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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

パルコの思ひ出1

2016年08月08日(月)

 河出書房新社にいらしゃった長田さんのお誘いで、長野の塩尻の図書館に講演に行ってきました。塩尻は筑摩書房の創業者である古田晁の故郷です。図書館には筑摩書房刊行の本が寄贈されていました。渋谷のパルコの思ひ出がなぜ塩尻の図書館の話から始まるかと言えば河出書房新社は千駄ヶ谷にあって、その河出書房新社にいた編集者のみなさんと渋谷そして辻井喬氏の思い出が結びつくからです。因縁というには薄い結びつきですが、たまたま河出の編集者の話を長田さんをお話をして帰ってきたら、渋谷パルコ閉店のニュースが流れていたのでした。

 パルコが出来たのは1969年の「池袋パルコ」が最初。「東京丸物」閉店にあたって小佐野賢治仲介で西武百貨店が資本参加で「パルコ池袋」ができたと。渋谷への進出は1973年。昭和になおすと48年ですね。私は中学2年生。パルコのテレビCMを見て「何だろう?」と不思議に思ってました。商業施設のCMには見えませんでしたから。

 パルコが渋谷で進出してからのテレビCMは21時にはまっくらになってしまう田舎の中学生には、実に刺激的な謎でした。探せばなんでもあるユーチューブですが、その頃のパルコのテレビCMは見当たりません。たしか小林麻美が赤いドレスでダンスを踊っていたCMがあったような。どなたかご記憶ででしょうか。パルコ渋谷閉店で「若者文化の発信地」などの紹介文を読むと違和感があるのは、田舎の中学生にはパルコのテレビCMは「大人への憧れ」を誘うものだったことに強い印象を持っているからです。

 で、渋谷パルコのTVCMが盛んに流れた頃(少しあとからもしれませんが)流行した言葉が「大人の女」です。「大人の女」と言ってもサザエさんのおかあさんのおふねさんや、青島幸男が演じる意地悪ばあさんをさしているわけではありません。パルコのCMに出てくるような人。流行語の「大人の女」を女優さんに例えれば、沢村貞子さんではなくって岸恵子さんかな。あと女優を引退してからエッセイストをして活躍した高峰秀子さん。そのあたりかしら。「女こども」と「おばあさん」の間にいる「大人の女」への憧れが詰まっているような場所が渋谷パルコ。先日亡くなられた柳瀬尚樹訳のエリカ・ジョング「飛ぶのが怖い」が出たのは1973年。柳瀬さんの翻訳は1976年だったからパルコ渋谷進出と時を同じくしているわけです。ナチス協力者として戦後ながらく無視されていたレニ・リフェンシュタールの再評価や そういうパルコが陣取る渋谷は私にとっては苦手な街。ある時「あなた、パルコがあるほうが山手線の内側だと思っているでしょ。あれは山手線の外側だからね」と言われて、ちょっとだけ地理感覚の修正に成功。その時は東京に出てきて10年以上が過ぎていました。

 【パルコの思い出】はまた気が向いた時に続きをかきます。

   
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