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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

寝てくらす。

2006年10月30日(月)

 3日ばかり寝て暮らしました。おきている時間もなかったわけではありませんが、ぼうっとしてました。寝てるとしあわせ!

 お正月も寝てくらしていることが多いけれども、お正月になる前にちょっと一休み(このなまけもの!)で考えたんだけれども、散らかっているのが楽しめる家ってつくれないかしら? 一番簡単なのは、家そのものが広いことです。この場合は散らかっているのを楽しめるというよりも散らかる場所を移動させる(結局、最後は家じゅうが散らかることになるかも)に過ぎないのかもしれない。しかし、何かうまく散らかっていることが楽しめるようなインテリアなり設計なりがありそうな気がしてます。

 で、よく考えてみると(寝ながら)家の中が散らかって困るのは、物や道具がごちゃ混ぜになってしまうからです。で、寝室、書斎、台所、食堂っていうふうに空間が区切られていれば、物や道具がごちゃ混ぜになるのはかなり防げるでしょう。狭い家でもそんなふうに空間を使うことはできないかなあって思ってました。あと、空間には、物や道具を受け入れるための許容限度みたいなものがあって、それを超えると散らかっていることを楽しめなくなっちゃうんだなあとか、寝ながら考えていました。重量オーバーじゃなくて、こういうのをなんと言ったらいいのでしょう。つまり、散らかっていることを楽しめる家にするには、その許容限度を探さなくちゃけいないわけだねなあんて、寝ながら考えていても、許容限度は探せないのですが、寝ていたせいで、頭はすっきりしました。頭の中にも許容限度があるみたい。

耐震偽装事件と高校の必修科目未履修問題

2006年10月29日(日)

 昨年の秋に表沙汰になった耐震偽装事件といい、今度の高校の必修科目未履修問題といい、組閣が終わると、こうした広範囲に影響のでる問題が転がりだしてきます。それも、メディアを通じたリークの形が二度も続くとなると、新大臣がスタンドプレーをやっているんじゃないかしら?と勘ぐりたくなります。それとも、官僚が新大臣を困らせるために、情報を投げているのかしら?

 結局、ほんとうにところはわかりませんが、そういう勘ぐりがひとり歩きをするだけでも、行政や政治に対する信頼はそうとうなダメージをこうむることになります。私が考えるようなことは、おそらく、日本中の多くの人が考えるに違いないからです。

 必修科目未履修問題では「それにしても私立高校の数がすくないなあ」って首をひねっている人がいました。確かに。確かに。もっと私立高校で未履修がありそうな気がします。07年には大学全入時代が来るとか、いや、もう実質全入になっているとか言っている時代に「受験」を理由に履修科目を減らしていたというのもなんだか納得できない話です。学校の認識になにか時代錯誤的なものがあったのではないかしら?とつい考えてしまいます。今、校長先生くらいになっている世代ってものすごく受験が厳しかった時代に大学生になってます。受験者の数はどんどん増えるのに、大学の数が少なかった時代の受験生でした。「受験生ブルース」なんて歌が流行していた頃です。その当時の記憶って、なかなかしみ込んで離れないのではないでしょうか?

 とすると、たぶん、メディアの報道が信用されていないのです。報道が信用されないから、「受験生ブルース」を歌っていた往時の記憶で、受験用の学校を作ってしまうという事態になったのかもしれません。

 耐震偽装事件のほうはすっかり矮小化されてしまいました。たぶん、危ない建物はもっともっとたくさんあるのでしょうけれども、一部の人が大きな打撃をこうむる形で終わりになってしまいそうです。

現代文学とエロティシズムの変容

2006年10月27日(金)

 タイトルのテーマで横浜で講演します。今月の文芸雑誌は新潮、すばる、文芸が新人賞を発表していますが、セックスの描写が、以前と比べてずいぶん変わったなあと思うと同時に、性のモラルの変化もそこに感じます。性のモラルは日本の文学では恋愛小説を書くうえで大きな障害になっていました。また性のモラルというものが、男女差に基づいていたので、不合理な男女差別を生み出している感じも強くありました。が、ほかのことと違って、なんとかなるものではありませんでした。

