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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

これが桃太郎です

2005年11月28日(月)

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 横浜の骨董市でいちばん買おうかどうか悩んでしまったのがこの桃太郎です。お膝からももへかけてのむちむち感、肩のふっくらしたところ。おじさんなのか赤ちゃんなのかよくわかんない顔。でも気に入っています。家に持ち帰ったらあんのじょう、家では「どうして、こんなものをかったの!?」と言われてしまいました。でなぜか、この桃太郎を見た息子と娘は「おかしい」と言って笑ってました。だからいいです。

うちのマンションは大丈夫か?

2005年11月25日(金)

 構造設計偽造で「うちのマンションは大丈夫か」と言う相談が建築士団体へ殺到しているそうです。で、鈴木隆之さんはこの件でなにか言っているかなとホームページを覗いてところ、現在はロサンジェルスの大学で講義中ですが、日本のラジオ局から出演交渉があったと書いてました。ロスでは出演は無理。でも起きるべくして起きた事件だとも書いてました。やっぱり。誰だって姉歯建築士だけがへんなことをしているとは思わないでしょう。で、うちのマンションは大丈夫なのかしら?

 ところで、会社を定年退職した世代の男性の言葉使いの荒っぽさとかぞんざいさとか、とのかく乱暴で、自分よりも立場の弱い人にはかさにかかって喋るという癖にはいろんな場面でずいぶん悩まされてきました。会社の看板を背負っていればこその物言いがそのまま出ているんだなあと呆れることもありました。でも、その会社ってずいぶん荒んでいるところなんだなあと、なんだか被害者感情を通り過ぎて痛ましいような気持ちになってしまうことすらあるのです。
 そういうことからも、へんな仕事のしかたをしているんだなあと感じたことがしばしなあります。で、ほんとうにうちのマンションは大丈夫でしょうか?

 娘に言わせると「私が生まれる前から建っているんだから大丈夫でしょう」ということでした。築25年だからね。確かに彼女が生まれる前から建っています。

台湾の豆1

2005年11月24日(木)

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  台東の旧駅に続く道になっていた豆です。葉の形状は合歓の木ににているのですが、なた豆みたいな豆がたくさんなっていました。大きさを実感できる写真をとりたくて、集英社「すばる」編集部の水野さんに持ってもらいました。こんなのが頭の上に落ちてきたら、痛いだろうなあって思うのですが、台東の駅舎が郊外の新しい駅舎に移動するまでは、この大きな豆がなる木がメインストリートの並木になっていたのです。以前、書いたジャスミンの香りがしたのもこの通りでした。

(連絡事項)東呉大学院生のみなさんへ 本日ようやくのまネコを発送しました。遅くなってごめんなさい。来週初めには着くでしょう。

あれとこれが頭の中でこんがらがって

2005年11月23日(水)

 これまで原稿を書くときは超保守的なパソコンの利用をしてきました。というのも慣れた作業じゃないと自分のコンデションを把握できないからです。

 ウィンドウズに送ってもらったインタビューの文字データを超漢字に送り、20×20の縦書き原稿に流し込んで、それから規定枚数の原稿にするという作業をしてみました。締め切りまでの時間がないので苦肉の策だったのですが、結果としては逆に時間がかかってしまいました。が、この方法は慣れればかなり有効であることも解りました。なにしろテープを起こした原稿をそのまま原稿用紙に流し込んで利用できる利点があるのです。

 120枚の原稿を16枚までに縮めました。で、作業の途中ではメモ機能をしおり代わり付箋代わりに使ってみました。来週も同じ方法で座談会の原稿を作ってみるつもりです。

 で、秋葉原。もうちょっと探検してみたいなあと思い出しています。それから昨日、「すばる」(集英社)の水野さんから電話があって台湾キャラバンの原稿は旅行の部分も含めて書くことになりました。けっこうまとまった原稿です。で、そうなると「豆畑の友」のトピックスは文学フリマを先にしたほうがよさそうだという気になってきました。ええとあれとこれと、あっちとこっちで頭の中がこんがらがっています。パソコンの使い方新機軸に挑戦というのもこんがらがる原因なんだけど。

