中沢けい公式サイト 豆畑の友
ホーム プロフィール・著作リスト 中沢けいへの100の質問 中沢けいコラム「豆の葉」 お問い合わせ
中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

めっけもの

2006年01月30日(月)

 昨日、衝動買いした中島美嘉のベストアルバムに入っていた「AMAZING GRACE」はめっけものでした。なんだか中央線の(なんで中央線なんだ!)くだりの始発電車に新宿から乗ってぐったりしている感じ。この感じがとってもいい。黒人霊歌のようなふかぶかした悲しみの感じとは違って、「ああ、なんておばかなことをしたんだろう」という後悔にまぶしい朝日がさしている軽やかさ。家々の屋根の間には咲いた桜の花。桜の花の上にはまだ肌寒い四月の青空。すれ違うのぼり電車にはもう働く気が充分の人々。ぐったりくたびれているけれども、頭の中には前の晩に使い残したアドレナリン。ってな感じです。

 昨日はねえ、書かなかったけど、このほかに平井健のベストアルバムを買って、得上のおすしも食べちゃったし、家に帰ってからは桜の花がでてくる入浴剤のお風呂にも入ったし……。
 入浴剤は結婚式の時にでる桜湯みたいに本当の桜の花が出てきたんだけど、なんだか腕がぴりぴりしました。今日は前に未卯ちゃんにもらったバターボールって入浴剤をつかったら、こっちはほんとうにバターの粒がお湯に浮かんでスープの中に入っているようでした。

犬ちゃん、いやちゃーはけっこうしあわせみたいです。マニエストQさんがスタッフルームに書き込みをしてくれました。
「中沢さんには申し訳ないですが、一日にしてチャーはすっかり我が家の子です。
暑くなったのか、炬燵の中からちょこんと出た頭が、ミッキーマウス模様の毛布を枕にしてしてます。女の子のわりにはとっても乱暴で、無造作に人を跳び台にしてます。結構おりこうさんで、トイレも解っているようです。
けど、おすわりとお手はしませんぜ(笑)。まあ、いいんですけど。」

お知らせ

2006年01月29日(日)

 今朝(29日)メールを頂戴しました菅孝子様。お返事をお出ししたのですが、リターンで戻ってきました。お手数ですが、再度、メールアドレスをご連絡いただきたくお願い申し上げます。

犬ちゃんは八王子に

2006年01月29日(日)

 マニエストQさんに犬ちゃんを引き取っていただきました。マニエストQさん、どうもありがとうごいざます。以下、マニエストQさんのスタッフ・ルームへの書き込みです。

「特急あずさで八王子に到着。チャーは無事我が家に。
なんだか10年も前から我が家の子だったみたいにはしゃいでいます。
猫ちゃんともご対面。が、無視されてます(笑)。
家内があまりの小ささに驚いてました。さっそく前髪を整理してあげ、
ちょっと食事もさせ、いまは家内特性のカマクラの中で寝てます……
起きてきたー。」

 そうか、犬ちゃんは特急に乗ったのか。チャーはこのHPの写真をみてマニエストQさんの奥様がつけた犬ちゃんの名前です。池袋で犬ちゃんを渡す時に「特急で帰ります」とおしゃっていたのは比喩じゃなくて、ほんものの「あずさ号」だったのですね。

 捨てられていた時のキャリーバッグに入れて地下鉄に乗ったのですが、犬ちゃんはがたがた震えていました。骨格が全部震えているのが想像できるくらい震えていたので、地下鉄の中ではずっと頭をなぜていました。

 八王子のおうちについて一安心。ご飯も食べて、ねんねもしたのなら、きっと、もう犬ちゃんも落着いたのでしょう。

 私はなんだかさびしくなって、池袋で余計な買い物をしてしまいました。卒業式までに歌えるようになってやるとついカラオケで口走ってしまった中島美嘉の「雪の華」が入ってCD(マタ、ソウイウ、ムボウデ、オバカ、ナコトヲという息子と娘の声が聞こえてきそうだけど)とか、桜の花の匂いがする入浴剤とか、北海道産!の生のストックの花とか、まあ、そういった物を買ってしまいました。それでも、家に帰ってくるとゲージのふちにつかまって立ち上り「遊ぼう、遊ぼう、遊んでよ」と尻尾をふる犬ちゃんがいないのが物足りませんでした。

猫の断末魔

2006年01月26日(木)

