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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

鎌倉 鶴岡八幡宮の大銀杏ひこばえ

2011年06月10日(金)



 鎌倉の鶴岡八幡宮は懐かしいお社です。子どもの時のなじみのお社は金沢八景の瀬戸神社。館山へ移ってからは船形の崖観音と那古観音。鎌倉の鶴岡八幡宮は、子ども時代に境内で遊んだお社とはちょっと違って、なんだか晴れがましくなつかしいところがあります。

 小学校の修学旅行は金谷から東京湾フェリーに乗って鎌倉、小田原というものでした。鎌倉の八幡様の石段で撮影した集合写真を持っています。でも私はそのなかに写っていません。風邪を引いて熱を出したものだから修学旅行に行けなかったのです。で、翌年のお正月、母と叔母に鎌倉へ連れて行ってもらいました。鶴岡八幡宮へ行ったのはその時が初めてでした。金沢八景育ちの母や叔母はもちろんもう何度も出かけているお社です。鎌倉に行くなら駅前の豊島屋の喫茶室に寄ろうと、母と叔母が相談していたのを覚えています。このお社が、なんだか晴れがましく懐かしいのは、そんなことも関係しているのかもしれません。それから、30代の頃は、鎌倉在住の富岡幸一郎さんたちに誘われて、夏に鎌倉の飲み会をやってました。そいうことも懐かしさにきらびやかさを加えている理由になっているのでしょう。

 城戸朱里さんに芸術選奨新人賞を受賞されたお祝いを差し上げたいと言ったら「鎌倉の宴会!」という御返事が来て、それが震災やら原発事故でのびのびになっていました。で、約束を果たしに鎌倉へ。藤沢周さん、八木寧子さんも加わってささやかな祝宴を楽しんできました。



 八幡様の大銀杏が強風のために倒れたのは、1昨年の秋のことでした。一度、様子を見に行きたかったので、城戸朱里さんとは大銀杏の前で待ち合わせました。紗の覆いで保護された大銀杏の株からひこばえが出ているというニュースは聞いてました。



 紗の覆いをどれどれと覗き込んでみると、おおきな株の中からにょきにょき。出ているではありませんか、幾つものひこばえが。いや、もうひこばえと言うにはやや大きくなりすぎていて、若木と呼べそうな大きさに育っていました。一本の大木が倒れて、そのあとに、若い木の林が生まれつつあるのを見てきました。



 地上の幹は折れて倒れても根はまだ生きているのです。生きている根は、もう一仕事もふた仕事もしてから、だんだんとこの世を去ってゆく様子です。根を張るというのはそういうことなのでしょう。大木が倒れたあとに若木の林が出来て、若木の林の中から強い木が、ほかの木々を圧倒してまた大木になる。その間に100年ぐらいが過ぎて行く。紗の覆いの中を覗きながら、そんなことを考えました。もっとも、紗の覆いに注連縄が張られた大切な木ですから、ひこばえの根本には栄養剤が注入されていて、たくましさよりはやや過保護? な様子も見て取れました。

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