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伊藤製作所「豆畑支所」
   
 

川崎の落馬事故とベラミー

2012年02月28日(火)

川崎競馬で6頭が落馬する事故があり、3頭が予後不良だそうだ。すごくいたましい。予後不良とは、競馬業界の用語であり、wikiにもかいてある。しかしこれはつまり安楽死ということだ。wikiで馬のことをいろいろ調べていくと、つまりは競馬文化にいきあたり、そして競馬文化のなかでは安楽死はごくごく「よくある」ことなのだ。こないだ菊地農業高校であった障害の競技中も、何人もの人が落馬していた。襲歩中じゃないから人も馬も傷つかない(少なくともあたしの見たのは)けど、やはりとつぜんそこに非日常がどっと現れる。
ちょうどうちには新しい乗馬マシーンがとどいてきのうからしきりに乗っていたのである。かなり小さい、月毛のクォーターホース(のつもり)で、名前はベラミー。乗りやすいけど、軽いから前にずれる。熊本にあるのはもっと重量級で、黒っぽい鹿毛なのである。名前はまだない。ベラミーが来たからつけてやらなくちゃ。Panasonicのちょー高いやつを買いたかったけど、やはり10何万するので買えなかった。10何万あればほんとの馬に何ヵ月ものれるなあと思ったら。ベラミーは400ドルくらいだった。熊本のはネットで見つけた6000円くらいのやつだ。ともにとっても楽しく乗ってるが、Panasonicの高いのはどんな乗りごこちなのか、うーむ乗ってみたい。もっと馬に近いのかも。

検索結果が出ました

2012年02月27日(月)

「丸首ブーン」というキャラクターであった。

手塚治虫祭り

2012年02月27日(月)

こんどの旅ではキオスクで漫画買えないなあと思っていたら、Jフリーのうちにけっこうあった。帰りに何冊も借りてきたくらいだ。ちょっとした自由時間にも、帰りの飛行機の中でも、一人で手塚治虫祭りをやっておった。「MW」(こんど授業で使うそうだ)「鳥人体系」「アドルフに告ぐ」「アポロの歌」「鉄腕アトム」、どれも読み応えがあったが、とくに「アドルフに告ぐ」3巻、シカゴーサンディエゴの4時間を、外も見ないでむちゅうになって読みふけり読み終えた。これだけ描いておいて、どうして最後を放り出すかなあ、もったいないと思えるような結末だ。文春のページの都合とかなんとかあとがきに書いてあったが、漫画だから端折っても楽しく読めちゃうのだが、それにしても、もったいない。ちゃんと書き込めば、もっともっとすばらしい作品になりうるのに。漫画界の頂点をきわめちゃった人は、自分の作品が完成していようが未完成だろうが、気にならないものなのか。不思議である。子どもの頃、石森章太郎が好きで、手塚のものは、そりゃー読んだけど、石森ほど夢中になれなかった。でも高校のときに教室のなかでまわされていた「地球を呑む」だ、「火の鳥」だ、「きりひと賛歌」だというのを読んだときの感動は忘れられない。「地球を呑む」は諸般の事情でF組の(あたしはB組)授業に紛れ込んでいるときに読んで、涙が抑えられなくて、困ったのを覚えている。こうして読み直すと、ほんとにすごい。いろんなところから声をお借りしまくっている。その借り方がじつに幅広く奥深い。スターシステムもじつにおもしろい。どろろのお父さんの火袋役の男キャラ、体格が良くて目の下にまつげが生えている、あれはもともと何の役で出てきたものだろうかと、いま、検索中。「アドルフ」でチョイ役で出てきた。しかしこうなったら、読まずにきた「ブッダ」なにがなんでも読まねばなるまい。

ジャムセッションとJフリー

2012年02月26日(日)

ミシガン巡業からもどった。最後の2日はやわらかい軽い雪が降って世界は白くなった。Jフリーの新居は林の中で、シカが来るといっていた。雪の降らない前、ふと視界を何かがうごくので見たら、窓の外に大きな雌ジカが動いていた。こっちが動くのをシカも感じてこっちをじっとみつめたので、ほとんど目が合った感じだが、ガラス越しなので見えていたかどうかわからない。そのときは3匹いた。雪が降ったあと、夜中ちかくに帰ると、そこに4匹動いていた。暗かったが雪あかりでハッキリ見えた。
西ミシガン大学では、宗教学者のSさんとJフリーと三人で座談会みたいなことをやった。それからJフリーと二人での朗読をやった。Jフリーとあたしの朗読は、原作者と翻訳者の朗読というワクをどんどんはずれて、ジャムセッションみたいになっていっておる。それでノートルダム大(パリではなくインディアナ州)でも、つい欲を出し、しかもJイエルが見てるので(Jイエルは、RainyDay での朗読がとてもよかった)「詩人の聲」スイッチが入っちゃって、つい「鰻と鯰」という、いまいちばん気に入ってる詩を読みたくなり、Jフリーにその場で翻訳やってもらった(無理いって)らできるんだ、これが、また。「比呂美さんは安全なのに、ぼくばかりたいへんな目にあう」とJフリーはいっていたが、たしかに90パーセントはJフリーが苦労するのである。しかしやってくれたし、できたのであった。でも長すぎた。やっぱり非日本語話者相手に読むときはある程度みじかいのが大切かも。しかしそれはあたしの計算まちがいっていうだけで、Jフリーとのセッションはものすごくおもしろかった。