 朗読会で読んだ「雨の日と青い鳥」は今年の四月から中学校2年生が使う光村図書の国語の教科書用の作品ですが、これは最初「猫の断末魔」になるはずでした。まさか、そんなタイトルのまま、教科書にのるわけはないのですが、ともかく、拾ってきた子猫が悲しげな声を揚げたのを最後に死んでしまったという話を書こうと考えていました。

 が、犬や猫は拾うという話は、教室ですごく指導しにくいということで避けることになったのです。捨てられている犬や猫が多くて、現実にはどうしても処分せざるおえない現状と命を大切にしましょうという指導の間で現場の先生はいたばさみになってしまうということでした。

 で、「猫の断末魔」ですが(ああ、こんなタイトルが教科書にあったらすごく刺激的ですが)息子が高校生の頃に学校で拾って育てていた子猫を家に連れてきたことがありました。文化祭の期間中に見つけられた子猫で生後間もない様子です。文化祭が終わってから教室の隅っこでひそかに飼っていたらしいのですが、あんまり弱ってきたので、寒い教室に置いてきぼりにすることができずに、はるばると電車に無賃乗車させて連れ帰ってきました。

 何も食べないし、飲まないというので、夜遅かったのですが、獣医さんにみてもらうことにしました。何件かの獣医さんに電話をしてみると、今から連れてらっしゃいという病院が一軒だけありました。若い先生がひとりで開業しているような病院でした。病院というよりも商店街の中の空いた店舗を病院にしたという感じ。診察してもらうと
「こんなに小さい時に親から離されちゃうと、たいていダメなんです。僕もずいぶん、飼ってみたけど、ダメだったなあ」
 という話でした。どうやらこの先生は動物好きが高じてとうとう獣医さんになってしまったみたいです。そう言われても一応、猫ミルク(そんなものがあるのをこの時初めて知りました)と猫哺乳瓶(人間の哺乳瓶よりも小さいのはもちろん、ずっと細長い乳首がついてました)を買って家に帰りました。

 家に戻り、さっそく猫ミルクを作って飲ませてみました。子猫は目を閉じて、くいくいと哺乳瓶からミルクを飲みました。ミルク缶に書いてあった所定の量はあっというまに空になってしまいました。ミルクを飲んでくれると一安心。と、胸をなぜおろした次の瞬間
「みやあぁぁぁ」
 と、ひどく悲しげな声でひときわ高く鳴いたのでした。尋常な鳴き方ではないというのは直感的に解りました。なにしろこんな悲しい鳴き声を聞いたことがないという鳴き方でした。その時、子猫を抱いていた息子にあとから話を聞くと、口の中が全部見えるくらいに大きく口を開けて鳴いたと言ってました。で、こときれてしまったのです。
 ぐったりとした子猫を抱いていた息子には何が起きたかわからなかったみたいです。でも子猫は瞼を閉じて二度と開けることはありませんでした。

 それから家の中は大騒ぎ。高校生と中学生の子どもがおいおいと泣き出したので、私のほうは怒ったりないたり、わけがわかんない騒ぎになってしまいました。

 夜が明けて明るくなってから、裏にある大きな桜の木の根本にその子猫を葬ってやりました。その桜の木の枝には2年ほど前に、私と息子が大喧嘩をした時、私が腹立ち紛れに外へ放り出した息子のジーンズがぶる下がっています。あんまり高い枝に引っかかってしまったので、とろうとしてもとれないのです。それにしてもジーンズってずいぶん丈夫だなあと、時々その高い枝を親子で見上げています。息子が生まれた頃には手を伸ばせば頂上にまで届くことが出来た桜の木がいつのまにか登ることもできない大木になっていました。

大騒動でしたが

2006年01月25日(水)

 昨晩からあっちこっちにメールを出し、電話をかけという大騒動でしたが、犬ちゃん(どういうわけかそういう呼び名になっていて)をもらってもらえるあてが出来ました。ご協力いただきました皆様、どうもありがとうございます。

 その犬ちゃんですが、ほんとうに吼えないし、言うことは聞くし、おとなしいし、いい子です。人間がいなくては生きられないような感じで、息子の話だと散歩に連れていっても、なんだかおびえてみるみたいな様子だったそうです。

 昨晩は玄関につないでおいておきましたが、いつまでも玄関を占領させておくわけには行かないので、ゲージを作って息子の部屋に置くと、ゲージの中では静かにしています。で、誰かがそばを通ると「遊ぼう!遊ぼう!遊んでよ!」というように尻尾を振ってうれしそうにします。私はほんとうは犬は苦手。昔(すごい子どもの頃に)噛まれたことがあるのです。でも、一日ですっかりかわいくなってしまいました。

