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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

息子の北海道旅行のお土産と東京駅

2007年11月29日(木)

 息子が北海道旅行に行った。で、お土産は「白い恋人」と「毛蟹」と「じゃが芋」だった。お兄ちゃんのお土産に妹は「若い男の買い物とは思えん」のひと言。

 でも蟹は鍋にすることにしたので、妹のほうもそれはこころ待ちにしている。じゃが芋は「インカの目覚め」と「レッドムーン」。「インカの目覚め」は時々、飲み屋さんなんかで見かけたことがある品種だけど「レッドムーン」のほうは初めて見た品種。「レッドムーン」はさつま芋みたいに赤い色をしている。

 ここのところ再開発がぐんぐん進んでいる東京駅を文芸評論家の井口時男さんと歩いた。中央公論2月号の鼎談の帰りだ。鼎談のもうひとりは作家の三田誠広さん。「太陽の季節」から「ノルウェーの森」まで、戦後から昭和が終わるまでの青春小説がテーマ。

 で、東京駅とじゃが芋にどんな関係があるのかと言えば、どちらも見慣れているはずなのに見たことがないものになっていたこと。

子どもの過去 老人の未来

2007年11月26日(月)

 子どもは未来だって言われます。そのとおりなのですが、とうの子どもは「未来」というものがあまり想像できないようです。うちの子どもたちは、最初は「夜」と「朝」の区別しかありませんでした。暗い時は「夜」明るい時は「朝」と呼んでいました。だから夕方でも明るければ「朝」でした。

 「明日」とか「明後日」という感覚が理解できてきたのは何歳頃だったか? よくは思い出せません。でも、息子が小学校の一年生の時は、夏休みの始まりの日に真っ青な顔をして宿題をやっていました。こんなにたくさんの宿題は「明日までに」終わるはずがないとあせっていたのです。夏休みが40日あることをうまく理解できなかったみたいです。で、40日あるということを言って聞かせると、それですっかり安心して、40日後に一晩で宿題を片付けることになりました。こんなことになるなら、彼の誤解を解かずに夏休みの初めに宿題を終わらせるようにしとけばよかったのに、と呆れたものです。

 だから年末年始の行事については、彼らが小さいときには、なかなかその流れを飲み込んでももらえないうえに、私のほうは印刷所が年末年始に閉まってしまうとか新聞の新年の別刷りの入稿をしなくちゃいけないとかで、だんだんにお正月の準備をするなんていう心境になれませんでした。子どもが高校生くらいになると「お母さん、年賀状はどうするの?」なんて聞いてくれることもあったのですけど、頭が年内納めの仕事でいっぱいいっぱいなので「それどころじゃない」って顔をついしてしまいます。高校生くらいの子ってプライドが高くて無視されたと思うと、もうあとはそれっきりで、何も言わないっていう態度にでることもしばしばで、年末で手いっぱいなんだなあなんて思ってくれればいいのに、と言う親の期待は裏切られて、紛争勃発なんてこともありました。

 過去をたくさん持っている老人は、過去から未来を予測する能力があります。「来年のことはわからない」とか「生きていないかもしれない」とか言いながら、5年先10年先を見通すような話を聞かせてくれることがあります。未来がたくさんあるはずの子どもには、未来を見通す力が乏しくて、過去がずんずん積み重なっている老人は未来を見通したたがるということを考えるたびに、人間の時間感覚は不思議なものだなあと思います。

ビオラと葉ぼたん

2007年11月25日(日)

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 ビオラと葉ぼたんを植えました。

 小さい葉ぼたんは毎年、植えたいと思いながら、買う時期を逃していました。クリスマスが過ぎて、お正月が来るという頃にはもうどこにも売っていないんです。

 今さらと、言われそうですけど、クリスマスの準備よりもお正月の準備のほうが早く始まるのに、ようやく気がつきました。年賀状の売り出しは11月1日だし。それを過ぎると気の早いデパートやスーパーマーケットは「おせち料理」の予約を始めるしで、どうもあとから来るお正月の準備のほうが先にくるクリスマスよりも、早くに準備が始まるんだって気づくのがあんまり遅いと言われそうですけど、例年、11月のうちは「来年」のことは考えたくないなあと思っていたんです。12月になちゃえば「来年」は「来月」なんだから、これは仕方がないかって感じで、あきらめて「来年」のことを考えていました。

