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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

小池知事への抗議声明

2017年09月27日(水)

小池都知事の朝鮮人虐殺犠牲者追悼メッセージ取りやめに抗議します。

いとうせいこう(作家)            
小沢信男(作家)
加藤直樹   (ノンフィクション作家)    
香山リカ(精神科医)         
斎藤美奈子(文芸評論家)           
坂手洋二(劇作家・演出家)
島田虎之介(漫画家)             
島田雅彦(作家)
鈴木 耕 (一般社団法人マガジン9代表理事)
田中正敬(専修大学文学部教授、歴史学)
永井 愛 (劇作家・演出家)         
中川五郎(フォーク歌手)
中川 敬 (ミュージシャン/ソウル・フラワー・ユニオン)
中沢けい (作家)              
中島京子 (作家)
平井 玄 (路地裏批評家)          
平野啓一郎(小説家)
平松洋子 (エッセイスト)          
星野智幸 (作家)
森まゆみ (作家・編集者)           
山本唯人 (東京大空襲・戦災資料センター主任研究員)
吉野 寿 (ミュージシャン/eastern youth)        (以上、アイウエオ順、敬称略)
    
9月17日追記:声明発表以前に賛同をお願いしていた、
いとうせいこうさんより「賛同する」とのご返事をいただいたので、掲載します。

 私たちは、9月1日に行なわれた朝鮮人虐殺犠牲者追悼式典に対しての追悼メッセージ送付を取りやめた小池百合子都知事の決定に、抗議します。多民族都市・東京の多様性を豊かさとして育んでいく上で、関東大震災時の朝鮮人虐殺という「負の原点」を忘れず、民族差別によって非業の死を遂げた人々を悼むことは重要な意義をもっていると考えます。
 1923年9月1日に発生した関東大震災では、都市火災の拡大によって10万5000人の人々が亡くなりました。その直後、「朝鮮人が暴動を起こした」「井戸に毒を入れた」といった流言が広まり、関東一円で朝鮮人や、朝鮮人に間違えられた多くの人々が虐殺されました。
 このとき、内務省や警察が流言を拡散してしまったことが事態を悪化させたこと、一部では軍人や警官自らが虐殺に手を染めたことは、内閣府中央防災会議がまとめた「1923関東大震災報告第2編」でも指摘されています。
 東京に住む人々が隣人である朝鮮人たちの生命を奪い、それに行政が加担したのです。歴代の都知事が、横網町公園の朝鮮人犠牲者追悼碑の前で行われる虐殺犠牲者追悼式典に追悼のメッセージを送ってきたのは、「二度と繰り返さない」という東京都の決意を示すものでした。またそれは、1973年の追悼碑建立の際に当時の都知事はもとより東京都議会の各会派が賛同した経緯をふまえたものでもあったはずです。碑の建立と毎年の追悼式に参加してきた人びとの思いは決して軽くはありません。
 ところが小池都知事は今年、メッセージ送付を取りやめました。私たちは、この誤った判断が、むしろ「逆のメッセージ」として機能することを恐れます。史実を隠ぺいし歪曲しようとする動きに、東京都がお墨付きを与えてしまうのではないか。それは追悼碑そのものの撤去まで進むのではないか。差別による暴力を容認することで、災害時の民族差別的流言の拡散に再びつながってしまうのではないか――。メッセージ取りやめが、そうした方向へのGOサインになってしまうことを、私たちは恐れています。
 東京は、すべての国の人々に開かれた都市です。さまざまなルーツをもった人々が出会い、交わる街です。その出会いが、この街に次々と新しい魅力を生み出してきました。多様性は面倒や厄介ではなく豊かさだと、私たちは考えます。街を歩くたびに聴こえてくる様々な国の言葉は、東京の「恐ろしさ」を示すものではなく、豊かさの証拠であることを、私たちは知っています。
 東京の多様性をさらに豊かさへと育てていくためには、民族をはじめとする差別が特定のマイノリティー集団に向けられる現実を克服していく必要があります。民族差別が暴力として爆発した94年前の朝鮮人虐殺を記憶し、追悼し、教訓を学ぶことは、そのための努力の重要な一部であると、私たちは考えます。それは、多民族都市・東京のいわば「負の原点」なのです。
 私たちは小池都知事に訴えます。来年9月には虐殺犠牲者への追悼メッセージをあらためて発出してください。虐殺の史実を教育や展示から排除するような方向に、これ以上進まないでください。
 そして、いま東京に生きている、あるいは東京に縁をもつ人々にも訴えます。94年前に不当に生命を奪われた隣人たちを悼み、それを繰り返さないという思いを手放さないでください。虐殺の史実を隠ぺいし捻じ曲げる動きを許さず、未来の世代に教訓として伝えていくべきだと、行政に、都議や区議に、声を届けてください。そのことが、多様性が豊かさとして発揮される東京をつくっていく上で重要な意義を持つと、私たちは考えます。