なぜか息子の白いダウンジャケットが気に入った様子で、そのうえに丸く蹲ることが多いのです。よっぽどほかほかして家の中で可愛がられていた様子です。叔母に引き取ってもらえないかと電話をしたところ、それは無理だったのですが「きっと飼い主は心配して、ものかげから誰か拾ってくれるのを見ていたかもしれないね」と言っていました。叔母にも大事にしていた飼い犬がいました。

 弟にも電話。「お姉ちゃん、もうちょっとかわいい写真を載せたほうがいいよ」というご意見。ごもっともです。

 知り合いでたくさん動物を飼っているFさんにはメール。Fさんはご実家にも問い合わせくれましたが、そちらは捨てられていたゴールデン・リトリバーの引き取り手探しに奔走しているとのことでした。なんでも足に怪我のあとがある犬で、電信柱に縛りつけられているのを見つけたそうです。


「きっとライブドアの株が紙くずになりそうで、飼えなくなった人がいるんだよ」というのは私の冗談。ホリエモン逮捕のニュースをテレビで見ていたときに連れてこられた犬なので。

誰か犬を飼える人はいませんか?

2006年01月24日(火)

42,485 byte

 息子が勤務している体育館に犬が置き去りにされていたということです。迷彩色の柄がついた犬用のキャリーバッグにおしっこ用のシートとタオルと一緒に置き去りにしてあったそうです。茶色い小型犬。皇太子妃の雅子様が飼っていたショコラという犬に似ています。一応、最寄の警察には届けてあります。警察に連れて行くともし飼い主が現れなければ、処分に回されるか愛護団体に回されことになるか、解らないということでした。

 どうも座敷でかわいがられていたようで、おとなしく人懐こい感じです。「お手」や「お座り」もできます。無駄にほえるようなこともありません。

 我が家はマンションの8階で犬を飼うことはできないのです。誰か犬を飼ってくれる人はいませんか?あるいは練馬区、板橋区、豊島区近辺で犬の里親を探してくれる愛護団体などをご存知の方がいたら「お問い合わせフォーム」から御一報下さい。

 写真は目がフラッシュを反射して赤く写っていますが、黒いくりくりしたお目々をしています。おとなしいいい子です。

おおい!豆ちゃん

2006年01月23日(月)

 おおい豆ちゃん、どこにいっちゃったんだあ?というわけで、今日は雪の日の写真を掲載しようと思っていたのですが、豆ちゃんが見当たりません。

 それにしても日が延びました。冬至の頃は4時半というともう暗くなり始めていたのに、この頃は5時頃まで明るいです。毎年、同じように日が延びるのに、私の母は決まってこの頃になると「ああ、日が長くなった」と言いながら伸びをしていました。

 あれ?豆ちゃん、聞こえた?今ねえ、悪口言っていたら。同時進行で掲載してもらったみたい。なんと気のあう管理人だろう!

冬景色

2006年01月23日(月)

28,887 byte

 雪の日にベランダから撮影しました。なんだか深い山の中にいるような景色です。

ばりばりばり。

2006年01月22日(日)

 明るい日差しとばりばりという音で目が覚めました。昨日の雪が凍ったところを、自動車が走る音がばりばりばりっと響いています。今日はどこもかそこも路面は凍っているのでしょう。

 雪の降った次の日というのは驚くほど明るく、そして冷たいものです。自動車が凍った路面を走る音は、その明るい空気にひび割れを作って行くような感じがします。今日は明るい東京湾を眺めに行こうと思います。

雪です。

2006年01月21日(土)

 夜明け前から雪が振り出しました。うっすらと積もっているところです。まだまだ降りそうです。

 83年から84年にかけての大雪の時は1月から3月までに東京で30日も雪が降ったそうです。3日に一度雪が降ったことになります。ロッキード事件の判決が出た頃で「新潟三区のたたり」なんて冗談もありました。

 この歳の冬は母と過ごした最後の冬でした。83年の7月に脳梗塞の発作を起こし、後遺症で右半身麻痺が残った母はそれから85年の1月まで入院生活をしていました。83年の大晦日には病院から家のほうに戻ってお正月を家で暮らすことになっていました。小雪が舞ったのは大晦日の深夜でした。