父と電話

2012年02月24日(金)

父に電話できていない。

不眠と林のなか

2012年02月22日(水)

けっきょくゆうべは1時間しか眠れずに空港へ、飛行機の中で寝くたれた。そしてJフリーの家にたどりつき、ビールのんで、おいしいものたべて、さー寝るといって寝たのはいいが、数時間で目をさましてしまった。それから眠れずにいる。メールチェックしたらゲラが二つも来ていて、それをみたり書き直したりしているうちに目が冴え冴えとしてきて、「漢である」やりかけて、そろそろねなきゃと焦りはじめた時点ですっかり不眠モードにはまったのだ。外は林で、シカやキツネがくるそうだ。気になってときどき闇に目をこらしてみたりしてさらに眠れなくなった。まっくらな闇はなんにも見えなかったが、明るくなってきたので今は見える。冬の林がある。寒々としている。でも動くものはなんにもない。むかしはさんざん不眠でなやんだが、このごろはまったくなやまない。この頃は、寝つかれないとたちまち起き上がって何かするようにしているからだと思う。その上、今はいつも時差ぼけなので、眠れなかったり眠たかったりするのをみんなそのせいにしてしまえる。気楽なことだ。この家は、自然にかこまれたすばらしいところにある。ここならオオカミも飼える。こないだの熊本より寒い。あさっては雪になるかもという予報である。

旅とタケと父の駐車場

2012年02月21日(火)

「木霊草霊」おわらせて「犬心」おわらせて「万事OK」おわらせて、さーーーあしたの旅の用意をしておる。明日はちょいとそこまで行くだけなので、しかも、朗読用の本はたいていJフリーのところにあるので、持って行かなくていいのだ。つまりあしたから数日はJフリーのいる西ミシガン大学とJイエルたちのいるノートルダム大学に巡業に行く。ものすごく寒いと脅かされていたけど、記録的な暖冬で、しらべてみたら、こないだの熊本くらいだ。たいしたことはない。でもダウンはいるかも。今は、iPodを更新している。この頃はCharles Ivesしかきいてないので、iPodに入れ直す必要はないのだが、まあ旅の前の儀式である。あ、しかしY浦さんのヨハネをこないだ新規に入れたので、それは聞きたい。パスポートとかグリーンカードも持って行かなくていい。東京行くよりずっと気楽である。ただ、着いた先で漫画かえないから、行き帰りの本を持って行かなくてはならない。さっきS村さんから電話があって、熊本で今まで借りていた父のマンションの駐車場が諸般の事情で、今月までといわれたそうだ。ショックである。管理人さんに電話して事情をきいたり、S村さんと相談したり、たいへんであった。きょう散歩中にタケがおしっこしながら足腰が立たなくなって、ずるりと転んで、両後足をひらいたかっこうで、こっちを見ておった。父の転んだときとおんなじ顔をしておった。だいじょぶ、だいじょぶとはげました。でもその他はタケは、このごろ少し元気で活発だ。以下は「犬心」の次の号にかいたのでそちらを。←宣伝。ああ明日、4時半にうちを出て行かねばならない。起きたくないし、そもそも寝たくない。

タケとニコのお手伝い

2012年02月19日(日)

本があふれてどうしょうもなくなったので、IKEAに本棚を買いに行った。ついでに細かいもの、収納ボックスや密閉容器や。本棚キットは重たくてしかも大容量であった。それを四人がかりで運び入れていると、タケも出てきて手伝ってくれた(まわりをうろうろして、表情で参加する)。タケの参加はひさしぶりである。昔は、搬入だ引っ越しだというたびに、タケが、口にそこらの棒をくわえて、必死にものを運んでいくあたしたちのまわりを走り回ったものだ。「やってますよ」「ああいそがしい」といわんばかりの顔をしていた。本棚キットはトメが組み立ててくれた。こんどはタケは座ってみているだけであったが、ニコがさかんに手伝ってくれた。周りをうろうろし、手元をのぞきこみ、組み立て中の板の上に座り込み、大活躍であった。できあがった本棚を部屋に入れるためには、まずいろんなものをどかさねばならぬ。本は一様に四角いので扱いやすいのだが、衣類は、みんな黒っぽくて何がなんだかわからない上に、くたっとしていてきまった形がないのであった。とにかくそれを捨てながら片づけ、本棚を入れ、机の上の本の山をすべて本棚に収納し、隣の本棚も整理して、今必要な本は一望の下に見渡せるようにした。まわりでがちゃがちゃいろんなものを動かしていたのに、タケは頓着せずに、あたしの机の前の自分のベッドで寝ていたのである。本の山の下から、なくしたと思ったメガネがメガネケースに入って出てきた。

坪井さんの「性を語る」

2012年02月19日(日)

「性を語る 20世紀文学の性と身体」という本が名古屋大学出版会から出ている。著者は坪井秀人さん。すばらしい本だ。副題の副題が「ラフカディオハーンから伊藤比呂美まで」。最後の章はあたし論なのである。すっかり透視された感じであった。twitterにもかいたけど、こっちにも宣伝しておく。坪井さん、一回しか会ったことないのだ。30年くらい前に雪の金沢で。感じのいい人だなあと思ったのを覚えている。しかしこんどのこれを読むと、すごい、その透視能力が。こうやって学者の俎上にのると、なんか自分が自分じゃないみたい。でも、話してもないのに、書いてもないのに、なぜわかった? みたいなことがいくつもあって驚いたのなんの。

