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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

もしかしたら、もしかしたら。

2011年05月23日(月)

 「もしかしたら、もしかしたら、そうなのかしら」はピンクレディーの「UFO」のサビの部分ですが、3月の末頃から気になっていることがひとつあります。

 正確には記憶していないのですが、3月の20日過ぎに顎のところに妙な傷ができました。顎に違和感があったので、最初はにきびのような吹き出物だろうと思って、指先で弄っていました。ところが鏡に映してみると、細い切り傷のような傷なのです。長さは1センチよりやや短いくらい。紙ですっと指先を切った時のような傷。改めて調べてみると、手の甲や足のふくらはぎにも似たような傷が複数ありました。

 顎の傷は、弄繰り回したせいか、それからだんだんと痒みがましてゆき、傷の周辺がただれました。治るまでにしばらくかかりましたし、まだ、よく見ると爛れた跡が残っています。最初に「もしかしたら もしかしたら」と書いたのは、顎と、それから手の甲や足のふくらはぎに現れた細い切り傷のような傷は、軽い放射線被曝があったために出たものなのかもしれないと、考えているからです。そう考えるようになった理由はインターネットで偶然見た放射線被曝の傷の写真でした。
「あ、似ている」
 そう思ったのです。人にそれを言うとたぶん医者に行けと進められるでしょう。それで医者に行くと今度は「春先ですからアレルギーか何かでしょう」と診断されるか、もしくは「よくわかりませんが、たいしたことはありません」と言われそうです。だってそうそう放射線被曝からくる傷を見たことがある医者なんているとは思えませんから。

 自然に治ってしまったので、もうそれでいいのです。ただ、東京周辺でも下水処理所の汚泥や茶葉から放射性物質が見つかっているということは、それだけの放射性物質が降り注いだということですし、最近、次々に明らかになってくる資料では3月12日から15日にかけてはかなり高い濃度の放射性物質が降り注いでいたことがわかってきました。だから私の「もしかしたら、もしかしたら」もちょっと御報告しようという気になりました。ただのアレルギーとかそういうものなのかもしれません。よくわかりませんが、気にはなっています。

あかしあほろほろ

2011年05月20日(金)

 薔薇の花の季節です。家のベランダの薔薇もたくさん咲きました。近代文学館の理事会があって、駒場を稲葉真弓さんと歩いたのですが、あのあたりのお屋敷町の薔薇も見事に咲いていました。気になるのは、表札が取り外された空き家を1件見つけたことです。どちらかへお引越しかしら。

 卯の花というのは今時分に咲くしろい花の総称だそうです。まずミズキが傘を広げたような花を咲かせ、それからウツギの花が開きます。もちろんウツギは卯の花。エゴの木も卯の花。そのほかにも野いちごなども白い花を咲かせます。野面を白い卯の花が飾る頃になると関東は初夏。江戸時代には所沢の三富(上富、中富、下富)あたりが卯の花見物の名所だったそうです。家から見える斜面には、エゴの木がたくさんあります。斜面の上にマンションが建ったとき、だいぶ斜面の雑木を切ってしまったので、もうエゴの木の花も見られないかと諦めていたところ、今年はほんとうに見事に咲きました。昨年の春の天候不順がうそのような今年の初夏です。



 あかしあは外来植物ですから、卯の花には数えないでしょうけれども、これも豆科の白い花をたくさんつけます。藤の花に似ています。もう盛りは過ぎて、高い木のうえには実がなっています。数日前、散歩のとき、良い匂いがしたので、見上げるとあかしあの花が風にほろほろ散っていました。あかしあの蜂蜜の匂いです。

復興書店のこと

2011年05月10日(火)

 「豆の葉」を書こうとおもったら、豆蔵君、作業中でした。トップページに大きく復興書店とあったのでびっくりしました。

 伊藤比呂美さんも私も復興書店に参加しています。御知らせが遅くなってすみませんでした。

 復興書店は島田雅彦さんがツイッターで呟いたのがきっかけで被災地支援のために作られたネット書店です。(これでいいのかなあ?島田店長)あっと言うまにできてしまいました。それに驚いたのが私。あれよ、あれよという間に出来たのはいいのですが、島田雅彦店長からメールで指示がくるのに、頭の螺旋が緩んでいる私はついていけませんでした。そうそう、復興書店と同時にいしいしんじさん編集によるウェッブマガジン「W&B」もできました。で、そちらにも早速に賛成の手を挙げたのですけど。これもなかなか原稿が書けず。