 それから年が明けて、ほんとうに雪の日がよく続きました。母の入院先の病院は所沢のお茶畑に残った雑木林の中にありました。後に産廃銀座なんて呼び名もつくようになりましたが、その頃も雑木林の中やお茶畑の中にはたくさんの産廃処理場がありました。病院の隣も産廃処理場で、しばしば形容しがたい異臭が漂っていることもありました。病院へ続く雑木林の中の道路はまだ舗装されていませんでしたから、雪が降るとタクシーも入ってこられないのです。もちろんバスもありませんから、雪が降ると、タクシーが来てうれる場所まで、0歳の娘をおんぶして(これがぽかぽかあったかくってカイロの代用になった)、1歳のお兄ちゃんには歩いてもらいました。

 その母に聞いた話ですが、終戦の翌年もよく雪が降ったと言ってました。お正月から積もるような雪が降ったという話でした。それから昭和38年の38豪雪。とすると20年おきくらいに大雪の年があるようです。

耐震構造偽装問題が吹っ飛んで

2006年01月20日(金)

 ライブドア事件のおかげで、耐震構造偽装事件がすっかり吹っ飛んだかたちになっています。テレビも新聞もライブドア事件を追いかけるのて手一杯で、耐震構造偽装問題は二の次というかたちになってしまいました。
 
 テレビは「文脈」がないとジョン・アービングが「第四の手」で書いていましたが、こうした大事件がかさなると新聞もまた「文脈」を失ってしまいます。「文脈」というのは感情の継続的変遷と考えてもいようなところがあって、それは「愛情」を根底で支えているものだとアービングは考えているようです。

 大量の情報にさらされながら「文脈」を維持するのは容易ならざることでしょう。その意味ではネットもさらに「文脈」の破壊を加速させる材料になってゆくでしょう。メディア不信というのは、メディアがどのような情報を流しているのかという情報の質の問題以前にメディアの存在そのものを疎ましく感じる感情が働いていると思えてきました。昔から新聞なんて読まなければ世の中は平和だと考える感じ方は存在していましたが、そういう拒絶的な感情のほうも、メディアの発展と同時進行でおおきく膨らんできているに違いありません。

今日から通常国会。大事件続きで、大荒れになるのかそれとも、あまりに案件が多すぎて焦点がぼけてしまうのか、あるいはメディアそのものにうんざりした人々の感情の影響で奇妙にしらけた国会になるのか、その雰囲気は予想がつきません。「文脈」を失った情報によって感情が「断片化」された結果が奇妙な騒ぎを生みそうな予感がします。民主主義というのは大衆的な情報の提供が前提で成り立っている政治システムですが、それがあまりに過剰なためにまったく機能しなくなってしまうという可能性もはらんでいます。

霜が降る前に植えたビオラ

2006年01月19日(木)

56,779 byte

 花屋さんに「霜が降る前に植えるが根ががっちり成長するよ」と教えてもらったビオラです。写真は10月に植えたばかりのところで、今は鉢一杯に成長しています。今年は寒いので、鉢の中は根っこがびっしりと張っていることでしょう。冬を越した株のほうが晩春まで花を咲かせ続けるのだそうです。ビオラの株のしたにはムスカリとチューリップの球根を植えておきました。どんなふうに花が咲くのかたのしみです。

今朝の新聞にはライブドアショックの文字と一緒に東京証券取引所の取引停止という大きな文字が躍っています。ライブドアへの強制捜査にはいささかならぬ大きな疑問を持っています。昨日あたりは粉飾決算の疑いが出てきていますが、もし、粉飾決算だとしれば、そもそも株式上場が認められたことが大問題だといわなければなりません。ライブドアの問題というよりも証券取引所の信用問題です。

 ライブドアつぶしが思わぬ大波紋を呼んでいるというところが実態なのではないでしょうか?粉飾決算も風説の流布もはっきりしない嫌疑のまま、ライブドアのような大衆的支持を集めた会社を突然に強制捜査をすることそのものが、そもそも当局の認識不足をあらわにしているように思えます。耐震構造偽造問題を隠すためではないかと考えたいたので、もし、そうだとすれば、これはあまりにも代償が大きすぎると言えるのではないでしょうか?

