NSNであれ、どのようは内容でもすぐに発言できますし、また、簡単に訂正できます。簡単に内容を取り消したり、訂正したりできます。そうした機動性は、記録としての不安定性と表裏一体です。ですから、2011年の12月から2012年8月に至る日韓の交渉の過程についての私の考えは、記録としての安定性が高い雑誌もしくは新聞などの紙メディアに発表することが好ましいと考えていたのでした。しかし、このまま、乱暴な言論が影響力の大きい人々のNSNで伝播するのは不安なので、これまでに経緯について、私の見方を簡略に書いておきます。

 昨年12月にソウルの駐韓日本大使館前に少女像が建てられたことは前述のとおりです。従軍慰安婦問題は1993年に当時の官房長官であった河野洋平氏の談話が発表され、これが日本政府の見解となっています。この河野談話を日本政府が否定したという話は寡聞にして聞いていません。もともと日本政府の受け取りと、韓国側の主張にはすれ違いがあり、河野談話の評価については、韓国側にも日本側にも不満がありました。1993年8月から2011年12月に至る経緯は複雑なので、今回は省略。

 ソウルの駐韓日本大使館は復元作業が進む景福宮前の安国にあります。安国は王宮前の両班(貴族)の屋敷があった街です。現在は景福宮を訪れる外国人観光客の姿もよく見られる場所にあります。ここの従軍慰安婦の「少女像」が建てられたのです。右翼的な考えの人はこれを「従軍慰安婦像」と言いますが、大人の女性ではなく少女の姿をしているのは、おそらく従軍慰安婦の名誉回復が主題だという運動をする側の考えが反映されているものだと推察されます。野田首相がこの少女像の撤去を李明博大統領に申し入れたのも昨年12月でした。
 日本ではこの野田首相の申し入れはほとんど報道されませんでした。そもそもソウルの駐韓日本大使館前に「少女像」が建てられていることそのものが、あまり報道されていないので、野田首相の申し入れも報道されないという状況になっています。
 これに対して李明博大統領が従軍慰安婦問題の解決を求めたことは「唐突に過去のことを言いだした」というニュアンスの報道がされました。前提の駐韓日本大使館前の「少女像」が報じられていなければ、李大統領の発言は「唐突」に感じられるはずです。

 12月に発端があり、3月、5月と李明博大統領は従軍慰安婦問題の解決を求める演説をしています。これに対して日本政府がなにか応答をしたという報道は、私は見ていません。おそらく何の反応もしなかったのではないでしょうか。6月に入って日本の右翼と思われる人物がソウルの駐韓日本大使館前の「少女像」に「竹島は日本の領土だ」と書いた杭を縛り付けるという事件が起きました。これは私は韓国の中央日報の日本語版で知りましたが、日本国内ではほとんど報道されていません。12月の野田総理の「少女像」撤去要請から6月の少女像に杭が縛り付けられるという事件が李明博大統領の行動と発言の伏線になっていると私は思います。極端な解釈をすると李大統領は2011年12月から2012年6月に少女像を巡って起きた事柄を、逆回転させて見せたという解釈も可能です。

 まず竹島に上陸して、「竹島は日本の領土だ」と書いた杭を少女像に縛りつけた日本の右翼の行動に対応した行動をする(これが8月10日だったかな)そして、大学の講演で天皇は独立の志士に対して謝罪すべきだと発言(これが8月14日だったか)これは日本政府が従軍慰安婦問題に無為無策な態度をとっていることに対して国民的不満が出るとはどういう状態なのかを作り出すという効果をねらったと考えることもできます。実際これ以降、「韓国は日本へ謝罪しろ」の大合唱になりました。そして15日に従軍慰安婦問題の解決を求める演説をして、問題を昨年12月の時点にまで戻すという流れだったのではないでしょうか。

 これが政策的に見て良い政策であったのか、まずい政策であったのかは私には解りません。ただ、解っていることは李博明大統領は2012年12月には任期切れで退任が決まっているので、かなり思い切った態度に出て、日本に従軍慰安婦問題の解決を迫ったことだけは確かです。そしてそれは駐韓日本大使館前の「少女像」撤去をも視野にいれているものと思われます。私が危惧するのはもともと発端の「少女像」についての報道が日本でなされていないために、日本側の言論がどんどんと歪んだものになって行くことです。

 昨日(8月22日)も日本の右翼がソウルの従軍慰安婦博物館と歴史問題研究財団に「竹島は日本の領土だ」という杭を打ち込むという事件が起きています。これについては韓国の警察が捜査中です。また橋下大阪市長は「韓国大統領が突然、歴史問題を蒸し返して豹変」という新聞報道を信じ切ったのか、ネトウヨなみの不用意な発言をしています。茂木健一郎氏、吉村作治氏のツイッターでの発言も、新聞報道を信じ切っているために出た発言と思われます。

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