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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

鶴岡梅澤菓子舗のお菓子

2011年04月30日(土)

 あ〜。もう4月も終わりです。いったい何をしていたんだろう?ず〜っと地震だ、地震だと、そのたびにテレビをつけて、震源地と震度を見ていたような気がします。なんだか予定とかスケジュールというものに、興味を持てなくなっています。あとは、あ、映画を久しぶりでみました。有楽町のイトシアで。再開発する前にも映画館があったのですが(名前が思い出せないけど、有名)そのあと、新しいビルが建ちそこにも映画館が入っているとは知れませんでした。

 「イブ・サンローラン」を見ました。劇映画じゃなくって、芸術的にドキュメンタリー。映像の組み合わせがきれいでリズミカルで見ていた楽しかった。映画館の向かいにはテラス付きのイタリア料理屋が。雨が降っていなければテラスから有楽町駅を見下ろすのも良さそうです。



 螺旋が抜けちゃっているのを察知して、山形の佐藤先生が梅澤菓子舗のお菓子をたくさん送ってくださいました。見事なお雛菓子を作るお菓子屋さんです。3月は地震で過ぎてしまったので、と送ってくださったお菓子の数々。そのなかでも、うさぎの麦焦がしは絶品。ほろほろと口の中で崩れると香ばしい香りがします。同じ麦焦がしの狐面も美味しかったのですが、うさぎはかわいい。



 のらくろも、なかなかです。パンなのかな。甘さ控えめ。でも、これを見てのらくろって解るのは、私や佐藤先生くらいまでじゃあないかしら?



 塩釜はお決まりのタイ。ひらめ。海老も、蛸もありました。おすもうさんと兵隊さんがなんだかかわいくってピンクと白とクリーム色とみどり色でそろっています。ピンクと白の2種類があるキューピーさんも。見た目の美しい3色の飴も。ついつい並べてしまいました。

 でもまだ佐藤先生に御礼を書いていないのです。今夜、書きます。絶対書きます。御礼遅くなってごめんなさい。許してください。

災い転じて………

2011年04月26日(火)



 外濠の桜がすっかり花を散らせて若葉になりました。靖国通りを歩いていたら、福島、三春の滝桜の子孫だという枝垂桜を見つけました。この桜ももう葉桜になっていました。

 「災い転じて」のあとは「福となる」と続くのですが、福島の原発事故は一向に収束の気配はなく、少し様子が変わったなと思うのは、幾らか事故処理の見通しがついてきたくらいのところでしょうか。目に見えない事故の広がりをどう感じたら良いのかわからないという話をよくします。推移を見守るしかなく、まだまだ「災い転じて」のあとを、常識的に「福となす」とは繋げ難いものを感じます。

 だから、この先のことを言うのはまだ早いかもしれません。しかし、日本のエネルギー政策は人類のために原発異存から新エネルギーへと転換して欲しいなあと願います。日本のためではなく、世界のために。日本人のためではなく人類のために、いや、人類のためにではなく地球上のありとあらゆる生物、生きとし生きるもののために脱原発のエネルギー政策をとって欲しいものです。そのために、日本へ「人、物、金」を集めてもらいたい。「人、物、金」という三つは経済政策の話によく出てくる表現です。
 「人」はこの場合、脱原発のエネルギー研究や放射線医学、省エネ型の技術などなど、さまざまな分野の英知を日本に集めればいいのです。理系だけではなく、心理学や社会学などの分野の人も必要です。メディア研究、映画製作、ジャーナリズムの分野でも、いろいろと知恵を出してもらう必要があるでしょう。研究者、留学生、商社マン、ジャーナリスト、そのほかにも日本に来たい人にはどんどん来てもらう。
 「物」は脱原発エネルギーを研究開発するための施設、放射性廃棄物の処理技術開発のための施設、放射線障害の予防と治療のための施設などを作ることですが、零から始めるというわけではありません。日本にはもうそうした「物」はすでにあるはずですから、それをさらに充実させることは可能なのではないでしょうか。
 最後に「金」。お金が足りなければ集めればいいのです。どこの家でもお金が足りないときには、出費を抑えるか、もしくはよりたくさん稼ぐかの二つのやり方で対応します。が、もうひとつの道は「借りる」があります。さらに未来のために「集める」という方法もあります。「出費を抑える」「稼ぎをふやす」「借りる」「集める」のうち、脱原発社会を作るのに良い方法は「集める」でしょう。近代社会はこのお金を「集める」という方法を発達させてきました。世の中を変えて行くための、未来のためのお金を「集める」のです。人類のため、地球のための研究開発にお金を出す人はもう現れています。お金を「集める」ための仕組みを整えるのは政治の力です。