 耐震構造偽造問題で年明けの国会は大揺れになりそうだと予想していましたが、類推が正しいとすれば、国会よりも外に飛び火したかたちで、その火事はかなり大きく燃え広がるのではないでしょうか?こうした大衆的支持を集めている会社に粉飾決算の疑念があれば、捜査側は株式市場全体の信用を失わせないために、もっと周到な準備をするべきだということは現時点で言えることです。ライブドアへの嫌疑が真実であれば、なおさら、そうした市場への周到な配慮が必要でしょうし。もしその嫌疑が真実でなければ、これは当局は大きく責任を問われるべき市場の混乱をもたらしたと言わざるおえないでしょう。

 証券取引所も国会も地検も、この冬をどうやって越えるのでしょうか?私はここのところの一連の動きは「国」のコントロールが機能不全を起こしていることの現われに見えています。さて、これから、どんなものの根が張るのが、またその張った根がどんな花を咲かせるのか?こちらは楽しみというよりも、いささかホラー小説じみた感じの期待?というか怖いもの見たさみたいな感じがあって、嫌な感じ。

こう見えて、

2006年01月18日(水)

 こう見えて、ほんとうはかなり忙しい。忙しいけれども忙しいと言わないのはもの書きの「武士は喰わねど高楊枝」だとは思いつつ、テレビをばっちり見てしまうと、ついつい、「くそっ」とあまりお上品じゃないスラングも飛び出してしまいます。

 見てたのはもちろんヒューザー社長の国会の証人喚問。で、証言拒否ばかりでつまらなかったかというとそうでもなかったのです。

 テレビの報じるこの人の経歴は戦後に日本の歴史そのものというか、いわゆる中間層とか中流というものはどういうものだっかなと考えさせられるところがあって、表情を見ているとディケンズの小説を読んでいるように想像力を刺激させられるものがありました。で「くそっ」て思ったのは、そのあたりの自分の感じたことをうまく言葉にできない、つまり言語化できないってことに対する腹立ちです。

 百聞は一見にしかずですが、その一見を言葉にするためには、すごくたくさんの時間が必要で「高楊枝」の見栄だけではどうにもなりません。

焦げ臭い、うそ臭い、うさん臭い

2006年01月17日(火)

 ライブドアが家宅捜索を受けたというニュースのあとヤフーの掲示板を覗いたところ、明日、国会で行われる証人喚問隠しだという指摘で賑わっていました。やっぱりそう思う人が多いのだなあというのが私の感想。

 NHKが勇み足ぎみの速報をして、わざわざ夕方のニュースに間に合わせるような時間に家宅捜査に入るなんてだけでも、うそ臭い。それに容疑もそれほど騒ぐようなことかと思える程度の容疑だし、なにか意図が働いているようできな臭い。ライブドアはスケープ・ゴートにされたんだという点では掲示板の意見は一致しても、誰がホリエモンをスケープ・ゴートにしたのかということになると諸説紛々です。

 ふつう、こうしたメディアの注目を分散させるような動きというのは「政府」もしくは「与党」が仕組んだということになるのですが、今回の場合は「政府」の中の誰か、もしくは「与党」の中の誰か?が問題になっています。つまり「政府・与党」の中の暗闘がこうしたかたちで表に出てきているのではないかといううさん臭いを感じさせる騒ぎになっています。

 NHKが勇み足な報道をするなど、微妙な手際の悪さも感じさせるところがあって、映像の向こう側でいったい何が起きているのだろう?とかんぐりが働いてしまいます。が、明日の証人喚問は、ライブドアの強制捜査以上の関心を集めることは間違いないでしょう。なんと言っても自分の住んでいる家や隣の家が問題なのですから。

消防自動車

2006年01月16日(月)

 暖国育ちの私はカマクラの中でお餅を焼いたり蝋燭を灯すことができるので不思議でなりませんでした。雪がむろのようになってしまうという点では雪中の火事もまた同じ理由で、ひとつの場所だけが燃え盛るのだそうです。

 以前、山形を旅行していたとき、周囲は新緑に包まれようとしているのに、そこだけ黒々とした冬が残っているような火事場の跡を見たことがあります。建ったまま真っ黒になっている柱や斜めに傾いた梁などの家の残骸でした。雪の中の火事は現代の消防自動車の威力を持ってしてもなかなか消しとめられないものだそうです。

