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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

遊びすぎの大家です。

2006年06月30日(金)

 伊藤さん、こんにちは。いといろと災難続きのご様子ご同情申し上げます。お返事が送れてすみません。私はこの4月頃から軽度の登校拒否症状が出ておりまして、このまま行くと「危ない」ので、遊びほうけて、夏休みまでのちょっとした時間をなんとかごまかしておりました。というわけでお返事が遅くなってすみませんでした。何をしていたかというと以下の如しです。

 まず早めのバーゲンめぐり。デパートのバーゲンは明日7月1日からですが、専門店などは今週からバーゲンが始まっております。ええとまず下着専門店のバーゲン。キャミソールなどをおやすく買いましたところ、我がホームページの管理人である豆蔵君が「タンクトップ」がいいなんて言っておりましたので「私はキャミソール」と脅かしておきました。「どこかがはみでるでしょう」というのが豆蔵君の意見でした。
 次に横浜の元町でキタムラのサンダルを半額で購入。キタムラといえばバッグの専門店として有名でしたが、このごろでは靴の店も出してします。で、キタムラのカラフルなドライビングシューズが欲しいのですが、これはいつも何色を買おうか迷っているうちに買いそびれてしまいます。買い物は元町がいいなあなんて思うこのどろです。遠いから、そんなに買い物で出かけられないというところがGOODです。

 それで英語の話なんですが、まあ歌とおんなじでもう小説なんてかけなくなってもいいから、英語をしっかり学んじゃおうかな、フランス語(買い物道楽をするなら英語よりもよさそうなんで)にしようかな、あるいは、ちょっとだけ覚えた朝鮮語にしてみようかななんて気の多いことばかり考え込んでおります。このうち実現性があるのは来年、韓国から法政大学へ客員研究員として作家のカン・ヨンシュクさんがお見えになるので、カンさんを先生にしてもうちょっと朝鮮語をやってみるかなと思っています。へんな話ですが、朝鮮語ができるようになっても「小説がかけなくなるんじゃないか」という不安はこれまで感じたことがありません。
 英語よりも文法や語順が日本語に近くて、なんだか「肉感的」に覚えられるので、頭の中を記号的無味乾燥で覆ってしまわなくてもすみそうな気がしているためかもしれません。きっとイギリスの作家とフランスの作家はそれとおんなじ感じで語学をやっているに違いないと私は思っています。でも、四声がある中国語は音痴な私はそんな感じにはとてもなれません。

 というわけで、バーゲンのあとは、朝までカラオケでした。本気を歌を習いに行こうかと思っている今日この頃です。英語を習うよりも楽しそうだし……。

店子の伊藤でございます

2006年06月28日(水)

22日に大家さんがいってたこと、英語つかうと小説かけないって。あれはあたしの場合たしかにそんな気がしました。ひしひしとしてこわかったです。アメリカに移住したときは(97年)もう詩かいてなかったんですが、日本語全体がこわれていってるような感じでした。それから日本語しかよまないようにして、古典よむようになって、なんだかね、たちなおりました。御詠歌うたってみようとしたらむずかしかったですよ、あんがい。こんどうたいましょう。でもカラオケには無いかも。

警察権力を使った権力闘争

2006年06月25日(日)

 小泉内閣は発足当初から警察を使った権力闘争の影がありました。どうちらかといえば小泉政権サイドが警察権力を利用しているなと感じることが初期には多かったのですが、ここへきてライブドア事件村上ファンド事件さらには福井日銀総裁のスキャンダルなどは反小泉政権側が警察を利用して権力闘争をしかけていると私は感じています。

 でライブドア事件から福井日銀総裁のスキャンダルまで続く流れのなかで、一貫して感じられるのは「庶民感情」や「庶民感覚」を安易に利用しようとする姿勢です。「庶民感覚」や「庶民感情」につけ込んで権力闘争で優位に立とうとする意図が感じられます。それはすこぶる不愉快な感じのものです。しかも、そこでイメージされている「庶民感覚」や「庶民感情」はかなり日付が遅れた古臭いものでしかないところが、その不快感を増幅させてやみません。反動というものは、どんな時代どんな場所にも起きるものですが、こんなにも安っぽく庶民感情につけこまれるのは不愉快きわまりなしです。

 野党がこうした権力闘争に乗って与党を叩こうとしているのも、なんとも情けない限りに感じられます。こうした不快感を感じている人は果たしてどのくらいいるのでしょうか?