 今年はなぜお正月の準備のほうが、クリスマスより先だと気づいたのかと言えば、相談する人がいたからです。お正月をどんなふうに過ごしたいのかを息子と娘に尋ねました。それから年賀状の宛名書きをパソコンに入力するのを助手の深野さんに頼みました。おかげで、あ、世の中全体が、クリスマスよりもお正月の準備を先に始めるのかと気づいたわけです。

 子どもが小さいときはクリスマスは一大イベントで、なにしろサンタクロースを呼ばなければいけないわけで、そんなことから、まずクリスマスをなんとか乗り切る、それからお正月の準備という頭になっていました。サンタクロースを喜ぶ子どもは、大人とちがってお正月をどう過ごすかなんていう相談の相手にはなりませんから、その頃にできた習性が残っていたんです。

 で、お正月になると「ああ、小さな葉ぼたんを買っておけばよかった。苗を植えておけばよかったのに」と毎年、残念に思っていました。葉ぼたんの苗を植えられたということは、つまり、子どもが大きくなったということになります。

私の曇っている左側

2007年11月24日(土)

 眼鏡を使いはじめてからかれこれ2ヶ月がたちました。目が悪いと自覚したためか、左側が見えていないというのがしきりに気になります。ものの輪郭がほとんどとれていませんし、光を発するものは滲んで見えます。

 レンズの問題ではなく網膜の問題だそうで、ぼやけている左側を意識するたびに、眼科で見せてもらった左の網膜の写真を思い出します。乳白色の地に赤い血管が走る網膜の半分くらいが、いくらか暗い色をしていました。どんよりとしたその色は、医師に指摘してもらわなければ、色の違いがわからない程度のものですけど、そのせいで、これだけものがぼやけているんだなと、時々、自分の目玉の奥を覗きこんでいるみたいな気持ちで、左側のぼやけた景色を眺めています。

 眼鏡ってのは、こんなに不自由だったのか、本を読みながらお茶を飲むたびに、曇ってしまうレンズを拭いています。先週あたりから急に寒くなって、赤、黄色に色づいた東京の景色も左側だけは、ぼんやりといささか曇っています。右と左と違う景色が見られると思えばこれも悪くないかなあと、まあ、これは負け惜しみですね。

 NHKの収録では、眼鏡が必要な場面もあるかとテーブルの上に近く用(文字を読むための眼鏡)を置いていたのですけど、取り出す場面はありませんでした。

NHKのブックレビュー収録

2007年11月23日(金)

 NHKのブックレビューの収録で、作家の北方健三さん、大沢在昌さんにお目にかかりました。特集で、推理作家協会創立60周年をやるということで、歴代理事長の逢坂剛さん、北方健三さん、大沢在昌さんが御出演ということで、書評欄の収録ででかけていた私も北方さんと大沢さんにちょっと御挨拶しました。以前、あることで漫画家協会のちばてつやさんから御相談を受けて、北方さん、大沢さんにちばさんを御紹介したことがあって、そのままになっていたのですごくおくればせの御礼。

 御礼に行く前に、タバコを一本吸ってから、お三方の控え室に顔を出そうと思って喫煙所にいったら、なんのことはない、北方さんは細巻きの葉巻を、大沢さんは紙巻きを、二人で吸っていて、結局、喫煙室で御挨拶がすんでしまいました。

 北方さんからは「本、送ってこないじゃないか」と、いや、それは本が出てないからで(冷汗)はははと笑いながら「歴史小説書いてます」と言ってしまいました。北方さんからはこの25年くらいの間、ずっと御著書が出るたびにお送りいただいています。それから藤沢周さんも含めて、4人で新聞連載の話をしました。

