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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

豚インフルエンザ

2009年04月28日(火)

 先週、金曜日の夜は大阪移動でした。で土曜日は大阪芸術大学へ講義。それからちょっと遊んでいたら、新幹線がなくなってしまいました。で帰りは日曜日。日曜日の新幹線の電光掲示板はしきりに「豚インフルエンザ」のニュースを流していました。

 いったいいつそんな騒ぎになったんじゃ?とびっくり。なにしろ金曜日の夜の時点では草なぎ君の裸騒動一色でしたから。それにしても、このごろの警察はやりすぎなんじゃないかと、薬物反応も出ていないのに「家宅捜索」はないだろうと面白半分でいたところです。

 豚インフルエンザじゃあ、面白半分でもいられないなあと電光掲示板を見ていたら、大阪から同行してきた長谷川郁夫さんが「豚じゃあ、鳥とちがって処分がたいへんだねえ」って。そういう問題じゃないだろう!「でも食べても大丈夫なんでしょ」それはそうですけど。なんだかへんてこな会話でした。隣の福江さんは白河夜船。我々、3人のように新幹線で東京、大阪をくたびれきったまま往復しているような人間がいちばんインフルエンザで死んじゃう可能性が高いんですけどねえ。まあ、心配してもしょうがない。どういう展開するのかわからないんだから。

 新幹線の中でこれは、この後の進行の速度の問題だなあと思い、家に帰ってネットを見ようとしたら、なぜかPCのネット閲覧ソフトが新しいものにごっそりと入れ替わっていて、いったい、どうしたらこんなことがおきるのだろうと「???」でした。PCも何かに感染したのかしら?

 伊藤さん、くれぐれもお大事に。ご家族の皆さんも御身体御大切に。そうそう、うちの娘は昨晩、私が咳をして「豚インフルエンザかしら?」と言ったら「ただの豚で、インフルエンザはまだついてないから平気、平気」などと言ってました。

おくやみ申し上げます。

2009年04月23日(木)

 伊藤さん、PCだけじゃなくて、ご自身の御身体も御大切になさってください。どうぞ御気落としなく、お過ごし下さいますように。

住吉大社のうさぎ

2009年04月21日(火)

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 お手水の水の噴出し口はうさぎでした。住吉大社は卯の花でも有名なのだそうです。今年は急に暑くなったので、卯の花もそろそろ咲き出しそうです。

住吉神社の猫

2009年04月20日(月)

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 本殿裏のお稲荷様に猫がいました。招き猫はもともと狐だったそうです。

住吉大社の新郎新婦

2009年04月13日(月)

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 住吉大社に行った日は結婚式の多い日でした。お嫁さんとお婿さんが次から次へに。

うちの桜

2009年04月11日(土)

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 家のとなりの住宅展示場が撤去されたのは昨年の暮れのことでした。あとには日用雑貨を売る4階建ての店ができるはずだったのですが、1月16日からの工事が今現在に至ってもまだ始まっていません。だからきれいな空地。
 この土地は住宅展示場になる前は製紙会社の工場でした。土手に桜が植えられたのは、住宅展示場が出来たときですから、かれこれ24、5年前です。

 桜の木も25年もたつとたいそう立派な木になります。建物がなくなったので、今年は実にのびのびと花が咲いていました。この花の昨日の風であっという間に散って行きました。桜もこれでおしまい。ではないのです。この土手には八重桜も植えられていて、お花見の大騒ぎが終わった頃合を見計らって、ぼってりとした色の濃い花を咲かせます。

光が丘の桜

2009年04月10日(金)

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 今年の桜は咲き始めてから満開になるまでが、ほんとうに長い桜でした。

 満開になった桜がいっせいに散ってゆきました。散った花びらが地面に白く敷き詰められていました。桜の花びらの絨毯の上にシートを敷いて、静かのお花見をする女の人がふたりいました。自転車のおじさんは花びらの絨毯の上をくるりくるりと蛇行しながら走っていきました。

 乳母車に乗っていた男の子が、白い花びらの上にトンととびおりて、あたりを不思議そうに眺めていたかと思うと、いきなり地面に向かって「ばいばい」「ばいばい」と小さな手を振り始めました。乳母車を押していたお母さんが「何にばいばいしているの?」と聞いても、答えずに一身に地面を見つめて「ばいばい」を繰り替えていました。白い絨毯に、桜の枝が影を落とし、光の波模様を描き出していました。風がさあっと吹くと、白い花びらがまた舞い上がりました。