歌が歌いたい。

2006年06月22日(木)

 陶芸家の角りわ子さんの個展に行きました。で、その会場でサンプラザ中野さんにお会いしました。娘は「ランナー」を聞くとなぜか走りださなくちゃいけないような気がすると言っています。小学生の時、運動会の入場行進の曲が「ランナー」だったからです。とは言えご本人にお目にかかるのは初めて。

 4月からやや登校拒否+遊びたいシンドロームの症状を呈していた私は、よろこんで、角さんとサンプラザ中野さんがお夕飯を食べるというので付いて行ってしまいました。サンプラザ中野さんはベジタリアン。ご著書もあります。だからごはんは正真正銘のインドカレー。これが美味しかった。その日のお昼は日本式カツカレーだったんですけど、お料理としては、まったく違う料理です。で、歌が歌いたいって話。

 一曲でいいからイメージどおりに歌を歌いたいなあって、その日からずっと思っています。カラオケで野蛮極まりない声張り上げてるじゃんっていう悪口が聞こえてきそうな気がするけど、そういうんじゃなくて、「聞こえている」とおりに歌いたい。プロの歌手なみに歌いたいなんて贅沢なことは申しません。いつも、思うんだけど「聞こえている」ようには、なぜか歌を歌えないのです。息子は「楽隊のうさぎ」を書くまでは「聞こえてないんじゃなかと思っていた」と言っています。あの小説を読んで「聞こえてはいたんだ!」と驚いていました。だから聞こえているんだってば(怒)でも、聞こえているとおりに出力(歌う)できないの(哀)。

 伊藤さん、熊本着きましたか?今度、二人ですばらしい御詠歌をうたいましょう。私はある時期までほんとうに、もし私が歌が歌えるようになったら、小説がかけなくなるんじゃないかと信じていました。でも、歌が歌えるなら小説かけなくなってもいいかもしれないってこの頃思ってます。英語が喋れるようになったら、小説かけなくなるんじゃないか?という恐れのほうはまだ消えてないんですけどね。

 それにしても歌が歌いえるようになりたい。サッカーみながら「アイーダ」を歌いたい。

洗濯機がやってきた。

2006年06月21日(水)

 洗濯機を買いました。全自動乾燥機つき。ここのところ雨降り続きでどうしても乾燥機つきが欲しくなってしまいました。前の洗濯機は今の家に越してきた頃に買ったような記憶があるので(このときは年末でした。どうしてそれを覚えているかというと、弟夫婦がやってきている時に洗濯機が届いたから)だいたい14、5年前です。

 よく働いた洗濯機でした。我が家で最初に買った全自動洗濯機でした。もう、この洗濯機を売ってくれた電気屋さんはありません。「なか卯」になっています。

 よく働いた、時にはドロだらけの運動靴や長靴まで放り込まれたこともある洗濯機に寄る年波には勝てず、蓋の一部が壊れてからはごうごうがあがあものすごく苦しげな音を立てるようになっていました。最近三ヶ月は、どうも汚れが落ちないということが多くなっていました。洗濯機は買うたびに機能が複雑になり、形も大きくなりました。

 家電を買うたびに、昔、見たイッセイ小形の一人芝居を思い出します。家の中の電気製品がそれぞれにひとり言を言っているという芝居です。あれをもう一度みたいのですが、今やるとすれば、ユビキタスで、ネットワーク化された家電製品の文句とか反目とかけんかなんて場面も出てくるんでしょうかねえ?

 新しい洗濯機は、お風呂のお湯も使えるみたいだし、操作を覚えるまでにはまた一苦労って、ちょっと心配。

ぎゃぼと鳴くマングース人形

2006年06月19日(月)

 娘がコミックス「のだめカンタービレ」16巻の特別バージョンというのを手に入れました。ぎゃぼと鳴くマングース人形です。主人公の野田恵つまり「のだめ」が音大の学園祭の時になぜかマングースの着ぐるみを着て、ピアニカを演奏した時の姿なので、マングースはピアニカを持っています。「ぎゃぼ」はのだめが驚いた時の声。お腹を押すと妙に高い声で「ぎゃぼ、ぎゃぼ」と鳴きます。

