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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

思い出すことども

2012年03月14日(水)

 3月11日から3月12日にかけては、大よそを記憶しているのですが、そのあとの記憶がひどく曖昧。3月12日の午後、福島第一原発の一号機が爆発した頃までは、だいたい時系列で覚えています。調べたら3号機の爆発は14日の午前中でした。これはネットで映像を見てかなりびっくり。

 このあとがどうも時系列の記憶がないのです。近所のお米屋さん電話で、お米と水のペットボトル12本と灯油を一缶注文したのはいつだったか?12日の午後だったか、13日だったか、はっきりしません。電話で注文した時には、もう水のペットボトルは品薄なので店に買いに来てくださいと言われました。買占めをするな、買いだめをするなの大合唱が始まる少し前のことでした。「買占め、買いだめをするな」の大合唱には、私は大立腹!品物がいつころ出回るのかの見通しの情報をちゃんと出してくれれば、誰もいらんものなんか買いません!と激怒してたのを覚えてます。

 飯田橋の駅前の交番のところにパトカーが、新見附橋の交差点に消防自動車が停車しているのを見かけたのはいつだったか?3月23日に法政大学へ出かけているので、その時ではないかと思うのですが、はっきりしません。原発事故の影響が出た場合の広報用に待機しているのかなと推測しました。が、これもうっかり表だって言えませんでした。アエラが「東京に放射能が振ってくる」という特集をして、非難されていた時期と重なっていました。いろんな人と話してみると、ネットで情報収取している人と、テレビのニュースだけの人では原発事故についての認識に大きなずれがあるのを感じたのもこの時期でした。

 新聞連載の挿絵でお世話になっている画家の宮本恭彦さんの義姉さんが「避難しませんか」とお電話をくださったのもこの前後。東京の水道水から放射性物質が出て乳幼児には飲ませないようにと言われたのが、いつだったか?娘はお風呂に入って、このお湯にも放射性物質が入っているのかしら?と首を傾げていましたが、私も同じことを考えていました。

 あと印象的だったのは、地下鉄の駅の売店の売り子さんが週刊誌を並べながえら「なんで、こんな報道ばかりするんだろ」って文句を言っていたことです。週刊誌の表紙は凄惨な津波被害の写真ばかり。「こんなもの並べて売りたくない」と言ってました。3月11日から4月初め頃までの「不安にさせないで」「安心したい」という圧力は相当なものがありました。日常的なマスコミ不信と不安になりたくないという心理がないまぜになっている様子が見てとれました。

 学生と話しをしていたら「被災地では中国人による略奪や強姦事件が発生している」と言う話が出てきたのは3月28日でした。話を聞いてみると、流言飛語のパターンに当てはまるので、懐疑的になりました。そういうことがあるのか、ないのかはわからないので、用心するに越したことはないと前置きをしてから、一般的な流言飛語のパターンを説明しておきました。そのパターンによくあてはまる話だったのです。

 計画停電の対象になったのは2回。1回目は夕方で、まだ明るかったので、そんなに不便は感じませんでした。2回目は夜。やることがないので、ろうそくをともしてお風呂に入ってました。ただお湯が冷えても追い炊きができないので、風邪をひきました。

 東武デパートへセルロイドの石鹸箱を買いに行ったのは、計画停電の始まる前だったかもしれません。明け方に配達された新聞の折り込み広告を見て、どうしてもセルロイドの石鹸箱が欲しくなったのです。というよりも、なんでもない買物に出掛けたくなったのですが。行きの地下鉄はがらがら。すいてました。帰りはぎゅうぎゅう詰。大停電になる恐れがありと、海江田大臣が緊急記者会見をして、それで、みんな、一斉に帰宅を急いだためでした。

 桜の花がいっぱい咲いたお堀端の土手を歩いたのは、もう4月になってからかもしれません。いつもなら新入生が大勢いるはずの大学も5月まで開講が延期になり、ただ桜も花が満開になっていました。

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