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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

原稿用紙1

2005年05月31日(火)

 江戸時代の本を見ると木版刷りで、草書のつづき文字が刷ってあります。現在の私たちが目にする本とはまったく異なった正書法を用いています。正書法が大きく変化するのは明治期になって活版印刷が盛んになってからです。現在の正書法は活版印刷とともに整えられてきたのです。

 活版印刷が生み出した正書法を支えてきたのは原稿用紙です。原稿プロセッサ開発の時に20×20の原稿用紙にこだわる必要があるのかという議論をした時、吉目木晴彦さんが「印刷のほうの人に聞いたら、20×20は経験的にもっとも安定した字面になる組み合わせだと言っていた」と発言したのが、じゃあ、その方向でというひとつの決め手になりました。

 今、考えてみるとあの吉目木さんの発言はその場で考えられていた以上に重要な発言だったと思います。というのは、ワープロやパソコンで文章を書くようになってまた日本語の正書法が大きく変化する可能性が出てきたからです。原稿用紙にこだわる必要があるのかどうかを議論した時にはそこまで大きな事柄とは、私も考えていませんでした。

 これは最近、考えはじめたことなので、いささか混乱しているところもありますが、少しづつ書いて行くことにします。

 まず最初にワープロを使ったときに困惑したのは原稿というものと、印刷された紙面の区別がぐちゃぐちゃだったことです。文章を書くことを仕事にしているとこれは画然と区別されているものなのですが、ワープロでは区別されてませんでした。よく考えてみると手書きで手紙など書くときは文章を書くという仕事と文章の書かれた紙面を作るという仕事は同じ仕事になっています。だからワープロでもそこがひとつになっているのは不思議なことではないということになります。

 ところで、話は変わりますが、明治期の国語教育では作文教育は書簡体と作文体のふたつの分野に分かれていました。作文体では原稿用紙を使ったのかどうか、調べてみるとおもしろいかもしれません。

 書簡体の教育が独立してあったのは、私が高校の教育を受ける頃まではまだ続いていました。この話を持ち出したのは正書法と手書きと印刷を考える手がかりがそこにありそうだからです。作文体と呼ばれる文章の正書法は、活字の印刷の発達と結びついて出来上がってきたものだという視点は、まだあまり共通認識にはなっていません。だからあまり注意を払われないのです。が、一方で書簡体というかたちで、手書きの正書法も長く残っていたとい側面があるのでしょう。手紙を書くときには原稿用紙を使いません。だから、なんとなく原稿用紙の持っている意味が等閑視されたのではないでしょうか。

インジゲーター

2005年05月30日(月)

 「超漢字原稿プロセッサ2」で様子を見たかったのはインジゲーターなんです。目標の原稿の分量を設定して、どのくらい書き進んだのかを、視覚的にあらわすインジゲーターが欲しいと開発の初期の段階で言ってたのは私です。

 原稿は20字×20行の400字原稿用紙で書いてきたのですが、そんなに長くない原稿なら指定枚数を聞いておおよそどんなことが書けるか見当がつきます。で、書いてみるとだいたいぴったりに収まるのです。ただ長い原稿になるとそうは行かなくて、全体の構成を原稿用紙の枚数(実際には紙の厚み)で図っています。で、ワープロだとこの身体的情報がなくなってしまうのです。

 だから、せめて視覚的なインジゲーターが欲しかったのです。この望みは雑誌のライターの人にもそう考えている人が多くて、その話をすると興味をしめしてくれました。「超漢字原稿プロセッサ1」ではパーセント表示でしたが「超漢字原稿プロセッサ2」では棒グラフのインジゲーターになっています。
 今「ベンちゃんの『誰も知らない』」という短編小説を書いていて(そのタイトルは反則だと言われそうですが)それでインジゲーターの様子を見ています。

 ところでここで身体的情報を与えてくれていた原稿用紙ですが「原稿プロセッサ」の開発の段階から20×20の桝目にこだわる必要があるのか否かが問題になってました。で、それが意外なほど重要なのではないかと最近考えるようになりました。このことは続きで書きます。

 「超漢字原稿プロセッサ2」では桝目の色と桝目の地の色を組み合わせられるのがうれしいです。最近、文房具屋さんに行っても原稿用紙の種類が少なくなって選ぶ楽しみを奪われていたので、よけいにうれしくなってしまいました。

インストール

2005年05月29日(日)

 インストール。なんとなく厄介な仕事だなあと思い込んでしまったのはパソコンを使い始めた頃に何度もこれでエライ目にあっているからです。仕事で使っている機械はあまりいじりたくないのが本音です。で、いつもインストールとなるとぐずぐずしてしまいます。

