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トピックス「豆の実」
   
 

「うさぎとトランペット」の中に出てくる音楽

2005年02月07日(月)

「大きな古時計」
 花之木公園でトランペットの練習をしていた有木が、単調な音階練習に飽きた時に吹く曲。平井堅が歌って最新流行になりましたが、私の音楽の教科書には載っていました。たぶん30年前くらい。

「ナブッコ」
 有木のトランペットが「ところてーん」と響く曲。花之木中学の定期演奏会で演奏された曲。

「ベストフレンド」(作曲 松浪真吾)
 ピンクバナナが定期演奏会の曲目に選んだ曲。
 実際には2003年のコンクール課題曲です。人気のある曲で聞いていてもおもしろい。映画「スウィングガールズ」にもちらりと出てきます。
 「全日本吹奏楽2003」から北海道代表のウインドアンサンブル・ノールの演奏を参考にしました。2003年10月19日の宇都宮文化会館のライブです。

「アルメニアン・ダンス・パート2」(作曲 A・リード)
 結婚の舞曲 ロリの歌
 ピンクバナナがコンクールで演奏する曲。コンクールでは毎年どこかが演奏している曲です。A・リード自身が指揮をしている東京佼成ウィンドオーケストラの演奏を参考にしました。参考にししたCDにはA・リードのインタビューも入っていました。

「狙いうち」
 山本リンダが歌っていた歌謡曲です。高校野球の応援にはよく使われます。
 有木が野球の応援に借り出されて吹く曲。最近の高校野球では選手が自分の応援の曲をリクエストしているなんてこともあるそうです。炎天下の応援と吹奏楽では同じ楽器でも音色が違うのでコンクールの時期が重なっているための苦労話はよく聞きます。高校野球の応援にも流行があるみたいです。私の頃は「コンバットマーチ」でした。
 映画「ドラムライン」はアメリカンフットボールの応援にでるマーチングバンドを描いていますが、主役はマーチングバンドのほうです。で、日本でも応援のブラスバンドにもう少し注目していただいてもいいのではないかと思います。

「BR」(作曲 天野正道)
 宇佐子とミキちゃんがコンクールで聞く曲。
 たぶん交響組曲というタイトルが入っていたの思うのですが、今、参考に使用したCDが見当たりません。天野正道の曲は「GR」などもよくコンクールで演奏されます。「BR」は映画バトルロワイヤルのテーマです。この曲を聴いている時のふたりの様子を書くのが一番楽しかったです。日常の中に激しく運命の扉が開く瞬間があって、それを感じ取れるのは、やはり、そういう要素を10歳の女の子でも持っているからだと思います。

「ビビデバビデブ」の替え歌
 銀河くんとエリカちゃんが歌う替え歌。

 やめてよして
 さわらないで
 垢がつくから
 あんたなんか嫌いよ
 ビビデバビデブ

 私はこの歌をうちの娘から教えてもらいました。初耳の歌でぎょっとしたのですが、伊藤比呂美さんと津島佑子さんは子どもの頃に歌っていたそうです。1960年代(昭和30年代)には東京の子どもにとってはポピュラーな替え歌のようですが、房総半島にはまだ伝ってきていませんでした。

「キャンデード」
 川島がピンクバナナの定期演奏会でやってみたいと言った曲。

「チェロコンチェルト」(作曲 ドヴォルザーク)
 雪の日に黒髪さんが聞いている曲。

「アイネ・クライネ・ナハトム・ジーク」の替え歌
 ミキちゃんが歌う替え歌。
 ばか
 あほ
 どじ
 まぬけ
 へんたい
 ぶす
 ごりら

 もちろん原曲はモーツアルトです。
 私が小学生時代には日本語の歌詞がついて(その風静かにふけばひとえ咲きの野薔薇)音楽の教科書に載っていました。道端でこれを歌っている小学生の集団を見つけた時は思わず「ヴラボウ!」って叫んじゃいそうな心境になりました。

