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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

「助けてと言えない 30代に今何が」

2010年10月31日(日)

「助けてと言えない 30代に今何が」(文芸春秋社)を読みました。なぜ読んだかと言うと、あることで思い当たるふしがあったからです。

 まず思い当たるふしというのは「今の30代は頑張っても良いことがなかった」と言う話を身の回りの30代の人からよく聞いていたことです。確かにそうです。ただ「助けてと言えない」という標題になっているような状態については、頑張っても良いことがなかったからではなさそうな気がしていました。

 本間洋平の「家族ゲーム」がすばる新人賞をとったのは調べてみると1981年のことでした。森田芳光監督で映画化されたのは、1983年。今の30代の人が生まれた少しあとのことです。私の息子は1982年生まれ。娘は1983年生まれ。ついでに私の家族のことに触れておくと、1983年に脳梗塞の大発作を起こして母が寝たきりになりました。それで亡くなったのが1985年のお正月。私自身にとっては印象の深い時期なのです。「助けてと言えない」を読んでみようと思ったのは雇用問題や貧困問題を社会保障の観点から考えようとするのではなく、その裏にある心情や心境を探ろうとしているらしいことが、ツイッターの書込みで解ったためでした。本間洋平の「家族ゲーム」はかなり話題になった作品で、映画化されると家族が横並びになって食事をとっているスチール写真をよく見かけました。

 家族がばらばらになっている、家族が解体していることの象徴として映画「家族ゲーム」のスチール写真が使われていました。ここで私は家族のきずなを取り戻すべきだと言いたいわけではありません。ただ、この30年を思い出しただけです。私自身もその当時、ちょうど家族を持ったばかりだったわけで「助けてと言えない」30代は、他人事ではないのです。卓袱台を囲んだホームドラマから横並びの個食の時代と言われたのも、ちょうどその頃でした。

 その頃、何を考えていたかと言えば、一番、考え込んでいたのは「内面の問題を話す人がいない」と言うことでした。それまでの卓袱台家族が横並びカウンター家族になって行くときに、心の中のことを打ち明けられる相手がいないという気がしきりにしました。孤独じゃなくって孤立している感じです。これは、その後、私自身だけの悩みではなく、そういう悩みを持った人に次々と遭遇して行くことになります。
 
 私は東京郊外の集合住宅で子どもを育てたのですけれども「他人に迷惑をかけない」という徳目が教育の一番の徳目になっている場合が多いのにも当惑しました。「他人に迷惑をかけない」の裏側には「他人には干渉しない」主義があって、それは多様な事情を持っている人が住んでいる集合住宅では仕方がないことなのかと、受け止めてはいました。ただ、徳目としては不寛容で、なんと言うかちょっと狭量な感じがしました。これは昔、エッセイに書いています。「困っているときはお互い様」とか「ある時払いの催促なし」とか「出世払い」とか、そういう寛容を示す徳目はほとんど聞いたことがありませんでした。

 あと割り勘勘定の徹底。これもけっこう大事に守られていたルールでしたけれども、いささか窮屈に感じられることも多々ありました。割り勘で貸し借りなしにするのは気持ちが良いのですけれども、それが気持ちよく成り立つのは、みんなが同じくらいの給料をもらっているときだけです。懐が寂しいときは「ドンブリ勘定」にしてもらって、なんとなく面子を立ててもらうほうが楽なのですけど、そういうのは駄目でした。なんなら出世払いにしてもらってもいいんですけど、そんな冗談も言えないようなかたくなな雰囲気がありました。時間の感覚が前へと伸びずに、その場で終わってしまうのです。

 ファミリーレストランで、けわしい顔をした家族がまずそうにご飯を食べているのを見かけたのも、よく覚えています。バブルの頃です。あの頃、景気がよくって世の中の人の機嫌が良かったかというと、そうではありませんでした。なぜなのかは解りませんが、家族でそろって不機嫌になっているという場面によく遭遇しました。貧しかったときのほうが、家族の絆は強かったなんて話をたびたび聞かされたものです。私が自動車免許をとったばかりの頃、郊外にファミリーレストランがどんどんと建って、あっちこっちへ出かけたものですけど、そのたびにそういう不機嫌な家族に遭遇しました。もう、忘れた人も多いかもしれませんが、そういう不機嫌な家族の様子を描いたCMさえありました。ある焼肉のたれのCMで母親がヒステリックにバーベキューを焼いているというものがあり、それはリアルなCMとして話題になっていました。私はそのCMがリアルであればリアルであるほど苦い思いをしました。思い描いたような「楽しい場面」が演出できなかったためにヒステリックになっちゃう母親のひとりでしたから。家族の解体というよりも、心情の解体の証拠を突きつけられるような苦味がありました。

 弱者救済ということがよく言われていました。あまりにも弱者救済が言われすぎて、自己責任という言葉が出てきたのはその後です。「助けてと言えない いま30代に何が」を読むとその自己責任という言葉は一人歩きをしている様子が伺えます。今の30代の人が自己責任という言葉で、自己防御をしている様子は「助けてと言えない」の中で取材を通して描かれています。それを読みながら、心情の解体の後に世界的に不況に襲われるという時代の流れを思い出したのでした。

 思い出したからどうってことはないんですけど、そういうことです。そのほかにも、思い出すことはいろいろとあってきりがないくらいです。絆なんて言葉では語れないような、心情の解体の30年を生きてきたんだなあという感慨のようなものがそこにあります。だって家族のしがらみから逃れて自由になりたいって希求が30年前にはあって、不機嫌な家族が、機嫌を直さなくってもなんとか経済破綻しないで生きていけるという現実もそこにあったことをあまりにも鮮明に覚えているのですから。言いたいことは何もありません。ただ、思い出すだけです。問題を解決するのではなくって、ただ思い出すだけということがひどく大事なことだと、そう感じられるのです。

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