父と早口

2012年02月18日(土)

こっちの夜半、父に電話をしたら、父はどうも受話器をきちんと耳にあてないらしく、聞こえない、聞こえないと文句をいった。よくそういうことになる。それで父のテレビ鑑賞のときみたいな大声で、ちゃんとじゅわき持ってる? 耳にあててる? と何度も何度もいうのだが、「うん」と生返事しながらも、どうも聞こえてないようで、こっちが聞いたことには答えずに、自分の話したいことを話すのである(じつは話したいことは何もないので、同じことをくりかえす)。それでは会話にならないので、いかんと思い、あたしもしつこく、こっちの質問を(じつはこれもたいしたことじゃない、立てた棒はどうかとか、何食べたとか)大声でくりかえす(向かいの部屋に寝ているS子を起こしてしまう)。いつものことだが、今日は、同じことを粛々とくり返しているうちに、やっと父が「あんたが早口だからききとれない」といった。それは前からそうじゃないかと思っていたことではあった。つまり早口(心がけて、はっきり大きくゆっくり話しているのだが、それでも父にとっては早いのだ)でしゃべると、S音やK音が聞こえずに抜けおちてしまうんじゃないかということだ。それで、ものすごく、ふしぜんに、大河ドラマの、登場人物のように、ゆっくり、ゆっくり、しゃべったら、やっと返事が返ってきた。立てた棒(ポジションバー)はとても具合が良く、丸い手すりにつかまってどこまでも行けるそうだ。最近肉ばかりなので、からだにあってるらしく、げんきだそうだ。おとといときのうはステーキで、きょうはすきやきだったそうだ。おれみたいのを肉食系っていうんだなと思ったそうだ。お風呂に入ったばかりなので、とても調子が良く、またあしたも入ろうかと思っているそうだ。そしてきのうの「アバター」はまったくおもしろくなく、あんなものをおもしろいと思っている人はどこかおかしいにちがいない、と思ったそうだ。

父とアバター

2012年02月17日(金)

「きょうはもう、死んじゃってもいいようなつもりでお風呂入った。ちょうどK崎さんが来る頃にわかして、K崎さんにからだ洗ってもらった、さっぱりした」というから、よかったね、こないだからずっと入ってなかったよね、というと、「半月くらい」と弱々しく、しかし昨日ほどの悲愴感はなく、言うのである。「きのうはステーキたべた、体にあってるらしい、ごはん食べないで、肉だけたべた」と。そして「油が切れてる」とつぶやくように言うのである。どこの油が?ときくと「体じゅうの。だから動けなくなっちゃったんだね、起ち上がったり座ったりするのがつらいもん、ギシギシいってんじゃないか」と。それでも今日は寝てないでテレビを見ているようだ(5時半)。そして「今日は『アバター』がある」とつぶやいたが、見るつもりなのかどうかはわからない。おとうさんそれいいよ、あたし30回くらい見たよ、といっても返事はなかったのである、聞こえなかったのかも。弱々しい、弱々しい声であった。

朝と父

2012年02月17日(金)

ゆうべは夜、もう話すのが無理なくらい弱っていたので(父・談)、朝(日本時間)ヘルパーさんの来る前に電話をすると、なかなか出ないので、すわ、と覚悟したが、数分後に向こうからかかってきた。「膝が、膝が、」とかすれ声で訴えた。聴き取ると「膝がだめになったみたいだなあ」と。「ベッドからトイレへ、ベッドからテーブルへ、と動くのがすごくつらい」と。「あの丸い手すりにつかまるのが容易じゃないんだ。動けなくなっちゃうみたいだなあ」と。でもそうかといって動かないとますます筋肉が弱っちゃうよね、というと、「もうそういう時期は過ぎちゃってるんじゃないの」と。「今から筋肉きたえたってだめなんじゃないの」と。まーそうかもね、とあいづちをうつしかないのである。「寝てりゃいいんだけど、そういうわけにもいかないし」というのだが、やはりそこに、どうしても筋肉を保たねばならぬ、だから痛くてもかったるくても動くという、ヘルパーのS村さんもあたしも見抜いている事実と根性を父が持ち合わせてないのも知っているから、むなしさが残る。「ま、心配しないでっていっても無理か、心配だけしててよ、あとどうしょうもないもん」というから、そうだね、とここでまたあいづちだけうつのであった。

父と下痢

2012年02月16日(木)

で、今日は下痢がひどいといって、死にそうな声であった。2時半ごろ電話したのであるが、朝からもう6回おむつ(はくタイプのおむつ)を替えたといっていた。そのあと、5時ごろ電話すると、ヘルパーのK崎さんが電話に出て、「来たときは顔があおーくて心配しました、でもそのあとお肉がたべたいとおっしゃって、いいお肉を買ってきたから、ステーキ、それから茶碗蒸し、たべられて少しピンク色がもどってきました、でも声が出ないから、わたしはもう電話にでませんとおっしゃっています」と。ほんとにいい人なんだ、K崎さん。とにかくそういうことで、今日も終わる。

スズメと風雨

2012年02月16日(木)

