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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

イギリスの西の果ての町から

2009年07月31日(金)

 イギリスの西の果ての町から帰ってきました。考えてみたら、イギリスの西の果てということは、イギリスで日本に一番、近い場所ということになるのでしょう。

 ランズエンドという場所がブリテン島の一番西の端っこだそうです。で、ここは観光地として人が大勢来るので、子ども向けのアトラクションのある建物までありました。すぐ近くには「南の果て」もあるのだそうですが、そちらのほうはめったに行く人はないそうです。名前が付いてないと、目的地にならないのですね。

 イギリスは24年ぶりでした。24年前はまだアンカレッジ経由の時代で、アンカレッジから北極地方を経由して欧州に行くには30時間以上の時間がかかったと記憶しています。今夏は行きは12時間、帰りは11時間でした。ソビエト時代に、一度だけモスクワ経由で日本へ帰って来たことがありますが、その時は16時間の飛行時間でしたから、今回のロンドン直行はすごく楽でした。遅ればせながら、東西冷戦終結後に便利になった空の旅を経験しました。

 アンカレッジ経由時代に、極点近くを飛行しながら、機長も驚くほどのオーロラに出会ったこともありました。この時は、まだ小さいかった子どもたちも一緒で、子どもが大人になった今に至っても覚えています。もうそんな飛行経路をとることはないのですね。

イギリスに行ってきます。

2009年07月22日(水)

 イギリス南部のコーンウォールという町までロンドンから列車で旅をしてきます。まだ使ったことがないデジタルカメラを使ってみようと思っています。

 帰りは月末です。では、行ってきます。

お金のなる木

2009年07月13日(月)

 「お金のなる木」ほんとうはもっといい名前があるのでしょうけれども、なぜか「お金のなる木」と呼ばれている植木があります。うちの「お金のなる木」は、かれこれ17、8年前に叔母の家に庭先から一株もらってきたものです。ずいぶん大きく育っていました。

 それがこの春先から大風が吹くとぼきぼきと折れるようになりました。木としての寿命が来たようです。木と書きましたが、実際は多肉質の植物です。で、100年に一度の不況と言われる時節柄、「お金のなる木」が枯れてしまうのは、縁起がよくない。
 でも、大丈夫。「お金のなる木」は挿し木でよく付くのです。で、小さい鉢を3つほど使って挿し木をしました。「お金のなる木」を増やしたわけ。

「お金のなる木」のほうも、寿命が来ると風でぼきぼき枝が折れるのには理由があるようです。折れて吹き飛ばされた枝が、どこかの地面に刺されば、そこから根が伸び、新しい「お金のなる木」になるというわけ。それもベランダでは望みがないなあ、と思っていましたが、今朝、他の植木鉢にちゃんと根を下ろしている「お金のなる木」の小さなやつを発見しました。ことによると、どこかとても遠くへ吹き飛ばされて、そこで根を下ろした「お金のなる木」もあるかもしれません。「お金のなる木」の度胸はなかなかのものです。
 思い煩うことなかれというのは、こういうことを言うのかもしれません。

いけども、いけども。

2009年07月08日(水)

 時々、原稿を書くのがいやだなあと思うことがあります。もうちょっと正確に言うと「原稿を書く状態に入ること」が嫌だなともたもたするのです。どうして嫌かというと、身体をここという空間に置いたまま、自分はどこか別のところに行っちゃうから。原稿を書いていると時間の進み方も、身の周りの空間の把握の仕方もいつもとはぜんぜん違うものになります。

 きっと絵を描いている画家も、音楽を演奏している演奏者もそんな感じなのでしょう。いや、画家や演奏者だけではなくて、絵を観ている人も、音楽を聴いている人も今ここにいるという感覚が薄らいでいることでしょう。時間を忘れて本を読むことがあるように。原稿を書いている時はそれと同じなんです。「原稿を書いている状態」に入るのが嫌だなあと感じるのは、そうなりたくないという意味です。