 万年筆だって、今でも「控え」があるくらいなのです。毎日、使っているものが一番良いのですが。もし万が一にも壊れたり紛失した場合のためにセカンドの万年筆を用意してあって、日記とか個人的な書類はセコンドの方で書いています。そうすると仕事用の万年筆に何かあった場合も、すぐにセカンドが使えるからです。

 じゃあ、パソコンもセコンドを用意するかということになって昨年、ノートブックパソコンを一台購入したのですが、結局、これはまだセコンドというほどにはなっていません。さあ、今日はインストールするぞ!なにが起きても驚かないぞって一大決心がいるんです。

 でもたった3分でできちゃいました。「超漢字原稿プロセッサ2」のインストール。まさか坂村先生の神通力?なんてことはないか。「超漢字原稿プロセッサ1」よりもずっときれいにな画面に大感激。「超漢字原稿プロセッサ2」でバージョンアップされた機能のなかにどうしても確かめておきたいものがあったのです。

 パーソナルメディアの皆さんお騒がせしました。ご配慮ありがとうございました。自力で(というかすごく簡単に)インストールできました。これから、「超漢字原稿プロセッサ2」の感想お送りします。今、来月(8月号)の新潮(編集長がうんと言えばですが)の短編小説「べんちゃんの『誰も知らない』」を書いています。ベンちゃんってあの「楽隊のうさぎ」のベンちゃんです。今回は推敲機能もうんと使ってみようと思います。(実はこれまでは推敲は紙に打ち出して赤鉛筆でやってました)

坂村 健

2005年05月28日(土)

 久しぶりに坂村健さんにお目にかかりました。一年ぶりくらいかな。お元気です。いつもお会いするたびにすごいエネルギーだと、なんだか圧倒されてしまいます。

 来月創刊される「表現者」で、「道具と仕事と眼」という連載を始めます。創刊号は陶芸家の角りわ子さんにお話を伺いました。道具を作る人にお話を伺って行こうという連載です。コンピュターは「道具」ということで第二回目は坂村さんのお話を伺いました。お話の内容は「表現者」のほうでご覧下さい。と言ってもまだ昨夜の今日で、原稿は書いていないのですが。

 で、その原稿では書けない話。坂村先生、パーソナルメディアの皆さんや、トロンに関係した皆さんがそう呼んでいて、その発音がほんとに親しみがこもるので、なんとなく私もそれに習うようになってしまいました。その坂村先生は食べることも飲むこともお好きで、ワインがお好きで、食べながらお話することがお好きで、なんだか地球が3倍の広さになるような気がしてくるから不思議です。よくネットによって世界は狭くなったという話を聞きますが。坂村先生とお話をしていると、コンピュターは世界を広くするという感じがします。
 
 最後はコンピュターを愛しているんだというお話になりました。だから、コンピュターの悪口を言われるとつい頭にきちゃうということで、その気持ちはコンピュターの苦手な私にもよく解ります。たぶん、この「愛している」というのが、世界を広くしているいちばんのミナモトなのではないでしょうか。「愛している」というのは単なる感情ではなくて精神(スピリッツ)の核心にある燃える火みたいのものとか、なぜか坂村先生とお話をしているとぼんぼんいろんな比喩が私の頭の中に飛び交うのです。自分の頭が良いというだけの人は世の中にたくさんいますが、話すだけで人の頭まで良くしてしまう人はそんなにたくさんいません。

悪意を感じる

2005年05月27日(金)

 練馬区におすまいのNさんからお手紙をもらいました。昨年、読売新聞に書いた「樹木受難」という随筆の感想です。半年以上前の記事にお手紙をもらうというのは珍しいことです。が、この随筆は時々、お手紙をいただくということがもう半年も続いています。

 街路樹や庭木の伐採については眉をひそめている人が大勢いるけれども黙っていることが多いのだなあと思います。読売新聞の随筆では内容について担当者と打ち合わせをしています。その時、「あの切り方は悪意や憎悪を感じさせる。樹木というものは、時間が積もったことを示すものでもあるけれども、そうした時間の堆積に対しての憎悪のようなものを感じてならない。枝や葉がうっとしいというよりも、時間が積もったことや時が過ぎてしまうことが我慢ならないのかもしれない」というようなことを話しました。

 そこまで書いては少し文学的過ぎるかもしれないということで、そういう記述は抑えたのですが、やっぱり、私は樹木が象徴している「時間」というものへの悪意を感じざるおえないのです。

なんてことだ!

