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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

なぜか奇跡的な追い上げを

2005年12月31日(土)

 今、台所で娘と息子が奇跡的な追い上げで大掃除をやっています。ただしうち中みんな腹ペコ。いったいいつになったら台所が使えるようになるのやら。ただ今、21時49分。昨日のうちにやってくれたら申し分のな子どもたちなのですが……。

 というわけで今年も終わり。なんだか、よく解んない年でした。今までで一番、原稿を書いていません。しばらく原稿を書かないでいて、年末に追い上げで小説を一本書いたら、なんでこんなにエネルギーを消耗するんだと、我ながら呆れてしまいました。慣れの問題もあってしばらく休んだあとにいつも、「ひやあ」って思うのですけれどもねえ。

 皆さん、どうぞ、良いお年をお迎え下さい。

CMソングとともに

2005年12月30日(金)

 生まれたときからテレビがあったというテレビっ子世代ではありませんが、でもCMソングと一緒に成長してきたことは間違いありません。テレビが最初に家に入ってきたのは5歳の時でした。祖父母の家で使っていた中古のモノクロテレビをもらってきたのです。

 そのせいか、肝心な時になるとなぜかCMソングが頭の中に流れます。今年も残すところあと2日。流れているCMソングは
「きれいになってもしょうがない、
 なっちゃたんならしょうがない」
 というものです。でもこのCMはどんな商品のCMなのか覚えていません。美容体操をしているお姉さんのそばで、小学生くらいの女の子がかったるそうに歌っています。今年の大掃除の心境はこのCMソングみたいな感じ。なんとなくあきらめぎみで、がんばろうという気にもならないけれども、だらだらやっていると少しきれいになって「きれいになっちゃたんならしょうがない」でもう少しやろうかなという気になるといったところです。

雪のない富士山

2005年12月29日(木)

 静岡の小川国夫さんのところへ忘年会に行ってきました。忘年会に来た人の中には毛皮を着た人が何人かいましたが、ここ数年、毛皮を着るような寒さはなかったという話題が出ました。ひさしぶりに寒い冬ですが、どういうわけか富士山には雪がありません。風で吹き飛ばされたのではないかという説がネットのニュースにありました。

 行きは新幹線。帰りは知り合いの車に乗せてもらい真夜中の東名高速を走ってきました。まだ市場が開いているので、高速道路はロングのコンテナ車で混雑していました。コンテナ車に囲まれると自分が運転していなくても恐怖感を感じます。今年も残り少ないというあせりでしょうか?運転は日ごろよりも乱暴な感じがしました。

 これから大晦日にかけて、また荒れ模様の天候になるという予報が出ています。確かに雪も雨も降っていないのは関東と東海の一部という天候が続いています。

あしたは御用納め

2005年12月27日(火)

 というわけで今年も残り少なくなりました。あしたは御用納めですが、もう休暇に入っている人も多いことでしょう。冷蔵庫の発掘調査をして、本の山と格闘して、それから、ええと何をしなくちゃいけないんだっけ?

 やることは山ほどあるわけですが、たいへい3割くらいで挫折してます。あんまり散らかりすぎるとほんとどうしていいのか解らなくなってしまいます。まあ、それでも年末というものがあるから、なんとか歩く通路だけは確保されているというところでしょうか。

 くたびれていると、物が捨てられないのです。なんだか大事なものまで捨ててしまいそうで、怖いという心境になります。まあ、たいていのものは誤って捨てても取り返しがつくのですが、手続きがひどく面倒なものも中には含まれるから、どうも疲労している時の片付け物は嫌な感じです。いっそのこと、お正月にゆっくり休んでから片付けたふが賢明なのかな?と考えることもあります。みんなが片付けている時のほうが「ああ、片付けなくちゃ」という心理は働くきます。それと身体が一致しないので困ってます。

 インフルエンザがもう流行し始めたみたいです。今年は例年よりも流行が早く始まったとのことでした。そうそう日本の人口も減ったという話です。少し広々とした国でゆったり住むのもいいのではないかと思うのですが、どうでしょうか?