「朝から殺戮シーンを読ませるな、なんて投書がくるよ」というそばから「朝から射精のシーンだってあるじゃないか」とかなんとか。まあまあ、以下略。そうそう北方さんも日経新聞に連載中でした。「失楽園」や「愛ルケ」が載っていたのと同じ朝刊でした。それにしても、北方さん、大沢さんともに笑う声がでかいこと。隣の部屋で、特集ページの打ち合わせ中も「わはは、わはは、わはは」の連続が響いてきました。

 書評の司会は藤沢周さんと中江有里さん。書評は久間十義さんに北上次郎さんでした。久間さんに会うのも久しぶり。北上さんは新潮文庫のアンソロジーの編者としてご縁がありましたが、お目にかかるのは初めてでした。放送は日曜日朝8時から、再放送が同じ日の深夜0時からです、いずれもBS2です。

あ、入れちゃった。

2007年11月23日(金)

 豆ちゃん、ちゃんと入れました。今朝からぜんぜん入れなかったんですけど……。なんだかきつねにつままれた気分。

 はい、ちゃんと入れました。

 伊藤さん、こんなことも時々あるんです。

テスト、テスト、テストデス。

2007年11月20日(火)

チャントデキルカナ?

ブランドとミシュラン

2007年11月20日(火)

 昨日、帰宅のタクシーの中で、ミシュランガイドを話題にしている番組を耳にしました。で、帰宅後、ネットを覗いてみると、ミシュランの3つ星を獲得したレストランが東京には8店もあるのだそうです。

 銀座通りは有名ブランド店ラッシュ。食べることと着ることにかけては、東京は世界でも有数のぜいたくな街になりだしているみたいです。それもこれも「家が買えないからだ!」という気がします。家は高すぎて、昔、フランスの首相に「日本人はうさぎ小屋に住んでいる」なんていう悪口を言われたことがありましたが、家にかけるお金を食べることと着ること、それに車にまわしてきた結果が、こんな風景を生み出したのではないでしょうか?

 私はブランドもミシュランのレストランの格付けも嫌いじゃありません。お金持ちはせいぜいお金を使って、それを眺める私たちを楽しませて欲しいと思います。バブル経済がはじけたあと、高級レストランで修行したコックさんや板前さんが、気楽な小さい店を開いて、あまり高くない値段でおいしいものを食べさせてくれたのをちょっと思い出します。そんなふうに、良い技術とか良い目やセンスがだんだんにすそ広がりになってくれれば、お金持ちが大散財をするのも悪くはないでしょう。

 最近、聞いた興味深い話は、城戸朱理さんが話していた「東京ガールズコレクション」の成功の件でした。デザイナーのほうの提案が強い高級プレタポルテではなくて、お客さんのほうの注文(こんなものが着たい、あんなものが欲しい)にメーカーが答えるというコンセプトで成功したのだそうです。「ほほう!」というわけで一度、「東京ガールズコレクション」を覗いてみたいなあと思っています。

 今のところは東京の贅沢は、パリの贅沢の模倣に過ぎないところがありますが、それでも、その模倣がどんどんその場所(街)と混合して、そのうちに「東京の贅沢」が生み出されそうな感じがしています。

 期待しすぎかな。でも、ブランドブームなんていわれたのが30年前で(田中康夫が「なんとなくクリスタル」を書いたのは私の学生時代でした)それから、いったいどうなるのだろう? と興味を持って眺めてきたのでした。

秋の薔薇

2007年11月19日(月)

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 鎌倉近代文学館の薔薇園の薔薇です。秋の薔薇はちょっとシック。春の薔薇の匂い立つのに比べて、なんと言ったらいいのか? ああ、うまくいえません。

 それにしても、寒くなりました。薔薇の季節もこれでおしまい。薔薇園の手入れも冬の間は、少しお休みになるのでしょう。

 東北地方では大雪で、青森県の酸ヶ湯温泉ではもう79センチも雪が積もったそうです。どおりで寒いはずだ。伊藤さん、伊藤さん、伊藤さんのお住まいの場所の気温はどのくらいですか?

