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角からの視点 7 花見中に無くした鞄
2012年08月08日(水)21時16分
 誰しもがクモの糸のように整然と絡み合っている多くの制度の下できれいに慣れて生きてゆく。たまにはその抑圧にかまけて、また、その拘束に厳しく追い詰められるが、だいたい制度は、人間の共同生活を少しでも楽にしてくれるカギというべきだ。使い道が違って制限的でも「慣習」や「法規」も、実は「制度」と同じく人のためというよりは、世の秩序を手伝う一つの方法であろう。

 ところが、この制度の切り盛りが緩い国があるかと思えば(都合によって数人でも従える一夫多妻制を許す言語圏のごとく!)、抜け目なくて便利/不便を同時に負わせる、「文明国家」もある(義務教育を強制する「民主共和国」を思い出せ!)。もちろん何れも一長一短がある。

 その制度の運営面でどうしても韓国は日本より大雑把で、がらがら揺れながら無理やり転がっている車のように思えてならない。しかし、その制度のおかげで一瞬飛んでいきそうな解放感を味わった私の経験談がある。

 1996年4月中旬頃、私は日本の作家である夫馬基彦さんと中沢けいさんに招かれ、話を聞いただけの花見に参加する幸運に出会った。きっかけは、その前年の11月、島根県松江で開かれた日韓文学シンポジウムへの参加だった。正直言うと、その2泊3日の間、文学よりその以外の話を互いの勘/筆談/通訳で真剣に交わす内に、私の酔いっぷりがもっともらしかったか、「来年、プライベートであいましょう」と誘われた。

 初日は夫馬さんのお宅で世話になる予定だったので、東京に下りるや否や大宮行きの電車に乗った。ちょうど日暮れに着いて、出迎えに来た一行と一緒にまっすぐ近くの大公園まで行った。おそらく大宮公園だったと思う。現場にはすでに真夜中の花見を楽しもうとする花見客が三々五々集まって席を設けていた。家族単位の小規模なものから職場単位の大規模なものまで様々だった。街灯の程よい明かりの下で仲よく騒めく様子はさすがに見事だった。我が一行も、まだ満開ではない桜をしばらく鑑賞してから枯木の下に席を取った。続々と日本の作家さんが来て、中には松江には参加してなかった老文学評論家をはじめ、大学教授も何人か来た。間もなく酒盛り始まった。日本固有の風俗であろうか、参加者たちはそれぞれ地酒と美味しい料理を持ち寄って、瞬く間に盛大な宴会になった。

 私は勧められるまま酒をむやみにがぶ飲みした。血気ざかりで、素晴らしい主席だったので、暴飲癖が調子付いて出るには打ってつけだった。その時、日本の酒好きの間には水割りがほとんど普遍化されたのを、初めて知った。お酒に、また雰囲気に酔い潰れたせいなのか、その日は星空だったか明るい月夜だったか、記憶にない。

 翌朝、目を覚ましてみると、当時独り暮らしをしていた同じ年頃の夫馬さんの家であった。当然二日酔いだった。ところで肩にかけていた小さな布かばんが見えなかった。花見の酒宴が終わった後、ある作家の家に押しかけて再び酒を飲み干し、タクシーで帰ったというのに、パスポート∙財布∙お金、電話番号や銀行口座番号などを書き入れた手帳などの貴重品を落としてしまったのだ。困ったものだ。取合えず、紛失届を出すべきだが、パスポートの再発行には半月以上もかかると言うので、その間、私の身動きも心配だった。怪しいことに、心を砕く私を揶揄うように夫馬さんは「待ってみましょう」と、にやにやと笑うだけだった。

 おそらく午前11時頃であろう。近くの交番から連絡があって、大家の夫馬さんを確認した後、そこにもし韓国人がいるかと聞いたようだ。「韓国人、誰」とはパスポートですぐに分かったし、持主を捜すため手帳を調べたところ、夫馬さんの電話番号を発見(?)したということだった。

 夫馬さんと一緒に直ちに交番へ駆けつけた。ある中年男性が道で拾って届けたということだった。当然のことながら、そのかばんの中には私の全財産と自分の分身がそっくり入っていた。あまりにも有難くて、拾得した人を尋ねたところ、匿名を望んで警察側もその身分を知らないという。ただ、財布の中にあったお金の10%は、習得者が持って行ったと言った。夫馬さんは相変わらずにやにやしながら、それが日本の "ルール"で、 「ま、理解してね」と言った。珍しく韓国のお金(ウォン貨)も結構あったが、それには例の「ルール」を当てず、辞書とか画集や地図帳を買って帰ろうと両替した大金(!)の日本円から10分の1を渡したし、拾得した人もそれを堂々と要求して受け取ったと言う。

 全く便利で、その上合理的な制度であった。落とし物を発見、習得した人の誠意と苦労に対し、「制度的に」10%を謝礼する慣習の日常化なんて! いろんな思いで、終始一貫何も言わず脂汗をかいたが、もちろんそれは辞書一冊に当たる、その「礼金」のためだけではなかった。

 呉市のタウン誌「くれえばん」掲載 翻訳 カク・ミギョン

   
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