 うちの近くの地下鉄の駅のそばに消防署があります。消防車は2台。1歳になるかならないかくらいお坊やがお母さんといっしょに消防自動車を一生懸命見ている姿をときどき見かけます。よほど消防自動車がすきなのでしょう。昨日、その消防車の前を通った時も坊やは消防自動車をお母さんと一緒に飽かず眺めていました。
 すると消防署の奥から、制服を着たおじさんが出てきました。歳格好から見て、消防署では少し偉い人のようです。
 おじさんは坊やに「消防自動車に乗せてあげよう」といいました。が、坊やは突然そう言われて、怖くなったのか、一歩、二歩とあとづさりして、しまいには背中をお母さんにぴったりくっつけてしまいました。
「じゃあ、お母さんと一緒だったら乗る?」
 そう改めて聞かれると、笑顔を満面に広げて「うん」とうなづきました。制服のおじさんは消防自動車の扉を開けて
「はい、お客様を二人ご案内」と言いました。
 坊やはお母さんに抱っこされてにこにこと消防自動車に乗り込みました。もしかすると、あの坊やは大きくなったら消防士になろうと決心したかもしれません。

新聞は北越雪譜だらけ

2006年01月15日(日)

 金曜日に雑談をしていて「ここのところ、新聞のコラムや短信欄は北越雪譜だらけ」という話になりました。確かに私も北越雪譜からの引用のコラムをいくつか見ました。天麩羅のくだりを引用しているのはありませんでしたが、そんなことは自慢にならないし、みんなおんなじことを考えるのだなあと、ややしょぼん。

 雪の中で怖いものは「洪水」「火事」そして天麩羅の次に出てくる「狼」なのだそうです。「雪中洪水」の章には、リアルな挿絵もあります。この挿絵をリアルだと感じるようになったのは、数年前に青森で、じっさいの雪の溶ける様子を見てからでした。真冬のさなかの晴れた日の雪解け水の凄まじさは、想像以上のものがありました。青森空港は山の上にあるのですが、その空港へ向かう坂道を雪解け水がざあざあと流れているのです。毎日毎日雪模様の空が続いていたのが、やっと晴れて青い空が見えたと思ったら、こんどは白い雪がきらきら光る冷たい水になってざあざあと流れ出すのです。

 北越雪譜が恐ろしいものとしている「洪水」「火事」「狼」のうち、なくなったものは「狼」だけです。

天麩羅の話

2006年01月12日(木)

 鈴木牧之の「北越雪譜」に中に天婦羅の話があります。大阪から江戸へ駆け落ちしてきた利助という男が、牧之の江戸京橋の家の裏に住んでいました。この男はなかなか気が利く者で、江戸では大阪では流行っている魚のつけあげを食べさせる店がないことに目をつけました。魚のつけあげ辻(道端)で売れば儲かるのではないかと山東京伝に相談したところ、ためしに調理してみろと言うことになり、なるほどこれは旨いと、商売を始めることになりました。すこで、これを売るに当たって何か良い名前はないかと利助が言うので、山東京伝が考えたのが「天麩羅」だそうです。

 出奔して天竺あたりまでふらふらしてみようかという男が売るから「天麩羅」であり、麩には麦という字が含まれていて、さらに羅は薄い衣という意味なので、小麦の薄い衣をつけて揚げる食い物にはぴったりだということで、この文字を提灯に書き付けたのはまだ若かった自分だと牧之は書いています。利助は天麩羅をひとつ四文で売っておおいに商売繁盛そうです。

「北越雪譜」を雪国の生活を描いた随筆ですが、時々、こうした思い出話が混じったりして、そこがきままに書く随筆らしいところです。昨夜、天麩羅を食べたので思い出しました。ちなみに「てんぷらの話」に次の章は「雪中の狼」という章になっています。

秋山郷

2006年01月11日(水)

 数日前から大雪のために孤立している秋山郷は鈴木牧之の「北越雪譜」の中にも登場してきま。明和7年(1770年)生まれの鈴木牧之は糸の商人ですが、俳諧をよくして、そこに出てくる雪と越後の雪があまりに違う様子なので随筆「北越雪譜」を書いたそうです。この随筆は良く読まれると同時に、随筆ブームを起こして、以後、気候や風俗を描く随筆が次々と出版されたということです。

 また稿本のまま出版されなかった「秋山紀行」はまさに今、豪雪のために孤立している秋山郷を描いたものです。岩波文庫の「北越雪譜」の増田勝実の解説を読みかえしていたら、この「豪雪」という言葉は戦後にジャーナリズムが作った言葉で、それが定着ものだそいうです。自然の脅威。それを限られた字数で表すために工夫した言葉でしょう。小学生の時、日本は世界有数の豪雪地帯を持っていると教わりました。

へんな組み合わせ

2006年01月10日(火)

 アンチー・ミン「マダム毛沢東」(集英社刊)とジョン・アービング「第四の手」と「コンフォルト」増刊「日本の間取り」というへんてこな組み合わせで本を読んでます。どうも頭はまだお休みモード。しなければいけない仕事は放り出したまま。本を読んでは居眠りをするという生活。