今日はインド洋津波から一年

2005年12月26日(月)

 ほんとうは「なんでもない日おめでとう!」って書きたかかったんですけどね。「不思議の国のアリス」の3月うさぎみたいにティー・カップを持って「なんでもない日おめでとう」って言うの好きです。

 災害、厄災続きで、ほんとうに「なんでもない日」って「おめでとう」を言ってもいいくらいに数えるほどしかないのですね。今年は津波とともにあけて、小学生が殺されたり、さらわれたりの事件も多かったし、例の構造に問題のある建築物の一件は年を越えて持ち越されるしで、なかなか「なんでもない日おめでとう」とは言いにくい気分です。

 昔から世界には厄災が多かったし、これからも厄災は多いのでしょう。公共の体育館でアルバイトをしている息子と話していたら、暖を求めて施設内に入るホームレスに出ていってもらうというのが仕事のひとつだと言ってました。嫌な仕事ですが、そうせざるおえないとのことでした。体育館のある公園では凍死していたり、首を吊っているホームレスが見つかることもあるという話でした。たいていひっそりと処分されて、大事件にもならなければ数行の新聞記事にもならないと聞かされました。それから市役所へ用事で出かけたら、やはり社会的援助を必要をする人の面倒を見てくれる人手に困っているという話を聞かされました。

 厄災は遠くにあるばかりではないのでが、身近な厄災は、それをそれとして見る人が少ないのでしょう。

今日はクリスマス

2005年12月25日(日)

 サンタ・クロースが現れました。悪いサンタじゃなくて、クリスマスケーキを毒見して持ってきたサンタ。朝、起きたら台所のテーブルの上に8分の1ほど食べられたあとがあるクリスマス・ケーキが現れました。なんでもサンタがちゃんと毒見をしてから持ってきてくれたそうな。

 クリスマスはお肉を食べてお正月はお魚を食べる。なんとなくそういうことになっているこの頃です。

 東京は穏やかな良いお天気。でも寒い。で、また風邪がぶりっかえしてきました。あったかいお茶が手放せません。お腹に来る風邪もはやっているようだけれども、我が家の場合はみんな喉をやっられています。

今日はクリスマス・イブ

2005年12月24日(土)

 今日はクリスマス・イブで鴨を焼きます。って言うっても誰もいない。うちには。もう、みんな出かけちゃってます。こうなると自分もいない気がする。じゃあ、鴨の胸肉に胡椒と塩を振っているのは誰?って、ややいじけぎみ。ま、いいでしょう。鴨のコンフィの作り方を覚えました。

 塩胡椒をした鴨の皮を下にして焼きます。で、ひっくり返さないで、熱い油をスプーンで上からかけて焼きます。ゆっくり気長に焼くのがコツ。「なるほど、なるほど」とこの間、テレビで見て覚えました。一回だけだと忘れちゃうから、今週はこれで二回目です。はい。だいたい5回くらいやるともう忘れないんで、お正月のうちにまた作ろうと思います。

 それからロースト・ビーフ。これは今年は止めておこうと思ってだんだけど、昨日、鎌倉のバーでおいしいロースト・ビーフをご馳走になりました。詩人の城戸朱理さんに連れていってもらったんですけどね。城戸さんがジンを注文するから「はて?」と思ったんだけど、ロースト・ビーフが出てくるとわかってたら、私もジンにすれば良かったなあと後悔。鹿児島から詩人の高岡修さんがいらっしゃっていたのでした。

 で鴨のコンフィとロースト・ビーフはどうなるかと言えば、明日、細かく砕いてサンド・イッチの具材になるのです。まあ、サンタクロースのかっこうをした強盗が来なければ、それでいいことにしましょうか。

今日は天皇誕生日

2005年12月23日(金)

 昨日の丸の内、大手町、有楽町は実質的に今年の仕事納めの日とあって大混雑だったとタクシーの運転手さんが言ってました。皇居前広場にはお祝いの記帳用のテントがたくさん張られてました。これはお正月までそのままになっているそうです。

 で、例の耐震構造偽造事件。どのくらいの広がりになるのか、そら恐ろしい感じがしますが、こうなったら徹底的に調べて、ついでにうんと税金を投入してしまえばいいと思います。なんてね。少子高齢化社会に備えて、介護のしやすい住宅や二世帯でらくらく住める住宅をうんと建ててしまって、ついでに美しい街並みや街路樹や公園もつくってというようなことを政府が率先してやってみせるきっかけにしちゃえばいいのにと、無責任に考えてみるのもおもしろいです。