 人を集め、物を充実させ、お金を集めれれば、きっと「災い転じて……」のあとに「オンリー・ワンの日本」を作ることができるのではないでしょうか。世界のために役立つことができるオンリー・ワンなら大歓迎です。そういうビジョンを持った若い政治家に登場してもらいたいなあという夢想でした。人は自分が生きてゆく時代のためにしか働けないのです。未来は未来を生きる人が作り出すべきです。この夢想は、夢物語ではなく、今ここの現実に対応するための理想です。日本にしかできないことがあるはずです。



 八重桜が若葉の中に埋もれるように咲いていました。写真を撮りながらも、時間の流れをうまく感じ取れていない自分がそこにいることを意識しました。3月から4月というのは、なんでもないときでも、時間の流れに乗り損ねてしまうことが多い季節ですが、今年はいつもにもまして、それを感じています。地震と津波だけなら「ああ、春になった」と季候が良くなったことをうれしく感じられるのでしょうけれども、原発事故の推移を見ながら息を詰めているのは私だけではないでしょう。何も言わないけれどもひっそりと、原発事故の成り行きを見ている人が大勢いることでしょう。

詩歌と園芸と庭仕事

2011年04月23日(土)

 宗教とか信仰という話になると、仏教やキリスト教あるいは神道という宗教か、もしくは、民俗学的な民間信仰のことがテーマになっています。で、そういう宗教のイメージを持っている人に日本人の宗教心、信仰心は俳句や短歌、それに現代詩も含めて詩歌と、庭いじりや鉢植えを作る園芸の中に隠れているのだと言うときっとへんな顔をされるか、もしくは、激しい罵倒をされるか、そんなことがおきそうです。なにかを論議しようとした時、相手を激しく罵倒して声の大きさで勝つという習慣は、どうも昭和20年代の荒んだ世相の中から生まれてきたらしいということをなんとなく掴でいますが、それはまた何か機会があったら書くことにします。

 それで、詩歌と園芸と庭仕事の中に日本人の信仰心や宗教心が隠れているという話ですが、宗教史などにつなげようとすれば、繋がらないこともありません。日本に大きな影響を与えた儒教は、祖先信仰を大事にしていますが、祖先の魂を慰めるものは歌です。死者の魂を慰めるものもまた歌です。また、中国で発達した仏教、禅宗では歌(この場合は漢詩ですが)を大事にします。禅寺では膨大な漢詩が書かれています。禅に興味を持っていた夏目漱石も漢詩を書き、俳句を詠んでいます。それから枯山水などの庭は禅寺によく見られることは衆知されています。枯山水の庭から盆景、盆栽までの変化はそう遠くないものです。盆栽から鉢植えの園芸趣味も、ごく近いところにあるでしょう。江戸時代に入ると園芸趣味は、庶民にまで広がり、変わった花を咲かせる朝顔などに夢中になったそうです。

 今の中村勘三郎、つまり以前の勘九朗さんですが、その中村勘三郎の本を読んでいたら、舞台の上でお父さんから「その朝顔の鉢植えはどこで買ったきた」とざんざん聞かれて困ったという話が出てきました。芝居の筋とは関係がないアドリブの質問だそうです。で、適当に答えるとお父さんは怒り出す。芝居の進行はストップしてしまう。これが毎日続いたという、ちょっと想像してみるとおもしろいお話ですが、芝居の中には出てこないけれども、背景になっている江戸の町の習俗をちゃんと知っていれば答えられる質問だというようなお話だったと記憶しています。結局、勘九朗さんは誰かベテランの俳優さんのところへ行って答えを教えてもらったということでした。江戸の町では、朝顔ならこれこれの場所の市というふうに商う場所が決まっていたようです。

 そんなあれやこれやを調べて論文など書こうとしたら、どえらいことになるので、それは止めて、日本人の信仰心は詩歌と園芸と庭仕事の中に隠れているという話に戻します。汎神的な信仰心と言うのが、詩歌の中に隠れていると感じたのも、園芸と庭仕事の中に溶け込んでいると感じたのも、考えてみると、すごく子どもの頃だったのではないかと思います。感じているけれども、言えない、感じているけれども認識できないという感じ方です。寺社のお縁日の眺めとか、お正月やお盆の支度のときなどに、子ども心に感じたかそけきもの。大学生くらいになると、それを意識はできるようになりましたが、文化史などをやった偉い先生に、馬鹿にされたら最後、もう見えなくなってしまう程度のか細い意識の仕方でした。誰がどんなふうに怒鳴りだしても馬鹿にしても、あまり揺らがないなあという意識をしたのは、四季を歌う月並みな俳句や、四季の章立てに分かれている古今集をよくよく読んだ20代の後半でした。