鎌倉近代文学館で

2007年11月18日(日)

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 鎌倉近代文学館で開かれている「中原中也」展の講演をしてきました。写真は近代文学館の喫煙スペースに落ちていた木の実です。どうしたことか、喫煙スペースでタバコを吸っていると、ぽたん、ぽとりと木の実が次々に落ちてきました。自然に落下したという感じではありません。

 喫煙スペースのわきが崖になっていて、雑木が茂っているのですが、その梢あたりで鳥が騒いでいました。木の実の房ごと落ちてくるところを見ると、どうも鳥の悪戯のような気がします。

 木の実が振ってくる喫煙スペースでゆっくりタバコを吸ってから、鎌倉駅で詩人の城戸朱理さんと待ち合わせをして、城戸朱理夫妻にバー「マイクス」でごちそうになりました。

 これが火曜日のことで、土曜日にも再び鎌倉へ。文芸評論家の秋山駿さんを囲む会が、長谷の華正楼で開かれました。
秋山さんは今年、喜寿を迎えられたそうです。古希の時にはみんなでお祝いをして、九十九里浜を散歩し、いわし博物館を見学しました。(いわし博物館そのものにはあまり意味はありません。単純に九十九里にあったから、ちょっと寄ってみたのです)で、そのいわし博物館がその後、爆発したことが話題になりました。
 第一報では「テロ?」という疑いもありましたけど、なんでも床下に天然ガスがたまるという自然の悪戯だったようです。

 秋山さんとちょっとだけマラルメの話をしました。

 夜はだいぶ寒くなって、駅のホームにいると身体が冷えてしまいそうになりました。秋山さん、夫馬基彦さん編集者の小山さん、八代さんそれから新宿「ブラ」の早川さんなどと、横須賀線で横浜まで出て、湘南新宿ラインの「小金井」行きのグリーンに乗って帰ってきました。家の近くの駅前のロイヤルホストで、小山さんとしばらくよもやま話。紅葉し木々が夜目にも華やいで見えたのは、急に寒くなったせいでしょう。

冷たい雨がふって

2007年11月16日(金)

 先週の金曜日の夜、冷たい雨が降り始めて、土曜日いっぱい降り続き、東京はすっかり秋の眺めになりました。法政大学の日本文学科の研究誌に「そとぼり通信」というはさみ込みの冊子があるのですが、その「そとぼり通信」から学生時代の愛読書という原稿を頼まれていました。

 で、私はガルシア・マルケスの「百年の孤独」とジュリアン・グリーンの全集のことを書きました。すると偶然の一致なのですが、田中和生先生も「百年の孤独」をあげたそうです。田中和生さんと私では18歳、年が違うのですけど、おんなじ本を上げるということがあるのですね。ほんとうはいろんな本を紹介するために、原稿を書き直したほうが良かったのですけど、それでなくても締切りを過ぎていたので、そのまま、掲載してもらうことにしました。で、思ったことは「田中和生先生は私が小説を書き始めた頃、おぎゃあって生まれたのか」ということでした。なんだか「へえ!」です。

 「そとぼり通信」の原稿を大急ぎで書きながら、外には冷たい雨が降っていたせいか、絶対、他人には触られたくない魂の秘密について書こうとしていた頃があるなあということが、しきりに思い出されました。

 そんなことを思うのはきっと冷たい雨に降り込められていたせいなのでしょう。

文学フリマ3回目

2007年11月15日(木)

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 文学フリマの事務局によると今年は出展者300人、来場者1000人で過去最高だったそうです。