 簡単に言うと何をすてきだと感じるかは、まあ、理屈ではなくて感覚の問題であり、身体的な反応だからです。昔は(昔って言ってもほんの2、30年前)は理屈っぽい女なんて、女のとしての魅力がないなって平気で言っている男性がいたものです。「あなたが魅力を感じないのは勝手です」と応戦しておくよりほかになかったのですが、今はそんなことを言う人はほとんどいないでしょう。魅力を感じないというよりも、近寄りがたいと思う人はいるかもしれませんが……。そのあたりの変化についてお話したいと思っています。人間って、頭の中にしみ込んだ理屈で、身体の感覚も変わるんだなあと驚くような気持ちになることがあります。その一方で、ただ口先だけで理屈をこねても、身体がついてこないというようなこともままあるので、その兼ね合いを眺めるにはエロティシズムというテーマはおもしろいテーマだと感じています。

松山に行ってました。

2006年10月25日(水)

 四国、愛媛県の松山です。そうあの「坊ちゃん」の松山で、道後温泉には入ってきました。おいしかったのはおこぜ。白い身はお刺身に。皮と肝を添えて。骨はから揚げにして、頭は麦味噌で味噌汁に。ああ、おこぜや、おこぜやって感じでした。そうそう松山は、俳句の革新運動を起こした正岡子規の故郷でもあります。

 おどろいたのはヒレステーキ。とっても上等なヒレ肉(もちろん牛)を鉄板でステーキにしてもらったのですが、最後にお好み焼き用ソースがじゅっとかかって、「あれれれれ?」でした。お好み焼き用のソースは嫌いではないのですが、あんな良いお肉にかけなくってもとい感じでした。このステーキ屋さんの人気メニューはソバメシ。熱した鉄板の上で、白いご飯と焼きそばをお野菜といっしょにじゅうじゅうといためて、これまたお好みソースをかけて出来上がり。テイク・アウトもできて、サンダルをはいたお兄ちゃんが「コンビニに行ってくるから、その間にそばめしを作っておいて」なんて注文してました。上等なヒレ肉を持っているのが、不思議な感じの庶民的なお店でした。

 町の真ん中にお城の山がデンとありました。この山がロープウェイを使って登らなくちゃならない高さ。あんな山の上のお城に住んでいたお殿様は寂しくなかったかしら?毎朝、御家来衆が登城してくるのが待ち遠しくはなかったかしら?それとも自然に孤高の気が養われて、気高いお殿様になったのかしら?そうではあっても毎朝、登城する御家来衆は容易じゃないねえというお城でした。お城の周りを路面電車が市内いたるところ150円という運賃で走ってました。電車は窓枠まで木星の古い型から、最新式まで、いろんな種類のが混じってました。窓枠まで木星の古い型のやつは、走る時

 うぃんうぃんごとごとぶううんぶんごうごう

 と賑やかな音をたてて走り回っていました。

外交合戦は賑やかだけど

2006年10月20日(金)

 北朝鮮が核実験をしていらい、さまざまな外交合戦が繰り広げられていて、新聞の一面の写真は日、米、韓、露、中、朝の政府高官、要人の顔が並んでいます。が、これから頻繁に会談が行われているにもかかわらず、会談の内容はさっぱり伝わってきません。こういうときは何か重要な内容が話し合われているのはまちがいないのですが、それが形になって現れてくるのはいつだろうかと固唾をのむような感じです。

 公立の体育館で警備員のアルバイトをしている息子の話ではテロ警戒の書類が回ってきているとのことでした。ガス、水道などのインフラ施設の警戒を重要視している内容だったと言っていました。

 7月に山形の鶴岡に出ているとき、北朝鮮がミサイルを発射したということがありましたが、今度は飛行機で松山です。こんな調子だときっと空港の搭乗手続きも警戒レベルがあがって厳しくなっているでしょうから、早めに出かけるようにしたいと思います。

甘い夜風

2006年10月19日(木)

 毎年、毎年、だんだん寒くなるのが遅くなっているようです。ここのところ、帰宅の途中で、夜の街を歩いています。歩くにはちょうど良い気温で、空気も乾き、夜風は甘い匂いがします。10月も半ばを過ぎると寒かったという覚えがあるのは、コートが好きだからです。以前、10月半ばにはコートを羽織っていたものですが、最近はコートが欲しいとは感じません。