すごい風だ(それでたぶんスズメが窓にぶつかった)。そこに雨も降り出した。あたしは死骸がこわいので躊躇していたが、さすがに濡れてしまっては哀れなので、死骸をゼラニウムのなかに埋葬しようと、ちりとり持って出ていったら、もうなかった。窓にぶつかって気絶していただけのようだ。ほっとした。とても明るいニュースだ。

父とベルリンとIメラさんたち

2012年02月16日(木)

きのう父から電話がかかってきて、れいのポジションバーなるもの、3本たてたが、3本目(トイレの前)はじゃまになるので、そう介護用品屋のSさんに伝えてくれというので、さっそく電話した。しかしそのときの電話も、そのあとで電話したときも、父の反応はどうもはかばかしくなく、自分のいいたいことはいうが、こっちの話すことはなんにも聞いてないようすで、それはあたしが熊本にいるときから多少そのケはあったのだ。こうして離れてみると、それがまったく父の不満や不安がこりかたまったものと感じられ、またそれは怒りに変わってあたしに(そばにいてくれない娘)向けられているようにも思え、とてもいやな感じになる。でも、S子にそういったら、おじいちゃんはおかあさんにそういう気持ちを持ってるわけではなく、むしろ自分のそういう状態を苛立たしく思ってるわけで、そういう感情を近くの人にぶつけちゃうのはよくあることで、気にしない方がいいよと諭された。たしかにそのとーりなのである。ベルリン行きのこと、悩むあまりに返信がすっかり遅れていて、Iメラさんから「早く返信を」というメールが入っていた。ああもうだめだーーと現実に気づいて、そっこーでベルリンのIメラさんちに電話して、IメラさんとSジさんと3人でしゃべったら、なんだかとっても楽になった。ひとりで悩んでないで人に言ってみるもんですなあ、ほんとに。人にはそう助言してるのになかなか自分ではできないもんだ。ずっとベルリン行きが頭にのしかかっていて、肉体的にも、精神的にも、できるのかほんとに? と思っていて、思えば思うほど、返信が後回しになるというていたらくであった。「今回はまだだいじょうぶ、今キャンセルしても迷惑にならない」とIメラさんとSジさんに親身に言われて、決断したのである。申しわけない。ほんとに。「キソウテンガイは今度にしたほうがもっと大きくなってるよ」とSジさんがいった。それはベルリンの植物園にある。

ユーカリと花

2012年02月16日(木)

うちに帰ってきたら庭がユーカリの花だらけだった。きれいというのではなく、庭全体に吹きだまっていたのだ。とうぜんニコはしっぽで掃いて歩いておるから花殻だらけで、洗ったばかりだそうだが、まだついている。で、前々から気になっていたユーカリの花期、今なのかと考え、赤花のすごいユーカリのある「カワヤナギ公園」に行ったが、それは咲いていなかった。前々からどうもユーカリという植物は花期がてきとうなんじゃないかと考えていたが、ほんとにてきとうかも。公園のすぐ外にある家の敷地のユーカリは花が咲いていた。うちに帰るときにもあちこちを見渡してみたが、咲いてるのと咲いてないのがあった。うちに帰って、よくよく見てみたら、咲いてるのは手前にある木、葉の丸い、いやしかしこれもユーカリというのはてきとうのようなので、あてにできない。とにかく何本かあるうちで咲いているのは2本であった。これは花といってるが、じつはおしべなのだ。花びらはかたまって蓋状になってつぼみをおおっている。それがぱかんと取れておしべがひらひらと開く。ときどき上からなにかがしたたり落ちてくるが、あれは何か考えている。庭を点検していたら、新しいスズメの死骸をみつけた。窓に当たって死んだようだ。

テニスと父とタケとコンブチャと夢

2012年02月15日(水)

いつものことだが時差ボケ、もっと寝ていたかったが、つれあいがジムで見るテニスの試合を楽しみにしているので、しかたがない、バレンタインだし、起きて行った。それは個人トレーナーのTムのジムで、Tムはいつもテニスの試合を、つれあいのために録画しておいてくれる。今みてるのは、こないだの全豪オープンのファイナルで、ジョコビッチとナダルが6時間戦ったやつだ。それを6回にわけて(エクササイズは一回に1時間)見るわけで、きょうはナダルが勝ってるっぽい箇所であった。きのう父に電話したら、「あんた今どこにいるの」と言われた。夢をいろいろと見たが、B場さんK下さんと何かの草案の文章を時間に追いせまられながらずっと考えている夢、卵を何十個と割っているが悪くなった卵がいくつも入っていて捨てざるをえない夢、まだ見たけど忘れた。ときどき目を覚まして(時差ボケなので眠りが浅い)考えるのは、もしベルリンに行かないとしたら、日本に帰れるかなあということだ。夢で考えていたような気がするけど、夢じゃなかったような気もする。ベルリンにいかなかったとしても、日本にちょっと行って帰るのは、やはり辛い。でもできなくはない。タケがずっと足もとにいる。コンブチャは、第1過程の大びんと第2過程の小分けして密閉したのが5びん、よくできあがっておった。小びんはうまいぐあいにしゅわしゅわになっておる。甘すぎずすっぱすぎず。

カリフォルニアとタケ

2012年02月14日(火)