 「のだめカンタービレ」も10巻くらいまでは、書店でも品薄で、買いそびれてしまうとなかなか手に入らなかったのですが、いつのまにか、コミックスとは別にCDとかそういう周辺グッズが増えていました。マングース人形はなかなかかわいいのですが、なにしろ限定バージョンというので、娘は「お宝」扱い。写真を載せたいので撮影させて欲しいというと、立会いのもとでしか撮影させられないという返事でした。ううん、なんかVIP扱いです。「だって、よごされたら困るもん」ですって。二、三日うちにここに写真が掲載できるように、マングース人形を撮影させてもらいます。

一難去ってまた一難。

2006年06月17日(土)

 イラクに派遣されていた自衛隊が、ようやく来月末に撤収するという見込みが政府から発表されました。今までのところ、大きな戦闘もなければ、被害も出ていないので、あと一ヶ月、無事であって欲しいと思っていたやさきです。

 今日(17日)の昼頃から北朝鮮でミサイルへの燃料注入の準備が進んでいるというニュースが通信社、新聞社が横並びで報道をはじめました。北朝鮮というのは6月頃に、毎年もっとも食料が不足するのだそうです。去年の秋の備蓄が底をつき、今年の収穫にはまだ少し早いという時期にあたるということです。ですから、6月は剣呑な月だと聞いたことがあります。

 これはいったいどのような進展を見せるのか今のとろこ予断を許さない状況です。

 イラクの自衛隊撤収や北朝鮮のミサイルとはくらべものにならない事象ですが、毎年6月は大学のゼミでは、教員のどきもを抜くような事件がおきたり、ため息をさそうような発言が転がりでたりする時期でもあります。裏を返せば、ゼミが軌道に乗る時期なのですが。
 でゼミ生のほとんどが「専守防衛」という言葉そのものをしらなっかったのです。文学部日本文学科ですから外交や防衛に感心が薄いというのはいたし方ないのかもしれませんが(1945年以降の現代文学を学ぶには外交の歴史を知らなければいけないのですが)、それにしても、これはちょっとショックでした。

 ここ数年、防衛論議はさかんにされていますが、「専守防衛」はその論議のかげで忘れられようとしているようです。比喩ではなくて言葉そのものを知らない大学生が増えているのは事実をして受け止めていいでしょう。
 なんだか北朝鮮のミサイルよりもこっちのほうが難儀に感じられるのは、学校で先生なんかしているせいでしょうか?

歩行者どうしの衝突で損害賠償

2006年06月16日(金)

 93歳のお婆さんにぶつかった27歳の女性が、お婆さんから損害賠償を求められ、裁判所がそれを認めたという新聞記事がありました。お婆さんは足を骨折し、それで車椅子の生活をよぎなくされたので、家の改築費用も賠償額の中には含まれたそうです。

 それで思い出したのですが、去年から今年にかけて飯田橋の牛込見附の交差点で、私は二度も女子高校生と正面衝突しています。どちらかがよければ、衝突はしないわけですから、いちがいに女子高校生が悪いとはいえませんが、二度ともあまりに無防備に真正面から近づいてこられて、ごつんと衝突してしまいました。で、さらに驚くのは、目から火花が出るほどの衝突をしたのに「ごめんなさい」とか、そういう対応はなかったのです。
 最初の人はともだちとおしゃべりをしていて、何事のなかったかのようにそのまま、おしゃべりを続けながらJRの駅の方向へ歩いていってしまいました。ともだちもぶつかったことを気に留めた様子はありませんでした。
 二度目の時は壁か何かにぶつかったみたいに「あいたたた!」と言いながら行ってしまいました。不注意でぶつかるまでは両方悪いと思うのですが、ぶつかったあとのなんというか、対応があまりにこちらの存在を無視していたので唖然としました。もしかすると、昨晩のうちに私はもう死んでしまっていて、幽霊になっているから分からなかったのかしら?と疑念を抱きたくなるくらいです。いったい、どうしてこんなことが二度もおきるのでしょうか?