 ようやく、復興書店に本を送ることができたのは連休前でした。送ったのは「書評 時評 本の話」(河出書房新社)「楽隊のうさぎ」(新潮社 文庫ではなく絶版になっている単行本です)「うさぎとトランペット」(新潮社 こちらの文庫ではなく絶版の単行本です)「豊海と育海の物語」(集英社文庫)「うさぎとトランペット」(新潮文庫)などです。いずれも書名と落款を入れました。お値段は定価の一割増しにさせていただいきました。本を売ったり送ったりするための経費がかかりますから、そのぶんを一割増で賄わせていただくためです。ご理解下さい。まだ復興書店の店頭には出ていません。もうすぐ出ると思います。

 伊藤比呂美さんの本はすでに復興書店の店頭に並んでいます。

 それからいしいしんじさん編集の「W&B」の原稿もようやく入稿できました。エッセイを書きました。

 おかげさまで復興書店は売り切れ続出。常時品薄状態が続いています。皆様、どうぞ復興書店で本を買ってください。

うちの晩御飯

2011年05月09日(月)

 今年度2度目の大阪に行ってきました。帰りに近鉄デパートの地下食品売り場を駆け抜けてきました。家のお土産に食べ物を買うのは、子どもが小さかった時の習慣。お土産兼食料調達。おなかがすいたよぉって言われたらすぐに「はい、ごはん」となるようにやっていたことです。今じゃ、ちょっと贅沢のためのお買物になっていますが。





 で、今回は鰆の西京漬け。西京漬けは関西がおいしいです。白味噌が良いから。それから、くぎ煮。昨年は不漁だったいかなごですが、今年は豊漁だとのことです。はしりの水茄子。まだ小さい水茄子ですが、皮が薄いから旨いとお店では言ってました。大阪で乗ったタクシーの運転手さんが、水茄子の油炒めは旨いよと教えてくれましたけど、高価なので、油炒めなんて……であります。水茄子の漬物は手で裂くとおいしい。で、手裂きにしてあります。



 万願寺唐辛子だと勘違いして買ったのは大甘長唐辛子(宮崎産)でした。安かったの。で、袋をあけるとちょっとピーマンに似た香りがしたので、間違いに気付きました。ピーマンほど強いにおいはしません。だからほそく切って牛肉を巻き、肉巻きにしてみました。それからたけのこと長いもを炙ったものに、わかめとたけのこの穂先のすまし汁。これが我が家の晩ご飯です。山椒の葉でもあれば、もうちょっと見栄えがよくなるのですが、ま、いいことにしました。

中沢ゼミ同窓会

2011年05月05日(木)



 中沢ゼミ同窓会を開いてもらいました。今年は地震で日本武道館の卒業式が中止になったので、OBOGによる卒業を祝う会と兼ねました。数えてみると、もう6回の卒業生が出ています。

 飯田橋アグネスホテルのバー。「服装はどうしますか」とお世話役をやってくれたジャックさんが聞いてきたので、平服でもいいし、お洒落をしたい人はお洒落をしてきてもいいということにしましょうと答えておきました。そういうわけで、私もず〜っと前に作った琉球絣の着物を着ることにしました。

 考えてみると07年8月に「おたあジュリア異聞」の連載を静岡新聞、熊本日日新聞に始めて、08年はかなりしんどいなあとすぎ(この年はいろいろ細かいことがありました)終わったら、一息つくぞと終了目前の09年1月に心筋梗塞で入院しました。退院してすぐに卒論面接。学校のほうはそれでもなんとかしましたが、驚いたのは、住居の改修。老朽化した配管の交換工事をすると管理組合から聞かされて慌てました。本音を言うと、病み上がりには、家の改修はしんどかったのです。配管の工事で壁をぶち抜いたので、ついでに家のリフォームで09年は終わってしまいました。で、リフォームの片付けができないまま10年夏にこれまたマンション外壁の大規模改修。とてもじゃないけど、箪笥から着物を取り出すなんて気にはなれませんでした。