 耐震構造に問題のある建物は取り壊して、思い切って100年でも200年でも使える丈夫で美しい建物にして、管理会社の所有物にして賃貸物件ではあるけれども、そこの住む権利を売り買いできるものにすればいいのではないでしょうか?まあ、そんなことを考えてみました。住んでいる人みんなの財産になるような美しくて住み良い町ができるきっかけになるならば、税金の投入もまんざら被害者のためだけではなくなるのではないでしょうか?誰かうまい知恵を出してくれないでしょうか。災害のあとで、しっかりとした都市計画が生まれるというのは歴史上何度もあることですが、人災ではそうはならないかもしれません。

今日は冬至。

2005年12月22日(木)

 関西や新潟では雪のため停電が起きているみたいです。着雪で送電線が切れてしまうみたいです。東京は昼前ごろからなにやら怪しい雲行き。灰色の雲が空を覆い、しんしんと冷えてきました。まさかお正月前に雪が積もるなんてことはないでしょうけれども。

 小学生の時は雪大好き人間だったうちの娘も今ではすっかりものぐさな大学生で、曇り空をうらめしげに見てどのコートを着るべきか考え込んでました。今でも雪はあまりありがたくないようです。

 ネットでみつけた変わったニュースをふたつ。ひとつは「悪いサンタ大暴れ」というもの、世界中でサンタの格好をした強盗が出ているみたいです。北欧ではサンタの格好で火のついた矢を放って放火をしたというとんでもない人もいたようです。もうひとつは「ニューヨークの文化論争」なんでもアメリカではここのところ、宗教色を薄めた表現が使われていて「クリスマス休暇」といわず「ハッピー・ホリデー」などというようになる傾向があったのだそうですが、こうした傾向にキリスト教右派が巻き返しを図っているのだそうです。

 いずれにしても今日は冬至。クリスマスに比べて地味だけど、ゆずのお風呂に入ってかぼちゃを食べると風邪をひかないといいます。早くおうちに帰って、あったかいお風呂に入ろうって、まだ出かける前から考えてます。明日は天皇誕生日。それにしても今上はややこしい日に生まれたもんですねえ。天皇誕生日がここに来てから一年が一週間短くなったような気がします。

大寒波に新型インフルエンザと耐震構造偽造

2005年12月21日(水)

 寒いです。東京以外でも寒いところが多いようですが、今夜からまたいちだんと冷え込むという予想です。雪を見に行きたくて仕方がありませんが、雪国の人は見物どころの騒ぎではないでしょう。バブルが始まる前の冬もすごく寒かったのを覚えています。で、株式市場は景気回復の様相をはっきり示し始めていると伝えられています。しかし、大寒波とついでに新型インフルエンザが爆発的にはやるのは時間の問題なんて聞くと、景気が良くても命あってのものだねだからなあって気になります。

 で、耐震構造偽造事件ですが、私にはどうしてもなぜ偽造書類を作って検査まで通したのか、理解できません。たぶん「犯罪」ではなくて「通常業務」としてそうしたことをしていたのではないでしょうか?「犯罪」の自覚があったら、そんな証拠が残るようなことはきっとしないでしょう。で、その「通常業務」で日本中にどのくらい崩れやすい建物が建っているのでしょうか?それを考えるとなんだか空恐ろしい気がします。
 住宅政策と都市政策の貧困が生んだ恐怖と言っていいのではないでしょうか?

 バブル経済到来前の大寒波の時の景色景観に比べて現在は日本全国で景色が醜くなったなあと感じることしきりです。それにしてもいのちあってのものだね!昨晩から風邪を引いてぜいぜいやっています。だから頭の中はちょっとばらばら。

川口リリアホール

2005年12月19日(月)

 夕暮れの街に車を走らせて、川口リリアホールまで東洋大学吹奏楽部の定期演奏会を聞きに行きました。スタッフ・ルームに遊びにくる井上さんのご招待です。川口までは道さえ空いていれば30分くらいで行けます。

 久しぶりの吹奏楽の生演奏でした。今年9月になくなったA・リードの曲やコダーイの「くじゃく」などを聞きました。が、圧巻は「オペラ座の怪人」を構成したマーチングの演技でした。なんだか、どきどきわくわく。コンクールとはまた違う華やかさがあります。最後に
アンコールで、舞台に並んだメンバーが、バンドメジャーを先頭に、舞台手前に進んでくるところなって、幾ら拍手をしても足りなくくらいでした。

 来年は時間を見つけて吹奏楽やドラム・コーの生演奏を聴きたいなあと改めて思いました。井上さん、どうもありがとう。感謝!