 なんとなく人が少ないような気がしたのは、午前中の入場者が少なかったのと、事務局の会場整理の工夫が功を奏したのでしょう。私は文学フリマに出店したのは3回目ですが、1回目の売り子をやるのにびくびく、2回目はお買い物をしてあるくのにどきどき。3回目は売り子もお買い物もどきどき、びくびくでした。3回目なら慣れるだろうと言われそうですけど、「なれ」は悪いほうに出て、前の2回ほど気合が入っていませんでした。

 そのかわり、マスズミ君はしっかり気合が入っていました。私は会場で、どのように冊子を制作したのかを幾人かの人とお話しました。アドビー系のフォトショップなどを使って作ったという人もいましたし、本職はウェッブデザイナーという人もいました。漫画のコミケはものすごく盛んだと聞きましたが、たぶん、その背景には印刷機器の発展と簡易化があるのだろうなと考えていましたが、文学フリマの場合も同じことが言えるのかもしれません。

今年の文学フリマは

2007年11月12日(月)

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 今年の文学フリマはなんとなく同窓会? ノリだったかな。6回目ということで、なれているともいえるし、雨降りだったから、お客さんの出足が少々悪かった感じもしました。

 「法政文芸」の向かい側のブースは日芸で私のゼミにいたイックさんやタダさんのグループ。モヒカン刈りで緑色の髪の毛をしていたコショネちゃんやコイケアイコさんの学年の卒業生だから、と数えてみると学校を卒業して、もう何年たっているんだろう? だんだん解らなくなってきた。

 二階の早稲田文学のブースを覗いてみる。「おたあジュリア異聞」のアシスタントをしてもらっているパクさんがいるかな? と尋ねてみたのだけれども「今日は来ません」という返事だった。それから、長島有さんとちょっと話をして、「木曜日」や「銀座線」の皆さんともご挨拶。あとマニエリストQさんのところにも行く。そうそう、図書新聞画廊の朗読会でファゴットを吹いてくれた氷月そらさんに久しぶりでお会いしました。

「法政文芸」のブースはマスズミ君、いつも黙っているハセガワ君、スズキカスミさん、ハラダさん、キシダ君が手伝いに来てくれて、豆蔵さんも応援に。あと、ハセガワモエさんが独自にブースを出していて、そちらにも「耕治粉」(これでコージーコーナー)を置いてもらいました。マスズミ君は今回、三冊の冊子の編集にかかわっていて、かなりはりきってました。で、早速、本の帯を会場で制作。ハラダさんは「敷布はないのですか?」と質問して、なぜか「シキフ」の一言が古めかしく聞こえたみたいで大受け。

 会場の設営が済んだところで、マスズミ君、いつも黙っている長谷川君は例によって会場を探検に。めぼしをつけていた同人誌を買ってきました。いつも黙っている長谷川君は高校生の時から文学フリマに来ているということでした。第一回から知っているのは、いつも黙っている長谷川君だけ。
 フリマそのものを楽しでいたのはスズキカスミさんとハラダさん。がちゃがちゃに入っている豆本をみつけてきたり、ピンク色のトレッシングペーパーがかかった「百合の寝台」という冊子をもらってきて「これ、おもしろい!」と作者の柳川麻衣さんの「胡蝶」を買ってきたりとか、いろいろ。

 目を引くのは、本の作りに手をかけているものでした。レコード(この言葉も古くなっちゃったけど)を買う時に、中身を聞くわけには行かないので、ジャケットの雰囲気で買うのをジャケ買いと言いましたけど、本もやっぱり最初に目を引くのは、本の作り(造本)と表紙のデザイン。つまり両方あわせて、装丁ということになります。冊子といえども、それは同じでした。で、いくつかのブースでどんな機材やソフトで冊子を作ったかを聞いてみたりしました。この話はまた後日。

(ぼやき 締切りだぁとか忙しいと口に出して言うとなぜか原稿が書けなくなってしまいます。だから私にとってこれは禁句なんだけど。伊藤さんは「締切り! 締切り!」って言うのは大丈夫みたいだから不思議!!)