花まつり

2009年04月09日(木)

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 花まつりでした。近くのお寺で小さなお釈迦様のいる厨子を軒先に出していました。「どうぞおまいりしてください」の張り紙。そばには甘茶のポットと福あめそして金平糖が出ていました。小学生くらいの男の子がお茶を飲んでいました。近づくと男の子は「こんにちは」とご挨拶。それでお茶を飲み終わるとさっと姿を消してしまいました。お釈迦様に甘茶をかけて、お賽銭を置いてきました。

お釈迦様は生まれたとき、天上と地上を指差して天にも地にもわれ一人と言ったそうですが、赤ん坊は指差しこししないものの、たいてい天にも地にも我ひとりと言いたそうな顔をしています。で、中学生くらいになると、わざわざ「一人で生まれてきたみたい」な顔をするようになるの。赤ちゃんの時の自信の有効期限が切れちゃったんでしょうねえ。赤ん坊ってのは、どうしてあんなに自信に満ち満ちているのでしょうか。

上野の山の桜

2009年04月09日(木)

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 久しぶりに動物園に行ったらずいぶんきれいになっていました。パンダの檻には「カンカンは慢性心不全で死にました」という表示があり、ジャイアントパンダの代わりにレッサーパンダがいました。そうかパンダも心不全だったのねえ。と妙にパンダに同情。そのことを知り合いに話したら
 「だから痩せろって言ってるだろう。パンダも太ってたじゃないか」
 だって。
「痩せたパンダなんか誰も見たくないでしょう」
「そんなにパンダがよければ笹でも食べな」
 と、そんな会話。で、天草のたけのこをいただきました。馬場さん、どうもありがとうございます。私は笹よりたけのこが好きです。

醍醐寺の桜

2009年04月07日(火)

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 豊臣秀吉が死の半年前に花見をしたという醍醐寺の桜を見てきました。「そうだ京都へ行こう」のポスターも今年の春は醍醐寺の桜が使われています。大阪からの距離感を知りたかったので、大阪を基点に醍醐寺に行ってみました。JR大阪駅ではちょうど、敦賀行きの特別快速がホームに入ってきたところに行き逢いました。で、その特別快速で山科まで、だいたい30分くらい。

 山科から地下鉄東西線の醍醐駅まで、10分。醍醐駅にはお花見の人のための循環バスが出ていました。周辺は新しく開発された団地。醍醐駅も花見の季節以外は、たぶん平凡な郊外の駅なのでしょう。循環バスに乗ってみました。最初は歩くつもりだったのですが、案内表示にしたがって歩くとどうしても団地の中に入っていってしまうので、降参して循環バスに乗ることにしました。でも、この循環バスは醍醐寺の駐車場に近づくと、渋滞に巻き込まれて一寸も動かなくなってしまいます。

 醍醐寺は京都の中心街から少し離れているので、ふだんは観光客も少ないようです。最近になって観光地を意識しだした様子がなんとなく境内の雰囲気から感じられました。三宝院のしだれ桜を見て、それから金堂へ。

 醍醐寺は山すその下醍醐と山中の上醍醐に分かれるそうです。上醍醐の入り口には、鳥居がありました。仏教のお寺ですが、修験道の寺でもあるようです。それで、以前、京都じゅうの瀧に打たれているというタクシーの運転手さんがいたのを思い出しました。何かの取材の時に瀧に打たれる話を聞いたのです。京都の周辺にはけっこうたくさんの瀧があるとのことでした。

 写真は上醍醐へ入る手前の講堂の桜。ちょうど満開でした。上醍醐はまたこの次の時にしようと、今回は下醍醐だけで引き返してきました。人の流れについて行くと地下鉄の駅に行く人々は団地の敷地の中に入って行きます。団地の真ん中に遊歩道風のゆるやかな下り坂があり、その坂はそのまま、駅ビルのショッピングセンターの二階へと続いていました。だから、案内表示に従って醍醐寺に行こうとすると、団地の中に入っていってしまうのでした。