2005年05月25日(水)

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 西武池袋線江古田駅南口のすずかけの木です。この木は改札口の真向かいにあって、出かけて行く人には「いってらっしゃい」帰ってくる人には「お帰りなさい」と声をかけいるような木でした。日大芸術学部の卒業生の皆さん、M君、K君、M2君と卒業式の日にこの木のしたでお別れをしました。「それじゃあ皆さん、お元気で」とご挨拶した時、この木にはちゃんと枝がありました。

 いったい何の目的でこんなきり方をしたのでしょう。邪魔なら切り倒してしまったほうがましなくらいです。いたぶって痛めつけるという切り方です。撮影日は5月23日です。ほんとうなら青々とした葉が風にそよいでいていい季節なのに、痛ましい限りです。

街路樹の値段

2005年05月24日(火)

 2005年1月22日の東奥日報に以下のような記事がありました。

「街路樹2本切り倒される/青森」

 「青森市浜館二丁目の市道に植えられた街路樹二本が、何者かによって根元からバッサリと切り倒されているのが二十一日までに見つかった。青森署が器物損壊事件として捜査している。

 切り倒されたのは、はまだて公園西側にある浜館通り線(通称アオギリ通り)に植えられた高さ六メートル、直径十五センチの街路樹「アオギリ」(市価一本一万八千円程度)。切断面の八割程度にノコギリの歯の跡がついていた。二十日午後一時ごろ、市民が発見し、青森市に通報。市が二十一日午後、青森署に被害届を出した。」

 今年の青森は記録的な豪雪でした。雪の中でのこぎりを使って高さ六メートルの木を切り倒すのは容易な作業ではないでしょう。なぜ切り倒したのか?それはこの記事だけではわかりません。雪で道が狭くなったので、腹立ち紛れに切り倒したのでしょうか?

 私がこの記事を保存してあったのは、市価一本18000円というところに注目したからです。街路樹ってどのくらいの値段がするものなのかしらとかねがね思っていました。荒っぽい伐採で、枯らしてしまった街路樹の値段が知りたかったのです。樹木の種類や大きさにもよるかもしれませんが、ひどい伐採で枯らしてしまった場合にはそれだけの損失をこうむっているということになります。ひどい切り方だと嘆くと情緒的な事柄だとないがしろにされるのですが、街路樹にもちゃんと値段があって、故意に伐採すれば器物損壊の罪に問われるのです。

 電動鋸でいい加減なきり方をした木に痛々しさに比べれば、雪の中で苦労して自分の手で鋸を使って切り倒したこの事件の犯人がなぜか「偉く」見えてしまいます。

これがえごの木です。

2005年05月23日(月)

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 満開になったえごの木はほろりほろりと星型の白い花を散らせます。崖の上から崖下の道に滝のようにしだれているえごの木の下を歩いて出かけるのがほんとうに楽しみです。桜はみんなで大騒ぎするのにこんなに見事に咲いている花が頭の上にあるのにも気付かずに急いでいる人を見るとおかしいやら、さびしいやら、へんな気がします。

インド料理屋

2005年05月22日(日)

 たいていの人はカレーが好きですが、日本人が好んで食べているカレーは、インドからイギリスに伝わってシチュー風に変化したものを、今度は日本で洋食の一種にアレンジしたものだそうです。カレーってほぼ地球を一周してしまったお料理なんですね。

 が、本格的なインド料理の評判をいまひとつ。デリーに中華料理屋はできても、北京にインド料理屋はできないなんて言う人もいます。確かにカルカッタにもデリーにも中華料理屋さんはたくさんありました。で、カレー味にあきたら中華料理屋さんに行けばいいというインド旅行のコツを教えられました。

 最近、銀座でインド料理の店を二軒も見つけてしまいました。一軒は銀座一丁目です。で、入ってみました。一人で。インド人?らしきコックさんがガラスの向こうでナンを焼き、タンドリーチキンを焼いていました。暑い国で、いかにお腹をこわさないか、いかに消化の良いものを食べるか、そして食欲を刺激するかという工夫をしたお料理です。たまに食べたくなるのです。おいしかったのですが、なんだか洗練されすぎているような気がしました。

 最後にマンゴウジュースというメニューを見つけて「甘いのですか?」と質問すると「ええ、とても甘いジュースです」という答えが返ってきたので、注文するのをやめました。カルカッタで飲んだ塩辛いマンゴウジュースが飲みたかったのです。そんなものって、誰もそのおいしさを認めてくれないのですが・・・。かわりにマサラ茶を飲みました。店の奥ではインド人らしき身奇麗いなグループでおいしそうに食事をしてました。