ナゴヤのいない文学フリマ

2007年11月11日(日)

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 一昨年、昨年に続いての文学フリマです。一昨年も昨年も販売をしてくれたナゴヤ君が今年はいませんでした。でもナゴヤファンはいて、ナゴヤ君が書いている雑誌ありますか? と夜ゼミのゼミ誌を買ってくれました。

冷たい雨

2007年11月10日(土)

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 金曜日の夜半前から冷たい雨が降り出しました。群馬ののぶさんからは、群馬の山々にはもう白くなっているところも見えるというおたよりをいただきました。

 タクシーの運転手さんはガソリンスタンドの値段表示を見てため息をついていました。東京のタクシーは来月から値上がりになるのですが、ガソリンの値上げはそれ以上で、とてもおいつきそうにないということでした。ガソリンは高くなったものです。このぶんだと灯油もかなり値上がりするでしょう。我が家は石油ストーブを今でも使っていますけど、灯油の値上がりはけっこうこたえます。

 冬が来る前にビオラを鉢植えにしてしまおうと用意はしてあるのですけど、なかなか手が回りません。ビオラは秋の終わりに植え替えをしておくと、冬の間によく根を張るのだそうです。以前、花屋さんに教えてもらいました。

群馬の渋川に行ってきました。

2007年11月07日(水)

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 お天気のよい静かな日でした。

高崎までは新幹線で、高崎で水上行きの普通列車に乗り換えました。渋川というと伊香保温泉に行くときに通ります。たいてい車で出かけてしまうので、電車の窓から見るどっしりとした山並みを珍しく感じました。帰りは日が沈む時刻で、山の稜線が夕日で赤く燃えているのを楽しみました。

結婚詐欺

2007年11月05日(月)

 40歳代の介護士の女性から150万円を騙し取ったとして劇作家が逮捕されるというニュースを見つけました。結婚後に二人で同居するマンションの頭金という名目でお金を騙し取ったそうです。で、これは逮捕の名目にすぎず、なんでも1億7000万円くらいの余罪がある様子だとのことでした。介護士の女性のほかに複数の女性に結婚をもちかけてお金を騙し取っていたようです。
 介護士の女性も自分の家を売って3000万円のお金をつくり、事業用の資金として渡しているとありました。きっと事業用の資金では、詐欺の立証が難しかったので、マンションの頭金の持ち逃げのほうを警察は逮捕の理由にしたのでしょう。

 で、昨日の話の続きですが、この40代の介護士の女性が高校を卒業する頃には、女性が住宅ローンを組むのがむずかしかったはずです。銀行は「女性には貸さない」とはっきりとは言いませんが、だいたいそんな感じでした。で、女性雑誌には銀行から住宅ローンを女性一人で借りる方法なんていう特集がありました。こつこつと預金をして、信用をつけるという正攻法な話ですけど「なるほどなあ」と納得しながら、そんな記事を読んだ覚えがあります。で、この騙された介護士さんが即金でマンションを買ったのか、住宅ローンで買ったのかはわかりませんが、いずれにしたところで、かなり努力をして買ったマンションに違いありません。年代から考えると銀行も独身女性に住宅ローンを貸すようになった「はしり」の頃の利用者かもしれないなあと思いました。

 以前、詐欺にかんする本を読んだことがあるのですが、結婚詐欺というのは、被害届けをとり下げられてしまうことが多いのだそうです。被害者も「騙された」とは思いたくないそうで、被害届けが取り下げられて犯罪そのものが消滅してしまうというケースが多いと書いてありました。そんなものかなと思いつつ、なんとなく「そうだろうな、そうだろうな」と納得してしまいました。被害というよりは感情のもつれと理解したほうが、心の傷が浅くて済むということろを、巧妙に利用するのだそうです。悪い人ってのは、やっぱりどこまでも悪いみたい。でも、その本によると、詐欺師は自分が人を騙している自覚がない人が多いとも書いてありました。人を騙すには、まず、自分を騙す必要があるのだそうです。で、1億7000万円を女性から引き出した劇作家もお金を受け取ったことは認めているものの、「騙したわけではない」と主張しているそうです。