 地下鉄の醍醐駅から山科には戻らず、六地蔵に出ました。地下鉄の六地蔵から京阪宇治線の六地蔵までは、川を一本渡りました。川の土手にたくさんの菜の花が咲き、菜の花の群れのなかに「一級河川 山科川」の看板が立っていました。京阪宇治線は書中島で本線と合流。この書中島が昔の伏見の中心地だったようです。電車に乗ってみて「なるほどなあ」と納得。今の観光用ガイドブックでは、醍醐寺と伏見、大阪はまったく別世界のような扱いを受けていますが、電車の線路は、昔むかし、淀川を30石船が上り下りした時の同じ流れで動いているのが判りました。書中島で京阪の淀屋橋行きの電車をつかまえ、大阪に帰りついたのでした。

 その京阪の駅に「造幣局の通りぬけは、今年は4月8日から15日まで」というポスターがありました。醍醐寺のしだれ桜が満開だったことを考えると少し遅いような気がしましたが、あとから知っている人に聞いてみると大阪造幣局の桜は、八重桜なのだそうです。しかもいろいろな種類の八重桜が植えられているそうです。八重桜ならば、少し遅れて咲くのも通りです。造幣局そのものは文字通りに通り抜けるだけですが、造幣局の外側の川岸には露天も出て賑やかなお花見ができる場所があるとのことでした。

住吉大社

2009年04月04日(土)

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 この太鼓橋を渡らないと住吉大社にお参りしたことになりませんという案内がありました。それで、赤ちゃんにのしめを着せてお宮参りをするおばあさんまで、おそるおそる太鼓橋を渡っていました。

 実際に渡ってみると写真でみるよりもずっと急な感じがします。太鼓橋は源氏物語絵巻にも描かれています。太鼓橋と言えば鎌倉の八幡宮にも石の大きな太鼓橋があって、子どもの頃は、その太鼓橋を無理やりに渡ったものです。でもどうして、神社には太鼓橋があるのでしょうか? 空に上る虹と関係はあるのかしら? 今度、誰か知っていそうな人を見つけて聞いてみようと思います。

四天王寺の桜

2009年04月03日(金)

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 以前、四天王寺に行った時はちょうど4時の閉門時間で、西門の鳥居だけを見て帰ってきました。四天王寺はお寺だけど、西門に鳥居があるのです。あたりは上町台地とか夕陽ヶ丘を呼ばれている高台で、西門の鳥居は極楽浄土に通じているということです。西門のそばに陀羅尼助をいう薬を売る店があって、ああ、ここは吉野にも通じているのだなと思いました。それで、今度はちゃんと境内に入れました。

 中世まで遡ると、四天王寺のしたまで海が入り込んでいたみたいです。四天王寺から住吉大社の前をとおり、堺まで路面電車が走っていますが、その電車の線路がだいたい中世の海岸線のようです。埋め立てが進み、海は遠くなりましたが、実際にその場所に言ってみると、昔の地形が別の姿をして残っていることがよくあります。吉田兼好は徒然草に「辺土のもの」はすべてかたよっていてあまりよろしいものはないけれども四天王寺の舞楽だけはすばらしいと書いています。京の都からみれば天王子あたりはもう「辺土」だったのですね。田舎じゃなくて辺土。そう言う兼好法師はわざわざ関東まで下ってきているいますが、それこそ地の果てにくるような感じだったんでしょうかねえ? 兼好法師が褒めた舞楽は4月22日にあるそうです。石舞台があって、そのうえで舞楽が行われるとのことでした。見てみたいものです。

 写真は方丈という建物から庭の桜を見たところ。この日は曇りで、私のほかに桜を見物する人は誰もいませんでした。桜もまだ2分咲き3分咲きといったところでした。

大阪城

2009年04月02日(木)

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 大阪城は一度行かなくちゃいけないなあと思いながら、行ったことのある人が「つまらない」というので、ずっと二の足を踏んでいました。「つまらない」理由は「ただ広いだけ」なのだそうです。確かに地図で見てもかなり広い。ホテルニューオータニの客室から眺めてもほんとうに広い。で、つまらないかどうかは別として広いなら、夏の暑い時、冬の寒い時はさけたほうがよさそうだなとかねがね、時期を考えていました。