 自然の変化を歌に詠むことによって、歪みがちな時間意識を整えているのではないかと、まず最初にそう感じました。そういう感じ方や考え方も深めたり磨いたりすることができればよかったのですけど、よほど注意深く話さないと、通俗的な楽天主義と勘違いされしまいますから、残念ですけど、人に自分の考えを話して感じ方や考え方を深めたり磨いたりはできませんでした。

 詩歌と園芸と庭仕事の中に日本人の信仰心は、薄く広く、しかし、時には強い直感をもたらす形で隠れていると、このごろはやや確信めいた考えを持ち始めています。学問の言葉で語ってしまったとたんに死んでしまうような、生きている信仰心。西洋哲学の翻訳語で語ると色あせてつまらないもののように見えてしまうけれども、詩歌の中に溶け込ませたとたんに、息を吹き返す信仰心、そのように見ています。古事記の冒頭に、大八島はくらげのように漂っていたという意味の記述があります。それを、70年代に中等教育を受けた私は、神話が非科学的であることの証拠だと教えられました。でも、あれは地球のプレートの動きの歌だったのではないか?と毎日、地震に揺さぶられているうちに、そう思えてきました。まだ、まとまりのない考えですが、子ども心に感じてきたことが、だんだん、シオコウロコウロとまとまりに生り始めているようです。

桜吹雪から苗物が並ぶまで

2011年04月21日(木)

 3ヶ月ぶりに大阪に行きました。中央線経由で東京に帰ってきて以来です。今年は寄り道や道草をしたいなあと、お正月にはそんなことを考えていましたが、鬼はさぞかし笑っていたことでしょう。いや、笑っていたのは鯰のほうかしら。東京はちょっとした冗談を言うにも神経を使うようなところがあります。久しぶりの大阪でそれを改めて実感。東京のぴりぴりした空気から、しばし抜け出すことができた大阪でした。

 いつもの大阪でしばらくのんびりしていたいなあという願望と、早く関東に戻らないと何が起きるか解らないという不安がまだら模様になっていました。大阪の桜もそろそろお終いの季節。京都の八重桜はそろそろ咲き始めるか? 仁和寺の桜は? と寄り道道草にはことかかない季節ですが、照明がちょっと暗めの関東に駆け戻ってきました。大阪芸術大学の大学院の諸君と、花吹雪を眺めたのがめっけもの。花吹雪が見事なのをぼんやり眺めていたら、みんなの頭にも桜の花びらが降り注いで、花びらだらけ。それから宮城に御実家があるという学生から地震のときの様子を聞きました。




 苗物が出回る季節になりました。昨年は連休前になっても、朝顔や茄子、胡瓜といった当たり前の苗物が少しも出てこない寒いいやな春でしたが、今年は天候のほうはまともで、ちゃんと苗物が出回っています。地震と津波だけなら、こうした季節の恵みをありがたく感じられるのですが、原発事故が、そういう気持ちにさせてくれません。あんまり苦く、皮肉な気持ちにならないようにしていますが。

 イサク・ディネセンの『アフリカの日々』を読み出しました。晶文社からディネセン・コレクションが出た時にはたいへん評判になっていた本です。私が今読んでいるのは河出書房新社の世界文学全集。チュツオーラの「やし酒飲み」と一緒の巻に収録されています。欧米偏重であった文学紹介がアフリカや南米の文学も翻訳されるようになった80年代からの成果がひとまとめになっている全集です。高樹のぶ子編アジア文学ベストセレクション『天国の風』(新潮社)は地震の前に読書人から書評を書くように依頼されていた本ですが、こちらもなかなか楽しい本です。ベトナム、フィリピン、台湾、韓国、中国、インドネシア、モンゴル、タイ、インド、マレーシア。とこう書くだけで、アジアはなんと広く多様であるのだろうと感嘆したくなります。それにしても、欧米からアフリカ、南米へと広がった関心がアジアへと繋がるまでの30年間のことを考えてしまいます。近くのアジアではなく、遠くのアフリカと南米へとまず関心が向かったのはなぜなのでしょう。