 毛沢東夫人の青江は四人組裁判の時の強烈な強気の姿勢が目に焼きついています。アンチー・ミンはその青江が指揮した革命劇の主役に抜擢された女優で、今はアメリカに亡命しています。青江の伝記ではなく小説。小説だから心境が書かれていて、これは想像するよりほかに仕方のないものなので、青江の伝記よりも、小説という表現手段のほうが適切なところがありそうです。

 ジョン・アービングの「第四の手」は「ガープの世界」の発端の父親バージョンみたいな感じと言ったらまずいでしょうか?まだ読み終わっていないのですが、一人の男が世界の傍観者から、世界の一部分になってゆくプロセスを描く物語。主人公の男がテレビマンというところが、アービングらしいも象徴性の持たせ方です。

 「日本の間取り」は日本の間取りというものが、いかに近代の生活意識を変え、家族関係を変化させ、個人の捉え方を変えたかを具体的に住宅の間取りから考えているところがなまじの小説を読むよりもおもしろく読んでいます。

 自分でもへんな組み合わせだと感じますが、何か共通項があるようで、この三冊をぐるぐる回りながらちょこっとづつ読んでいます。

 深夜の東京の雪が降り出しました。午前3時。目が覚める頃、たぶん午前9時頃だろうけれども、あたりは白く染まった世界になっているかもしれません。ニュースには20年ぶりの寒波とか30年ぶりの豪雪による自衛隊出動なんて文字が見えますが、うちの娘や息子は赤ちゃんの頃の記憶はないので、生まれて初めての寒さです。

お正月は終わり

2006年01月09日(月)

 明日、あずきのお粥を食べて、お正月は終わり。松飾も取れます。三学期っていうのは寒くて学校に行くのがいやな季節でした。で、学校の時間割というのが苦手だったことを思い出しました。

 時々、家族から「異常」な集中力と言われます。そう言うと聞こえがいいかもしれませんが、ともかく集中して原稿を書いたり本を読んだりすると、まったく外界で何が起きているのか解らなくなちゃったりします。で、そんなばかみたいな集中力がどのくらい続くかというと6時間が限界みたいです。さすがにお腹が減るしトイレにも行きたくなるしで、そのあとはただぼうっとしてしまいます。家族が「異常」な集中力というのは、このふぬけ状態をさしているのです。正確に言えば異常な集中力を発揮したあとの「ぬけがら現象」です。

 学校に時間割というのは、そういうことにならないように適度に学習して適度に休みという形になっています。小学生の時からあれが嫌い。細切れに何かをやらされるのが嫌で嫌で仕方がありませんでした。

 ところが、どうしたことがこの頃、細切れ型になってきているのです。ちょっと原稿を書いて、ちょっと本を読んで、ちょっと書類を書くという感じ。小学校入学から40年目にしたようやく学校型時間割になれてきたのでしょうか?それとも単なる老化による集中力の低下かしら?

大芋煮会

2006年01月08日(日)

 ゼミ生が集まって我が家で芋煮会をしました。正直、3LDKの我が家に20名ちかいゼミ生がよく入ったなと、言い出した私が驚いています。これじゃあ、芋煮じゃなくて「芋の子を洗う会だぁ」という陰口さえ聞こえてきそうですが、全員が入っただけでもすごい!という感じです。

 豪雪の東北のお住まいの皆さんは今頃、芋煮?家のなかで?外でやらなくちゃ芋煮じゃないよというかもしれませんが、もともとはゼミの時に芋煮の話題が出て、まったく知らないという人もいたので、それではどんなものか作っていようということになったのが始まりです。最初は戸外のつもりだったのですが、日暮れまでの時間が短いし、もし雪でも降ったら、芋煮どころじゃないというので、家の中で味だけ試そうということになりました。ほんとうはお天気の良い秋の日に川原などで、楽しむものだそうです。冬が長いから、秋の日を惜しむ気持ちもあるのでしょう。

 豚肉お味噌味、牛肉醤油味(これは私がレシピを誤解していて、よく聞いてみるとすきやきみたいな味に煮付けるのだそうです)牛肉味噌味と三種の芋煮を作ってみました。10キロ以上のサトイモを消費しました。つまりみんな食べてしまったということ。前日にサトイモの皮むきの手伝いに来てくれたゼミ生が、こんなにたくさんのサトイモの皮をむくのは一生にこれが一度きりかもしれませんなんて言ってました。