                  2017年9月15日
             声明とりまとめ▶加藤直樹
             
声明についての連絡先   ▶seimei1923@gmail.com

私は貝になる。あいた口がふさがらないばか貝。

2017年09月25日(月)

朝日新聞は以下のような麻生太郎副総理の発言を伝えている。
 
「麻生太郎副総理は23日、宇都宮市内での講演で、朝鮮半島から大量の難民が日本に押し寄せる可能性に触れたうえで、「武装難民かもしれない。警察で対応するのか。自衛隊、防衛出動か。射殺ですか。真剣に考えなければならない」と語った。」

「射殺」と、これが副総理の言うことか。レイシストなみの頭ならすぐに辞任を。難民は保護の対象でしょう。
 さんざん、Jアラートで騒いだくせに、麻生副総裁は難民対策で「警察か防衛出動か射殺か」と発言なんて言語道断。難民対策をまったく考えてこなかった証拠。今日は新宿ではヘイトスピーチデモがあったこの状況で、まったく治安維持についての見識を欠いた発言。政治家の自覚欠如。
 安倍首相は難民対策に不見識極まりない発言をした麻生副総理をただちに罷免すべき。そうでなければ、治安維持に不安を残す。まず加害者を出さないという姿勢を明瞭にして、被害者を出さずに済む。へたをすれば難民保護で加害責任を問われかねない発言。武装した難民は当然予想される。それを武装解除させどう保護するのかは、経験の浅い日本の行政組織(警察、自衛隊など)にとってかなり重くむずかしい課題となる。麻生副総理のようなジェノサイドを扇動するかのような軽率な発言はとうてい容認できない。
 昭和16年1月8日(日米開戦はこの年の12月8日)陸軍大臣東条英機が示達した訓令の一節に「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」とある。有名な一節。一方で捕虜の人道的な取り扱いを決めたジュネーブ条約について、教えられることがなかった将兵が多い。後に捕虜虐待でB級戦犯の罪に問われた人を多く出したのは、国際条約についてほとんど教育しなかった日本軍上層部の責任がしばしば指摘されている。
 同じことが現在も起きている。沖縄の辺野古で機動隊の隊員から「土人」発言が出た時も、現場の機動隊員は罰せられたが、松井大阪府知事や鶴保沖縄担当大臣は行政官(この場合は機動隊員)に対する教育の責任を負っているにもかかわらず何ら罰せられることはなかった。むしろ「土人」発言を肯定するかのような発言を繰り返し、表面的には機動隊員をかばっているかのような姿勢をとりながら、政治家としての責任放棄に終始した。
 集団的自衛官を認める安保法制改訂(それ自体には反対)でも国外への自衛隊出動が予想されるのに国際条約との整合性はとられていないと聞いている。B級戦犯処罰の不条理から生まれた反省はまったくいかされていない。そこへ今度の「武装難民を射殺」の麻生発言が出た。50歩譲って麻生発言が反語で「武装難民を射殺してよいものか、いやそうではなかろう」という趣旨であったとしても、日本も批准している難民条約が頭にあればそういう反語は出てくるはずもない。また昨夜から、この発言を反語ではなく、真に受けていると思われる@つきのツイートが幾つも届いている。政府は難民を保護する責任を負っているという説明(教育)を抜きに、麻生発言を真に受けた結果、惨事が起きれば、加害責任を問われるのは現場の(もしくは末端の)加害当事者だ。沖縄の「土人」発言で、行政上の責任を政治家がとることはなく末端の機動隊員だけが処罰されたのと同じことが起きる。麻生発言は軽率でばかばかしい。でも副総理の発言だ。どんなに御本人がことの重大さを理解していなくとも、その責任は問われる。いや「軽率でばかばかしい」から余計に責任を追及される必要がある。

