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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

澤会(沢田研二ファンクラブ)に入る。

2017年07月27日(木)

ファンクラブに入ちゃった。だって、そうしないとチケットが手に入らないんだもの。

 3・11の震災前まで助手をしてくれていたフカノちゃんが「武道館のジュリー祭りに行ったんです。すごいんです。『我が窮状』という護憲の歌を歌っているんです」と言ってカラオケで猛烈な高音でジュリーの歌を歌いまくるのを唖然として見ていたのが10年前。へぇ、ジュリーファンってすごいなあと。
 沢田研二さんは宇都宮健児さんが最初に都知事選に立候補した時、荻窪駅前に応援演説に駆けつけた。荻窪駅前は沢田研二を見たい人でいっぱい。だんだんと助手だったフカノちゃんの言うことが分かってきてコンサートチケット欲しかったんだけど。なかなか手に入らない。すごく自由な感じがして好き。 夜の青梅街道をタクシーで走りながら評論家の秋山駿さんに「すごく歌を愛している感じがひしひし伝わってくる」という話をしたのはジュリーの荻窪街宣より前。だって、荻窪街宣の時はもう秋山さんは亡くなっていたから。「ああ、そりゃ、いいなあ。そりゃ、いいなあ」って秋山さんに頷いてもらった。
 あ、違うなあ。宇都宮健児さんが都知事選に最初に出たのは2012年の12月だから、秋山駿さんに沢田研二の話をしたのは荻窪街宣の後だった。青梅街道を車で走りながら「ここに沢田研二が来て」と話の種にしたんだった。あれが秋山さんをおうちまで送っていった最後かもしれない。

憲法と奈良漬け

2017年07月21日(金)

 法政憲法の会の学内勉強会。御来場いただきました皆さまありがとうございました。おかげさまで建石真公子先生の「憲法9条に自衛隊を挿入する憲法改正ー軍隊と立憲主義に関わる問題点」たいへん盛況でした。学内勉強会ですが一般の方にも公開しております。次の学内勉強会も御案内するつもりです。 法政・法学部の建石真公子先生のお話は民主主義による軍隊統制は200年の歴史を持っている(まだ200年でしかない)展、集団的自衛権は国際条約と国内の自衛隊法の整合性が取れていないという指摘など興味深い視点がたくさん盛り込まれていました。
 勉強会を終わってBTのロビーで院生諸君と雑談をしていたら、別の会合に出席していた島田雅彦さん現る。「じゃ、島田先生を引きずり込んで飲みに行こう」ってことになりポン・ヌフへ。すずかけの樹のしたで白ワインにするか赤ワインにするかと考えていたら島田さん「両方飲めばいい。」と実に明瞭。なぜか奈良漬の話になり、奈良漬を包んでいるミソの部分が旨いと島田雅彦さん。「あれでちびちび日本酒をやってもいいし、野菜を漬けると浅漬けの奈良漬ができる」と。で、今朝は西瓜の奈良漬で朝ごはん。奈良漬は大きな瓜とよりかわいい西瓜が好き。

し〜ちゃんがお話をはじめました。

2017年07月20日(木)



 し〜ちゃんは「おはっ」と言うようになりました。し〜ちゃんはお名前を呼ばれると(小さな声で)「は〜〜い」とお返事します。お水を飲みたい時は「のむ」と手をだします。ごはんは「まんま、まんま」と喜びます。うんちが出ると「でた」と教えます。さよならする時は「ばいば」と手を振ります。「ばばちゃん」と呼んでくれるまであともう少し。

熱海の杉本苑子旧邸 「彩園」

2017年07月20日(木)

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 熱海に先日亡くなられた杉本苑子さんのお葬式に行ってきました。御葬儀は起雲閣で内々のお式ということだったので、献花だけのつもりで出かけました。
 写真は杉本苑子さんの旧宅「彩園」の書斎からみた初島方面の海。ふだん「彩園」は日曜日だけ開館しているそうだが、今週に限っては毎日開館して記帳を受け付けている。
 今のお宅は「彩園」から少し離れた場所にあり、いずれ文学館として公開する予定だと聞きました。
 熱海の駅で待ち合わせた文芸家協会の職員の小俣さんから「彩園」が開いているから、記帳だけならそっちへ行ってはどうかと教えてもらい、お葬儀が行われた起雲閣の記帳所ではなく「彩園」へ行って、管理人さんと静かにお話をしてきました。「彩園」は「彩苑」で杉本さんがご自宅の名前として付けられたとのこと。あとで「あ、彩園は才媛か」と気付きました。お葬式に行ったというより、なんだか内緒で杉本さんのところへ遊びに行った感じ。
 杉本苑子さんが女流文学者会の会長をしていた時に、津島佑子さんと私の二人で会計をやったような記憶があるのですが、これが妖しい記憶で、あてになりません。というのは会計上の御相談を会長の津村節子さんにした記憶もあり「はて、どっちだったかしら」と本人が首をかしげているしだい。
 その後、津島佑子さんが会長で、私が補佐をして女流文学者会を解散することになったのです。任意団体だからわざわざ解散を宣言しなくってもよさそうだと思われるかもしれませんが、女流文学者会には少しだけ財産があり、それを有効活用して解散しようということになりました。中央公論社新社の「女流文学者会の記録」はその時に作った本です。で、この本を編集する時に会員の皆さんの記憶がばらばらでいったいどれがほんとなのか分からないかったのですが、あれは、どうしたってああなるなあと、なんだか今頃になって納得してます。

 杉本苑子さんは吉川英治さんの内弟子だった。以前、ちょっと聞いたところでは古本屋さんとのおつきあいや本の整理が弟子の仕事だったと。杉本苑子さんの著書に「滝沢馬琴」がある。あれにはきっと吉川栄治の面影が隠れているに違いない。読みたいけど、いろいろ追い掛け回されていて(苦笑)
 あ、吉川英治の最晩年の作品は「私本太平記」だったっけ。そうだった。(何に気づいたか本人もまだよくわかってないんだけどな)

   
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