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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

辛夷も咲いてます

2013年03月26日(火)

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 西の丘の斜面に咲く辛夷です。辛夷としては相当な古木でいったいいつからこの西の丘の斜面に育っていたのだろうというくらいの大きな辛夷の木です。すぐ近くに白モクレンの木もあって、時々、えっ、こんなに大きな花だったっけ?と見間違えて驚いています。

ご卒業おめでとうございます。

2013年03月25日(月)

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 桜が満開に咲きました。
 皆様 御卒業おめでとうございます。

 大学生活の4年間を充実して過ごされたことと存じます。本年度は私が研究休暇で大学を離れておりましたので、皆様とのお別れももっと御なごり惜しいかと予想していましたが、春の陽気にすっかり和やかなものとなりました。大学生はもう社会の一員であり、生徒と違い学生は社会の一員なのだということを常々申し上げてきましたが、これからもうひとつステップを上げる時は迎えたことはまことによろこばしい限りです。これから皆様がそれぞれの道を歩んで行かれることになります。

 しばしば社会は学校よりも厳しいと言われますが、私は反対のことを申しあげたいと存じます。社会は学校よりも自由です。社会は学校よりもいろいろな選択の機会を用意しています。すてきな運命もきっと用意されていることでしょう。思いがけない偶然も用意されていることでしょう。人生は良い事も悪い事もあるのです。禍福はあざなえる縄の如しと申します。ですから、皆様の前途には、必ず素晴らしい「良い事」が待ち受けているのです。光の方を見ましょう。陰影は楽しむものであります。光を見る時、陰もまた優しい表情をすることでありましょう。

 皆様の前途を祝します。いざ、さらば。

韓国、中国のデモと新大久保のデモの違いについて

2013年03月23日(土)

 新大久保で続いている在特会界隈(最近はこのような言い方をするようになりましした)のデモについて、ツイッターで以下のような質問を受けました。

「素朴な疑問です。新大久保の排他デモは唾棄すべき代物ではあると重々承知しています。が、国外、例えば、韓国民の日本国旗の焼却や日本人殺せのヘイトスピーチなどについては、どう考えてらっしゃるのでしょう?」

 少し長くなりそうなので、まとまった考えを書いておきたいと思います。

 まず最初に「唾棄すべき代物」と呼ぶ新大久保での在特会界隈のデモについて概略を書きます。それから韓国のデモ、中国のデモについて私の見たところを書きます。さらに20世紀初頭の米国での黄禍論と日系移民排斥問題にいて簡略に述べたいと思います。

 まず新大久保での排外主義的なデモですが、私が知る限り発端は昨年(2012)8月の李明博大統領の竹島上陸をきっかけとして、始まったデモです。当初からかなりひどい内容でした。また、デモそのものよりも、デモ終了後の「散歩」と称する行為では、新大久保の路地に入り込み「韓国人の店で買物をするのは売国奴だ」と買物中の女性を脅したり、看板を蹴飛ばしたりしていました。こういった行為が、その後、隔週程度の頻度で、6ヵ月以上続きます。また新大久保だけではなく、大阪の鶴橋でも同じような行為が繰り返されてました。

 聞くところによると、スピーチの内容がエスカレートしたのは昨年(2012年)12月以降だそうです。今年(2013)に入り、2月2日、2月9日のデモはとくにひどいものだったと聞いています。政治的主張はほとんど見られず、罵詈雑言、中傷誹謗に終始する内容のコールやスピーチが続いたそうです。

 私は2日も9日も那覇へ出ていたのですが、17日はネットでデモの様子の中継を見ていました。その時に耳にしたコールやスピーチの内容を拾って以下のようなツイートをしました。

「在特会・新大久保デモのコール。「ゴキブリ」「ゴキブリに失礼」「臭い」「死ね」「出て行け」「叩き出せ」「変態」「犯罪者」「ガス室を作れ」「焼き払え」「同じ空気を吸うな」「よつんばいになって歩け」と。小学校の教室で聞いたセリフばかり。」

 このようなコールの中で、個人的に感情を刺激されたのは「ゴキブリ」「臭い」でした。小学校の教室で繰り広げられたいじめの光景をありありと、自分でも驚くほど明瞭に思い出したのです。それで「小学校の教室で聞いたセリフばかり」と感想を付け加えたのですが、ひとつだけそう揶揄するのには躊躇した台詞がありました。「ガス室を作れ」でした。実は「ガス室に送りこめ」というコールも聞き取れたのですが、それは意図して短いツイートから外しました。なぜなら「小学校の教室で聞いたようなセリフ」という揶揄では済まない内容だったからです。