タケ、出てこなかった。寝ておった。気がつかなかったようだ。

父と風邪

2012年02月13日(月)

今朝は「風邪気味だから、起きないから、ルイのえさと薬だけやってくれればいいから」という電話が7時にかかってきた。明日少し早く行くから、といってあったので、早く起きなくちゃと思っていたらしい。こっちは仕事が残っていて4時に起きていたので、まーよかった。父のところにいこうと思っていたのは、いつもより30分早い8時半であった。いつもこうだ。ちょっと早く行くから、というと、いつもとんでもなく早く起きて待っている。とにかく家を片付けて、8時半に行くと、父は寝ていて、ルイは起きていた。それでおむすびとゆで卵を作っておいておき、ルイにはえさと薬をやり、じゃー行くからね、と父に話しかけたら父は起きて、ごはん食べるといいだし、あたしは空港にいくぎりぎりの時間になっており、焦り、おむすびでいい? ときくと、トーストがいいというので、いそいでコーヒー入れてトーストつくってウインナゆでて、いつもの朝食をととのえ、じゃー帰るね、といっても、わかってるのかわかってないのか。何かあったらすぐくるからね、といったら、「わかった、何にもないから大丈夫だよ」といっておくりだしてくれたのだが。
そういえば昨日も、あたしは仕事で久留米にいたのである。そしたら父から電話がかかってきて、「ヘルパーさんのS村さんがきてるけど、ルイの薬がみつからない、ちょっときてくれないかなあ」と。そもそも明日はあたし仕事で出かけるからということで、S村さんに朝食を頼んであったのだ。おとうさんあたし今久留米だから、といっても父は理解せず、S村さんにかわってもらったら(主任のヘルパーさんで、あたしは頼り切っている)だいじょうぶですから、と。夕方行くと、S村さんがいて、薬は流しの三角コーナーのなかに落ちてた、と。父が、流しのカウンターの向こうからコーヒーやらたばこ盆のなかみやらを捨てるので、そのとき落とされて三角コーナーのなかにあったのだろう、と。薬はしめってしまって、使い物にならないようだ。ともかくそんな調子。きのうは風邪気味らしく、7時半に、おれもう寝るからというので、あたしも自分ちに帰ってきた。清盛楽しみにしてたのに見られなかった。あたしのこのテレビ嫌い(ぜんぜん見ない)は、このように、子どものときから、みたいテレビがあっても、父が見たいものを見るのが先なので見られるとはかぎらず、ついてるテレビに興味を持って見ていても、父の興味次第でいつチャンネルを変えられるかわからないという生活につちかわれたんだっけなあと思い出した。ありがたい生活習慣をつくってもらったものである。
で、さっき、電話したら、ぼうっとした感じ、「今どこにいるの」というから、成田だよというと、「どっか行ったの」というから、おとうさん、あたし今日アメリカに帰るんだよ、といったのだが、「ふーん」と。ぜんぜん話の内容をつかめていない「ふーん」なので不安になり、おとうさんKさんに(ヘルパーさん)かわって、といっても、「ふーん」のままで、けっきょくそのまま電話を切ったのである。わかんなきゃわかんないでしょうがないなというあきらめ。
帰ったらすぐインディアナとミシガンにいく。これはJフリーのとこだし、Action Booksのとこだし、「河原荒草」を出してもらいたいので行かねばならない。そのあとベルリンにいく、これはIメラさんに誘われた、IメラさんとSジさんには会いたいし、ベルリンには行きたいし、楽しみにしてたけど、今となってはものすごいストレスになってのしかかっておる。これは行くにしても、秋に予定していたノルウェイは断らねばと考えていたのである。

馬18

2012年02月10日(金)

今回最後の練習。明日とあさっては障害の試合なので(いつか出たい)お休みなのである。今日はマルコ、やっぱり相性がいいかも。かぷかぷ噛むからとてもカワイイ。ほんとに反動が少なくて乗りやすい。跳ねないから落ち着いて膝や肘や座骨のことを考えていられる。軽速歩、巻き乗り、半巻き、軽速歩、速歩とやって駈歩、先生が腹帯締め直しに来てくれたところで、あー駈歩だなと覚悟した。で、右からの駈歩はうまくいったが、そのあと方向をかえて左からの駈歩はいまいち。先生によると、もう腿の内側の筋肉が疲れてきてるからだそうだ。ズンバで鍛えねば。伊藤さん、マルコに乗るとほんとにウマくみえますね、と先生に言われた。でも、マルコはああ見えてもけっこうむずかしいそうだ。まっすぐ歩かないし、駈歩のときに乗り手が主導権をにぎろうとすると怒って駆けまわるそうだ。伊藤さんは、走ってるとき何もしないでただ任せることができるから、うまくいってるんですよ、と。あたしこそ、あたしがあたしが意識のかたまりなのだが、駈歩中は、マルコの能力のほうがずっと上回るので、あたしが意識は出さずに済んでおる。マルコの反動の少ないのは、アラブの血のせいだそうだ。巻き乗りや半巻きのときは、頭のなかに、つくりたいサイズの円や半円を描いて、それをしんとした心で、イメージするのだ。そしてからだを動かさずに、イメージを念じていくと、馬がそのとおり円を描いてくれる。どこかで見た光景だなと思ったら、岩明均の「七夕の国」の超能力者たちの球のつくり方であった。