 インド料理屋の裏に回るとなぜかチャンドラ・ボースビルというビルがありました。チャンドラ・ボースというのはインドの偉い人だったような気がするのですが、どうしてもどんな人か思い出せません。どなたかご存知でしたら、教えて下さい。なぜ銀座一丁目にチャンドラ・ボースビルがあるのかも解らないのですが、もっと不可解なものを目にしました。

 そのビルには「海女」というキャバレーが入っているのです。たぶん「あま」と読ませるのでしょう。で歌やダンスなどのショーを見せる本格的な実演(おお、おっそろしく古式ゆかしい言葉だ、今はライブって言わなくちゃね)を見せるキャバレーのようです。海辺の町の歌手兼踊り子がひとりしかいないような寂しいキャバレーなら「海女」でも解るのですが、いったいどういうセンスで命名したのだろうとしばし「?」でした。「海女」とチャンドラ・ボースの組み合わせになるとますます奇妙でした。

赤く咲くのは芥子の花

2005年05月21日(土)

 赤く咲くのは芥子の花って昔、藤圭子が歌ってました。歌田ヒカルのお母さんって言ったほうがいいんでしょうか。で歌は「どう咲きゃいいの この私」って続くのですが、それはさて置いていて、今年の路傍でずいぶん芥子の花を見かけます。ここの管理人豆蔵ことながしろばんりさんのホームページでのそれに触れていました。ながしろさんのホームページの芥子の写真があります。

 芥子は麻薬の原料となるので栽培が禁止されています。藤圭子が芥子の花の歌を歌っていた頃はまだそういう法律がなくて、私が小学生の頃に栽培が禁止されました。昭和40年代前半です。で、芥子にもいろんな種類があって、駐在所の掲示板に芥子の種類を解説したポスターが張ってありました。植物図鑑みたいできれいなポスターで、指名手配や行方不明のポスターといっしょにならんでいると絶大な違和感がありました。

 私の家の庭にも大きな芥子の株があったのですが、その法律ができたので、根こそぎ引き抜いたのを覚えています。最近、街で見かける芥子は小型のひなげしの類いですが、これも確か麻薬の原料になったような覚えがあります。園芸種のポピーなどは麻薬の原料にはならないのですが・・・。それにしてもどうしてこんなに芥子の花があっちこっちに咲いてしまったのでしょうか?

 どんな花なのか見たい方は、リンクページからながしろばんりさんのホームページにどうぞ。
 ながしろさんは芥子の栽培が禁止されてからこの世に生まれ出てきたので、芥子の花をみたことがなかったようです。

えごの木花盛り

2005年05月19日(木)

 「うのはな」というのは、特定の花をさすのではなくて、5月から6月にかけて咲く白い花の総称だと聞いたことがあります。「うつぎ」という白い花を咲かせる木が「うのはな」だという人もいます。

 どちらがほんとうなのか解らないのですが、いずれにしても5月から6月にかけては白い花の木が目立ちます。水木は小さな傘のような花を咲かせていますし、えごの木は鈴がたくさん付いたような花をいっぱい開いています。家の近くの斜面に大きく育ったえごの木があります。えごの木は往来のほうへ枝を張り出しています。昨日の風が強くて、しろい花がほろりほろりと散っていました。

 江戸時代には所沢がこうした「うのはな」の名所だったのだそうです。水田の少ない台地で、雑木林が多かったのでしょう。桜ばかり見ていたわけではなかったようです。

交渉人 真下正義

2005年05月18日(水)

 「踊る大走査線」シリーズのから出た「交渉人 真下正義」を見てきました。月曜日の新宿コマ劇場、最終上映。やっぱりアベック(ふるいことばだ)が多いです。客席は七割り程度の入り。

 映画はずばり言ってこのシリーズの中ではいちばんおもしろかったです。国村隼や寺島進と言った映画俳優といえる俳優さんが加えて見ごたえがありました。爆発物処理班の松重豊もよかったし、小泉孝太郎もなんだか大人っぽくなっていました。それから群集シーンがお金がのかかった映画だなあと思うくらい迫力がありました。あと空撮もいいなあっていうシーンがたくさんありました。そういう役者の出てこないシーンで、東京の暮らしも悪くないと、いや、もっと積極的に東京をいとおしいと思わせておいて、だから地下鉄や都市を犯罪から守ろうとする登場人物の気持ちに厚みがでるという構成でした。

 個人的には小泉孝太郎がちょっと好きになったかな。これまでは「あ、出てる」くらいの印象しかなかったのですが。それから、寺島進がボレロを演奏している最中のシンバルの奏者を後ろから羽交い絞めにするシーンでは思いっきり笑ってしまいました。表情がいいんで。

 歌舞伎町に足を踏み入れたのは久しぶりでした。

今夜は異様に重い

2005年05月15日(日)

 はて、さて、どうしたことか。今夜は異様なくらいにページを開くのが重いのです。管理人さん、何かしている?って聞いてもダメか。回線が込み合っているのでしょうかねえ?