 『書評 時評 本の話』はいろんな方からお手紙で感想をいただいたり、お電話をいただいたりしています。




 ベランダでは化学肥料を使わなければならないので、パセリやピーマンを植えるのは、心理的に抵抗があります。昨年、叔母の家でゴーヤを観賞用に育てているのを見せてもらったら、小さな実がたくさんついてました。お土産屋さんで売っているキーホルダーか携帯ストラップくらいの大きさの実。今年は観賞用にゴーヤを植えましょう。それから、なんだかとぼけた風船蔓もいいかな。聖書に、夕べに炉に投げ込まれる野のゆりも、美しく咲いているという話がありましたが、それが妙に切実に感じられる東京郊外です。

散り行く桜。

2011年04月15日(金)

 これから3ヶ月ぶりに大阪に行きます。今年は寄り道や道草をしたいなあとお正月に考えていたのに、震災以降、すっかり家を離れたくなくなっています。関東を離れたくなくなっています。うちにいれば大丈夫ってわけではないのですが、臆病で殻に閉じこもるタイプだから(うそだろうって声が遠くのほうから聞こえているけど)こういうことになると、どうしても遠くへ行きたくないなあという心境になります。



 外濠の桜は満開を過ぎて散り始めました。夜は節電のために、街灯のあかりも少ないのですが、暗闇の中でもお花見を楽しんでいるグループがけっこうあります。飲めや歌えではなくって、ひっそり語らっているようなお花見。でも、泥酔してのびてしまった静かな人もちらちほらり。お壕のカナル・カフェは満員でした。やっぱりお花見の頃に入るのは無理なのね。夏になったらデッキでビールを飲みましょう。

 若い人に誇らしい東京の姿を見せておきたいような気がしているのは、たぶんちょっと過剰な感傷です。東京は悪口を言われっぱなしみたいな気がするのは、やや被害感情旺盛かしら。誇れるものも、素敵なものもたくさんある町なのに、文句ばかり言われてきたような、そんな気がしています。東京の桜といえばソメイヨシノ。ソメイヨシノの寿命は50年くらと、樹木としては短いのだそうです。1945年戦争が終わったあと植えられたソメイヨシノはそろそろ寿命。靖国神社の桜はそれぞれに樹を寄付した団体や人の名のプレートが入っているのですが、ひとつひとつ見ていると昭和40年代に植えられたものが多いようです。戦争が終わって20年過ぎたころ。その桜もそろそろ老木になり始めています。そう考えると、戦争が終わって14年目に生まれた私は東京の桜がもっとも華やかに威勢を誇った頃を生きてきたのでした。



 最近の桜の流行は枝垂桜のようで、法政大学のボアソナードタワーの前にも1本新しい樹が植えられて花をつけています。まだ細い若木。枝垂桜はソメイヨシノよりも成長は遅いけれども寿命は長いのだそうです。だから、枝垂桜が華やかな東京を、私が見るためには想像力を駆使しなくちゃいけないようです。長生きをするって手もあるけど、想像力で眺めたほうが楽しいような気がします。

 昨年の春、寒い春で、咲いた桜が散りかねていました。今年の桜はここ20年ばかりの間では遅い開花だそうですが、80年代までは、4月7日8日の入学式の頃に満開になっていました。地球温暖化とは言え、3月下旬と4月下旬では夜の気温が大幅に違いますから、今年くらいのタイミングで満開になってくれるほうが夜桜見物には都合が良いわけで。昨年とはうって変わってなんだか昔の幻を見るような爛漫の春でした。その桜も花の脇から新芽が芽吹いて散り始めました。

昨日の桜、今日の桜

2011年04月07日(木)

 東京の桜が満開になったというニュースが出ていました。管理人の豆蔵君も都心でお花見の様子。家に帰ってきたら、例によって写真をアップしてくれるでしょう。



 まだ蕾の写真は3月30日。飯田橋の駅近くで撮影しました。蕾は膨らみだした様子を写真にとっている人が大勢いました。

 牛込見附の交番の前に救急車が停車していて、不思議に感じたのは、たぶん3月30日のことだと思います。日付の記憶がやや曖昧なのですけど。さほど緊急という様子もなく救急車が停車していたので、これはいったいどうしたことだろう?と不思議に感じたのでした。結局理由はわかりませんでした。