 09年の心筋梗塞で退院してから、すぐに卒論の面接も入試の採点もしていたので、けろっとしているとか元気だとか言われましたが、それは誰か他の人と居るときだけで、一人になるとぐったりしていました。何よりも物を片付けたり、捨てたりができなくなっていました。ふわふわと遊びに行きたがる魂のあとを追いかけているような状態でした。家を片付ける。研究室を片付ける。それが一番できないのです。人の都合に合わせるのが嫌で嫌で仕方がありませんでした。ほかの人といると元気なのに、片付けだけはマイペースじゃなけりゃできないと。そんなアンバランスな状態でした。で、極め付きは地震。あ〜、どうしたらいいんだ! で、ようやくなんとか家の片付けをする目処がたってきました。ついでに研究室も。なにしろ地震でいろいろ崩れちゃったものだから。着物を着る気になったのはそんなタイミングでした。おかげで少し片付けの目処が立ちました。

 卒業以来始めて会う人もいた同窓会でした。いつものとおり、なんとなくみんな集まって、なんとなく気の会う人どうしがお話をするという、それだけの同窓会。「うちのゼミの同窓会にしちゃあ、珍しく定刻でみんな集まったなあ」とこれは、某氏の感想。「だって先生が定刻でいたんだぞ」とこれは初代夜ゼミのゼミ長の感想。いつもどうもすみません。あらゆることをマイペースでやりたい私です。

 職場の人とのお喋りとは一味違うお話ができるのが同窓会の良いところだと思います。またやりましょう。タイガーさんから「今度は名札をつけましょう」という提案をいただきました。そうしましょう。同窓会をする時には「豆畑の友」のトップページに告知を出すようにします。卒業以来連絡がとれない卒業生の皆さん、それからゼミ関係のみなさん(必ずしも卒業生でなくってもいいです。)今回は都合がつかなかった皆さん、告知を見たらお出かけ下さい。

 卒業文集が地震で出てきました。それぞれの年代全てありました。欲しい方はお問い合わせフォームからメールを下さい。

菜種ができました。紅葉もそろそろみどり色になります。

2011年05月02日(月)



 外濠の土手に咲いていた菜の花に菜種ができ始めました。菜種油の菜種です。油がとれるくらいなので、たいへんに土地の養分を使うそうで、畑では2年と続けて同じ畑を使うことができないと聞いています。畑を休ませなくっちゃいけないと。

 そのせいか、放射能で汚染された土地を除染するために菜種やひまわりを植えるという方法が試みられているということです。なんだか長く手間のかかる大仕事です。外濠土手の菜種は自然に生えてきたもので、やがて種が飛び散って、来年は別の場所で花が咲くことでしょう。

 連休。ようやく何かをする気になって、桐箪笥の整理をしました。母の着物。私や弟が赤ちゃんのときに着た熨斗目。弟の七五三の羽織袴に、私の振袖。そういうものを箪笥から出して衣装箱に詰めました。母の着物よりも少し古いものもあります。こういうものはゆくゆくはどうなるのだろう? と思わないでもないのですが、ごみには、どうしてもする気になれません。もうちょっと年をとったら裁縫でもやってみるかな? と殊勝に思うのはきっと衣装箱を開けるときだけで、すぐに忘れてしまうでしょう。

 なんだかうまく時間の流れについて行けてないので、あっちこっちご挨拶が遅れるやら、お届け物が届いてないやら、お詫びしなくちゃならないところがあるようですが、お許しを。そうそう、伊藤比呂美さんが伊藤製作所豆畑支所に戻ってきてくださいました。伊藤さんこんにちは。



 秋に赤く色付く紅葉は、芽が吹いたときにも、赤々としています。この紅葉もそろそろみどり色に変わる時がきました。昨日今日の東京は暑いくらいです。

   
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