馬17

2012年02月09日(木)

エンジェルはおじいさんではなくおばあさんであった。乗馬クラブの馬たちのなかで唯一の「女の子」と先生はいった。そして避妊手術はほどこしていない馬であった。雌馬は避妊せずにずっと生きていくそうだ。去勢してないスタリオンが襲いかかりはしないんですかと聞いたら、そういうふるまいに及ぶスタリオンはいないようにしているから大丈夫と先生は言った。先生によると、馬というのはほんとにセックスが自由にならない、しなくても平気で生きていく動物のようだ。そしてそれはたまたまきのう橙書店で買って読み始めた「哲学者とオオカミ」という本にも、そんなことが、犬について書いてあった。これはすばらしい本である。これを仕入れて棚に置いておいたH子さんはすごい。そっこーでamazon.comで英語のを買って、留守宅の娘に送ってやった。つれあいに読ませたら、オオカミ飼っていいといってくれないかなーとちょっと期待している。いやオオカミがダメならもう一頭ジャーマンシェパードでもいいんだ。
きょうは初めからあまり叱られずに済んだ(エンジェルに)。最初はゆったりとした乗り方で、常歩で、手綱もゆるめて、敷地いっぱいを回るのである。そのときに上半身の柔軟やあぶみを外して足を柔軟にしたり、ないしはあぶみに立ったりして、馬の動きに慣らしておく…のであるが、エンジェルはこのへんからもう気に入らず、ぴりぴりして怒って蹴ったり止まったりするので、きょうは、あぶみをはずして足首を柔軟に、はやらなかった。そしたらあんまり叱られなかった。そのあと敷地いっぱいに軽速歩をしたが、そのときも、あんまり叱られなかった(エンジェルに)。ときどき速度がゆるむのでそのときは頭を前に突き出さず、つねに座骨に集中して、す早く足で蹴って速度を速めさせるのが大切だと、何回も言われた(先生に)。これは前回も前々回も言われた。しかし馬の動きがよくなったら、蹴るよりも締めることで合図を出す、それで、常歩から速歩にすんなりと移行できる、機械じゃないんだからスイッチをいきなり入れるというのではなく、少しの合図で動くことをわかっていなければ、と言われた(先生に)。でもきょうは軽快に軽速歩ができた、とほめられた(先生に)。馬刺したべますか、と先生に聞いたら、食べるそうだ。でも自分からわざわざ買って食べようとは思わないそうだ。しかしこうして、馬に乗りながら馬刺しのことを考えるのは、熊本ならではの葛藤のはず。荒尾競馬の廃止は、馬的にはほんとうに惜しかった。(非熊本県人のためにいっておくと)熊本の藤崎宮で9月にあるお祭も馬が主役である。なのに地名が、馬本でなくて熊本とはコレイカニ。

父とやるせなさと馬飯

2012年02月08日(水)

とはいいながら毎日こんなにうまくいくわけではないのは、馬と同じことだ。きのうは、朝ごはんのあと帰るときに(10時頃)お昼に来れたら来るといい(実は行かないで仕事をしていたい)いちおう12時に電話してみたら(大丈夫だよ、自分でできるよというのを期待して)よれよれの声で今起きたというので、しかたがないからあわてて行ってごはんつくってたべさせようとしたところ(いつもは自分でカップ麺をつくってたべている)ついたらまだ寝ていて「起きたくない、おひるいらない」というので、N田さんにもらったうま飯だけ仕掛けて、帰ってきたところ、15分もしないうちに電話があり「起きちゃったよ」という。ごはんはどうする、自分でできる? というと「うーーーー」といってるので、わかったわかった今すぐ行くから、といって、駆けつけたのであるが、マジで、やるせなさの行き所がなく、車のなかで大声でののしっていたのである。それは、ほんとうに、やるせないとしか表現できないような感情だ。そして10時に帰って、12時にいって、1時前にいってたら、仕事なんかできるわけがないのである。ところで、うま飯、馬入り炊き込み飯だが、好信楽のN田さんがいぜんおみやげにくれて、父がすごく喜んだのを覚えていてくれて、こないだつくりかたといっしょに具を持たせてくれたのだった。今回も父はとても喜んで食べた。馬を食べることについては、ちょっとした葛藤がある。むかしはたべなかった。その頃も馬に乗っていたのだ。で、馬はやめ、ここ数年好信楽に行くようになって食べるようになった。そしてこないだの3日に好信楽にいって、ひさしぶりに馬刺しを食べた(好信楽以外では馬を食べる機会はないし、出てもたべずにいられる)。馬刺しが出てくる前はたべないでおこうと思ったが、やはり食べた。霜降りの肉であった。好信楽もN田さんたちも大好きだが、好信楽の料理はほんとに絶品なのだが、とくに好きなのは野菜料理なんであって、馬刺しは、じつはそこまで好きなわけではない。食べずにいられるのだが、今回は食べた方がいいような気がした。正真正銘のアニミズムだ。で、食べた。エンジェルの不調はもしやそのせいか。いや馬を食べることで、馬のチカラがつくと思いたいじゃないか。

父とポジションバー

2012年02月08日(水)

