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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

今日は沖縄戦終結の日

2017年06月23日(金)

 沖縄戦の悲惨は大勢の人が無残に亡くなったところにあるけど。勝つ見込みのない戦闘に非戦闘員が巻き添えにされただけでなく、非戦闘員の保護という意識が軍にまったくないこと。捕虜は保護されるという国際的なルールの無視と無知な軍部。アッツ島サイパン島の玉砕もあった。現場の指揮官に国際的なルールの教育をせずに「生きて虜囚の辱めを受けず」などと当時でも時代錯誤な戦陣訓を流布した政府は、悲惨な被害を拡大した。それはもう過去のことだと感じていたけど、昨今の日本政府の対応を見ているとまだ過去のことになっていない。
 為政者は国際社会における政治的価値と理想を共有していなければ、統治する社会の成員を不幸にする。沖縄で「土人」発言をした警察官は処罰されたが、教育と監督の責任を負う松井大阪府知事、鶴保沖縄担当大臣はなんら責任を負っていない。現場の警察官よりも重い責任があるにも拘わらず。
 差別という角度からだけ「土人」発言を見ると、政治的価値と理想の共有という側面が矮小化されてしまうので、あえて、「差別」ではなく国際社会における政治的価値の共有としう側面から眺めてみたい。

昭和文学会

2017年06月12日(月)

 FBにばらばらに書いたものを拾いました。

 昭和文学会で石川文洋さんのお話を聞いてきました。ミュージカル「ヘアー」日本公演用に寺山修司脚本があったという秋吉大輔さんの発表、石ノ森章太郎作品の背景にベトナム戦争があったという森下達さんの発表も興味深く聞きました。良い夜風が吹いてます。
 久しぶりにちょっと日本酒をいただいたら、空のお月様がきれいに見えました。

 昭和文学会では川村湊さんが「日本人のベトナム体験」と題して開高健、日野啓三、近藤紘一の諸作品を挙げていた。朝鮮戦争では日本社会の共通認識形成につながる文学作品を乏しいという指摘に関連して朝鮮戦争は今や「忘れられた戦争」「消されがちな戦争」と指摘。私の考えもほぼ同じ。
 昭和文学会は会員になっていて、秋季大会のテーマは「モダニズムの詩人」とのこと。これもちょっと発表を聞いてみたいなあ。
 質問者の中に日野啓三を研究しているという人がいてちょっとうれしかった。小中学校時代を慶尚南道密陽で過ごし、1942年にソウルに移って、龍山中学へ入学。敗戦で広島県福山市に戻り、東大文学部卒業後、読売新聞記者。軍政下のソウル駐在。ベトナム戦争当時のサイゴン駐在。

 朝鮮戦争と言わず「朝鮮動乱」と言っていた。そして「朝鮮動乱」も「ベトナム戦争」も大人の日常語の中の言葉で、雑談のタネになっていた。米軍基地のある横須賀に近い横浜市内に家があったせいもあるかもしれないけど、過去の戦争ではなく「今の戦争」が大人の関心を集めた時代を知っている。私のそういう子どもの耳を持っていた最後のほうへ世代なのかな。
 菅笠をかぶって竹の棒を担いで遊んでいるとベトコンちゃんとあだ名をつけられたし、夢中になって西瓜をかじっているとビアフラの子どもみたいだと呆れられたのが小学生の頃。大人が「今の戦争」についての関心を持っていた時代(1960年代後半)の「子どもの耳」についてちょっと考えている。

開高健「ベトナム戦記」

2017年06月04日(日)

開高健「ベトナム戦記」にこんな場面がある。
 朝鮮戦争にも従軍したヤング少佐は、豊かな社会で暮らす米国は無関心に支配されていると語る。ベトナムのジャングルで「犬のように死んでいっても米国の大半はそれを知らない」と。以下、引用。  
「「タイム」もニューズウィーク」も「ライフ」も、それに「ポスト」もや「ニューヨークタイムズ」だって、毎号のようにベトナム戦争をとりあげているじゃありませんか。それで知れないというのはどういうことです。アメリカはここで何年たたかっているんです?」
 少佐ははげしく舌うちし、いたましげにうなだれた。「読まないだよ。アメリカ人は」「読まない?!」「「読まないのだ。小学校の先生だってろくに読まないのだ。最近の世論調査でその数字がちゃんとでている。学校の先生だってろくに読まないんだよ。わかるはずがないじゃないか。そうか。君はまだアメリカへいったことがなかったんだな。アメリカ人は読まないんだよ」
 とつぜん、155ミリ無反動砲が咆え出した。夜を裂き、土をふるわせ、何発も何発もたてつづけに砲弾は暗い南西めだしてとんでいった。ヤング少佐はきれぎれに弾音のなかで叫んだ。
「……おれたちは孤立しているんだ。だれにも知られずに死んでゆくんだ。ごくわずかの人間にしか知られていないんだ!」

 この記事はFBにあげたものです。FBで皆さんの御感想をいただきました。

 FBで皆さんが「読んでいない」というところに興味と共感を感じられているのは私も同じです。で、私のこのくだりを読んで南スーダンに派遣されていた自衛隊の皆さんのことを連想しました。昨年7月には自衛隊が派遣されているジュバでひどい戦闘が起きていましたが、日本の多くの人は無関心でした。また日本政府はジュバで自衛隊の安保法制成立による「駆けつけ警護」を実施させようとしていました。
 今年2月には国会で自衛隊の日報が隠されていることが問題化しました。しかし自衛隊日報問題は棚さらし状態です。
 幸いに自衛隊のみなさんは5月末に無事に帰国されましたが、ジュバではっベトナム戦争当時のヤング少佐が感じていたのと同等の孤独にさいなまれていたに違いありません。
 北支や南方へ戦線を拡大した第二次世界大戦当時の日本軍の孤立や飢餓とはまた質をことにする悲惨がすでに始まっていることを、このくだりから感じたのです。開高健がベトナム戦争を取材したのは1965年(昭和40年)のことでしたから、それから50年の歳月が過ぎています。ですから、ここで表現されているヤング少佐の孤独もすでに往時のロマンテックなものになっているかもしれません。

   
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