格差社会

2007年11月04日(日)

 飛行機の客室乗務員のことをスチュワーデスと言っていた頃、若年定年制というのがあったのをふと思い出しました。女性は30歳で定年というような制度だったかな。もう30年以上も前に若年定年制は違法という判決が出て、だんだんに廃止されていきました。「若年定年制は違法」という判決は高校の教科書に載っていました。
 それから男女雇用機会均等法ができて、でも、まだその頃は女性の防衛大臣とか、独身の首相が日本にもいるようになるなんていうのは、空想的な話でしかありませんでした。

 小池百合子の「女子の本懐」という本の広告が、地下鉄の中吊り広告にありました。手元になにもなくて、記憶だけで書いているので、もしかすると間違っているかもしれませんが城山三郎の「男子の本懐」がベストセラーになっていた時代に、小池百合子元防衛大臣はテレビキャスターとして、活躍していたか、そのちょっと前だったか? それまでテレビのニュースと言えば、男性がキャスターを勤め、女性はアシスタントというパターンだったのが、小池百合子、安藤優子、田丸美鈴、などの女性もキャスターを勤めるようになったのでした。女性のテレビキャスター第一世代としては小池百合子元防衛大臣は、いちばんの出世頭というところでしょうか。

 男女雇用機会均等法ができたときに、この法律って、経済的に苦しいから共働きをしているって家庭のためにあるんじゃないよねえって、そう感じていました。むしろ高給取りの家庭のための法律って感じでした。30年前の日本は一億総中流なんて言っていましたから、男女格差を論じるときに、あんまり所得階層の違いに目を向けたりはしなかったんですけどね。その頃の空気を知っていると、なんというか、今の格差社会の小さな芽が出てきた頃のような、そんな感じをいくつも思い出します。

 今朝はちょうど新聞の配達が終わる頃に目をさましました。日経新聞には高級腕時計と宝飾品が並んだ小冊子が折り込まれていました。クリスマス用ギフトの宣伝広告で、単価は数万円から数十万円。腕時計は、万年筆と同じで、いまや高級品だけが残っていて、ちょっと前まで街でみかけた安い時計は姿を消してしまいました。携帯電話にその地位を奪われたみたいです。プチジュエリーはブランドがブームになる少し前、つまり女性のテレビキャスターが現れた頃から見かけるようになっていましたけど、だんだんと高価になってきています。で、その広告を見ながら、思ったことはこの30年で、お金持ちの雰囲気が変わったなあということでした。

 30年前、一億総中流と言っていた頃にもお金持ちはいて、しばしば「へえ、世の中にはお金持ちがいるんだなあ」と感心したことがありました。なんかねえ、うまく言えませんが、その頃のお金持ちは「古い家のお金持ち」でした。それが30年たって、やや入れ替わったのか、それとも「古い家のお金持ち」のセンスが変わったのか? どっちなのだろう? と日経のクリスマスギフトの折込み冊子を眺めていました。30年前は一億総中流の掛け声の前で、お金持ちはちょっと遠慮をして、大衆(この言葉も30年ほど前に消えてしまった感じがしま
すが)に紛れ込んでいたものですが、今は大手を振って街を歩いているというか、そんな感じです。

 たぶん、今のお金持ちは「自分の能力で稼いだ」という気持ちが強いのでしょう。30年前のお金持ちは「親から譲られた」とか「たまためぐり合わせが良かった」とかそんなふうにいささか遠慮気味でした。「成金」っていう単語がまだ罵倒語だったのですから。でも、どんな時代にも「成金」っているんだけどねえ……。今様成金の特徴をどんな言葉で表現したらいいんだろうって考えているうちに、若年定年制の違法判決やら男女雇用機会均等法などなど、をつらつらと思い出したわけです。格差社会というとワーキングプアなどの、所得の少ないほうの人々が、問題にされますけど、格差の上のほうはあんまり注目されないというか、その変化を論じている文章をみかけません。