 「豆の葉」も、もうすぐ200回。一年で200回というのは多いのか少ないのか?わかりません。200回記念にひとりでケーキを食べようかな!銀座のダロワイヨのtokyou-parisがいいなあとか考えちゃってます。

 以前はネットって言ってもなかなか繋がんないときがあったのがうそみたいにこの頃は軽々と接続できるようになりました。

怒りは貴重な感情

2005年05月14日(土)

 小川国夫さんが藤枝から東京におこしになっていると言うので、少し夜遅かったのですが、お目にかかってきました。で、あれこれととりとめもなくお話するうちに以前、岩波文庫で「ゲーテ箴言集」というのが出ていたという話になりました。岩波文庫の箴言集は何種類かがあったように記憶しています。

 「ゲーテ箴言集」の中に「怒りは貴重な感情だ。だから節約して使わなければならない」というのがあると小川さんから教えてもらいました。少し前のことですが、家の息子が「おかあさん、犬の無駄吠えって知っているだろう。それとおんなじで無駄怒りを止めてもらえないかな」って言っていたのを思い出しました。もちろんゲーテの震源のほうが、怒っている人を尊重している点で立派です。

「ううん、その貴重な感情を惜しげもなく使っているのが解らんのかって言っても通じないかな?」と小川さんに言うと、例の小川さん独特のゆっくりした口調で「通じません」と笑っていました。

 今朝、息子にゲーテの震源を受け売りすると、彼はさっそく前段を忘れて、後段の「節約するように」ばかりをさかんに連発していました。

 こらっ!貴重な感情なんだぞ、大切にせんかい

おでかけ三種の神器

2005年05月13日(金)

 財布と鍵と携帯電話。これが近頃のおでかけ三種の神器です。どれを忘れても困ってしまうのですが、おとといは携帯は置き忘れるは、鍵は家に置きっぱなしのまま出てしまうはで、さんざんでした。どうも家に人がいるときが危ない。とくに鍵を持たずに出てしまうのは決まって家に誰かいるときです。

 出かける時は息子が家にいたのですが、帰ってみると家は誰もいません。で、かなり夜中近い時刻になっても息子も娘も帰ってきません。どうかするとそのまま家に帰らない日もあるので、日付が変わらないうちにどこかホテルに泊まるというような決断をしなくちゃならないかなと考え込みながら、駅前のコンビニで時間をつぶしていました。いつのまにか、公衆電話の数が激減したので、電話のあるコンビニで時間をつぶしていたのです。

 そこへリュックサックを背負った娘がふらふらと入ってきました。思わず、リュック・サックをむんずと掴んでしまいました。聞けば、一度、家に帰ってこれからともだちの家にでかけるところだということでした。どうも私が公衆電話から家に電話をかけたのは、彼女が家に戻る寸前と、家を出てからだったみたいです。やれやれ。彼女がともだちの家での飲み会へ持ってゆくおつまみを買おうとしなければ、危うく一晩家から閉め出されるところでした。結局、息子のほうは帰ってこなかったのですから。

 で、息子曰く「携帯を忘れちゃだめだよ」
お前さんが帰ってこなかったのがそもそも、まずいのだろう。ぷんぷん。どこをほっつき歩いていたんだ。

線を愛好する

2005年05月12日(木)

 連休中、和辻哲郎の「古寺巡礼」を読み返していました。3月に奈良に旅行したときに思い出したです。で、その中に日本画に発展する「線」に対する愛好という話が出てきます。「面」ではなくて「線」で絵を描くという好みが天平の頃にすでに生まれていて、それがやがて繊細な「線」に対する感覚を生み、絵画の「線」を愛好するようになるという考察です。