こないだI牟礼さんちにいったとき、I牟礼さんちに物干し竿みたいなつっかい棒が床から天井に立ててあり、何本もあり、それはI牟礼さんが歩くのにたいへん助かっているというのを観察した。さっそくヘルパー主任のS村さんに電話をかけて、あれはどうかと聞いたらケアマネのH田さんにまわしてくれ、さっそくH田さんが業者さんとモノをもってうちに来てくれた。今回、その話をしたときから父は前向きであった。必要性を感じていたにちがいない。H田さんは父が、このような提案にはいつも反対するので、半信半疑で来たところ、前向きなのでよろこんでくれた。それできょうさっそく取り付けてもらったのである。こたつ前の椅子から食卓に移動する間にたててもらった。あたしの考えでは、台所の前にも1つ、トイレの前にも1つだったが、それは「林の中に住んでんじゃないんだから」という父のことばで却下であった。H田さんはあと、トイレの補助枠と、今すわっている椅子を少し高くするための器具も提案してくれ、それにも父は前向きであった。やはり必然性を感じ取っていたのだろう。で、わたしが帰るとき、「ありがとう、いろいろと心配して考えてくれて」と言った。いや…こういうとこが、父はほんとうにすごいと思う。この言語化する能力、そのすなおさ。

馬16

2012年02月08日(水)

で、とうぜんのことである。あれだけうまく乗れたあとは最低の日がつづいた。きのうはエンジェル、マルコにそっくりなのに、じつに乗りにくい。というか、よく叱ってくれる、いい先生だ。鞍の上ではねるだけで何がなんだかという速歩であった。きょうは久しぶりのプリン、鞍の上でさんざんはねた、以下同文。きのうはいつもの手袋がみあたらず、たまたまみつけた軍手をしていったら、伊藤さん、それならしないほうがましですよ、と先生に言われた。さすがにあたしもこれじゃ乗馬というよりガーデニング中みたいだなと思っていたのである。まだ、きいておもしろく思った先生のことばや経験したことは多々あったが、忘れてしまった。

馬15

2012年02月05日(日)

きょうはマルコポーロ、前回落馬したが、反動が少なくて乗りやすく、また手入れのときに甘噛みしてくるなつっこい馬だ。なんだかこの間から気が合うなあと(落っこちたけど)思っていたところ、今日はウマく乗れて、先生からも、伊藤さん、この馬に乗ってるとウマく見えますね、とほめられてるんだかなんだかわからないほめられかたをされ(それでもほめられたと取るところがあたしの性格なんである)、座骨で「腰を入れる」感じとコブシの位置と肩のやわらかさと膝の内側の筋肉を締める感じとに集中して速歩していたところ、いいです、いいです、その調子、といっていた先生が、きゅうに「かけあしッ」と。あわてたが、すんなりと駈歩に移行することができた。こないだ(だいぶ前だ)駈歩したときは何やってんのかわかんない感じだったので、もっと速歩できちんとコントロールできるようになるまでは駈歩したくないなあと思っていたのだが、やってみたら、こないだよりはずっとスムーズだった。きょうはついでに、巻き乗り(円を描く)半巻き(半円を描いて方向を変える)も、速歩から常歩への移行も、すんなりと。そのときにこっちにいこうと思ってからだや手を動かしてはいけない。頭のなかでただ描くべき円やある速度の速歩をイメージすれば、しぜんと馬がそう動く。微妙にあたしのからだもイメージにしたがって動いているわけで、それを馬が感じとって動いていくそうだ。理論はわかっても、あたしが今ここで習っているのは、テレパシーであるような気がした。腰のうしろの筋肉が弱いから前屈みになりがちだといわれたが、それはまさしく、そこの筋肉が弱いからおなかをぷるぷるさせにくいとズンバの先生に言われたのと同じところだ。

K崎さんと父

2012年02月04日(土)

ヘルパーさんのK崎さんが、転勤するご主人の都合で他県にうつるそうで、父のヘルパーも2月いっぱいでやめねばならぬ。朝食のあとぽつりぽつりと父が言い出した。「なんだかがっくりきちゃうな、こういうのは。きのうはK崎さんが帰った後、テレビを見る気もしなくってぼーっとしてた」と父がいった。ほんとうに、ほんとうに、ショックだと思う。父はK崎さんのことをとっても慕っていたのである。「K崎さんが100円ショップで筆立てを買ってきてくれた、こないだ100円の天眼鏡を買ってきてくれたのもK崎さんだ、K崎さんってね、ちょっとおっちょこちょいなとこがあって、おもしろいんだよ」と。ほかの話をしていても、またふと「K崎さんがね」とK崎さんの話をするのである。あんまりしょんぼりしているので、朝食のあとすぐ帰らずに、いろいろ本の整理とかやっていたら、「おれもう寝る、具合わるいから」とよれよれとベッドに戻っていった。

馬14

2012年02月04日(土)