 シルクの混じった生地のコートを注文しました。さすがに薄手のコートは真冬に着られませんが、厚い生地のコートを着ている時期よりも、薄い生地のコートを着ている時期のほうが長くなっているような気がしてます。
 そこで花柄の地紋を持った緑色のコートにブルーの裏地を付けてもらうことにしました。内ポケットにネームも入れるようにお願いしました。既製品ではなくて、せっかくオーダーするのだから、ちょっと贅沢することにしたのです。甘い夜風にすそがひらひらすると楽しいなあと、すそには少しフレイヤーを入れてもらいました。
 出来上がってくるのが楽しみです。それまでに急に寒くなって霜が降りたなんてことがありませんように。

せせらぎの会

2006年10月17日(火)

 「せせらぎ」の会は9年前に開かれた文章教室をきっかけにできた作文の会です。毎年、一年に一回づつ、会員の皆さんが作った文集を講評する会に講師としてお招ききただきました。その「せせらぎ」の会が今年でおしまいになるということです。会員の皆さんが10年分、歳をとられたからです。

 「せせらぎ」という名前は「けい」→「渓流」→「せせらぎ」というふうについたのだということを、最終会にして初めて知りました。一口に文章と言っても、手紙、報告書、エッセイ、小説、評論などいろいろなスタイルがあります。「せせらぎ」の会は文章のスタイルを絞ることなく、それぞれの方が思い思いの文章を書いてきた会でした。それだけに、文章を書く楽しみは書く人の個性によっていろいろあるのだなと感じさせられることの多い集まりでした。

 一年に一度、皆さんのお元気そうなお顔を拝見するのもこの会に行くときの楽しみになっていました。なくなってしまうのはとても残念ですが、会員の皆さんのなかには「豆の葉」を御覧になっていただいている方もいるようですから、また何かでお目にかかれればいいなあとせつに思います。皆さん、どうぞお元気で御過ごし下さい。ごきげんよう。

「買えない味」「買える味」いろいろ

2006年10月14日(土)

 タイトルは平松洋子さんのドゥ・マゴ賞受賞式二次会でくばられた冊子のタイトルと同じです。二次会のお料理が赤い小さな文字で紹介された冊子でなかなかしゃれています。以下、その内容から抜粋。

焼き鳥 銀座バードランド
トルコ風ペースト 土器典美(DEE'HALLオーナー)
クスクス     
スパイシーなえびのグリル+ファラファル
         中村あき子(料理研究家)
野菜いろいろ
 EXオリーブオイル イタリア・トスカーナ
            「ボナッコシ」
 塩 石川県珠洲市仁江町 角花豊製
 レモン 瀬戸田エコレモン
パイナップル ホットシュガーといっしょに
          平松洋子

ハイボール     銀座「ロックフィッシュ」
ビール       アウグスビール
ワイン       オーストラリア
          「パンロックステーション」
           カルベネメルロー

 ね、ちょっといいでしょ。こういう二次会って。

買えない味

2006年10月12日(木)


平松 洋子 / 筑摩書房
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 平松洋子さんがドゥ・マゴ賞を受賞しました。「買えない味」は受賞作です。昨晩、渋谷の東急文化村で授賞式がありました。平松さんは紺色のシンプルなワンピースがよく似合っていました。
 二次会は青山で。こちらの方が授賞式よりもたくさんの人でごったがえしていました。正直言って、誰がいるのかまったくわからない状態。で、銀座の焼き鳥屋さんのバードランドが出張してきて、お庭で焼き鳥を焼いてました。私は羊を焼いたのをごちそうになったのですが、これが忘れられないくらい美味でした。ちゃんと羊の香りがするのです。
 「買えない味」は食べ物は誰とどんなふうに食べるのかで味が変わることを書いたエッセイ集。人間を幸福にしてくれる食べ物は「買える」ものばかりではないのです。で、このエッセイ集を読んでいると、私は子どもの頃のことを思い出すというよりも、もうこの世にいない人、祖父母とか父母とか叔母とか、そういう人たちに会っておしゃべりをしているような気がしてきます。そうそう、小さかった弟とか小さかった自分とか、雨の日にどこかに越していった雨宮さんとか、まだみんなこの世にいますけど、でももう会うことができなくなった人もそこに加わってくるみたいな、そういうエッセイ集です。

こんどの超漢字は

2006年10月10日(火)

 今月、パーソナルメディア社から「超漢字X」がでるということです。で、これがちょっとすごい!今まではPCのデスクを区分して「ウィンドウズ」と「超漢字」を別々に使ってました。だから「超漢字」から「ウィンドウズ」に移る場合には一旦、パソコンを閉じて、再起動させるという作業が必要でした。今度は、「ウィンドウズ」の上にかさねるようにして「超漢字」を使えるようになるらしいのです。

