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トピックス「豆の実」
   
 

豆畑の朗読会 vol.2

2006年03月26日(日)


 豆畑の朗読会2回目ゲストは詩人の伊藤比呂美さんです。伊藤さんは「河原荒草」で高見順賞を受賞したばかりです。今回のトピックスは私(中沢)の感想などもおりまぜてお伝えすることにします。

 伊藤さんの朗読がすごいなと思ったのは2003年に山形で開かれた日本とインドのシンポジウムの時でした。そのシンポジウムのあとで、ホテルの部屋で飲んでいる時、即興でモダンダンスを山形芸工大の先生が踊ってくれたのですが、その時何か踊るための「音」か「声」が欲しいということで、手じかにあったホテルのパンフレットなどを読みましたが、そのうち伊藤さんが般若眞経を唱えだしたのです。これに調子に乗った私がちょっと横から飛び入りで入って(朗読会では唱和と言ってましたが)ふたりでお経を唱えていました。これがおもしろくって、そのうちに伊藤さんと朗読会をやりたいなあと思ったのがきっかけです。

伊藤比呂美さん

 伊藤比呂美はある時期から積極的にお経とか説教節を詩の中に取り入れています。
 笑ったのは伊藤さんが歌を歌うと「お前の歌はご詠歌だ」と親から言われたことです。伊藤さんと私は似ているなあとお互いに思うことがあるのですが、私も親から「お前の歌はご詠歌だ」と言われました。カラオケでもご詠歌になっていしまうほうです。ご詠歌とかお経とか説教節って、日本人の身体感覚と言葉をつなぐリズムやメロディーを持っているし、唱和(声を合わせる)ということを考えるでハーモニーも持っているのかもしれません。(この意見はしばしな音痴の言い訳と言われる)その伊藤比呂美は80年代に猥褻な表現や卑猥な表現を解体して、明るい身体的な表現に変えてゆくような大らかな詩を書いて詩壇に登場してきた人です。

 一回目の朗読会がファンタジーを読む方向になったので、今度は「大人の朗読会」にしようということを前々から言っていました。伊藤さんはちょうど「日本ノ霊異(ふしぎ)ナ話」(朝日新聞社刊)を書いたばかりで「ねえ、ねえセックスの話しない」って電話で言ってました。で、今回、私がそれを思い出したというわけです。

豆ちゃん(笑) 豆ちゃんは「じゃあ、僕、バージンブルースを歌いましょうか」なんて言い出しました。と言うわけで第二回朗読会の幕開けは豆ちゃんの歌。「月のひざし」と「バージンブルース」です。野坂昭如の「バージンブルース」なんて言ってまいしたが、けっこう可愛い声で歌っていて、野坂昭如というより秋吉久美子。あとで聞いたら戸川純で覚えた「バージンブルース」がそうです。

 この選択を最初に聞いたとき、一瞬「どうかな?止めようかな?」と迷いました。どうかすると裏目にでる可能性があったからです。というのも「バージンブルース」の頃って、伊藤比呂美や私が詩や小説を書き出した時代で、その時代の匂いや雰囲気にそれぞれ違和感を抱いていたことが、創作の原動力になっていたのは間違いがないからです。うまく行けば拍手喝采。まちがったら苦い幕開けになってしまいそうでした。

 で、豆ちゃんの歌を聞いた伊藤さん「ねえ、彼は歌手なの?」と私の耳のそばで聞きました。そのくらい彼の軽くて透明な「バージンブルース」はいいところがありました。うしろの席にいたら「いいぞ、豆ちゃん」って声をかけたいくらいでしたが、ステージにあたるテーブルで直前まで打ち合わせをしていた私たちは、一番前の席にいたので、ひそひそ話をしていました。

 豆ちゃんが「バージン・ブルース」を明るく冷たく透明に歌うなんていうのは、大袈裟に言えば、伊藤比呂美のような詩人が、あるいは小説家も含めて、それまでに日本のエロチシズムの感覚を新しい感覚に作りなおす努力をしてきた結果なんのだということもできるでしょう。それについては私はほんとうに大真面目に、誰も読んでくれなくてもいいから、文芸評論を一本いや一冊書きたいのです。

 最初にお互いの作品を入れ違えて読み、それから、自分の作品を読むという方法は、外国の作家とのシンポジウムなどで使います。今回の朗読会でもその方法を使うことにしました。シンポジウムでは、お互いの言葉の響きが理解できるようにという目的で双方の作品を入れ違えて読むのです。この場合、お互いに翻訳された作品である場合がほとんどで、音はわかるけれども意味は解りません。今回は、そうは行かない! 伊藤さんは詩人としての出発からずっと朗読会をやっているのです。「日本の作家が自分の作品を読むのなんて聞いたことがない」って言ってましたが、私は外国の作家とのシンポジウムなどで、便宜的に自作を朗読することがあるだけで、伊藤さんのように観衆の前で朗読なんてほとんどしたことがありません。つまり競争にも何もならないのです。

 最初の「豆畑の昼」を読む予定でしたが、伊藤さんが「あれ、あれが読みたい」と選んでくださったのは「楽隊のうさぎ」でした。テキスト(つまり本)がなかったので急遽、近くの本屋へ新潮文庫版の「楽隊のうさぎ」を買いにいってもらいました。で、私は「河原荒草」から「河原を出て荒地に帰る」の部分を読むことにしました。 この詩集は活力と快復感のあるほんとうに良い詩集です。どこから読んでもいいし、最初から最後までお話を読むように読み通してもいいし、時々、ちょっと覗くだけでもいいです。卑猥やものや猥褻なものをきれいさっぱりと解体したあとで、生命力に満ちた深い官能性の発見があります。