眠いついでに

2006年06月12日(月)

 どうも新幹線「のぞみ」に乗ると気絶したみたいに眠ってしまう。鈴木隆之さんが京都精華大学に呼んでくださって、都市とか建築と文学の関係の話をしてきました。で行きは新幹線「のぞみ」。寝てました。名古屋を出たところで目を覚ましたら、スーツの衿によだれがついてました。ありゃ、まずい。と思いつつまた寝ちゃって、目が覚めたのは京都駅。今の京都駅は鈴木隆之さんの先生の原宏さんの設計だそうです。

 街並みがあまり美しくないって話になったのですが、美観の点から言うと建材の質がけっこう響いている気がします。30年前に修学旅行で来た京都は持ってきれいでした。木造建築がだんだん朽ち果ててきて、新しい建材で建てた建物は一棟一棟はきれいでも、全体でみると統一感がまったくなくなってしまっているから、街並みが美しいとは思えなくなってしまっています。

 建築の話のついでに思い出しましたが、京浜急行の金沢八景駅の裏には昔から茅葺屋根で有名なキムラさんの御家があります。茅葺屋根って、消防法では許可にあんらないのだそうですが、今でも茅葺です。が、萱が手に入りくいらしく、たいぶ、すべり落ちてはげているのを数日、前に見ました。以前、鈴木さんと見に行った千葉の水田家も、茅葺にするためにものすごくお金がかかっただけではなくて、萱そのものを集めるのに人手と時間がかかったと聞きました。昔風の木造建築茅葺の家を建てようとするとたとえ消防法をクリアしてもなかなかたいへんだということでしょう。

 で、帰りの新幹線「のぞみ」。どのあたりか、麦をたくさん作っている場所があって、麦秋の名のとおり、今は刈り入れの季節で、麦を刈ったあとの田んぼで遅い田植えをしていました。で、ここから先は名古屋に停車したのも知らずにまた爆睡。目が覚めたのは新横浜でした。「のぞみ」ってどうしても寝てしまうようになっているとしか思いようがありません。

身体の芯のとろりとした眠り

2006年06月09日(金)

 身体の芯にとろりとした眠りがある。片栗粉を溶いて作った餡か、葛餅みたいな眠りの塊。それがとろりとろと溶けている感じが最初にしたのは、昨日、おすしを食べて地下鉄に乗ったときだった。

「長い間、ごくろさまでした」という声がどこからともなく聞こえて、それは自分が誰かに言っているのか、誰かから自分に言われているのがよく解らなかった。まるで遠いところで輝いている電光掲示板の文字をぼんやりと読んでいるように聞こえてくる声だった。

 とろんと眠くなる。今日、学校へ出てゼミの時間に「先生!」と言われてはっと目を覚ます。たぶん、寝ていたのだ。授業中。なんだか水羊羹になったみたいな眠気で、ゼミで発表する学生の声は聞こえていたんだけけれども、それが水羊羹を来るんでいる半透明な葛の膜の向こうから聞こえてくる感じだった。

 地下鉄の中で聞いた「長い間、ごくろさまでした」の声が葛引きの餡みたいになって身体の芯で固まって、それからまた日常的な時間の中でとろりとろりと溶けている感じ。ほんとに遠くの電光掲示板でも眺めるように「長い間、ごくろさまでした」という声がとろりとろりと溶けて行く。

魚の皮の香り

2006年06月07日(水)

 おすしを食べました。ちゃんとしたおすし屋さんのカウンターで。魚の皮って良い香りがするもんなのですね。生臭いなんていうけれども、鮮度の良い魚をちゃんと料理すると、ほんとになんとも言えない香りがします。それから酢で締めるとこの香りすばらしく素敵になります。

 横浜の元町を歩いてきました。元町ってもともと舶来品を扱っている町だったのですが、個人商店の多い通りって別に何も買わなくてもウィンドー・ショッピングが楽しいです。デパートのウィンドーと何が違うのだろうと考えて見ましたが、うまく言えません。おすしやさんのカウンターと回転寿司の違いかな?それとも違うし……。個人商店や専門店が並ぶ街がだんだん少なくなってしまったので、元町が楽しくなりました。知人と一緒に歩いていたのですが、ついついショーウィンドーを覗き込んでしまいました。お葬式の帰りで喪服だったんだすけどね。

 で、ちょっと生臭いものが食べたくて、知人と別れてからひとりでおすしやさんに入りました。魚の皮ってすばらしく良い香りだなあって、改めて思ったのはそのせいかしら?42歳でなくなった父の姉。つまり伯母のお葬式でした。78歳でした。父がなくなった時、伯母は43歳で今の私よりも若かったんだなあと思うと、ヘンな気がしました。それから元町で知人にあって、知人と渋谷で別れてから新宿にでて、一人でおすしを食べて帰ってきました。

バラの花を刈る

2006年06月06日(火)