 感覚的には「ウィンドウズ」のアプリケーションソフトみたいですが、もちろん、エンジンは「トロン」です。で、さらに、さらに楽しみなのは、1ページに複数の原稿を印刷できるという点です。PCのワープロソフトは「原稿」と「製版」の観念が混在していて、原稿を書こうとする場合には使いにくいのですが「超漢字」では400字の原稿用紙を設定して原稿を作ることができます。で、それを紙に印刷するときは400字ではなくて複数ページで印刷できるようになると、これは修正の作業がものすごく楽になりそう。

 なぜそんなに400字にこだわるのかは、これまで幾つかの原稿を書いています。簡単に言うと400字でどのくらいの内容を盛り込むことができうるかが、直感的に解ると長編製作がイメージしやすくなります。私などは400字つめ原稿用紙を使うのが当たり前な時代に仕事をしてきましたから、大学の学生の諸君にそのことを言い忘れてしまうことがあります。400字という標準的な文字数で原稿を考える習慣をつけておくと、長いものを書くときに便利なんだと教え忘れて卒業制作の時にあわてるということが何度もありました。(今年も誰かいるんじゃないかと心配)あんまり当たり前のことってつい忘れてしまうのですが、PCを使って当たり前の学生はそもそも400字という文字数の感覚がない場合があります。それから、これも物書きの世界ではあたりまえなのですが、規定の文字数で原稿を書くというのは、一般的にはあまりやれる人が少ないようです。
 「超漢字」には原稿の進捗具合を視覚的に示すイイジゲーターを付けてもらいました。で、そのことをものを書くことを仕事にしている人に話すと一様に「それ、いいなあ」って言うのですが、文字数を限って原稿を書くことがない人には、このインジゲーターの必要性はあまり感じていないようです。文字数を意識しないと文章の構成ってなかなかできないのですが、そのへんにはあまり注意をしていないみたいです。

 それで、「超漢字X」の心配は仕事をしながら、ちょくちょくネットを覗いたりして遊んでしまうんじゃないかというところ。これまでは、再起動させなくちゃいけないという制約で、仕事の時は仕事というけじめがありましたが、その集中力を一時的に失うかもしれません。ほんとPCってなんとなく散漫に時間を使ってしまうのはテレビ以上の威力があります。という心配はありながらやっぱり「超漢字X」が待ち遠しいです。

十六夜の月とともに

2006年10月07日(土)

 ちぎれ雲の上に顔を出した十六夜の月といっしょに空を飛んで那覇から帰ってきました。8日は那覇の大綱引き。綱引きを見たかったのですが、8日は鎌倉で予定が入っているので、夕方の便で戻ってきました。沖縄タイムスの新沖縄文学賞の選考会でした。

 今年は8月に選考委員のお一人の岡本恵徳さんがなくなって大城立裕さんと二人の選考会でした。新沖縄文学賞は沖縄の伝説に題材をとった作品になりました。沖縄タイムスはネットバージョンもありますから、詳しくはそちらを御覧下さい。

 金曜日に東京を出発する時は羽田の上空を分厚い雲が覆っていました。しかし、四国以南は快晴で飛行機も揺れませんでした。那覇の大綱引きがあるせいか、はたまた修学旅行の季節のためか、飛行機は満席でした。
 選考会の開かれたザ・ナハテラスのロビーでは浅丘るり子らしき人を見ました。あんまりじろじろ見るのも失礼なので、他人の空似かもしれません。でもあの小柄な体格で、目を引く存在感は女優さんならではないかしら?などと考え込んでしまいました。
 ザ・ナハテラスのあるおもろまちは那覇と首里の間にできた新都心ですが、FDS(免税売店)などもあり、なかなか賑わっています。ザ・ナハテラスがかつてのハーバービューホテルに変わる高級リゾート・ホテルで、けっこういろんな人が来ているというのは沖縄タイムスから聞いた話です。ハーバージビューホテルはもとは米軍の将校クラブでしたから、沖縄もずいぶん変わったなあと思いました。