 そういうわけでトピックスは「文学フリマノート」から掲載します。

一般来場者1000人

2005年11月22日(火)

 文学フリマのホームページの事務局通信によるとフリマの来場者は1000人。出店者200人。いずれも概算でそのくらいだそうです。

 ふつう主催者発表というのはいささか多めの見積もりの発表が多いのですが、こと文学フリマに限ってはかなり慎重な見積もり、少なめの見積もりなのではないと思います。といいますのもブースは160あったのですが、ひとつのブースに2人以上の出店者が来ているところが多かったかでです。もっとも、来場者と出店者はそんなに簡単に分けられるものではなさそうです。

 お店を出しているどうしが、ほかのお店を覗きにいったり、一年ぶりにあう人と挨拶をしている人がいたりと来場者、出店者入り乱れる文学フリマでした。でも実質5時間で1200人はすごいなあ。

文学フリマお手伝いお礼

2005年11月21日(月)

 文学フリマでお手伝いいただいた梅沢先生、大西さん名古屋君、豆蔵さん、未兎さん、どうもありがとうございました。おかげさまでたくさん本を買ってもらうことができました。お礼申し上げます。

 (連絡事項)法政大学のゼミ生の皆さん。ゼミ誌は人気で完売しました。

秋葉原の文学フリマ

2005年11月21日(月)

 土曜日に恒例の日大院生の諸君とフィールドワークに行ってきました。夏休みに挙行の予定だったのですが、台風の接近で延期になってました。今回は日が短くなっているので皇居周辺を街並みの変化に注意しながら歩きました。

 で、聖橋の上から秋葉原を眺めてみると、煌々とした巨大ビルが三っつも見えました。明るいビルで、すっきりとした色合いの光です。電気街のネオンサインで色とりどりに輝いていた昔とは違います。神田明神の境内からも秋葉原の巨大ビルを眺めることができました。

 以前、文学フリマの事務局長の望月君に秋葉原を案内してもらったことがありました。やはり日大のフィールドワークでしたが、考えてみるとあれが古い秋葉原の見納めでした。戦後の街。秋葉原はそう行ってもいいと思います。津島佑子さんの話だと昭和20年代はまだ野原だったということです。東京の東側にはところどころに火伏せのための野原があったのです。そこに電気屋さんができてあれよあれよというまに大きな電気街に育ったのは昭和30年代だったとのことでした。

 秋葉原の再開発は渋谷のビットバレーよりも実際的な要求に沿っているように見えます。で、日曜日にその秋葉原の中小企業振興会館で行われた文学フリマに行ってきました。出店者です。一言で言って想像以上の賑わいでした。なにしろ、開場前の行列が凄かった。詳しくはトピックスで。豆蔵さんがフリマの様子を写真にとってくれているはずです。

文学フリマ

2005年11月19日(土)

 11月20日に秋葉原で行われる文学フリマに出店します。販売するのはこれまでの文学者キャラバンの資料集(全部がそろっているわけではありませんが、かなりの種類があります。)私のゼミの雑誌。「法政文芸 創刊号」「私小説研究」「現代文学研究」などの研究誌です。

 詳しくは文学フリマのホームページをご覧下さい。

汁なしワンタン麺

2005年11月19日(土)

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 台湾はおいしいという宣伝文句をよく耳にしますが、ほんとうにおいしかったです。一番、おいしくなかったのは(まずかったわけではないのですが)大きな料理屋さんで食べた宴会料理。あとで聞いたら、そのお料理がいちばん高価だったそうです。写真は汁なしのワンタン麺。お皿のふちに載っているのがワンタンです。で、このおそばがとてもおいしかったのです。ワンタンも茹でただけでしたが、しっかりした味で、具もいっぱい入っていて、こういう食べ方もいいなあと思いました。

お堀の夕焼け小焼け

2005年11月18日(金)

 しばらくは寒い日が続くようです。なんだか、寒い日がすきです。ずっと暑いよりも寒いほうがほっとします。ちょっとくたびれています。10月11月とあっちこっち駆けずり回ってましたから。