 今年は季節の変わり方が少しヘンだったのですが、それが幸いしてか、ずいぶん、ベランダのバラの花が長く咲いてしました。今日、バラの花を刈りました。

 バラには丸い実がつきます。バラの実は赤く熟します。熟したバラの実でお茶がつくれるのですが、実が赤くなるまで木に置いたままだと、秋に咲く花が小さくなってしまうのです。秋にもまた花が咲くように、実があおいうちに刈り取りました。

 名残の花と青い実を刈り取ったばらは、なんだか涼しげでこれはこれで、お祭りのあとの寂しさみたいでいいものでした。夏に咲く花の苗を植える時期を逸してしまったので、何か花が咲いている苗を買ってきてさびしくなったベランダに植えようと思います。イソトマとかブルーデージーなんかがいいかしら。

柳のまな板

2006年06月05日(月)

 小料理屋さんでみかける白い木のまな板は柳で出来ているのだそうです。柳はあまり太くならない木なので、料理屋さんにあるような大きさのまな板をつくるのは随分と費用がかかるだろうと思います。

 で、柳のまな板を買いました。お料理屋さんにあるみたいな大きなやつではないけど、家庭用としてはややおおきなまな板です。けっこう高価でした。でも包丁がすとんとまな板の表面に下りるときの感触が柔らかくてとても気持ちがいいです。

 柳といえば折れないので、お正月のお雑煮のお箸は柳のまる箸を使います。色の白いからおめでたい感じがするのですが、まな板くらいの厚みがでると感触はまた格別です。ああ、台所を掃除する時間が欲しい!

登校拒否

2006年06月04日(日)

 池袋のリブロから本が届いた。木曜日の夕方に買って配送を頼んだ本だ。大学のゼミのテキストに使う文庫本を探しに行ったついでに、アナトール・フランスの小説集とバタイユの著作集を見つけてついつい買ってしまい、あんまり重いから配送を頼んでおいた。

 地下鉄有楽町線の江戸川橋の駅は壁面がピンクとブルーに塗りわけられている。たぶん、護国寺や飯田橋と勘違いして降りてしまう乗客がいるから、壁をそんなふうに塗りわけたのだろう。この4月からこのピンクとブルーの壁を見るとことんと寝てしまうということが何度もあった。目が覚めるのは市谷であったり、ひどい時には桜田門だったりする。ははん、これは登校拒否の症状が出ているなと内心で感じていた。ひどく不思議な眠り方で、江戸川橋だと思ったとたんに眠ってしまうのだから。5月になってどうにか登校拒否の症状が治まってきた。つまり江戸川橋のホームを列車が滑り出しても、眠気を襲って来なくなったということ。

 登校拒否の薬は「本」。結局、フランスの小説が好きだったのだなと思う。なんだ、かんだと言っていちばん楽しんで読んだのは、とゆうより夢見るように読んだのはフランス小説だったんだなあと、この頃思う。夢の見たくない日は日本の小説を読んでいたので、日本の小説は別格。それからバタイユやロラン・バルトなどの評論やエッセイ。そんな本がいっぱいあっても、なかなか高価で手に入れられなかったし、読んでもわけがわかんなかったし、それやこれやで、持ってなかったり、うんざりして古本屋に売り払ったりした本をまた買いあさっている。気まぐれに。で、また学校をサボって本を読んでいたいなあという気になっている。

 毒は毒を持って制すではないけれども、学校サボって本を読んでいたいなあと思って本を買いあさるほうが、江戸川橋の駅で気絶したみたいに眠ってしまうよりはやや実害が少ないと、思いたい。

君が代の替え歌

2006年06月02日(金)

【詞】
 Kiss me, girl, your old one.
 Till you’re near, it is years till you’re near.
 Sounds of the dead will she know?
 She wants all told, now retained,for, cold caves know the moon’s seeing the mad and dead.
 【訳】
 私にキスしておくれ、少女よ、このおばあちゃんに。
 おまえがそばに来てくれるまで、何年もかかったよ、そばに来てくれるまで。
 死者たちの声を知ってくれるのかい。
 すべてが語られ、今、心にとどめておくことを望んでくれるんだね。
 だって、そうだよね。冷たい洞窟(どうくつ)は知っているんだからね。
 お月さまは、気がふれて死んでいった者たちのことをずっと見てるってことを。

 よく出来ている!

   
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