 淀屋橋のたもとから乗れる水上バス。こちらのほうは一度、乗ってみたいと思っていました。で、水上バス乗り場に行くと「臨時便 大阪城行き」の表示がありました。渡りに船とはこのことです! さっそく大阪城までの切符を買いました。大阪の川や堀など、つまり水路について感覚的に知りたかったので、城中まで船が行けるとしたら、これに越したことはありません。

 今年の桜は、大阪でもお彼岸には咲き出したのに、そのあとは寒い日が続き、開花は遅々として進みませんでした。船の上から造幣局の通り抜けの桜、桜の宮の桜を眺め、さらに遠く大阪城の天守閣を見ました。あと中ノ島の先端がとんがっているのも見ることができました。昔は大阪から伏見まで船で行き来したそうです。で、南へ下れば天王寺、住吉大社、堺へと連なり、大阪湾から瀬戸内海、瀬戸内海を出ればそこは玄界灘で、行きたければマニラでもルソンでも行けるというわけ。淀川は世界に通じる通路です。って、そういうスケールにふさわしい大きさが大阪城にはありました。

 確かに大阪城は広い。熊本城も広かったけれども、大阪の広さはなんと行ったらいいのか、広々と開けた広さです。この広さを楽しめたので大阪城はつまらないということはありませんでした。大きな梅林があり、冬に来てもよさそうでした。夏の暑いときだけは止めたほうがよさそうです。お城というのは外堀、内堀に囲まれたひとつの街だと考えたほうがよさそうです。西洋では街を城壁で囲ってましたが、どうしたわけか日本は堀で街を囲って「城」と称しています。河川や沼沢を利用して堀を作れば、物資の輸送にも便利だし、非常事態の時は防備の役割も果たすと、そういうふうに「堀」を利用することを考え出したのはいったい誰だったのでしょう?

 東京だって、飯田橋の外堀のふちから皇居の真ん中まで歩けと言われたら、ちょっとねえと考えてしまします。大阪城の船着きから天守閣まで行くのは、感覚的にはちょっとそんな感じでした。船着きに近い青屋門から地形の高低差や石垣の組み方を見ながら歩いていたら、これがたまらなく楽しく桜門まで行き着きました。天守閣を見物する前に豊国神社でおみくじを引いてみました。「医者はむやみにかえるな」とあって、太閤さんにそう言われたような気がしました。あと、中国、韓国からの観光客がたくさんいました。朝鮮半島も大陸もみんな、みんな、春休みというところでしょう。

 韓国の小説家の姜英淑さんと熊本城にいったとき、時代衣装を着たお城の番兵を見て、姜英淑さんは「こわいですね」と言っていました。日本の番兵の姿は秀吉の朝鮮出兵の時にことを思い出させる怖い姿ということでした。で、大阪城を見物した韓国人は何を思うのでしょうか? なにしろ、秀吉は朝鮮の国土を大混乱に陥れた大悪人ですから。ちょっと聞いてみたいような気もしました。きっと熊本城を作った加藤清正は、大阪城に憧れていたのでしょう。話を聞けるものなら、加藤清正にも話を聞いてみたいような気がしました。

 天守閣の最上階まで上がってみると、東西南北、大阪がすみずみまで見渡せて、これも広い、広い。そういう大阪城でした。帰りはくたびれて、城内を走っていた汽車形をしたバスに乗りました。桜門から森の宮の駐車場まで。となりはかわいい坊やとお母さんが乗っていました。

嘘ではありません。

2009年04月01日(水)

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 豆蔵さん、なんで4月1日にお知らせを出すのでしょうか?明日になったらもとのHPに戻っていたりして(笑)

 いやいや、嘘ではありません。リニューアルしました。これから新しいコンテンツもふやします。皆様「豆畑の友」をどうぞよろしく!

 写真は大阪城の桜門から天守閣を見たところ。堺から大阪を歩き回ってきました。堺、住吉大社、それに水上バスに乗って大阪城に行ってきました。水上バスから大阪造幣局や桜宮それに大阪城あたりの桜を見ることが出来ました。と言っても桜はまだ満開までに少し間がありました。もっとも満開になっていたらものすごい人出で、ゆっくり景色を楽しむ閑もなかったかもしれませんから、ちょうど良いときでした。

   
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