 娘が自動車を運転して出かけました。夏休みに免許をとってから初めてのお出かけ!ううん。なぜかおしめをした赤ちゃんがハンドルを握ってにっこり笑っている姿が浮かんでしまいます。

 夜は帝国ホテルでパーティの予定でしたが、ハンドルを握っているベビーの映像がしきりに瞼に浮かんで、パーティには出かけずに家に帰ってきてしまいました。ああ、道路って恐ろしいところだったのね。昔の赤ちゃんがみんなで運転しているなんて。そんな感じのする一日でした。

 市谷から飯田橋へかけてのお堀端から眺める新宿方面の夕焼けは、この季節がいちばん冴え冴えとしています。気の早いデパートや商店街がそろそろクリスマスデコレーションになり始めました。

ベランダのブーゲンビリア

2005年11月16日(水)

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 台北の植物は沖縄とよく似ています。隣り合った島だから当たり前といえば当たり前なのですが、台北のほうがずっと元気良く育っています。台北の裏町のベランダでブーゲンビリアがたくさん花をつけていました。写真はありませんが、台東の街ではジャスミンの花の香りが漂うとおりがありました。お茶の匂いではなくて生のジャスミンの香りです。

寒い朝

2005年11月15日(火)

 今朝の東京は気温12度です。北海道や東北では雪が降っているそうです。12月くらいの気温ということで寒い朝です。朝方、地震がありました。20センチから50センチの津波が東北から関東沿岸に到達しています。紀宮さんの結婚式です。

 地震とは関係ないと言えばそうなんですが、この宮様が御降嫁になろうとすると、日本列島がくらくらと揺れるような気がします。ひょっとすると女性天皇と内親王による宮家の創設が検討されていますから、御降嫁になるのは紀宮さまが最後ということになるのかもしれません。旧弊な女官なら「海山がお嘆きになっている」なんて言うのでしょうか?偶然の符合なのですけど。

茅野裕城子さんの台湾みやげ

2005年11月13日(日)

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 写真は台湾の少数民族タオ族の船の模型と台湾のセブンイレブンで買物をするたびにくれたデズニーランドのフィギュアです。茅野裕城子さんがおうちでお留守番をしていた小学生のお子さんへの台湾土産の写真を送ってくれました。
 茅野さんのお子さんは、白雪姫が皆に二列に並んで乗船を待つようにしている場面を作ったところをパチリと撮影して送ってくれました。白雪姫がほかのみんなに指示を出しているところがとってもかわいいです。台湾にはたくさんのセブンイレブンや全家便利店(ファミリーマート)があり、キャラバンのメンバーは毎晩、何かしら買物に行っていました。

木枯らし一番が吹きました

2005年11月12日(土)

 東京に木枯らし一番が吹きました。例年よりも一日早い冬の到来だそうです。東京はすっかり晩秋の気配です。

 (連絡事項)東呉大学院生の皆さんへ
うちの娘と豆蔵さんがのまネコの小さいのをゲットしてきました。さすが豆蔵さん。一発のゲットだったそうです。東呉大学の院生の皆さんにお送りするノマねこがこれでできました。明日、荷造りをして明後日もしくは火曜日には郵便でお届けするようにします。

銀の波

2005年11月11日(金)

 台北から台東までは列車で行きました。華蓮から先は単線の旅です。台湾の東側は中央山脈がすとんと海に落ちるような地形をしています。列車は華蓮まで、海岸沿いを走ります。きめの細かい砂で埋め尽くされた海岸が無防備に太平洋に開いていました。

 華蓮あたりから太平洋と中央山脈の間に走っている襞のような山地に入ります。3000メートル級の山々が並ぶ中央山脈の山の稜線が弧を描いて、石ころだらけの川原が広がる谷に落ちています。川は枯れ川か、もしくは石だらけの川原の中に細い流れがあるかでした。日本の川で言うと大井川に似ていました。ひとたび雨が降れば、山の斜面を駆け下りた水が川幅いっぱいにごうごうと流れる様子が目に浮かぶような川原でした。

 そうした川にも穏やかな背もある様子で葦がいっぱい茂っていました。銀色に輝く穂が一面に広がっていました。葦の穂はさわさわと、高い山から下りてくる穏やかな風にそよぎながら、日差しをいっぱいに浴びていました。銀色の波でした。枯れ川の中にたつさざなみでした。