 伊藤さんは「楽隊のうさぎ」から「シバの女王」を演奏するくだりを選んで読んでくれました。ええと自分で言うのもなんですが「こんな立派な文章を書いたんだ」と驚くくらい高い響きで読んでもらいました。表題音楽なので、音楽の描写のそこに物語があるから、純粋な音の描写よりも楽に描写ができた部分です。それからふたりで「のだめカンタービレ」の話。さらには「スラムダンク」の話。確かに「楽隊のうさぎ」を書いた時にはスラムダンクを参考にしてました。(ばれちゃった)


 でここからが本題。
「セックスの話がしたいって言ったのは中沢さんよ」
 はて、そうだったかしら? 「日本ノ霊異(ふしぎ)ナ話」を出したばかりのころ、伊藤さんが電話でそう言っていたのを覚えていたんですけどね。
「日本ノ霊異(ふしぎ)ナ話」の冒頭の「前書き」の章を伊藤さんが読んでくれました。これは、まあ冒頭ですから、これからどんなお話が始まるのか、語り手は誰なのかという部分です。説教節の感じが文章に出ているから聞いていておもしろい。おもしろいからさらにお願いしてしまいました。
「もうひとつ読んでもらえないかしら」
「エッチなやつ?」
「うん、エッチなやつで」
「それじゃあ」
「日本ノ霊異(ふしぎ)ナ話」から「邪淫の葛」を朗読。
 ううん。「まら」とか「くぼ」とか「まるいしり」とかどんどん出てきます。こういう単語って古語のほうが使い安いのですね。現代語だと卑猥になりすぎちゃうので。それに「日本ノ霊異(ふしぎ)な話」の元になっている「日本霊異記」を書いたのは景戒という男の坊さんなので、伊藤さんの本でも男の坊さんの景戒が語り手になっています。男の語り手だと使える単語も女の語り手だと使いにくいなんて話をしました。

 次は私のばん。内心「やだなあ、太刀打ちできないもん」と思いつつ「豆畑の昼」(講談社刊)を読むか「豊海と育海の物語」(集英社文庫)の「うさぎ狩り」を読むか迷ってました。「豆畑の昼」はコンドームを使うシーンがあるのです。そこを読もうかと朗読会が始まる前には考えていました。コンドームって日常的な道具なのに小説や詩ではまだうまく使いこなせていない単語だからです。叙情的に使えていないという意味です。

「でもなあ」と迷った挙句に「豊海と育海の物語」から「うさぎ狩り」を読むことにしました。この作品はエロテックな感情の萌芽が子どもの残酷な遊びになっているというものです。このあと「豆の葉」に書いた「鼓膜」を「股間」と読み間違えるというアクシデント。焦りました。
「え、いったい何が起きたの?」
 そう伊藤さんに聞かれても改めて説明するのさえ、躊躇しちゃいました。なにしろ股間で蝉がないちゃったんですから。
お客さんはほぼ満員。ありがとうございました! 朗読会では「うさぎ狩り」を読む前にMr.チルドレンの「隔たり」という曲を親子で聴いてしまったという話をしたのですが、ここでは別の話を書きます。森鴎外の奥さんで森しげという人がいます。この人は森茉莉さんのお母さんです。鴎外に進められて小説を書いています。森しげの作品に新婚の夫が避妊をしたので侮辱されたと感じたという短編があります。(ごめんなさい。これもあとでちゃんとタイトルを入れます)日本の社会にはちょっと前までは玄人と素人の区別があって、婚姻外の男女関係を見るまなざしが険しかったという事情があります。森しげの小説はそのあたりの微妙な感覚が出ているのでよく記憶していました。医学者としての鴎外の考えとお嬢さんから人妻になったばかりの奥さんの感じ方が食い違ってしまうのも無理がないところがあります。もともと、素人と玄人を区別するようなベースのあったところに、敗戦のショックが来て、ますます話がこんがらがった挙句に、豆ちゃんが歌った「バージンブルース」の頃には若い娘が玄人みたいな振る舞いをするというけわしい目と、自由になっていいなあとやっかんだり羨んだりする目が交錯していました。「神田川」とか漫画の「同棲時代」というような同棲を扱ったやや暗め、いや、ものすごく暗いものが大流行だったのがその時代です。

 伊藤さんが現代詩手帳賞を取ったのが78年なら、私が群像新人賞をとったのも78年でした。
 今になって振り返ると「同棲時代」や「神田川」それに「バージンブルース」の暗い男女関係の叙情の世界へ伊藤さんは大鉈を持って、私は出刃包丁を持って飛び込んでいっちゃったような気がします。で、いろいろと壊してきたわけですが、壊すだけじゃなくて、ちゃんと作るものもあったんだということを今度の朗読会でつくづくと感じました。

 お花をいただきました!で、最後は大鉈をかついだ伊藤さんの朗読です。読むのはもちろん高見順賞の受賞作の「河原荒草」から「道行き」です。です。2時間は私にとってはあっと言うまでした。あとの小宴で「股間で鳴いていたのは油蝉かつくつく法師か」と聞かれでまたおお焦りでした。


 写真:未卯/豆蔵

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