 結果として書き終わるとどうなっているかと言えば、家の中はもののけがいたんじゃないかと疑りたくなるぐらいごちゃごちゃ。どうしてこうなるの! と。若い頃に比べたらだいぶ用心はしているんですけどねえ。それで新聞連載を始める前には、コンテナ倉庫を借りて、家の中のいらないものをそちらに移したりもしましたし、そこまで用心したけれども、思い返してみると去年の4月頃から、用心だけじゃあ足りなくなって、無理に無理をかさねていて夏休みを待っていたにもかかわらず、夏休みは学校があるとき以上の大混乱で、切り抜けるのがせいいっぱい。そのまま秋に日中韓の文学フォーラムに出かけて、ようやく一息ついたのは11月。なぜか奥歯が痛みだしたと思ったら、これが心筋梗塞の前兆で、1月には救急車。12日ばかり入院して、退院した次の日に卒論面接で、そのまま入試の採点へ。

 そんな具合だったので「あ、あ、遊びたい!」という心境になり、熊本から博多に出て瀬戸内海を遡って大阪へ。外をふらふら歩き回るのはちっとも苦にはならないのですけど、これが「義務」という文字がつくとあらゆることが「イヤダ!」になる始末。大阪の四天王寺で舞楽を見たのは4月中旬。それから小袖の展覧会も見ました。あと京都もふらふらしたし。映画も観たい。芝居も観たい。取り壊しが決まった歌舞伎座にも行っておきたい。ゴーギャンの展覧会も行きたい。ど、ど、どうしよう。あ、イギリスに行く予約があったのをうっかり忘れていた。というような具合で、何が言いたいかというと、ようやく、もののけがいた家の中を片付け始めたのです。家の片付けをすると「原稿を書く状態」に入るのが嫌になってしまいます。だって、それってもののけを呼び込むのと同じなんだから。

 家の主が心ここにあらずの状態になると、それっとばかりにもののけが家の中に入ってきていろいろいたずらをするのです。書類を隠す。なんてのはいつものこと。なぜか冷蔵庫の牛肉がなくなる。(お母さん、それってお母さんが食ったの忘れているんだよと、息子は言いますが)一万円札が全自動洗濯機の中でぐるぐる回っている。3年前に支払ったはずの古本屋から請求書が届く。どうしてこんな物を選んだのだろうと首を傾げたくなる赤いワンピースが出てくる。それもこれも、私が原稿を書いていたために、心ここにあらずで、もののけが忍び込んできたおかげだとしか言いようがありません。

 んなことは言ってられないので、机周りを片付け始めました。これが「いけども、いけども、どこまで続くぬかるみぞ」という状態。もののけさん、もし私の嘆きが聞こえたら、ちょっと姿を見せてくれませんかね。いえ、いたずらをするなとは申しません。お姿をひと目だけ見たいのです。どうも、数々のいたずらの性質から見て、ものすごく怖い妖怪変化とは思えないのです。きっとかわいらしいお姿をしているのではないかと推察しています。そのかわいい姿を見ることができたら、この「行けども、行けども どこまで続くぬかるみぞ」の状態もまあ、笑って片付ける気になるかもしれません。

K2旅行記 始めました。

2009年07月05日(日)

 韓国の女性作家 姜英淑さんとの往復書簡「K2旅行記」始めました。ほんとうは今年の初めにはもう姜英淑さんのお手紙は届いていたのですが、私がちょっと救急車で運ばれて、最初の旅行があの世に行くというとんでもない展開になりかけたので、遅れました。

 姜英淑さんは2年ほど前には、法政大学の研究員として半年、日本にご滞在でした。2006年のことです。その時は、春の熊本、初夏の青森、夏の大阪と御一緒に旅行をしました。写真は青森の酸ヶ湯温泉で撮影したものです。姜英淑さんと私で、あちこちと旅行をした様子をお互いに報告しようというページです。写真も撮影してこようと思っています。で、もうコンパクトなデジタルカメラを購入してあるのですが、まだ使い方がよく判っていません。少し研究してみます。

 姜英淑さん、私もすぐにお返事を描きます。まっていてください。

 皆様、姜英淑さんと私が世界を旅します。どうぞ楽しみにして下さい。

   
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