 台北から台東まで行きは4時間半、帰途は6時間の列車の旅でしたが、その景色が変化に富んでいたので飽きることなく凄くことができました。台湾でも新幹線の試運転に成功したそうです。東シナ海側の台中から高雄にかけては平野部ですからもうすぐ新幹線も走るでしょうけれども、太平洋側はまだしばらくのんびりとした列車の旅ができそうです。

(連絡事項)東呉大学院生のみなさんへ、うちの娘が今日、のまネコの捕獲にでかけて行きました。しかし、もうのまネコはいないかもしれません。流行のはやり廃りが早いのでUFOキャッチャーのぬいぐるみもどんどん変わって行くそうです。期待しないで待ってください。

東呉大学

2005年11月10日(木)

 今回の台湾キャラバンでは、東呉大学の日本語科の皆さんを対象にしたパネルデスカッションを開きました。日本語を学ぶ学生を対象にしたプログラムは初めての試みでした。通訳なしで日本語をどのくらい理解していただけるのか、やや心配でした。しかし、充分に準備をしていてくださったおかげで、日本語のスピーチを理解していただけたようです。

 日本から同行した法政大学の院生が、いつもの授業よりも解りやすかったとあとで言ってました。日本国内で授業をするよりもゆっくりと喋ったんですが、たぶん、それがいつもの授業よりも解りやすかったということになるのかもしれません。

 これは私だけではありません。このプログラムに参加した松浦理英子さん星野智幸さん津島佑子さんも、さらには司会をした川村湊さんも共通していました。私にとってもいつもよりもほかの人の発言が理解しやすかったのです。私たちは日ごろ、日本語をあまりに早いスピードで喋りすぎているのかもしれません。個人的に言い訳をすると、講義はゆっくりと理解しやすい速度でやるのがいいのかもしれませんが、そうすると寝ちゃう学生も多いし、けっこう悩ましいです。

 日本に対する関心はサブカルチャーやアニメーションに向けられているというのが、呉先生のお話でした。実際、台北でも「恋のマイアヒ」が流行しているようなので尋ねてみると「そら耳」ソングなのだそうです。で、はやっているのが「のまネコ」ならぬ「のまタコ」だそうです。いったい「のまタコ」とはどんなものなのか実物はみませんでした。

台北のサンダル

2005年11月09日(水)

 台北に到着した日は肌寒いほどだったのですが、翌日からは30度ほどの気温でした。街を歩いている人の足元を見ると、サンダルの人がかなりいました。流行をさきどりしてブーツという人もいるにはいるのですが、これはちょっと無理が過ぎるような感じです。

 で、サンダルを探してみました。ある。ある。いろんなタイプのサンダルがありました。欲しいのがたくさんあったんですけど、一足だけ買って、それで街を歩き回っていました。どこの街に行っても同じような品物を売っている時代になりましたけど、足元だけは、気候風土がかなり影響するようです。

 以前、北陸でかった雪道用の靴がダメになっちゃったんですが(ま、20年も履けばそれも無理はないか)また雪国に言ったら雪国の靴を買おうと思っていたのに、サンダルを先に買ってしまいました。

キャラバン

2005年11月08日(火)

 アジアの作家との対話の旅をキャラバンと呼び出したのは2002年のインドからだったと思います。もともと、とくに定まった名称はありませんが、今回の台湾旅行も目的は台湾の作家との対話でした。

 最初は1991年東京で韓国の作家との会議(シンポジウム)を開催しました。このときは、私は参加してません。その後1993年済州島05年松江07年慶州2000年青森2001年原州と6回ほど韓国との会議に参加しました。2001年は北京で中国の女性作家との交流と会議も開催しています。ちょうど、9・11のテロ事件があったときでした。2002年にはインドとの会議をカルカッタ、ニュー・デリー、バンガロールと開いています。都市を巡る形式からキャラバンという言い方が生まれたように記憶しています。2003年には山形でインドの作家との会議を開催しました。