 で、そういえば漫画もかつての日本画が持っていたような「線」にたいする好みの感覚が働いているなあというようなことを思い当たりました。現在の漫画についてはほとんど知らないのですが、30年前に竹宮恵子などが出てきた時、それまでの少女漫画とはまったく違う「線」を持った絵が魅力的でした。今、思うと、その頃に次々と出てきた漫画というのは、手塚治虫の漫画の「線」とはまったく違う、そして多様な「線」を持った作家が登場してきたのだなあと、今までとは違う角度からその頃の漫画のことを考えてみました。

 「サザエさん」も初期の頃、昭和20年代は「線」ではなくて色を塗りつぶすかたちの絵で描かれているのです。それがしだいに単純化された「線」になって行きました。前々からどうしてそういう変化をしたのか不思議に思っていたのです。(私は小学生の時、バス通学をしていて、毎日、駅前の松田屋書店で「サザエさん」を立ち読みで一巻ずつ読んで、とうとう全巻、読み終えてしまいました)で、あれは「線」に対する読者の好みに作家が答えた結果だったのかと、何かがわかったような気がしました。

 日本画のほうは朦朧派なんて悪口まで出るような感じで「線」ではなく「面」で描くという方法が近代になって出てきましたが、もっと大勢の人の目に触れる部分で、例えば漫画のようなジャンルで、古くから根を張ってきた美意識の好みが出てくるというのは、おもしろ現象です。漫画というのは、従来の大人文化と一線を画す若者文化として論じられることが多かったのですが、表現の基礎的な部分でかなり時代を遡ったものと繋がっているのを発見したような気分です。

朗読会打ち合わせしました

2005年05月11日(水)

 お知らせが予告よりも一日遅れましたら、昨日、朗読会の打ち合わせしました。なかなか愉快な会になりそうです。演目というのかな?まだ何を読むのかは決まってません。というか、まだできてないという人もいました。出演者などは、またトピックス欄でお知らせしてゆくようにします。

 神田小川町は、本屋さんの多い神保町と秋葉原や問屋街のある日本橋京橋の間で、静かな町です。お散歩をかねてどうぞ朗読会に起こし下さい。ただ本を読もうと思っている私よりも、音楽をつけようとか、いろいろ企てている皆さんのほうが、おもしろそうです。

 小川町画廊さんも打ち合わせに加わっていただいたのですが、話は流れ流れてお菓子作りのことになり、画廊でケーキの展示会とか、メレンゲでやるインスタレーションなんておもしろいだろうという、とんでもないところまで行ってしまいました。

花しょうぶ 二番目の花

2005年05月10日(火)

 母の日ということで花屋ではカーネーションがはばをきかせていますが、花しょうぶが今頃になって出回りはじめました。6日のあやめの言葉とおりお節句を過ぎてしまうと、見る人の少なくなる花ですが、ほんとうのしょうぶの季節はこれからです。

 以前、しょうぶの花は一本の茎から二つの花が咲くことをトリックに使った推理小説を読んだことがあります。その小説では、ふたつ咲くはずの花が三つ咲いたのが事件をとく鍵になっていました。覚えているのはそれだけで、小説の題名も作者の名前も、そしてどんな事件だったのかも忘れてしまっています。たぶん殺人事件だったような気がするのですが、まあ、推理小説で殺人事件意外の事件を扱ったものは珍しいですから、そう記憶しているだけなのかもしれません。

 5日のお節句前に買った3本の花しょうぶがそろって二番目の花を咲かせました。二番目の花のほうが色が薄いのは、生けてある場所が暗いからです。それにしてもなぜしょうぶはひとつの茎からのびる芽の中に二つの花を隠しているのでしょうか?

みせしめ

2005年05月07日(土)

 中学生になったばかりの甥っ子には小学校3年生の妹がいます。伯母さんの私からみれば姪っ子。そして甥っ子と姪っ子のお母さんのほうのおじいちゃんは畑作りの名人。我が家でもおいしキャベツや大根、さやえんどうなどたくさんお野菜を頂戴しています。

 今、畑はいちごの収穫の季節。姪っ子はおじいちゃんの畑へイチゴ狩りに行きました。でも畑のすみには、なんだか茶色くなった鳥がつるされていました。おじいちゃんから見れば、この鳥は畑を荒らす大悪党です。で、姪っ子はそれが気味が悪いので、そっちのほうには近づかないようにしてイチゴを採ったという話を詳しくしてくれました。

 で、彼女はちょっと考えこんで「ええとね」と首をかしげて、慎重に「みせ・・・」これで良かったんだっけという顔をして「しめ」と、覚えたばかりの言葉を発音しました。その仕草がかわいいのと、小さな唇から飛び出した「みせしめ」という言葉が残酷なので、周囲で聞いたいた私たちは思わず笑ってしまいました。