 欧州ではナチスを連想させるこのようなセリフは、刑事罰の対象となることを知っていたからです。ジェノサイドを経験した国々では、このような台詞は激烈な反発を呼び起こします。また、たとえそれが日本のごく一部分の人の発言であったとしても、それを黙認したと言うだけで、激しい非難の的になります。日本社会全体が相当な懐疑と非難の目でみられる恐れがあります。それで「小学校の教室のセリフ」とまとめることにかなり躊躇を覚えましたので、強烈なほうはひとつ外しました。コールのセリフの重大な意味については、コールをしている御当人たちは自覚している様子はなく、また、放っておくともっとエスカレートしかねない様子でした。
 というわけでこのデモの問題点を以下5つにまとめます。

1、長期間(6ヵ月以上)継続的に繰り返されたこと
2、繰り返されるだけではなく、内容がエスカレートしたこと
3、エスカレートした内容が、日本社会への国際的な疑念と非難のまとになりかねなかったこと(黙認と取られると、そうした非難を無関係な日本人も受けることになります)
4、ネットの中では話題になっていましたが、ネットの外ではほとんど黙殺され、言論活動の対象、批評活動の対象となっていなかったこと。しかしデモは公道で行われていました(これについてはあとで韓国のデモについて述べる時に触れます)
5、政治的主張はほとんどみられず、恐怖や不安を与える嫌がらせ、小さな子供を大人が取り囲んで脅す、老人を脅す、女性に絡むなどの無法な行為が目立ったこと。政治的表現の自由の一環である市民運動スタイルの悪用です。

 おおよそ以上にまとめられると思います。

 それで韓国のデモですが、韓国は政治的価値観を日本と共有している資本主義の国です。ですから政治的抗議は大幅に認められるべきだという価値観を持ってます(軍事政権から民主化運動、それから民主化の動きについては今回は省きます)かなりダイナミックなパフォーマンスをデモなどの街頭活動で繰り広げる時があります。イラク戦争開戦反対のデモでは、ソウル市庁舎前広場に集まった参加者が巨大な米国国旗を引き裂くというパフォーマンスを見せました。また、私が実際に目撃した例では、魚のイシモチの養殖業者が、中国からイシモチが輸入解禁されたために値段が暴落したことに抗議して、国会(記憶がやや曖昧で別の官庁だったかもしれない)に生のイシモチを投げ込んでいました。トラックで運んできた大量のイシモチです。イシモチの養殖は政府が主導した国策であったのに裏切られたという抗議でした。
 国旗(どこの国のものであれ)を粗末に扱うのも、食べものを粗末に扱うのも決して誉められた行為ではありませんが、このようなパフォーマンスはその政治的主張と一般的なモラルを天秤にかけ、批評されます。支持されることもあれば非難されることもあります。「日の丸」を焼いたり、あるいは「日本人を殺せ」と言ったパフォーマンスを展開するデモが、韓国でどの程度、支持されているのか、あるいは非難されているのかは、私は情報不足であまりよく知りません。が、政治的表現の自由の範囲をあまり逸脱するものだとは思っていません。また、幾らか翻訳で韓国小説を読んでいますが、植民地時代に過剰にしがみつく父を持て余す娘などが描かれていたりして、多様な意見と感覚(常識の目による批評)が働いていることを感じています。4の部分で「あとで述べます」と言ったのはこの部分で、常識の目が働く状態であると思ってます。またそうした過激な政治的主張は日本大使館など日本の公権力に向けられていることが多く、一般市民に向かって継続的に罵詈雑言を繰り返す、子どもや女性、老人を脅かすという例は寡聞にして聞いていません。

 さて、中国のデモですが、中国は韓国や日本とは異なった政治体制を持つ国です。日本を対象にしたデモは、韓国よりもはるかに激しいものがあります。日本人の負傷者が出たケースもありました。これは、韓国とは違い政治的表現の自由の範疇とは言い難いものがありますが、そもそも政治的自由が充分にある国ではないので、同列に批判することはできないと考えています。また、私がここで「反日デモ」という言い方を避け、日本を対象にしたデモという言い方をしたのは、表面はそうであっても内実はいろいろありそうで、充分な情報を得ることができません。
 昨年(2012)のデモ、いや、暴動、焼き討ちの騒ぎでは、私は日本政府が中国滞在中の日本人の保護を訴えると同時に、日本人に危害を加える不当な行為に対しては即刻抗議をすべきだと思いました。領土問題とは別問題で、中国政府にはパスポートを所持している邦人保護の義務があるのですから、その義務を果たすことを求めるべきだと考えました。もし、暴動や焼き討ちに近い行為に対して中国に抗議をすべきだと考える人がいたとしたら、私の考えでは中華街で罵詈雑言を吐くのではなく中国大使館なり、しかるべき筋に抗議をすべきでしょう。もちろん、焼き討ちをされたから、焼き討ちで仕返しをするというのが論外であるのは言う間でもありません。言論で戦うべきでしょう。