 日本国内で開催する時にはたいてい公開のかたちで一般の聴衆も集める形式ですが、相手国の場合はクローズばかりでした。こうした会議や対話は、毎回、そのたびに実行委員会を作ったりして、やっているので統一名称や正式名称はなにもなくキャラバンという単純な呼び方が定着してます。今回も台湾の作家との「キャラバン」でした。

 2001年北京の時は9・11のテロに遭遇したのですが、今回はフランスの暴動を日本の新聞の衛星版で知りました。ヨーロッパの暴動は数年前から繰り返されていますが、今回はじわじわ広がる火のてのような具合でそう簡単には収まりそうにありません。場合によっては中東北アフリカを巻き込んで行きかねないので注視しています。そう言えば1997年の慶州では、帰国直後にアジアの通貨危機が起きて韓国がIMFの管理下に置かれるという大事件もありました。このキャラバンは世界の歴史が動く転換点に接しているという偶然が何度か重なっています。

豆蔵さんありがとう

2005年11月07日(月)

 豆蔵さんありがとう。台湾から昨日午後の便で戻ってきました。日本の秋の冷たい雨が、なんだか肌によく馴染みます。

 台湾に出発する前に受けた連絡では気温は25度から30度ということでしがら、到着した日はやや肌寒いくらいで、上着を買わなくちゃいけないかなあと思いました。が、翌日からは30度を越える暑さ。時間が夏休みに逆戻りしたかのようでした。台北、台東と回ってきました。台湾の作家との対話についてはトピックスに掲載します。

 台湾も台北も初めてなので、故宮美術館くらいは見なくちゃいけないかなと思ってはいたのですが、あんまり時間を細切れにしたくなかったので、6日午前はホテルでのんびりしてました。紗のカーテンの向こうで、隣のビルの白い壁に映った棕櫚の影がおしゃべりでもしているように揺れているのを眺めていました。

 (連絡事項)東呉大学の皆さん、のまネコの写真をお送りしますね。少し時間がかかるかもしれませんが待っていて下さい。

うちのケヤキは……

2005年11月06日(日)

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 午後の便で帰国します。写真は10月27日に撮影したうちの欅です。今年は紅葉が遅れていましたが、それでも、いささか色づき始めていました。一週間でどのくらい紅葉がすすむのか、楽しみにしています。

たびうさぎ

2005年11月05日(土)

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 昔はおばあちゃんしかはかなかったような靴下足袋をこの頃は若い人が履いています。で、足袋のうさぎ。足袋って気持ちいいです。台湾の旅も予定どおりなら、台東まで南下して今日はふたたび5時間汽車に揺られて台北に戻るはずの日です。

おともうさぎ

2005年11月04日(金)

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 いつだったか東京駅の売店でみつけたうさぎのブローチです。ほかに亀とか蛙なんかもありました。ブローチはスカーフを止めたりするのに便利なので、こちらは素焼きのうさぎと違って、いつもおとものうさぎです。

お留守番うさぎ

2005年11月03日(木)

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 薔薇の鉢植えのしたに隠れているのがうちのお留守番うさぎです。素焼きなので、だんだん、小さくなっているような気がするのですが古びるほど、ほんとうのうさぎみたいに見えてきました。
 というわけで私は台湾旅行中で、「豆の葉」のアップは豆蔵さんにお願いしています。

うちの秋

2005年11月02日(水)

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 あっちこっち飛び回っているうちに、家のベランダのすすきの穂が出揃ってしまいました。ベランダにすすきを植えているうちなんてそうないので、穂がでるとちょっと自慢です。来年の春にはこのすすきに似合った銅製の植木鉢を見つけてやろうと思っています。

大阪土産はケジャン

2005年11月01日(火)

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 鶴橋の市場を覗いてきました。しばらく見ない間に焼肉屋さんが立派になってました。ケジャンは渡り蟹をつけたものです。冬の間がおいしいらしい。で、これで鍋を作って、最後にうどんを煮るとほんとうにおいしいのです。とくに鶴橋のケジャンはおいしい!
大阪のお土産はケジャンとアマダイ入りのチヂミでした。アマダイ入りのチヂミは写真を撮っておけばよかったと思ったときはもう食べてしまったあとでした。

   
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