 畑につるしてあった鳥が怖かったという思い出と一緒に「みせしめ」という言葉を覚えたのでしょう。こんなふうにして、人間はいろんなことを感じて覚えて行くんだなと、伯母さんはなぜかひどく感心してしまいました。優しいおじいちゃんも畑を荒らす鳥は許さないこととか、残酷だけど、そうしないとおいしいイチゴはみんな鳥に食べられてしまうこととか、そのほかいろいろと少しづつ解って行くんだなあと、なぜか納得の伯母さんでありました。

横浜中華街おいしかった。

2005年05月06日(金)

 甥っ子の中学校入学祝いを横浜中華街でしました。かなり個性的な甥っ子です。けっこう辛らつな皮肉を言ったりします。これから大きくなるのを伯母さんは楽しみにしています。

 で、中華街で食べたものでおいしかったのは、いしもしちの丸揚げ。黒酢のあんがおいしくって、さらに頭を誰も食べようとしないので伯母さんはむしゃむしゃ食べてしまいました。これが旨かった。頭が旨いから丸揚げにするんだなあと納得ものでした。でもこんなに大きな魚をどうやって均質に揚げるのだろう?よほど大きな鍋に油をいっぱいに入れて揚げるのでしょうか?

 うちの娘はいしもちの胴体に火の回りをよくするために入れられた切れ目を見て「こんなかっこうで泳いでいるの?」と質問。答えるウェイトレスはカタコトの日本語を話す中国人で「?」顔。すかさず息子が「怖いじゃないかこんなかっこうで泳いでいたら!」なんというか、その、魚をあんまり見たことがないのがばればれでした。

 九十九里の和さんは関西方面へご旅行。との君の友人さんは紀州の竜神温泉へ。北海道のハリーさんは函館へ、太平洋プロジャクトさんは八丈島へ、井上さんは群馬へ、豆蔵さんはなぜか多摩川へ、皆さん連休中はあっちこっちご旅行の様子でした。

 スタッフ・ルーム解放は5日0時で終了しました。またスタッフ・ルームの解放の日を作りたいと思います。それまでにご来訪の方はIDとパスワードをご請求下さい。スタッフ・ルームをこれまでとおりにクローズにしてなんだか寂しいような、でも、ほっとしたようなへんな気持ちです。

やたらに掃除が

2005年05月05日(木)

 ゴールデンウィークに入ってからやたらに掃除しています。こんなに掃除ができるなんて!大量に原稿を書き始める前触れでしょうか?だいたい原稿を書き始める前ってすごく掃除が楽しいのです。

 昨年、3月に「うさぎとトランペット」の連載を終えた時から「ああ、掃除がしたい。掃除がした」って思っていたのですが、どうしても身体が動かなくて困っていました。ま、大学の講義8コマ、日刊連載1本、月刊連載1本、月におおよそ300枚の原稿を書くというスケジュール事態がむちゃくちゃだったのですが。

 それで「掃除がしたい」のにぜんぜんできなくって、7月になったら今度は「どの原稿から先に書いたらいいのか解らなくなっったあ」になって、なんだか頭の中はぐちゃぐちゃ。10月には「おから」と「こんにゃく」と「切干大根」が食べたくなり、2月に医師から「立派な糖尿病です」といわれました。ううでもって体重を3キロ落としら、できました!「掃除」!思うように家の中が片付いて行くのって幸せ。結局、掃除ができなかったのは血糖値のせいだったらしい。まず血糖値からお掃除しなくちゃいけなかったのね。

 刊行が遅れているすばる連載の小説。これから手を入れます。残酷な伐採や剪定の写真を集めた専用ブログも作ろうと思います。「おいらはとむべえ」のオリガさんとも新しい絵本を作ります。

残酷な剪定2

2005年05月04日(水)



 画像をクリックすると大きなのが出ます。

 ちょっと近所を歩くだけで、幾らでもすごい剪定を見つけることができます。枝を切り払われてたこ踊りしているような庭木。のびてゆく枝を電動鋸で切られた公園の欅。さらには公園の中の林にあった切り株にしては背が高すぎる木などなど。
 切り株になりきってない木は私が立ったまま腕を伸ばすとちょうど同じ高さです。腰を曲げて伐採するのが面倒だったのかもしれません。立った姿勢のまま電動鋸で切られているのです。

残酷な剪定1

2005年05月03日(火)