 で七草。最後は七草粥を締めくくり。もう食べられないという人にも無理やり七草粥を食べさしてしまいました。薄いお粥だったんです。3合のお米を20人ぶんのお粥に炊いたのですから。でもお粥も大量に作ると小人数分よりもずっとおいしい。料理って量がまとまって出てくる味があるのです。

 そいうわけで大芋煮会。お手伝いいただいたゼミ生の皆さん、どうもありがとう。春になったら、発作的お花見会をぜひしましょう。

台湾キャラバンノートを書く

2006年01月06日(金)

 台湾キャラバンノートを書きました。というか、なんだか二日かがりになってしまいました。原因は三つ。ひとつは、家の者が「古畑任三郎」をビデオに録画していて、それぞれに別の時間に見ていたので、ついつい引っかかってしまったこと。もうひとつは、あまりにも気候が変わってしまって、この寒さのおかげで台湾のことがよく思い出せなかったため。今日は家の中にいても寒くて、西洋のおばあさんみたいにショールをしています。気候が変わると文章ってうまくノッテいけないことがあります。

 三つ目はなんだいろんな仕事が押し寄せてきて、ええと終わったことを考えるのがひどく億劫になっているという理由。三つ目は深刻な感じがします。忘れっぽくなるっていうのは、結局、余裕がないってことなのかなあと思ったりする暇さえ欠いているというのは、なんだか私だけではない気がするのです。世の中全体がそんな感じで「忘れる」ために働いているんじゃないのかな?って疑りたくなる時があります。

 ともあれ台湾キャラバンノートを豆蔵さんのところに送ってあります。豆蔵さんアップをよろしく!

新年の東京

2006年01月04日(水)

 2日の雨は小雨程度で止みました。3日は夕方からカレッタ汐留の47階「ビーチェ」で知り合いとささやかな新年会。隅田川にかかる永代橋や築地市場、レインボーブリッジの夜景を眺めながら食事をしました。羽田には離発着の飛行機がひっきりなしでした。とは言え、さすがに新年で、まだ休みの会社の多く、東京の夜景もいつもよりも少し静かに見えました。

 帰りのタクシーでなぜかブランド好きの運転手さんの車に乗り合わせました。「タクシーの運転手なのにブランド好きはおかしいでしょ」といささか自嘲ぎみでしたが、子どもがなくて共働きだと、かなり贅沢ができるみたいです。で、お正月が終わったらハワイの伯父さんのところに遊びに行くと言ってました。奥さんも一緒にでかけたいのだけれども、会社勤めなので、長期の休暇がとれないという理由で、二泊くらいで台北や香港にでかけるみたいです。で、ブランド好きになったというわけ。タクシーの去年あたりからまた稼げるようになって来たので、そのうち個人タクシーを開業したいと言ってました。

 明かりがぴかぴか光る東京にはずいぶんいろんな価値観の人がいるもんです。お天気は曇りだけれども、総じて静かで穏やかなお正月です。その東京も今日は仕事始めです。

東京は雨が降り出しました

2006年01月02日(月)

 スタッフ・ルームに遊びにくるやさぐれちゃんが実家の雪の様子を知らせてくれました。

「実家はまだ雪が積もってます。本降りになることはありませんが、この時期にこれだけ降るのはやはり稀だそうです。電車で帰省する道中は、宇都宮あたりから雪が見られました。しかし雪国で一番恐ろしいのは、積雪もそうですが、日中晴れて雪が溶け、夜に道路がつるつるに凍るという現象。見ているだけなら雪ってすごくきれいなのですが(^ェ^;)星空は相変わらずとても綺麗です!!!」

 東北はどこも大雪の様子です。しばらく雨が降らなかった東京も午後になって雨が降り出しました。冷えているので、雪になるかもしれません。

 喉をやられる風邪をひいてぜいぜいしていましたが、この雨で落着くでしょう。お正月になって冬眠モードにスイッチが入ってしまったのか。ずっと寝ています。自分でも驚くほどたくさん寝てしまいました。

謹賀新年

2006年01月01日(日)

 あけましておめどとうございます。今年が皆様にとりまして良い年になりますことをご祈念いたします。

 今年、卒業を予定されている皆さん、卒業製作のお進み具合いかがでしょうか?卒論提出日まで残りわずかです。がんばりましょう。

   
談話室 リンク集「豆の茎」 メルマガ「豆蔵通信」 サイトマップ