「マイ・ウェイ」
 花の木中学が定期演奏会で毎年演奏して3年生を送り出す曲

「新世界から」 (作曲 ドヴォルザーク)
 有木と川島の会話の中に出てくる曲。
 
「真夏の夜の夢」の替え歌
 しょうちゃんが歌っている歌。松任谷由美が歌っていた曲の替え歌です。
 髪がない
 あああ、はげて行くわ
 ひろがるおでこ

 これも娘が歌っていた歌です。どうしてこういう歌を覚えてくるのだろう? でも思わず笑っちゃいました。

「ああ、やんなっちゃった。ああ、驚いた」 牧伸二の歌
 ウクレレを買った宇佐子のお父さんが思い出すうた。
 今で言えばギター侍の波田陽区みたいな弾き語りのコメディアンの牧伸二の歌で、最後に必ずこの文句がつきました。
 にきびができた
 どうすりゃいいんだ
 ロゼット洗顔パスタ付けたら
 白くてきれいになっちゃった

 というCMソングがありましたが、そのほかにもいろいろ即興で歌ってました。うる覚えですが、東京都が路面電車(ちんちん電車)の廃止を決定した時には、幼稚園に通う坊やが言いましたという前提で
 ちんちんとられちゃ たいへんだ
 ああ、やんなっちゃった、ああ、驚いた

 とやってました。どことなくのんびりした調子がおかしいコメディアンでした。
 子どもの時に覚えたことってくだらなくても忘れないんですね。

「クラリネットこわしちゃった」
 ミキちゃんと朝岡先生がクラリネットで合奏する曲
 パキャマラード パキャマラート パオパオが「さあ、友よ一緒に前進しよう」という意味だいうのは未確認情報ですが、なんでもちゃんと調べる新潮社の校閲から苦情が来ないところをみるとほんとにそういう意味なのでしょう。

+ 伊藤比呂美さんの「うさトラ」書評はこちらで読めます。

「楽隊のうさぎ」と「うさぎとトランペット」の音楽

2005年02月03日(木)

「コンドルは飛んでゆく」「テネシーワルツ」
 花の木中学の校長先生の鼻歌。前者はサイモンとガーファンクルの曲で70年代に大流行していました。後者はもっと前の曲。江利チエミが歌っていました。

「交響的譚詩 吹奏楽のために」 (作曲 露木正登)
 奥田克久が一年生の時に演奏したコンクールの課題曲。課題曲は年度によって定められているのですが、ノンフィクションではないので、これまでのコンクールで人気のあった曲や印象に残る曲を選んでいます。
 「楽隊のうさぎ」の時は取材に協力してくれた皆さんが、この曲では勝てるとか勝てないとか、どこそこの学校の演奏は神業だったとか、実際にコンクールに出場するのかと思うような侃々諤々の議論になりました。
 ただ演奏するのではなくて「書く」という前提に立つと書きやすい曲とどうもこれは文字にはしにくいなあという曲がありました。

「ハンガリー民謡『くじゃく』による変奏曲」 (作曲 S・コダーイ)
 奥田克久一年生の時のコンクールの自由曲。

「アランフェス」
 ミズ・スーザンとOBの気楽な遊びの演奏に使われた曲。ある年代以上の方にはテレビの「必殺」シリーズのなかで響くやつと言えばすぐにメロディーが浮かぶはず。