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 昨年、読売新聞の「街路樹受難」という随筆を書いたところいろんな方から反響をいただきました。写真は家の近くの庭木ですが、街路樹と同じように乱暴な剪定をされています。これでは木に枯れろと言っているのと同じです。

 志木市にお住まいのO氏も所沢で「目をそむけたくなるような剪定をされた街路樹を見かけた」と写真を送って下さいました。旅行をしていると全国いたるところで、こうしたとんでもない剪定を見かけます。今、豆蔵さんと、トンでもない剪定をされた木の写真を集めてみようと相談しています。

 連休の間はのんびりムードで行こうと決めていたのですが、どうもその、なんというか若葉青葉の季節なのにあんまりな木をたくさんみかけるので、書きたくなってしまいました。こんなひどい剪定が目立ち始めたのは4、5年前からで、それ以前にはかなり幼児の記憶まで遡っても思い出すことができません。ある人から聞いた話ではこれは単に価格の安さを競う競争入札を自治体が導入したためではないか?という推測を述べていました。しかし、こんな剪定では幾ら安い作業料でも樹木が枯れてしまうので損害賠償ものです。

虎の肥満児

2005年05月02日(月)

 うちの娘はなぜか池袋サンシャインシティで買い物をするのがすきです。ここは若い人向けの洋服屋さんがいっぱい入っています。20年前のパルコみたいな感じだなと私はときどき、彼女の買い物に付き合います。

 日ごろはサイズが無いのが目に見えているので見向きもしない洋服屋に入ってみるとなかなかおもしろです。浮き沈みが激しい世界のようで、1年でそうとうに店が入れ変わっている様子は、ああ、洋服も売るのも水商売のようなところがあるのだなあと妙な感心をしたりします。どうせサイズはない!とあきらめていても「ありゃ、これは着られそうだな」という服を見つけたりします。で、見つけました。ベビータイガーのTシャツ。

 胸に大きく舌を出した子どもの虎の顔がモノクロで描かれているのですが、実際に着てみると、その虎が太ってしまうのです。肥満児の虎。
「おかあさんが着ていると虎がコアラに見える」
 ま、顔がやや丸くなるので、コアラっぽいと言えばいえなくもないでしょう。

 というわけで肥満児の虎、気に入っています。3月末に京都、奈良を旅行したときに買った夜桜アロハはとうとう息子に取られていましました。まだ今のところは「貸して」なんて言っていますが、どうも常時、彼の部屋に行ったままになっているところを見ると、所有権が移動してしまいそうです。ベビータイガーのTシャツはあげないよ。気に入ってます。肥満児の虎。

夜間飛行

2005年05月01日(日)

 朝、目が覚めるとなぜか「めぇめぇ」鳴く羊の声。あんまりお天気が良いので、頭の中もちょっとあったかくなってしまったのかと驚きました。隣接の住宅展示場にミニ動物園がやってきていたのです。羊は小さな柵の中をぐるぐる回りながら「めぇめぇ」鳴いていました。うさぎやハムスターなどのおとなしい動物がやってくるこの催しを、家の子どもたちが小さい頃は楽しみにしていました。で、その「めぇめぇ」を聞きながらこれを書いています。

 冬の夜、歳若い友人が香水の「夜間飛行」について、ロマンテックな話をしてくれました。小説にでもしたいような話でしたが、これはモデル問題が勃発しそうなので内緒。「夜間飛行」はサンテグ・ジュペリの同盟の小説にもとづいた命名の香水です。

 匂いや香りを言葉で説明するのはむずかしいのですが、この香水は一昔前の男性の整髪料の香りがかすかに混じっています。ま、おじさん臭いって言うと身も蓋もないのですが、女性の香水にしては幾らか苦さがまさっていると言う点でかつては最新の香りだった時代もありました。、で、ミラノのデパートで白髪のお婆さんがこの香水を買っているところを見ました。ああ、こんな年齢の人が若い頃からずっと使っている香水なんだと思ったものです。

 冬のうちに「夜間飛行」を一本買ってそのままになっていたのをあけてみました。かつてのおじさん臭いという感じはもうなくなっていました。香水を生産しているゲラン社が成分を多少調整しているのかもしれませが、こうした整髪料を好んでいたおじさんたちは双翼の飛行機とともに悠久のかなたに消えてしまったのでしょう。叔母の「タブー」もそうでしたが、「夜間飛行」や「タブー」のようなオールド・ファッションの香りもなかなかいいなあという感じです。

 「めぇめぇ」に「コケコッコー」という鶏の鳴き声も加わって隣のミニ動物園はなかなか賑やかになってきました。

   
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