 麻生発言は言語道断だが、Jアラートや迎撃ミサイル配備などに比べると難民対策に言及している点で、実際的対応になっていることが気になる。米国は爆撃機を北朝鮮領空近くまで派遣。威圧と挑発のぎりぎりの境目に踏み込んでいる。米国、北朝鮮ともしだいに引っ込みがつかないところまで来ているのか。

「私は貝になりたい」はB級戦犯の不条理を描いたドラマだが、心境としては「私は貝になる、空いた口がふさがらないばか貝」って感じ。

金沢八景と松茸

2017年09月18日(月)

 昨日は金沢八景へ。1年ぶり。京急八景駅前の再開発のことは聞いていたけど、山を崩しての再開発なので、平潟湾からの風の流れが変わる再開発。駅前にゴリラのいるパチンコ屋さんができた時の駅のの匂いが変わったけれども、今度はもっと変わる様子。権現山も様変わり。公園になるんですって。千代本の伯父と昔の話。京都の話になって宇治の平等院から宇治川を近江の方向へ遡ると明媚だったと聞いた。今度、行ってみよう。で、都の公達はあそこまでどうやって通ったのだろう?と聞いてみると「たぶん川舟じゃないかな」という返事だった。ああ、やっぱりと納得。
 宇治と嵯峨野へ行ってきたという話から松茸を干すという話になったので、朝鮮族の人からもらった干し松茸のことを言うと戻し方を教えてくれた。水で戻す時にお酒を入れるといいんですって。丹波のお百姓さんが豊かなのは松茸がとれるからだと。中国産の松茸が出回る季節になりました。
 千代本の伯父は若い頃、京都の大学へ通っていて、週末に夜行で八景へ戻り、日曜の11時過ぎに出る各駅停車の列車で京都へ戻ったとのこと。沼津あたりまでは酔客が多かった。それからだんだん人が減って名古屋あたりまでは寒くて寂しい。朝になると今度は通学の高校生が増え、京都到着は昼頃とか。今年87歳の伯父だから、終戦の時は旧制中学の生徒で、学徒動員で追浜の工場へ出ていたそうだ。京都の大学院へ通っていたというのは昭和30年代の前半の話じゃないかと思う。ちゃんと聞いてないけど。

ヤルタ・ポツダム体制の終焉

2017年09月04日(月)

 北朝鮮が6回目の核実験を9月3日に実施。過去よりも大規模で水爆だと表明した。これに伴う各国の対応が次々と伝わってくる。
 ヤルタ・ポツダム体制の終焉と中華人民共和国が世界の中で発言権を得て行くプロセスを見ている。これがどういうドラマを生んでゆくのかは、まだ誰も知らない。
 ヤルタ・ポツダム体制、中国は蒋介石の中華民国だった。戦後、中華人民共和国成立。直後に朝鮮戦争勃発。それが今や、中華人民共和国主席が米国大統領の経営するリゾートホテルで晩餐。ソビエトは崩壊後ロシアに。日本は東西冷戦の影響もさることながら、ヤルタ・ポツダム体制の中にいたのわけか。
 ヤルタ・ポツダム体制の成立と東西の冷戦構造の成立の間には「時差」があったことを、いまさらに気が付いて驚いている。

   
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