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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

しちめんどくさい

2010年10月12日(火)

 伊藤さん おはようございます。

 昔の人はなんだって、ああ、うるさかったんだろうって思うことはありますね。だって、何でもかんでも「できてあたりまえ」で「できなきゃ馬鹿かアホ」だったから。料理でも裁縫でも編み物でも。すぐに怒るし、不機嫌だし。いったい「なんだったんだ?」って思い出してへんな気がすることがあります。

 それでもって「馬鹿」とか「あほ」って言われなければ、案外、出来ちゃったりするから。そんな感じ。で、お祝いの話ですけどねえ。昔風なやつも楽しいけれども、今風にアレンジしちゃってもいいなって思うのもあります。あたしが好きだったのは「一升餅」かな。赤ん坊が生まれて、100日目くらいに、一升のお米で御餅を作ってもらうの。その餅を赤ん坊に背負わせるんです。そうすると「一升餅」で「一生」食べるのに困らないんですって。「へえ」って感じで、上の息子に御餅を背負わせたら、真っ赤な顔でうんうん唸ってました。重かったんじゃないかな。

 お祝い事って、一人じゃ出来なくって、周囲の人が一緒に「おめでとう、おめでとう」って言ってくれないとそういう感じが出ないですねえ。「お祝い」が一番、人間が群で暮らしていたときの感覚が残っているんじゃないでしょうか? 学者はそういう祝い事の感覚が薄らいどでいるのを「共同体の空洞化」なんて言うんだけど、時々、「自分の言っていることが解っているのか」って言ってやりたくなることがあります。人間が猿より頭が悪いんじゃないかと思う瞬間ってのは、自分で自分の言っていることの意味が解らなくっても、喋れてしまう場面に遭遇した時ですね。自分も含めて。

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