これ、書かなかったのは忙しかったのもあるけど、寒かったのもあるけど、馬にウマく乗れてなかった日々がつづいたからだ。ロカビリーにはウマく乗れてたのにエンジェルに代わったとたん、叱られまくり。先生にというよりは(それもあるが)エンジェルに。人間にしたら80くらいのおじいさんで、経験豊かで気が短くて偏屈(うちのつれあいそっくり)。で、あたしの何かが気に入らず、とまったり、首をふったり、後足でけりを入れたり、天をあおいでため息をついたり(これはつれあいであった)するのである。先生には、この馬がこんなことするのは伊藤さんだけですよ、と言われちゃうし、そういえば夏にトメがのってたのはいつもこの馬だったし、トメはエンジェルむかつくーと言いながらも乗っていたわけで、トメに乗れてあたしに乗れないなんてそんなばかな、ということは、やっぱりあたしが悪いことはまちがいがない。先生に指摘されたのは「馬の肩にのってる」「膝から下がよけいな動きをしている」等々。寒い日で、小雪の舞いかかるなかで乗ってたから、馬も雪で興奮してるのかと思ったが、つぎの日は何のぞむなくねがふなく、小雪なんか舞ってないのにさらに馬は機嫌がわるく、よごれちまつた悲しみにどうしていいかわからず、しかしそれでも少しずつ習得していくのだ。おとといはダメだったが、きのうは後半、これでいいのかもという速歩ができた。きょうは馬に叱られながらも、座骨を定位置におき、何があっても前に傾かず、両ももを鞍にぴったりと押しつけて、膝から下はないものと思えという言葉を信じて、速歩につぐ速歩、馬が遅くなったり蹴りだしたりしても、動揺せず、ただ速歩を同じペースでつづけることを主眼に、コマンドをつよく出す、まっすぐ座骨ですわりつづける、ができた。で、ちょっとでもおしりが跳ねたなと思うと、ももに集中して締めると、跳ねるのがおさまるのであった。何週間も何ヶ月も前に先生に言われたのに、カラダがぜんぜん理解してなかったことである。

2日と3日

2012年02月04日(土)

2日は「比呂美の部屋」。DenkikanのK寺さん、前からただものじゃないと思っていたが、やっぱりおもしろかった。いつもは学園大でやってるのだが、今回は新しい試みでRKKのロビーでやった。お客さんも80人も来てくれた。みなさん、ありがとう。ついでに、朝日webの企画で朗読を1つさせてもらった。やっぱりお客がいないと、朗読にチカラが入らない。お客の反応みながらかれらの「気」みたいなものにこっちも反応して声も言葉もかわっていくのだ。昼間は同じ企画でI牟礼さんの収録をするというので、あたしも見に行った。「言葉を信じる」のときの朗読はビデオで見た。ナマで見たかったのだ。とてもよかった。インタビューのようすも見ていたが、すばらしかった。
3日は博多、このごろ車じゃなくて新幹線がおもしろいので。冷泉荘という、アパートを改造したような、ちょーおもしろい場所で、九大のF枝さんたちの企画、おまけでライブの万事OK。みなさんありがとう。終わった後ひさしぶりに好信楽にいってN田さんたちと。Aサカさんとも。真夜中過ぎに家に帰りつき、なんだかんだで寝たのは1時すぎてたのに、6時に起き出して7時からの馬に行くのは、さすがに少々つらかったのである。

馬13

2012年02月01日(水)

きのうは軽速歩につぐ軽速歩、きょうは速歩ずっとやって、最後に軽速歩、きのうもきょうも、軽速歩しながら動きにあわせて手を突き出してひっこめるという練習を。リズムをつかむ練習だそうだ。それからあぶみを外して、脚を両足とも上にもちあげる練習を。座骨を確認して定位置をたしかめる練習だそうだが、これがむずかしいのなんの。もちあがらないのである。伊藤さん、もちあげてますか? と先生が聞くけど、あたしは必死で汗かいてもちあげようとしているのである。でも軽速歩は先生にほめられた。しかしほめられると、次の瞬間心がゆるんで形が崩れた。ほめられない方がいいのかもしれないが、ほめられるとうれしいからほめられたいのである。速歩は、反動を頭のてっぺんから抜くこと、おしりをくっつけること、馬の動きに置いて行かれないように膝の内側を鞍に止めつけて膝から下は無いものと思え、と。そんならいっそあぶみを外してしまったら? と先生に提案したら、今の伊藤さんのバランスじゃあぶみ外したらすぐ落ちますよ、と一蹴された。息をしてからだをやわらかくして馬のうごきをよく感じ、ひとつひとつ丁寧に、と。きのう終わったあとで先生が軽速歩をやってるのを見たが、やや前傾でまっすぐで反動が頭のてっぺんから抜けていくのが見えた。馬は下を向いて先生に集中しているのが見えた。

走れイエスと詩心二千年

2012年02月01日(水)

Y浦さんの「走れイエス」を見ている。こないだイーピックスの本をいっぱい買ったときにおまけにもらったDVDだ。どんなに朗読が好きでも、講演の記録って見たことないし、どうなのかなと思ったら、ものすごくいいんだ、これが。Y浦さんの語りが。声が。ケセン語が。ほほえみが。お茶目なしぐさが。落語みたいに、笑いながら聞いておる。DVDの中で、お客さんもどっと笑っているのが聞こえる。途中で放蕩息子のところを朗読してくれたが、それがすさまじい。長者窮子みたいだけど、血を吐くような叫びだった。いいといえば、S匠の「詩心二千年」。すごかった。書いてあるけど、S匠の声がはっきり聞こえる。語り口調なのだ。それでよりよくわかる。もの知らずのあたしに、諄々と語りきかせてくれてるようで、まるでケセン語訳聖書みたいにCDつきなんじゃないかと思えるほどで、しかも内容は、意表をつくというか、何十年来の疑問が氷解するような、そんなすごさだ。

   
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