秋山さんの会

2005年12月18日(日)

 文芸評論家の秋山駿さんを囲む会がありました。この会は秋山さんの還暦をお祝いしたのが始まりだそうです。以来、毎年12月初めに温泉一泊旅行をしてもう15年にもなります。昨年は熱海一泊で思いがけず冬の花火を見物したことはこの「豆の葉」にも書きました。

 秋山さんがご病気で入院なさったのは、冬の花火を見物してまもなくのことでした。その後、順調に回復なさって、5月には群像新人賞の授賞式で乾杯の音頭をとられていました。温泉一泊は無理でも秋山会がないのは寂しいということで、今年は新宿で夕食を食べようということになりました。5月にお目にかかったときよりもずっとお元気になられたご様子にほっとしました。

 秋山会では、大勢の人がいるので、なかなか秋山さんとゆっくりお話はできないのですが、昨晩はたまたま隣に座ってゆっくりとお話ができました。秋山さんとお話していると、物書きとか文芸に関わっている気持ちの正直なところが話せます。いろいろご存知ですから、話せてしまうのですね。

超漢字 串刺辞書

2005年12月17日(土)

 東京国際フォーラムで開かれていたトロン・ショーに行ってきました。年々歳々に賑やかになってます。参加する企業も増えて、今年は国際フォーラムの地下全体を使った展示になってました。

 「超漢字」の串刺し辞書が完成したので、それを見せてもらいました。単語を検索する場合、複数の辞書を同時に検索することが出来るというものです。日本語の国語辞典ばかりではなくて、英和、仏和、伊和など外国語の辞書を検索することも可能になってました。

 言葉の意味というのは、A=Bというようなものではありません。Aという言葉はAという意味の集合で、その集合のある部分がBという意味の集合と一致しているのです。そのには自然とずれが出来ています。串刺し辞書を活用すると、そうした意味の範囲の広がりや言葉がずれが自然とわかります。辞書に串刺しにすることによって「類義語辞典」のような役割も果たすようになってました。

 会場には作家の吉目木晴彦さん、歌人の大谷さんもいらっしゃっていて、串刺し辞書について、楽しくお話させてもらいました。

すっかり冬景色

2005年12月15日(木)

 寒くなりました。コートを引っ張り出して着ています。暖かいとほっとします。

 昨日は昼に家を出るまで、国会中継を見ていました。で、帰りにタクシーの運転手さんと話したのですが、姉歯元建築士はそんなに嘘はついていないだろうという感じですし、木村建設の社長は実務はそれほど知らなかったのだろうという感想のお客さんが結構いましたよという話でした。

 出勤した大学でのほかの先生のこの件で雑談をしたのですが、60代50代の全共闘世代がおとなしい40代をこき使った感じがするという感想でした。ところがその40代は気弱で真面目なおかげで、あれもこれもばれたというところでしょうか?「なんだかなあ」とため息。

 それにしてもこの事件、よく解らないのはなぜ構造計算書を偽造したのかという点です。建築工事の手抜きはよくある話で、地震のたびに手抜き工事が問題になるのは今に始まったことではなくて、古くは江戸時代、いやもっと先まで遡るかもしれません。で、手抜き工事をすればいいものを、ちゃんと構造計算書を作ったところが奇妙です。なんでわざわざこんなめんどくさいことをしたのでしょうか?今朝の新聞を読んでもその謎は解けませんでした。

 それにしても冬景色です。大企業のボーナス支給額は過去最高なんていう文字も新聞のすみっこで踊ってました。

つくもさんの念力

2005年12月14日(水)

 言われるまで気付かなかったんですが、つくもさん(リンク参照)とお目にかかったり、つくもさんが我が家に起こしになったりするとなぜかウィンドウズの調子がへんになっちゃうんです。30秒で電源が落ちるウィルスに感染するとか、作業中に画面がまっくらになるけれども、ポインターは生きていて、手探り(あてづっぽうか?)でクリックするとなんかと使えたりといろいろ怪奇現象がおきるのです。これってつくもさんの念力なのかしら?