 でも小説の世界では、わりに上のほうの登場人物がこのごろの作品には登場します。というか、恋愛小説を書くためには「自分の財産を持っている女」というキャラクターが必須の条件で、日本の近代小説はこの条件と満たす女性をうまく造詣できなかったのですけど、その条件を満たす女性がいる世の中になったということを最近の小説は如実にあらわしているなあと思う作品に出会うことがあります。そういうことについて考えていると、格差社会の上のほうの感覚やセンスが気になるというわけです。

豊後水道を横切って

2007年11月03日(土)

 大分に行ってきました。と言っても木曜日4限まで法政で授業をして、金曜日の6限までに戻ってくるというスケジュールでした。

 帰りの大分空港で、熊本の伊藤さんのところまではきっとレンタカーを借りればすぐにいける距離なんだろうなあと思いつつ、でも、伊藤さんはカリフォルニアに帰っちゃったからなとか、何とかぶつぶつと大分の空港で考えていたら、飛行機がすべて飛んで行ってしまいました。はて、私はいったいどの飛行機にのるべきだったのだろう?

 へんだな? と思って、空港職員にチケットを見せると
「お客様の御搭乗の飛行機は14時15分から18時10分発に変更になっています」
 という返事でした。もしかすると、どうも同行者のチケットと私のチケットを取り違えて持っていたみたいです。
 セキュリティチェックも済んであとは搭乗するだけだったので、一瞬にして頭の中に三つの考えがほど同時に横切りました。1、わぁ〜い、ばんざい。お天気の良い日に青く静かな豊後水道を飽きるまで眺めていられるぞ! 2、6限の授業はどうすんだ? 3、あと4時間も搭乗待合室にいなくちゃいけないの? ま、そういうふうに3つの考えが浮かんだあとで「どこかでタバコはすえないかな?」と思いつつ、次の飛行機の時間を聞いてみました。

 すると16時25分の東京行きがあるという返事で、ついでに搭乗待合室から外へ出ることは可能だということも解りました。おかげで、というか、おかげさまでというべきか、ともかく、午後いっぱいのんびりと青い青い豊後水道を眺めていることができました。あの青い海の中には関さばや関あじがいっぱい泳いでいるんだろうなあなんて、思っていました。

 そういうわけで16時25分のフライトで羽田まで飛ぶことになって、これがちょうど日没を雲の上から眺めることができる便でした。足の下に夕焼けがあるという眺めです。羽田で飛行機を降りる時、客室アテンダント(昔はスチュワーデスって言ったんだ。私の友達はわざわざスチュワーデス専門の受験予備校へ言って日航のスチュワーデスになった子もいた。今でもあっちこっちの空を飛んでいるのかしら?)が「昼間は暖かですが、夜になると冷え込む季節になりました。皆様、御身体御大切にご旅行下さい」ってアナウンスを入れていました。ほんとうに日暮れの羽田は少し寒いくらいになっていました。

 あ〜、チケットを取り違えちゃったH財団のDさん、夕方、空港について乗る飛行機がなくて驚いていたんじゃないかしら? 私はその頃、首都高で渋滞に巻き込まれていました。

トピックス工事中です。

2007年11月01日(木)

 豆蔵さんにトピックスを工事してもらています。静岡新聞、熊本日日新聞連載の「おたあジュリア異聞」の挿絵を画家の宮本恭彦さんに描いていただいているのですが、その挿絵の一部をトピックスで紹介できるように豆蔵さんに工事をしてもらっています。

 宮本さんの絵はとて色彩が美しくて、画面ではなかなかそのビビッドな感覚がでないかもしれません。でも色使いのおもしろさは、感じていただけるのではないでしょうか。描かれた線に動きがあり、線の動きが画面を生き生きとしたものにしています。

   
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