「シバの女王 『ベルギス戦いの踊り』 『夜明けのベルギスの踊り』 『狂宴の踊り』」 (作曲 オットリーノ・レスピーギ)
 奥田克久2年生の時のコンクール自由曲。
 原稿を書くためには一度聞いただけではなかなか書けないので、CDを見つけ出してこれを何度も何度も聞いて、音の構成を聞き分けながら書きました。最初は総譜を使うつもりだったのですが、私には総譜は読めないので、CDを使うという方法にしました。
 それにしても指揮者というのはすごいなあと思ったのは、あんなに複雑な楽器の音が総譜に沿っているかどうかを聞き分けてしまうのですから。
 参考のためにCDには「吹奏楽の伝説 千葉市立土気中学校吹奏楽部」を使いました。「くじゃく」も「シバの女王」も同じ土気中学吹奏楽部の演奏が参考になっています。
 「楽隊のうさぎ」にはどこの学校の演奏を参考にしたともか書かなかったのですが、土気中学吹奏楽部のOBのお母さんという方からあれは「土気」の演奏でしょうと言われたのには驚きました。そのときはたまたまコンクールを聞きにいっていたのですが、お母さんのグループに会場で声をかけられたのです。お子さんたちは中学を卒業してしいましたし、もう吹奏楽をやっていない人もいるということでした。でも、吹奏楽がすっかり気に入ってしまったお母さんたちは子どもとは別にコンクールを毎年楽しみにしているというお話でした。
 「シバの女王」を編曲された小長谷宗一さんからも「バンドパワー」の通じてご連絡をいただきました。

「ラ・マルシェ」 (作曲 植村譲司)
 奥田克久2年生の時のコンクール課題曲。
 コンクールの課題曲は毎年、公募で選ばれています。「ラ・マルシェ」を作曲された植村譲司さんからも連絡をいただきました。高校の先生ですが、音楽の先生ではありませんでした。
 「楽隊のうさぎ」では思いもよらぬ方からご連絡を頂戴することが多くてほんとうにびっくりしっぱなしでした。

「交響詩 はげ山の一夜」 (作曲 ムソルグスキー)
 奥田克久がお母さんとけんかをした次の日の朝、頭の中に鳴り響いている曲小倉祇園祭の歌。
 お母さんと福岡のおじさんのところに行ったときに克久が聞いた歌。
 小倉の祇園祭は小説「無法松の一生」で有名になりました。「無法松の一生」には太鼓のみだれ打ちとか暴れ打ちというのが出てくるというイメージがあって、なんとなく勇壮な太鼓を想像していましたが、実際は京都の祇園のおはやしに良く似たチン・トン・シャンというみやびやかなお囃子のお祭りです。正式なお祭りのお囃子とは別に太鼓の競演会があります。競演会ではそれぞれのグループが工夫をこらした演奏をしています。かなり遠くから(例えば横浜とか)の参加者もあるとのことでした。

さよなら「子ども」たち〜「楽隊のうさぎ」を読んで

2005年02月03日(木)

太平洋プロジェクト・寶洋平



 中沢けい「楽隊のうさぎ」を読んでいるあいだずっと、胸のなかになにかあたたかいものがいた。もしやうさぎが棲みついたのか? なんて思っていたのだが、読み終えてしばらくしてわかった。充足感だ。それはいまもまだ、たっぷりと残っている。

 主人公の少年、奥田克久は中学でブラスバンド部に入る。ちょっとドジで、小学生の頃いじめられた経験から何かあると心を閉ざしてしまう癖をもっている。だが、あるとき近所の花の木公園で見かけて以来胸に棲みついたうさぎが、粗野な同級生から嫌がらせを受ける局面で現れるようになり、ピンチを軽やかに切り抜けるための助言をくれる。時にはうさぎに助けられながら、ブラスバンド部の練習、同じ仲間や先生、両親との関わりをとおして強くなっていく克久。そしてブラスバンド部は全国コンクールに出場、本番で楽曲の最初と最後を飾るティンパニの担当をした克久は、演奏を成功に導いていく。――そんな話だ。

 新潮文庫の勝又浩の解説によれば、ブラスバンド部の中高生やその両親を中心に広く読まれているという。うなずける。明晰な文章で隅々まで詳しく描かれていて、登場人物や起こる出来事がリアルだからだ。実際、ネット上にブラスバンド部の中高生や、その両親だとわかる読者からの感想の書きこみが散見される。