 で、先日のサーバーが飛んじゃった時ですが、あれはつくもさんの結婚式に私もお呼ばれしてました。で、結婚式に出席した人の中にもこのHPを見ていてくれる人がいて「今朝からアクセスできなくなってますよ」って教えてくれました。ううん。こうなるとサーヤの結婚には地震や津波がくるのと同じくらいの不思議です。これも念力の一種かしら?つくもさん自身に指摘されるまで気がつかなかったんですけど。こういう念力もあるのかなあって、びっくりしてます。

生ハムと洋ナシのサラダ

2005年12月13日(火)

 洋ナシの季節はそろそろ終わりですが、洋ナシと生ハムのサラダのレシピを覚えました。ころころに切った洋ナシにルコラ、それにパルメルザンチーズを薄くそいだものをかさねてバルサミコ酢をかけます。これだけ。とってもおいしい組み合わせです。覚えたての組み合わせです。

 生ハムといえば果物との相性がいいのですが、なんでも以前の日本の法律ではハムは加熱しなければいけないという規定があって市販できなかったそうです。でもホテルや高級レストランの前菜には生ハムがありました。あれはきっと縛られる法律が違ったのでしょう。で、前菜といえば生ハムのメロン添えというのが定番という時代がありました。

 イタリヤ産の生ハムを売っている店をデパートで見つけた時はすごく嬉しかったのですが、お値段のほうも目の玉が飛び出るくらい高価でした。これは今でもあまり変わりがありません。そんなに高い生ハムを買わなくても日本産のまあまあの値段のものが今は出回るようになりました。

 生ハムと洋ナシあるいは桃という組み合わせは今までも楽しんでいたのですが、+ルコラ+パルメルザンチーズ+バルサミコでこんなに見た目に美しく、複雑で良い香りのするお料理になるということを発見しました。クリスマスには温野菜のサラダにするか?生ハムと洋ナシのサラダにするか?考えています。

「シュラクサイの誘惑」と「ガープの世界」

2005年12月12日(月)

 ここ数日、小説を読むようなおもしろさでマーク・リラの「シュラクサイの誘惑」(日本経済評論社刊)を読んでいました。「ハイデガー、アーレント、ベンヤミン、フーコー、デリダら現代思想のスターたちの失敗から解き明かすユニークな政治哲学入門」と本の帯にはあります。哲学だけを論述の対象にするのではなく、それらの哲学者の実際の政治的行動もあわせて論じているので小説を読むようなおもしろさがあって、二十世紀後半の思想の流れを現実の歴史の流れに沿って読み直すことができます。

 で、話は変わって、ジョン・アーヴィングのこと。若い友人とアーヴィングを読み直したらおもしろいだろうねという話をました。日本の文芸評論家がフーコーだとかデリダだとか、いわいゆるポスト・モダンの哲学に夢中になっている間に、日本の小説家に影響は与えたのはジョン・アーヴィングでした。若い友人によるとちょっと考えただけでも、保坂和志の小説にもアーヴィングの名前を発見することができますし、小川洋子や角田光代の小説もアーヴィングからインスピレーションを得たのではないかというディテールを見出すことができるということでした。その考えに私も賛成。

 確かにアーヴィングは30年前に日本で紹介され始めた時に魅力的な作家でした。そして、フーコーやデリダをいじっていた文芸評論家からはこれまた見事にまったく無視されました。にもかかわらず、アーヴィングが提出するイメージというのは、ポスト・モダンの哲学の痛烈な批評になっています。通常の批評は「物語」を「批評」するのですが、ポスト・モダンの哲学のそばにアーヴィングを置いてみると「物語」が「批評」を批評しているという転倒が起こります。これはおもしろい転倒です。批評は直感的なリアリティを要求されませんが、物語(小説と言ってもいいのですが)はリアリティを要求されるためにこうした転倒は起きるのでしょう。

 10月に大阪で小川洋子さんと一緒のシンポジウムに出席した時、小川さんが「偉大な日常の発見」と発言していたのが印象に残っていますが、こうした表現は非現実的な批評家の言辞に悩まされた来た作家には直感的に理解できてしまうものであって、同時に「物語」が「批評」を批評するという転倒の中から生まれてきたものなんだなと感じました。おもしろい発見をしました。