 さて長くなりましたが、最後に20世紀に初頭に米国で吹き荒れた黄渦論と日本人移民排斥運動にちょっとだけ触れておきます。日本人、朝鮮人、中国人が黄色人種のカラードとして差別を受けたのが20世紀初頭の米国でした。これに対して日本政府は大正11年(1919)国際連盟に人種的差別撤廃提案を出しています。残念ながら、この提案は否決されてしまいました。当時の日本国内と米国の日系社会で、黄渦論に対してどうのような論陣が張られていたのかは、知らないのですが、相応の言論活動があったのではないと推測されます。この提案が人種差別撤廃を訴える世界で最初の提案であったと知ったのは、ツイッターでのいほいさんが呟いていたからです。

百年一緒に居ましょう

2013年03月21日(木)

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 昭和10年(1935)8月生まれの母が初節句に親戚の人から贈られた御雛様の掛け軸です。だから昭和11年(1936)のもの。表装がぼろぼろになっていたので昨年、西荻の数奇和さんでなおしてもらいました。
 このお雛様が送られてからあともうちょっとで100年。100年一緒にいたいなあと。

 最初に見せてもらった時にはまんまるっちい、へんなお雛様だと思いました。現代の好みとは違うから。とくにお顔がおたふく顔で、今ではこんなたおふくは描ける人もいないかもしれません。御雛様は御節句を過ぎても出しておくと娘が行き遅れると言いますが、その娘は昨年の春、結婚したので、安心して御節句を過ぎても眺めています。娘と一緒に我が家にやっておきたお婿さんにも披露。100年一緒にいてもらうように頼んでおきました。

 そんなに立派な絵ではないのでしょうけどね。せっかくここまで持ってきたのだからと。

仙台朝市の鱈

2013年03月20日(水)

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 仙台の朝市で見た鱈です。

 ロシアに隕石が落ちてから、ものすごい寒波で、東京も冷え込みました。隕石と寒波は関係はなさそうですが、隕石の落ちた日から冷え込みだしたので「隕石寒波」って名前をつけてもよいくらいでした。ちなみに「隕石寒波」は山形のお住まいの佐藤先生が発明した言い方です。気温が25℃に達する那覇から、2℃の羽田に着陸したのは、ずっしりと身体に応えました。猛烈は歯痛も発生。救急車を呼びたくなるような痛みでした。歯痛のおかげで、仙台の文学館の皆さんとのお約束の講座もキャンセル。そのせつは仙台の皆様、申し訳ありませんでした。

 キャンセルした仙台文学館の講座は次の週に延期して行うことができました。佐伯一麦さんは岡山にお出かけだったのですが、お帰りの途中、東京でお目にかかることができました。仙台では久しぶりに朝市を覗きました。震災の時も営業していたとのことですが、私が朝市を覗くのは震災以前からですからほんとに久しぶりです。鱈の季節ももうお終い。山菜が出回るにはまだ早いという時期でした。

 そんな具合で、那覇で黒田先生と御一緒してからなんだかんだの一か月が過ぎました。今度は東京が25℃の夏日になるという、とんでもなお天気です。私の家の裏の桜も咲き出しました。

おててで水草を食べるマナティ

2013年03月05日(火)

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 美ら海水族館でマナティを見ました。美ら海水族館は7,8年ぶりになります。マナティはじっくりと見たのは今度が初めてでした。前日に沖縄県立博物館でマナティの骨格標本を見たのですが、ヒレのようみ見える部分にはちゃんと5本の指の骨があるのでした。指の骨の標本をみたせいか、水草を食べる仕草も、なんだか、いかにも手を使っているように見えました。

 沖縄の海域にいるのはマナティではなくジュゴンで、ジュゴンはマナティとはごく親しい種類の海の哺乳類だそうです。ジュゴンの頬の骨を使った装飾品は、たいへんな権威の象徴であったとか。子どもにお乳を与える時に抱きかかえるので、人間の女に見えるとか。ジュゴンを巡る伝説は枚挙にいとまがないようです。

 私を美ら海水族館へ誘ったのは、黒田先生でした。沖縄へ行ったらぜひ美ら海水族館へ行きたいとのご希望で、御一緒しました。前日は冬の雨の沖縄でしたが、美ら海水族館へ行った日は快晴。黒田先生と二人で、美ら海水族館の向側に見える伊江島の塔頭を眺め、海風に吹かれました。なかなか楽しいひと時でした。

   
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