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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

琉球大学へ行く

2012年07月24日(火)



 今年は琉球大学の国際沖縄文化研究所の客員研究員という身分をいただいています。琉球大学での研究テーマは「島尾敏雄の『南島研究』の研究」というものです。
 島尾敏雄は「死の棘」の作者として有名です。「死の棘」は妻と夫の諍いを描いた小説で、小栗康平によって映画化もされています。この作品のテーマは一口で言えば、時間が過ぎて行かずに反復を繰り返すというものだと言えるでしょう。反復する時間というテーマは1945年以降の日本文学では様々な描き方をされています。また1990年代以降は「うつ状態」の心理と言うスタイルとなって現代文学のテーマとされている場合もあります。

 私が大学へ入った1978年という年は戦後33年。年忌供養で言えば1945年から34回忌ということになります。一般には34回忌というのはあまりやりませんから、翌年の1979年の35回忌というのがちょうど一区切りの年忌として法事が行われることが多いようです。35回忌の次は何回忌になるのか、たまに耳にするのは50回忌とか100回忌ですが、供養される人と供養する人が共に生きた時間を持っているのは、35回忌くらいまででしょう。子どもの頃、私の家に来ていた呉服屋さんは「親の35回忌をさせるなんて、親不幸ならぬ子不幸だ」と笑ってました。
 私の場合はあと6年もすると父の50回忌の年と母の35回忌の年が同時に巡ってきます。さすがに50回忌になるとかなり遠い昔です。
 話が脱線しましたが、私が大学へ入った翌年には太平洋戦争終結から35回忌の年忌の年が巡ってきたのです。国民国家の戦争という体験が、国民共通の「死」の体験であったとすれば、私が大学生の頃には、その体験はそろそろ清算をされる時期に入っていたのだと言えるでしょう。

 現代文学のテーマに「時間の反復」というものがあることを知ったのも大学生になった頃のことでした。その「時間の反復」を切実にかつリアルに描いた小説が島尾敏雄の「死の棘」でしょう。「死の棘」に対して「南島研究」は前に開ける時間を、文学のリアルな言葉で捉えようとした作品群だと言えるでしょう。その多くはエッセイという形をとっています。また「南島研究」で島尾敏雄は「ヤポネシア」という概念を見つけ出しています。日本列島から琉球弧、台湾、フィリピン、あるいは北海道からアリューシャン列島へと連なる島々として日本を見るという視点の発見に喜び、また、その視点が発展することをせつに願っています。

 島尾敏雄が海軍の魚雷艇特攻隊長として終戦を迎えたのは奄美大島諸島の加計呂麻島でした。また、終戦後移り住んだのは奄美大島の名瀬市でした。ですから「南島研究」をするなら奄美大島に滞在するのが、直接的には正解なのかもしれません。琉球大学を選んだのは、沖縄タイムス社の新沖縄文学賞の選考委員としているご縁から琉球大学の山里勝巳先生を知っていたこともあります。ただ、そういう便宜的な側面ばかりではなく、1945年以降の時間が刻銘な刻印を残している場所としての沖縄ということも意識していました。

 琉球大学はアメリカ民政府によって1950年に設立された大学です。朝鮮戦争はこの年の6月に始まっています。1952年には奄美大島に琉球大学大島分校が設置され1953年12月に奄美大島の本土復帰のために分校が廃止されました。1966年に琉球政府の府立大学となり、1972年沖縄の本土復帰により国立大学となりました。校舎は首里城跡にありましたが、1977年から84年にかけて現在の千原キャンパス、上原キャンパスに移転したそうです。
 私は1981年の初秋に初めて沖縄へ出掛けていて、ちらりと首里に残っていた琉球大学の校舎を見ています。現在のキャンパスは西原町、中城村、宜野湾市にまわがる広大なもので、西に東シナ海、東に太平洋を眺めることができます。今年は沖縄本土復帰40年の年に当たります。

 島尾敏雄の「南島研究」は「死の棘」からの脱出の文学的記録でもあるのですが、もうそんなことに興味を持つ人はそんなにいないだろうと、歎息しつつ、このテーマを選んだのは、1945年から35年目あたりから、時間が前へ進まないという現象と付き合わざるえなかったという感慨を持ったからでした。現代文学にかかわることは、すなわち時の反復につかまることだったという感慨が私にはあります。1945年からの30年は、鋭敏な感受性を持った人によって「死の棘」は意識されていましたが、1980年からの30年は、もっと一般的に広く薄く、時間が反復されるという現象に包まれていたようです。経済状況は90年以降を「失われた10年」あるいは「失われた20年」と呼ばれますが、その前の85年から90年へのバブル期も含めて「時間の反復」はすでに多くの人の感情生活を浸食していたのだと、感じています。だから多くの人に興味を持ってもらえなくっても、島尾敏雄が「南島研究」で前進する時間をどう捉えていたかは、私にはひどく興味深いテーマです。

 丘の上の琉球大学で、西に東シナ海、東に太平洋を眺めていると、それだけで島尾さんのエッセイを読む心地がいきいきとしてきます。

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