冬の海の家

2005年12月11日(日)

 広い空と大きな海とどこまでも続く砂浜の九十九里海岸までドライブしてきました。何時も何か用事があるのですが、今度はほんとうにドライブ。

 アクア・ラインから木更津に抜けて、紅葉がまだ終わってなかったので、房総半島を横切るようにして、鹿野山と清澄山の西側を抜けて天津小湊に出ました。紅葉もまだこ残っていましたし、途中でたくさんの柿の実が実っているのでも出会えましたが、山道があんまりぐるぐると回っているので、運転していて目が回ってしまいました。これはちょっと心配。

 それから太平洋沿いに九十九里浜の大網白里まで北上。ここで西の空へ陽が落ちて行きました。東の空も沈む陽の照り返しで、雲が紫がかったピンク色に染まっていました。引き潮で黒く濡れた波打ち際を千鳥が一羽、千鳥足なんて冗談でしょうという言いたげにまっすぐに走っていました。海の色に乳白色とブルーが混じった感じ。冬の海も時折、こんなパステルカラーに染まるのだなと関心したくなる色でした。

 こんな季節に海岸にならんだ海の家が営業しているとは思えなかったのですが、幾つかの店の中には人の影がありました。で、覗いてみると「いわしの丸干しとハマグリとイカを鉄板で焼くだけ」というメニュー。
「それだけならあります」
 浅黒い肌につやのない髪。いかもに海辺の人らしい風貌のおばさんは、その風貌に似つかわしくないやさしい声で日暮れに飛び込んできたお客の相手をしてくれました。「飲み物は自動販売機を利用してください」という店内はがらんとしてましたが、それでも、カップルが一組、熱心に話し込んでいました。

昨日、高速道路を走りながら聞いたラジオでは「明日は都心でも雪がちらつくかもしれません。お出かけするなら今日のうちに」なんて言ってましたが、ほんとうに小雪が舞い始めました。池袋で開かれた伊藤比呂美さんの朗読会を終わって地下鉄を降りたら、空から白い粒々がぽつぽつと舞い降りてきました。


 

研究室にサンタが

2005年12月09日(金)

 講義を終えて研究室に戻ってみるとサンタが来てました。のまネコがちょこんと机の前の椅子に座っているではありませんか。しかも黒い瓶に「米」と書いてあるやつを持って。ふかふかののまネコです。サンタさんありがとう。

 豆蔵さんとうちの娘が捕獲してきたちびのまネコは台北の東呉大学日本語系の皆さんに可愛がってもらっているようです。

耐震構造偽装問題

2005年12月08日(木)

 鈴木隆之さんのホームページを覗いてみるとロサンゼルスでもネットで日本の耐震構造偽造問題のニュースを把握しているとのことでした。最初は「さもありなん」と思っていたそうですが、しだいに驚きを増していると書いていました。

 鈴木さんによると建築は経験が重視される仕事だそうです。その経験重視の現場が耐震構造偽装の設計図のままに建物を建ててしまったことに驚いている様子です。

 これまで内閣が吹っ飛ぶような事件はいろいろありましたが、この耐震構造偽装問題はロッキード事件以上に国民生活密接に関連した問題ですから、予算委員会が開かれる来年1月2月の国会が大荒れになりそうな気がします。この事件とはまったく無関係ですが、こうした時期には内閣を揺さぶるような細かいニュースがぽろぽろ出てくるものです。すでにその兆候が現れているようなニュースを私はいくつか見つけました。

 いずれにしても働いている人が投げやりな気持ちになるような世の中はいい世の中とは言えませんね。

武道館で

2005年12月07日(水)

 武道館の小田和正のコンサートに行ってきました。ゲスト?飛び入り?で矢野顕子とゆずが顔を出したのが楽しかったです。とくに矢野顕子は「すごい」って聞いていたけれども、レコードやCDだといまいちわからなかったのですが、ライブだと声の表情の微妙な感じがすごくおもしく、これが「すごい」って言われるゆえんだなって思いました。

 それにしても、武道館というと大学の入学式や卒業式で出かけることが多いので、客席は「おばさん」ばかりっていうのはなんだか保護者会にいるような気分でした。圧倒的に50代40代の女性の観客が多く、ま、私の「おばさん」のひとりなんだけど、なんというか、へんな気分でした。この気分をいったい何と言ったらいいのだろうかしら?