 というわけで、那覇に一泊。土曜日の国際通りはぶらぶらと歩いて、午後の便で帰ってきました。国際通りはお土産屋さんの激戦区。韓国客のリピーターが多い沖縄ならではの競争があって毎年覗くたびに、なにやら目新しいものがあります。今年は手描きのTシャツを見つけました。金魚にしようか鯉にしようか迷ってあげくに金魚を購入しました。帰りの飛行機の窓のそとに十六夜のよく済んだ月が浮かんでいました。カメラマンの比嘉康夫さんに十五夜の沖縄を案内してもらったのはもう25年も前なのを思い出しました。

 

大雨のお誕生日

2006年10月06日(金)

 今年こそはお誕生日のプレゼントをせしめてやろうと思っていたのですが、残念、午前中の便で沖縄です。幸い、台風は沖縄をそれているのできっと飛行機は飛ぶでしょう。自分が出かけてしまっては「お誕生日のプレゼントをもらいに来たの」なんて言うこともできません。
 ちょっと残念。えっ、誰からプレゼントをせしめようとしていたのか?って。それは内緒。

小林孝亘個展

2006年10月04日(水)

 「うさぎとトランペット」の公明新聞連載時の挿絵と単行本の表紙の絵を描いてくださった小林孝亘(たかのぶ)さんの個展が開かれています。

 西村画廊 東京都中央区日本橋2−10−8
      日本橋日光ビル3F
      TEL 03−5203−2800

      10月3日から10月28日まで

 3日に久しぶりに小林さんとお話してきました。今度の個展は人の顔です。ぱっちり目をあけた人の顔。片目をつぶった人の顔。肌色とグレーのトーンが美しい絵でした。絵を描くときは、色の濃淡、線の流れ、部分の配置など、人の顔(意味)よりも、そういう絵の部分と画面の関係を考えて描くそうです。でも人の顔だと、ことに目を開けた人の顔は、描いているうちにだんだん表情(意味)を帯びてくるというお話をしてました。
 時々、ほんとうに世界はいろんなふうに見えているんだなあと思うことがあります。絵を描く人には、世界は線と面の組み合わせと色の濃淡で出来上がっていると見えるらしいのです。これは画家とお話すると、ある共通した感じがあります。
 文章を書く人間は世界は意味(言葉)でできているように見えます。無意味でさえ、無意味という意味(言葉)で構成されているような気がします。
 昨年、ご結婚なさった小林さんはふだんタイにお住まいですが、来年の春までは、新しく開設される横須賀美術館での展覧会のための絵を日本で描くそうです。
 横須賀美術館の絵も楽しみです。

こんなことができちゃうんだ。

2006年10月01日(日)


長谷川 郁夫 / 河出書房新社
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 「表現者」で著者の長谷川郁夫さんにインタビューしました。アマゾンにリンクできるブログを見つけてやってみました。こんなことができちゃううんだ!

第一書房創業の頃、皮装の豪華本で萩原朔太郎や堀口大学の詩集を作った長谷川巳之吉が、日中戦争勃発の頃から大川周明やヒットラーのほんを軽装本で出すようになるのは一見、矛盾しているように感じられるかもしれませんが、もともと幻視者(ビジョニスト)的な性格があった人物としては、ある意味、当然の帰結だったのかもしれません。いずれにもヨーロッパの模倣が含まれているという共通点が、それをよく物語っているように思えます。詩人が見た幻は皮装に包んで限られた人々に届け、国民が見た夢は軽装のペーパーブックで届けたというのは出版人としては、まことに正統な感覚であったと言えるでしょう。前者は選ばれた読者のためであり、後者は万人のためのものだからです。
 高級ブランドの販売と薄利多売の大衆的商品の販売の仕方の違いです。それは同時に植民地主義にたんを発した軍事拡張と軍備増強がきわめて大衆的な政治潮流であったことを意味しているように思えます。
 巳之吉は第一書房が最盛期を迎えた昭和19年に突然、廃業します。「表現者」のインタビューを終えてから著者の長谷川郁夫さんに聞きました。「巳之吉は昭和19年の正月もしくは18年の年末の時点で、日本の敗戦を見通していたかしら?」「それはそうだろうけど、それは書かなかったの」という返事でした。
 「美酒と革嚢」は資料をして語らしむるという姿勢の評伝ですが、あえて書かれなかったことがたくさんある本です。書かないことによって語られることがたくさんあると言ってもいいでしょう。詩人の夢が国民国家の空想的な夢想に大変化をしてゆくさまは、書かれずに語られたことのひとつでしょう。

   
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