 2枚目の写真は4月5日。同じ場所で撮影しました。もうすぐ満開というちょっとだけ手前。外濠の桜は見事に咲いて、お天気も上天気。この20年ではかなり遅い開花だというお話を聞きましたが、私が小学校に入学した頃、もう45年も前ですが、その頃、桜が満開になると言えば、4月7日前後が当たり前でした。東京近郊の話です。桜の花の開花はだんだん早まって、卒業式の頃に咲くのも珍しくないようになりました。入学式に咲く桜が珍しがられるってのも、気候の変化を感じるとともに、年齢によって感じ方が変わるのだなあと思わせられました。4月になってから満開になったほうが、空気が暖かくなっているので、お花見にはぴったりです。3月と4月では夜の冷え方が違いますから。法政大学の前の外濠の桜も満開です。

 さて4月5日。こんどはボアソナードタワーのほうの交差点に消防のはしご車とパトカーが停車していました。これも救急車のときと同じで、急いだ様子はみられません。ただ、止まっているだけ。昼過ぎのことです。

 翌日、4月6日、昼過ぎに地下鉄成増駅の階段を下りていると、突然、ウィ〜ンウィ〜ンパォォンパォォンと警報と思しき音が鳴り響きました。「はて」と思っていたら「緊急用放送の試験中です」のアナウンスがありました。壁に新しい茶色いスピーカーが取り付けられてました。地下鉄サリン事件の時にも、こんなことはありませんでした。

 原発事故はまだ進行中で、表面的には小康状態に見えますが、原子炉の格納容器の損傷が伝えられたり、格納容器内部の水素爆発が起きる可能性が伝えられたりと、報道の推移に注意してみると、より深刻な事態が進んでいるのを、なんとか食い止めている様子です。TVの報道でも、再臨界が起きているのではないという推測が、流れ始めています。地下鉄のスピーカーや停車している救急車、消防のはしご車などが、原発事故による緊急事態に備えたものでないと、良いのですけど。どうも、それとなく、緊急事態の準備が進められているように思えてなりません。

法政大学のゼミ生諸君へ

2011年04月07日(木)

 4月12日 ゼミの2年生対象のガイダンスが行われます。詳しくは法政大学HPの日文科の項目を見てください。2年生は必ず出席して下さい。新ゼミ生にお目にかかるのを楽しみにしています。

 3、4、年生について。5月6日(金曜日)から講義が始まります。この日は金曜日なので、通常なら夜ゼミが開かれる日ですが、昼ゼミの諸君も6限の夜ゼミに出席して下さい。今後のゼミの運営についてお話します。
 4年生は卒論指導願いの提出についてのお話をいたします。今年は変則的な学事日程になったために卒論指導願いの提出期限までの時間が限られています。4年生は昼、夜を問わず必ず5月12日6限のゼミに出席して下さい。

 そのほか、ご質問、御連絡などありましたら、いつでも私のほうへメールを下さい。

いろいろ咲いてます。

2011年04月04日(月)



 駒場公園の近くでローズマリーの花がこぼれるように咲いているのを見つけました。駒場公園では馬酔木の花も鈴のような花をつけていました。馬がこの花を食べると酔うのだと聞いているのですが。ほんとうでしょうか? 酔っ払った馬って、手に負えないだろうな? って、馬酔木を見るたびに想像してみますけど。



 外濠の土手には花大根。紫色のこの花にはもうひとつ名前があったような? でも、それがどうしても思い出せません。中国から入ってきた花だそうです。戦争が終わってから、日本のあっちこっちに紫色の花をさかせるようになったとのこと。近くでは黄色い菜の花も群をなして咲いています。土手下を行く電車は、行き先表示の灯りを駅に入る寸前で点し、駅は離れると消すという器用な節電をしています。電車もこまめにスイッチを切るっていうわけです。

 外濠土手に大きな山桜の木があったのですが、枯死しかけていて、3月のはじめに切り倒されました。この山桜は、毎年、ほかの木よりも花をつけるのが早くって、卒業式というと、もう白く花の咲いている枝が1、2本ありました。今は切り株だけが残っています。その切り株の前を通りかかったら、おじさん3人が、切り株に腰掛けて缶ビールを飲んでいました。切り株はおじさん3人が腰掛けるのに充分な大きさがあったのです。それでどのくらい大きな山桜の木だったか想像してもらえると思います。へえ、こんな使い方があったのかと感心。土手の柵の下にはたんぽぽも咲いていました。桜ばかりが花じゃない。

   
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