スープのだま

2005年12月05日(月)

 朝のうち、ぼんやり曇っていた東京にしっとりとした冷たい雨が降りました。寒くなりました。子どもの頃、こういう寒い日にはよくコーン・スープを作ってもらいました。

 小麦粉をバターでいためてホワイト・ルーを作り、コーンの缶詰(クリーム状)と牛乳で作るスープです。小麦粉をバターでいためる作業が難しくて、なかなか滑らかなホワイト・ルーになりません。ところどころに小麦粉のかたまりが出来てしまうのです。それで、出来上がったスープにも小麦粉の粒が入っていました。これを「だま」といいました。

 「だま」はコーン・スープに混じっていると、コーンの粒とよく見間違えることがありました。コーンの粒だと思って食べてみると、ねちゃと柔らかくはじけて、時には粉っぽい味がすることもありました。お料理としては失敗なのですが、でも、私はこの「だま」が好きでした。いや、今でも暖かいスープの中の「だま」が好きです。買ってきたコーン・スープや、お店で食べるコーン・スープには入っていない「だま」は家で食べるスープの味の大切な一部分です。

 もし、お店で食べるスープに「だま」があったら、なんだかすごく損をしたような気がするのに違いないのです。でも、家の味はそんな失敗もいいものになります。寒い日にほっとするのは「だま」の入ったコーン・スープです。

復旧しました。

2005年12月04日(日)

 完全に復旧したわけではありませんが、ともかくも復旧しました。豆蔵さん、ありがとう。ちょうど、バック・アップをとっておかなくちゃという話をしているやさきのサーバーのパンクでした。こういうことがあるのですね。

豆蔵さん奮闘中

2005年12月03日(土)

 昨日の不通はサーバーに問題があったようです。で、復旧はさせたのですが、11月23日以降については消えたままになってしまいました。現在、豆蔵さんが復旧のために奮闘中です。「はてさてどうなりますやら」なんて言ってましたが、頑張ってください。期待してます。

 って、これをアップしている間にちょうど復旧してもらったみたいです。どうもありがとう!!!

なにが起きたのか解らないのですが

2005年12月03日(土)

 昨日からHPを開くことができなくなっていました。なにが起きたのか、今のところ解りません。で、昨晩、開くことはできるようになりましたが、今度は11月23日以降に掲載した記事が全部消えてました。

 豆蔵さん、いったい何が起きたのでしょうか?

 サーバーが何らかの理由でぶっ飛んだ、というのが端的な答えであります。一度消えた(2日午前中)後、きれいさっぱりなくなっていたので復旧(2日19時)したものの、サーバーの管理会社がバックアップを発動させたためにまた戻ってしまったものと考えられます。
 できる限りの復旧は試みますが、11月26日以降、画像がない分の日記は修復できないかもしれません。(豆蔵)

台湾の土産

2005年12月02日(金)

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 12月になってしまいました。台湾のお土産はからすみ。台湾はからすみの産地なのです。乾物を売っている問屋街にはからすみもたくさん出回っているそうですが、今回は行けませんでした。
これは空港で500元で買ったもの。もっちりしてました。お正月にとっておこうなんて殊勝なことは考えずに、もうみんな食べちゃいました。お茶漬けに最高! なんてね。

台湾の豆2

2005年12月01日(木)

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 なかなか台湾キャラバンのトピックスをまとめられません。もうちょっと待ってください。台湾の豆2です。台東で水が低い土地から高い土地に流れるという奇観に連れていってもらいました。で、水野さんはたまたまあるポイントに立ち、ほんとうはその流れはくだりの阪を流れているのが一目で分ってしまったそうです。でも、その流れには「もしこの流れの不思議さが理解できなければ、それは心がにごっているからだ」と立て札に書かれていて、みんなで「ううん」。どもう目の錯覚を利用しているようなのですが、私にはからくりは分かりませんでした。

 で、写真はその流れのふちにさいていた豆の花。夏場ももっとびっしりと黄色い豆の花が咲いていたそうです。台湾も寒くなったというメールを東呉大学の呉先生からいただきました。

   
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