 ただ、そのように「ブラスバンド」小説として思う存分堪能できるこの作品は、実はそうした枠からはみ出たところの豊かさを問題にすべき種類の作品であるように思える。冒頭に書いた「充足感」は、この小説の底に流れるある切実で過剰な力がもたらしたものだと私は考えている。作品内に「今じゃなければできない演奏がある」という言葉が出てくるが、この作品こそ中沢けいのそういう種類の仕事だったのではあるまいか、直感的にそう思った。

 過剰な力とは? それを知るために、中沢けいの小説を書くスタイルについて改めて確認しておきたい。中沢けいは知的な作家だと考えられていて、それはもちろん正しい。ただ、ここで知性というのは、外来の新しいものにいち早く反応して整理したりアレンジして取り出してみせることを指すのではなく、自らの身体感覚、つまり実感ベースで捉えた世界を構築していくという意味である。だからむしろ、世界に腰を据えたうえで全身を使って小説を書いている、と考えたほうが理解しやすい。このスタイルは、ただでさえ破綻を抱えながら日々更新し続けていくこの社会を大げさに糾弾したり破壊してみせたりするのではなくその反対で、そうした社会を引き受けたうえで実感に基づいた価値観を提示するベクトルに向かう。中沢けいの作品のなかに流行語とか固有名詞が出てきたり、新奇な素材が扱われることはほとんどないが、読めば必ず「現在」の社会の空気が立ち上がってくるのは、この態度によるものが大きいだろう。

 一つ、例を挙げる。中沢けいはしばしば、母親を「女親」、父親を「男親」と表現してきた。そうすることで、父、母という役割の固定観念を切り崩しながら、「親になった女」「親になった男」からの視点を獲得している。近代社会の最小構成単位とされる「父」と「母」と「子」が、中沢の小説世界にあっては「親になった男」と「親になった女」と「子」として描かれる。実感ベースで捉えた世界を構築していくというのは、そういうことだ。

 このことを確かめたうえで「楽隊のうさぎ」のなかでとりわけ印象的だった場面を見てみる。克久が中学二年の夏休み、母親である百合子が自分の陶器店の買い付けを兼ね、福岡の実家に克久に旅行へ行くことを提案する。が、克久はブラスバンド部の練習があるから行けないのだと答え、言い合いになる。なかなか折れない百合子は子どものようにむくれた顔で横を向いたりして、克久はそんな母親のふるまいをまるで周囲の女の子のようだと感じて困惑する。このときの百合子の女親としての心理を引用。

 それでも、百合子には、この夏を過ぎたら、子どもらしい克久を連れて歩くことはできそうにない予感があった。……中略……春を待っていたら、子どもらしい克久の面影はすっかり消え失せているかもしれない。


 かつては子どもらしい「子」だったはずの克久と一緒にいられる時間に「終わり」が来ようとしている。十四歳といえば、その「終わり」とは何よりもまず身体の成長によって起こるものだろうし、また、ブラスバンドのような自分のフィールドを見出したことによって一個人としての都合が出てくることでもあるだろう。この「終わり」に、誰も抗うことはできない。そして同時にそれは前述した「親になった女」「親になった男」からの視点にも、ある決定的な変化が起こらざるを得ないことを意味している。「楽隊のうさぎ」が基本的には克久の視点から語られながらゆるやかにその母親である百合子に移ってゆくのも、この「終わり」と深い結びつきがある。おそらく、この小説は中沢けいにとって、親の視点から子どもらしい「子」を描き得る最後の作品なのだ。切実で過剰な力。それは「子」の「終わり」を意識した「親になった男」「親になった女」から送られた、「子」に対する過剰なまでに強い愛情であり、メッセージである。「楽隊のうさぎ」を読んでそれをたっぷりと受け取ることができる私たち読者は、ほんとうに幸せだ。

 寶洋平さんの太平洋プロジェクトはこちら。

   
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